暗殺嬢は轢死したい。

『探知追跡及び任務完了。育成を続けますか?』

 メローネのPC画面にそんな文字が浮かび上がっていた。文の下段には、一、二と箇条書きで、“はい”か“いいえ”かを選択するよう記されている。メローネは迷うことなくテンキーの“2”を叩いた。

「それ、“はい”を選択するとどうなるの?」
「ジュニアはここに戻ってくる。しかし、ターゲットが死んだ以上探知追跡機能を失ったも同義だからな。生かしていても邪魔なだけだからまず“はい”は選ばないな」
「それじゃあ、“いいえ”って選択したら、ジュニアは死んじゃうの?」
「ああ。その場で消えて無くなる。ターゲットを殺した証拠も何も残らない。どうだ?暗殺にはもってこいだろう?」

 は少し残念そうな顔を見せて、そんなもんかとメローネの話に頷いた。スタンド能力で作り上げられた“ジュニア”がどんな見た目をしているのか――実体を伴っていて、スタンドの存在すら知らない人間でも目にすることができるそれのことがは気になっていたのだ。そんなの表情を見たメローネは、盛大に勘違いをして彼女を慰め始めた。

「ああ。心配するなよな。オレは子供を殺すってことになんの躊躇いも見せない非情な男じゃあない。オレがジュニアを殺すのは、別にオレの子供って訳じゃあないからだぜ。とオレの子なら絶対に可愛がるさ。名前は何にしようか。男なら――」
「子供はまだいいわメローネ。ところであなたたち二人は、今夜どこに泊まるの?」

 メローネは、イルーゾォの荷物共々ツインの客室から撤退していた。それは、もしターゲットのアンナが目を覚ましてすぐに客室の固定電話から警察に連絡をしたら、間違いなく警察は犯行現場に駆けつけるだろうし、客室を隅から隅まで調べるに違いないと踏んでいたからだ。そんな場所に平然と泊っているわけにはいかないし、メローネはすでにレイトチェックアウトの手続きを済ませていた。実際のところ、アンナは冷静すぎる判断で警察にもフロントにも連絡することなくホテルを後にし、ヌーブの邸宅に向かいジュニアの養分となって跡形もなく消えてしまったので、イルーゾォとメローネのふたりが部屋に残っていても何も問題は無かったかもしれないが、さすがのメローネもそこまで予見はできなかったのだ。よって、今夜寝泊りする場所が彼らには無かった。

「また新しく部屋を取るか?メローネ」
「……なあ。別にこのシングルのベッド、ふたりで寝るのに窮屈ってわけじゃあないと思わないか」
「いいえメローネ。窮屈よ」
「イルーゾォはそこのソファーで寝て、オレがこのベッドで君と寝たい」
「……オレはどこで寝たって構わねェが、また今朝みたいなのはごめんだぞメローネ」
「そればっかりはどうしようもな――っあ、。一体いつの間にオレの手錠をッ」
「今回は拘束して床に転がしておこうかしら。ご褒美でしょ?メローネ」
「ああッ……。君のその冷たい微笑みもまた素敵だっ!セックスしよう!」
「床としてなさい」
「床とどうやってセックスするんだ?床に穴でも開ければいいのか?詳しく教えてくれ!そうだ実践がいい!!今ここで君が床とセックスして見せてくれ!そこにオレが割り込んでやろう!!」
「はぁーーーッ……メローネお前、ほんっと向いてねぇ」
「何にだ!?」
「色恋沙汰って言うか、もはや人間社会に向いてねぇ」



 こうして、三人のニューヨークでのミッションは無事に終わった。メローネが暗殺が完了した旨を伝えるメールをリゾットへ送信すると、すぐに了解。とだけメッセージが返ってきた。

 彼らが祖国、イタリアへの帰還は明日の朝十時。それまで自由に使える時間が十六時間ほどある。そのうちの七時間程度を睡眠に当てるとしても残り九時間。タイムズスクエアに躍り出て写真を撮って帰るのもいいかもしれない。はそう思って、ふたりにある提案をする。

「ふたりはもう、他に用事って無いのよね?私のレポートももうそろそろ書き終わるし、普通にニューヨークの夜の街を観光して帰らない?」

 メローネは一瞬、自身がイタリアを出る前にした話を思い出した。ニューヨークには、禁酒法時代に栄華を極めたイタリアンギャングの残党が多く存在している。特にここ最近は、パッショーネに居場所を奪われたギャングが多く身を寄せているとの話も聞く。

 もちろん、暗殺者チームは構成員が何人で、身なりがどうで、どんな能力を有しているかなどという情報は一切外に出ていない。その情報を組織以外の人物が知り得るとすればターゲットだけだが、そのターゲットたちはこれまで失敗なく、そして例外なく殺されている。つまり暗殺者チームの面々がニューヨークにいたとしても、それをパッショーネと結び付けられる人間はひとりもいない。したがって、ここニューヨークで過度にその存在を恐れる必要は無いだろう。目立たないようにしていれば、何も問題は起こらないはずだ。メローネはそう思いなおし、の提案を承諾した。

「嬉しいわ!私、一度でいいから本場のニューヨークチーズケーキが食べたかったの!」

 天真爛漫なの笑顔を見て、イルーゾォは顔をほころばせた。彼女と行動を共にし始めてから、彼は彼女の表情の変化に心を揺り動かされ続けている。喜びか悲しみかのどちらかしか読み取れなかったが、それだけでも十分にイルーゾォをひきつける魅力が彼女にはあった。今までただの同居人としてしか認識していなかった彼女が、彼の中で確かにそれ以上の何かになり始めている。その魅力にいち早く気づいたメローネはその点においてのみイルーゾォが称賛するに値していたが、如何せん邪魔な存在だ。彼の能力が無ければ限られた短い時間で今回の暗殺を成し遂げることはできなかっただろうが、任務を終えてしまった今となっては邪魔な存在でしかない。

 そう思っているのはメローネも同じこと。イルーゾォさえいなければ、心おきなく彼女を愛せるのに。鏡の中の世界に引っ込んでおいてくれないだろうか。

 互いに口にも態度にも出さなかったが、心の中で疎ましく思い合っていた。一方では、そんな心境で男どもがそわそわしていることなど露知らず、どこかで手に入れた薄いパンフレットを手にして、夕食をどこで済ませるか、お目当てのニューヨークチーズケーキをどこで購入するかなどということに考えを巡らせていた。

 そして、がレポートを仕上げて身支度を整え終えた夜七時頃、一行は夜の街に繰り出した。

「さて、。君は一体どこに行きたいんだ?」

 そう言ってメローネが、ホテルの玄関口から数歩離れたところで、ホテルのフロントを横切るまで確かに後ろについてきていたに質問を投げかけ振り返るのだが、の姿がどこにも見当たらなかった。

「おいイルーゾォ。はどこに行ったんだ」
「おかしいな。ついさっきまで、確かに後ろにいたがな」

 そう言って、ふたりはホテルのフロントへ戻り周囲を見回した。しかし、すぐ見えるようなところにはいない。トイレにでも行ったのかと思い、何分か一階の共用トイレの前に張ってみたが、彼女が出てくることは無かった。

「おい。何でいなくなる……」
「ケータイに何か連絡が入っていないか確認してみよう」

 そう言ってふたりが各々の携帯端末を開き、メールなどのアプリケーションを確認しても、それらしい連絡は一切入っていなかった。

「おかしいな。のことだ、勝手に何も言わずにオレたちから離れて行ったりしないと思わないか?」
「確かにな。……ところでよォ、メローネ。もしここでがいなくなっちまったら、監視の命を受けてるオレ達はボスに消されちまうんじゃあねーか?」
「それはディ・モールトまずい!だが心配するなメローネ。こんなこともあろうかと、オレは常日頃から彼女のバッグや服のポッケなんかにGPSの発信機を仕込んでる。そりゃあもう毎日だ」
「抜け目がねーな。今はお前のそのストーカー気質なところに感謝してやる。というか、それならそうとさっさと居場所を確認しろ」

 メローネはその場に座り込み、ラップトップPCを肩掛けカバンから取り出し、かたかたとキーボードを叩き始めた。ブラウザに現れたのはニューヨークの地図。黒い背景に緑色の線で描かれたそれに、二つのポイントが記されている。

「おかしいな。はホテルにいるぞ……」
「間違いないのか」
「二つ丸ぽつがあるだろう。ひとつはこのPCの位置で、もう一つは発信機の位置だ。これがほぼ重なっている。彼女はホテルのどこかにいるんだ。それか、発信機の存在に気づいてホテル内のどこかに捨てた可能性もなくはない……。が、まずあり得ない。彼女に発信機をしかけているなんて話したこともないし、すぐに気づいてしまうような所に仕込んだりしてないからな……」

 GPSの難点は、地図上で言うところの縦の情報を拾えないというところにあった。横軸が一致していても、縦軸で考えた時、どの階層から電波を発信しているかという情報までは拾えない。さらに誤差があることも考慮しなければならない。ただ唯一救いがあるとすれば、電波の強さから発信機までの距離は分かる。まるでダウジングでもするかのように、PCを片手に歩き回れば大まかな発信機の位置は分かるのだ。ブラウザ内に表示された、電波の受信レベルを示すメーターから察するに、現地点からのいる位置まではかなり遠いようだった。

「誤差もあるが、オレ達が彼女を見失ってからそう時間も経っていないし、確かにホテルのフロントで彼女の姿は見た。だから、このホテルにいると考えて間違いないだろう。発信機を捨てられていた場合が問題だが、それは発信機を見つけてから考えよう」

 こうしてふたりはあてもなくホテルの中を歩き回り、を探すことになった。何か事件に巻き込まれたのか?そんな妙な緊迫感はあったが、幸い彼女は死ぬことは無い。それだけが救いだった。



18:PANTERA



 時は少し前に遡る。午後十六時頃、青く晴れた空が赤みを帯びつつある頃のことだった。まだコンクリートが打ち付けられただけの造りかけの高層ビルの地上10階付近、その資材置きの陰から、双眼鏡を覗き込む男がいた。双眼鏡の中に収められているのは、あるホテルの一室だ。

。会いたかった。……オレはずっと、お前に会いたかったんだ……」

 男はひとり瞳を潤ませ、感慨深げにレンズの向こうにいる女性の名前を連呼していた。

「お前が生きてるって聞いた時にはすごく嬉しかった。そしてお前がアメリカに来るって聞いたときは天にも昇る気分だった……。ああ、全く綺麗になりやがって。おやっさん似だよなァ。……それにしたってよォ……今お前の傍をうろついてる連中は一体何なんだ?クソ……馴れ馴れしくしやがって。ああ畜生。特にあの紫色の髪した変態クサいやつは何なんだ……」

 拒食症かと思うほどに痩せこけて青白い肌をした不健康そうな男だ。もともと彫の深い骨格だが、怒りを露わにすることでより一層眉下に濃い影を落とし、その奥で琥珀色の瞳をぎらつかせていた。年齢は恐らく二十代後半。モヒカンを横に倒したようなヘアスタイルで、艶のある黒髪が顔の左半分を隠していた。その反対側では刈上げられた地肌が空気にさらされている。耳たぶには直径一・五センチメートル程の穴が開いており、それを縁取るように黒の拡張ピアスがはめ込まれていた。そのほかにも、まるで鋲を打ったように皮の薄い瞼、薄い唇、へそなどのいたるところにシルバーや黒の金属がちりばめられている。その見た目通りと言うべきか、黒のライダースジャケットとタイトな黒のスキニーパンツを身に着けており、肌が露わになっているところにはほどんどの個所に墨が入れられていた。つまり、建設会社の雇われ作業員でも、現場監督者でも、警備員でも何でもない。いかにもアブなそうな見た目をした男だった。

「おいお前!部外者だな!?一体ここで何をやっている!?」

 建設現場用の仮設エレベーターから降り、その男の背後から怒声を浴びせる作業着の男。足元が飛び散ったセメントで汚れているわけでも無い、アイロンがけされたてのキレイな作業着を身に着け、恐らく使い込まれているわけでもないヘルメットを被っており、手元にはバインダーとA3程の大きさの設計図が見える。おそらく、この建設現場の監督員だろう。場にそぐわない者がどちらかは一目瞭然だ。

。お前は一体いつ帰る予定なんだ……。ああ、そうだ、あのワケわかんねぇ二人組から引き剥がして、それから話をすればいいよなァ」

 男は部外者と思しき黒づくめの男がのろりと立ち上がる様を見て息を呑んだ。まるで獲物を見つけたアシナガグモが動き出したかのように見えたからだ。そして、自分の呼びかけに応じず、こちらを振り向きもしない部外者に痺れを切らす。

「おい貴様!聞いてるのか!?ここは私有地だ!勝手に入ってくるんじゃあない!すぐに出ていかないと警察を呼ぶぞ!!」
「……“パンテラ”。アイツを黙らせろ。……ああ、そうだあの小太りの、後ろのうるせェやつだ。いや、殺さなくていい。ああそうだ、あんた、名前は?」

 男は何やら独り言を呟きながら振り向き、カツカツと打ちっ放しのコンクリートの床を鳴らして現場監督員の傍まで詰め寄った。胸元に掲げられたネームプレートを棒きれの様に細い指で掬い上げる。

「名前がいるんだよ。名前が。本名じゃなきゃいけねぇんだ。グレン・マクレガー。……“パンテラ”、名前はわかったろう」
「なっ……なんなんだ!?気持ちの悪いヤツめ!!もういい、警察を呼――」

 まるで操り人形の糸が大きな裁ちばさみで一気に全部切られたかのように、グレンはその場に倒れ込んだ。男は倒れたグレンをその細く長い脚で跨ぎ、彼がここにやってきたときに使っていたエレベーターの方へと向かう。

「殺しゃあしねェー。ただサツが絡むとうぜぇから黙らせただけだぜおっさん。オレはこれからやることがあるからよォー」

 そう誰となしに呟いて男は地上へと降り、彼がかつて愛した女性の元へゆっくりと歩みを進めた。