『アニー。またやっちまった。相談に乗ってくれないか』
アニーとメールで呼ばれた女性は、自室に備え付けられているコーヒーサーバーで淹れたコーヒーを片手に、窓から見える高層ビルの群れを眺めながら深い溜息を吐いた。先程彼女の手から机の上に乱暴に放り投げられた携帯端末に、厄介な顧客から厄介なメールが送り付けられていたからだ。その携帯端末は私用で使っているもので仕事に関するメッセージはほとんど入ることは無く、仕事に関することであれば十中八九“ヤバい”案件だった。
シェイディー・キャンベルという億万長者に顧問弁護士として雇われている彼女は、名をアンナ・ミラーと言った。齢十九にしてを学位を取得し、ロースクールを首席で卒業するほどの有能な女性だ。彼女は弁護士となってからすぐに才覚を発揮し、二十四歳という若さで自身の事務所をニューヨークに構えた。そんな順風満帆な彼女の人生が変調をきたしはじめたのは、キャンベル家の顧問弁護士となってからだった。
彼女は白い肌の小さめな顔に翠眼を宿していた。少し肉厚な唇に薄い桃色の口紅をさして、肩まであるブロンドの線の細い髪を、後頭部で一つに結わいてきれいにまとめ、グレーのスーツをかっちりと着こなすキャリアウーマン。その見た目は好感度を上げる要素しか無く、簡単に形容してしまうと、弁護士としても女性としてもとても魅力的な容姿だった。そして、シェイディーの息子であるヌーブという“厄介者”は、事あるごとに――事を起こすごとに――彼女を頼り、甘え、時に抱いた。
彼女自身は、自身と比較して“アホ”と言うしかない、野性と衝動で生きているヌーブにそんな扱いを受けることを相当に鬱陶しいと思っていた。しかし、キャンベル家から支払われる顧問報酬の額、そしてヌーブの見た目が悪くない事、彼が世の女性の絶大なる人気を勝ち取っているという点に鑑みると、なかなか彼を拒絶できずにいた。
そして彼女はつい最近、レディ・ジャスティスの見守る法廷で人知れず大罪を犯した。クスリをキメてハイになっていたヌーブが、自身の住むペントハウスからイタリア出身の若手女優を突き落とすという事件において、彼女はその高い知能で実現しうる最良・最短の手段をもって彼を無罪放免にしたのだ。顧問報酬に上乗せされた莫大な成功報酬が彼女の正義の心を惑わせた結果だった。
“また”って何よ。ホント、学習しない男……。もうあんな仕事はごめんよ……。
下手をすると自身のキャリアに傷がつくどころか、弁護士生命をなげうつことになるような仕事だった。そしてまた、あの類の嫌な予感のするメッセージを受け取って、彼女は軽く頭痛を起こしていた。だが相談に乗らない訳にはいかない。顧問報酬を受け取るため彼女は、キャンベル家の起こしたトラブル全てに気を配り助言しなければならなかった。
近くね……。
彼女は、メッセージに記載された通りの時刻に、指定されたホテルの一室へと向かうことにした。ヌーブは問題を起こすと、よくパパラッチの目を欺くために変装をして彼の泊まりそうにない安いホテルの一室を借りアンナと話をしていたので、彼女は特段怪しむこともせずに指定された場所へ赴いた。――アンナはそこで待ち受けている人物が雇い主では無く、自身を殺そうとしている暗殺者だと些かも疑わずに、指定された客室の扉を叩いてしまったのだ。
16:Smooth Criminal
「ああっ……っ……!最高だっ……ディ・モールト……っ良いっ!」
「ん゛ん゛ーっ!!ふーっ、ふーっ!!ん゛ん゛ん゛っ」
「結構きつい、な。その締め付けが、いいっ……最高だ!愛してるっ」
イルーゾォは不快な音を聞いて目を覚ました。ぼやけた視界が鮮明になって完璧に覚醒したと自覚できてからも、これは夢なんじゃないか、いや夢であってくれと願うような音が、彼のすぐ隣から聞こえてきていた。ぎしぎしとベッドのスプリングが軋む音、相棒の荒い吐息、猿ぐつわをはめられているであろう女性の苦しそうな喘ぎ声、その他もろもろの、情事――と言うよりも完全にレイプ現場だ――を彷彿とさせる音がイルーゾォの全身を覆う肌を粟立たせる。
すぐ隣で何が起きているのか、大体想像はできていた。そして見たくないなら見なければいいともイルーゾォは思ってはいた。しかし、メローネが必死になって名を呼んで犯している相手は本当になのか?という疑問が浮かび、彼は好奇心に打ち勝つことができそうになかった。加えて、イルーゾォは起き抜けで尿意を催していたし空腹でもあったので、狸寝入りを決め込むという選択肢を捨て意を決して隣のベッドへと視線を移す。ただただ、それがでないことを祈りながら。
「ああ、起きたのかイルーゾォ」
「お前なァ…………せめてオレがいないところでやれっ!」
己が男根を秘部へと必死に打ち付けながら、メローネがと呼んでいる女性はではない。たまたま同名の女性をひっとらえて犯しているのか、と思ったイルーゾォだったが、昨日の内に資料でその女性の顔を見たことがあった。今メローネに拘束され猿ぐつわをはめられ、瞳に涙を浮かべながら藻掻いている女性は、今回のターゲットの一人アンナ・ミラーだ。
メローネは向かい合うアンナの顔を少しも見ずに彼の愛する者の名前を呼んでいた。いったいどこを見てるんだとイルーゾォが彼の視線の先を追うと、ベッドの厚みのあるヘッドボードの上に、壁に立てかけられるようにして設置されているモニターがあった。モニターに映し出されているのは別の客室で背を天井に向け、ベッドに寝そべりながらラップトップPCのキーボードを叩くの姿だった。
メローネは暗殺者チーム公認の随一の変態ではあったが、イルーゾォはまさか彼がここまでに心酔しているとは思っていなかった。そしてこんな風に彼を狂わせるも罪深いと思った。メローネ自身がには長いことお預けをくらっていると言っていたので、それをここぞとばかりに発散しているつもりなのかもしれないが、今の彼は控えめに言ってもサイコパスを極めたストーカーだ。イルーゾォは最早同僚の及んでいる行為には狂気さえも感じ始めていた。
そもそもメローネのスタンド能力ベイビィ・フェイスでターゲットの息子、所謂“ジュニア”を女性に受胎させるにあたっては、メローネ自身の生殖行為は必要としない。ラップトップPCに足の生えたような“親”スタンドが女性に受胎させるからだ。しかし、今の彼は確実に仕事そっちのけで自身の性欲を発散させるために行為に及んでいる。スタンド能力で受胎させられた女性はその直前直後の記憶を飛ばされるようだが、恐らくアンナはメローネに犯されたという記憶まで忘れることは無い。これからベイビィによる受胎を控えているのだろうが、メローネに植え付けられている記憶が仕事に支障を来さないだろうか、とイルーゾォは冷静に考えていた。だが一方で彼が目を覚ましてからも一向に終わる気配を見せない行為には我慢ならず、この部屋からすぐに出たい。とも考えていた。
イルーゾォはおもむろにベッドから抜け出し身支度を済ませようと立ち上がる際、自身に向けられるアンナの視線に気付く。助けて欲しいとイルーゾォに懇願しているであろう彼女の口元を見たイルーゾォだったが、藁にも縋る思いでいる彼女を彼は冷酷にも見捨て、着替えを済ませ部屋を出る。
「あんま時間かけるんじゃあねーぞ」
扉が閉じる寸前にイルーゾォからそう吐き捨てられた言葉は、夢中でを愛しているメローネには全く届いていなかった。
イルーゾォはホテル内の共用トイレで用を済ませ、同階のレストランで朝食を取ることにした。ニューヨーク観光でもやってみようかと窓の外を見ながら思った彼だったが、何ぶん言葉が分からないのであまり気が進まなかった。かと言って彼に戻る部屋は無い。食事を済ませた後もすっかり冷めてしまったコーヒーを片手に、イルーゾォはぼうっと外の景色を眺めていた。だが、それにも直ぐ飽きたので、の部屋に行ってみようと思い至った。メローネが食い入るように見つめていたモニターの映像から察するに、彼女は今レポートを書いている。つまり仕事中なので相手はしてもらえないだろうが、事情を話せば居場所の提供くらいはしてもらえるだろう。そう考えながらイルーゾォはのいる客室のドアをノックした。
「あら。どうしたのイルーゾォ」
ドアを開けたは少し驚いたような表情で、イルーゾォの顔を見上げた。彼女は監視を受けなければならないということもあったし、昨日のモーターショーに関するレポートを仕上げると言う仕事も残っていたので、今日一日をホテルの部屋で過ごす予定だった。彼女は特に暗殺の方で何かするように言われているわけでも無かったので、イルーゾォが部屋に尋ねてくる理由が分からなかったのだ。
「ちょっとこの部屋に居させろ」
「ええ。構わないけれど……メローネはどうしたの?」
イルーゾォがの許可を得て客室の奥へ足を運ぶ姿を見ながら、彼女は後ろ手で扉を閉じた。
「今あいつは、ターゲットの女を部屋に連れ込んで犯していやがる。しかも、相棒のオレが寝てるすぐ隣でだぜ。オレはそれに耐えられず逃げてきたってわけだ」
「ふふっ。メローネって本当に欲望に忠実ね。実は私、彼のそんなところ嫌いじゃないのよ」
イルーゾォはのそんなコメントを聞き、顔面を手で覆った。そうだ。形は違えどこの女も変態だったのだ。と改めて思い知ることになって溜息を吐く。同じ女性が悪漢に無理やり犯されているということについて遺憾の意を唱えるわけでもなく、微笑ましいとでも言わんばかりに頬を緩ませる彼女もどこかぶっ飛んでいる。そして、今この時もきっと、メローネはをおかずにしてターゲットの女を犯している。それを知ってもまだそんな肯定的な発言ができるのだろうか、と思ったイルーゾォだったが、そこまで話してしまうとメローネの沽券にかかわる。だがそれ以前に、イルーゾォが目の当たりにした情景を事細かに説明する自分がセクハラ男になりかねないということから詳細を話すのは止めた。
「そう言えばお前も変態だったな」
「失礼ね。私、彼ほど酷くはないつもりよ」
「いや、さっきの発言で分かった。どっこいどっこいだぜお前ら」
イルーゾォは、客室の窓辺に備え付けられたベンチソファーに腰掛け、オットマンに足を預ける。今朝の5時頃仕事を済ませてホテルに戻ってきた彼は睡眠時間が足りていなかった。息を吐きながらゆっくりと目を閉じるが、あの悍ましい光景がフラッシュバックする。気分が悪い。意識がある自分を誰か気絶させてくれとイルーゾォは思った。
「。オレを気絶させてくれ」
「……相当ショックだったのね」
「当たり前だろう。同僚がオンナとヤッてるとこ見ちまったんだぞ」
「でもあなた、ポルノビデオは見るのよね?男女が交わってるところは見れるのに、メローネのそれはダメなの?彼のことポルノ俳優だと思えばいいんじゃない?」
「何だその助言は……。助言なのか?何の解決にもならんな。なんならお前も参戦してこい」
「それは遠慮しておくわ。邪魔しちゃあ悪いもの」
後も何気ない会話を交わしながら、ふたりの時間はゆっくり穏やかに過ぎていった。
その間、見知らぬ男にめちゃくちゃに犯される被害者を助けようとするものは一人もいなかった。
――アニー、大丈夫か?
そう気遣われることなどついぞ無く、彼女は手慣れた犯罪者に襲われてしまったのだ。そして訳も分からない内に卑劣な行為は唐突に終わりを迎える。
「それにしても……ニューヨーク州の運転免許証ってのはかなり親切だな。“母体”に何も聞かなくたって重要事項が打ち込める」
メローネは、今まで散々に犯したターゲットの女性――アンナ・ミラーを手錠で拘束し猿ぐつわを噛ませたままベッド上に放置し、身なりを整えた後、窓際に据え付けられたソファーに腰掛けPCのキーボードを叩き始めた。
一方、見ず知らずの男に凌辱され今も尚身体の自由を奪われたまま、声を出し助けを呼ぶことすらできないアンナは、憎きレイプ犯が自身の鞄を勝手に漁り、財布を手に取って何やらぶつぶつと呟いていることに抗議もせず静かに涙を流していた。
「えーっと、何々……血液型はAB型で生年月日が七十五年の十二月二日、ってことは二十五歳か。いい年齢だな。ジュニアを産むにはディ・モールト良い年齢だ。ヌーブはO型の七十三年五月十一日生まれ。最高に相性が悪いな。それに、この女は酒もタバコもやっているようだが、クスリにだけは手を出していない……。が、ヌーブはほぼヤク漬けだ。さいっ――こうにイイジュニアが生まれるぞっ!!」
彼女のこれまでの人生で、ここまでの恥辱を受けたのは初めてだった。プライドも身体もズタボロ。今まで必死に拘束から抜け出そうと試みていた彼女だったが、今は手錠で擦り切れた手首の痛みと、ろくに濡れてもいないのに無理やり乾いた肉棒を秘部へと突き入れられた下半身の痛みと精神的ショックという三重苦で、悲しみに打ちひしがれ恐怖する他無かった。
彼女はレイプを受けて証拠隠滅のために殺される女性の多さを知っている。法曹界に身を置いていれば、そんな虫唾の走るような事件の話はよく耳にした。そして自分も例にもれずレイプの末に殺されるのではないかと、恐怖に打ち震えていたのだ。
「さて、あとは……『仕方』が大事だ。確か……正常位で突いていたときはイマイチ具合がよくなかったが、後背位でしはじめた時から濡れてきたよなァ……。よし。これで完了だ。頼んだぞ……ベイビィ・フェイス」
PCは足を生やしメローネの手元を離れて行く。そして、そのスタンドが今までメローネが犯していた女性との生殖行為を済ませ、元のノートPCの姿に戻るのを確認すると、彼はおもむろに立ち上がりそれを拾い上げた。アンナは気を失っている。彼はターゲットを拘束していた手錠と唾液でグズグズに湿った猿ぐつわを外しポリ袋へ仕舞うと、自身の手荷物の中へそれらを放り込んだ。そして、まとめた自分の手荷物と近くに置いてあった相方の荷物を持って、メローネはツインルームを後にした。