暗殺嬢は轢死したい。

 はカーディーラーで店長に依頼された仕事についてリゾットに告げた。皆でワイワイ食卓を囲んでいる時のことだ。驚くべきことに、“ちょうどいい”仕事がボスから命令されていると言うのだ。

「チリエージャ・マリア・ロッシという女優を知っているか」

 リゾットが口にしたのはイタリア出身の若手女優の名前だった。彼女はその類まれなる美貌と才能でイタリアでのスターダムに短期間でのし上がり、つい最近活動拠点をアメリカに移し活躍を続けていた。はセールスレディという職業柄、客と世間話ができるよう、ある程度俗世間の情報は積極的に取り入れるようにしていたので、当然その女優の名前も知っていた。そして、つい最近、彼女の突然の訃報を耳にしたことを思い出す。

「確か彼女、事故で亡くなったんじゃなかったかしら」

 アメリカの人気ロックバンド“ザ・サムズ”のリードボーカル、ヌーブ・キャンベル。半年前、彼のニューヨークにあるペントハウスのテラスから、チリエージャが転落死するという事故があった。警察は事件性は無いと断定したと、ニュースでは報じられていた。

「それを事故ではないと確信していて、ヌーブへの報復を求めているイタリアの両親がボスに魂を売ったらしい。ターゲットはヌーブと、ヤツを無罪放免にしたキャンベル家の顧問弁護士だ。一か月後にカプリ島のリゾートホテルを貸し切って、アルバムのレコーディングを予定しているらしいのでその時にとは思っていたんだがな。仕事は早いに越したことはない」

 島だと足がつきやすいしな。とリゾットは付け足した。

「だがリゾット。ニューヨークと言えば、オレ達パッショーネをひどく嫌う連中が多いんじゃあないか?あまりウロチョロしていると、変な揉め事に巻き込まれそうで面倒だ」

 メローネは、ニューヨークという街とイタリアンギャングの切っても切れない関係について話はじめた。こういう時だけはメローネは妙に博識で頼れる男だな。とは思った。

 イタリアンギャングは禁酒法時代の全盛期を境に勢力を段々と弱め、今ではほぼ社会的影響力や武力などアメリカでは持っていない。だが、パッショーネにイタリアから居場所を追われたギャング達が大勢、血縁等を頼りにニューヨークに身を寄せているという話があるというのだ。彼らは彼らで、イタリアが誇る才能ある若手女優を殺されたかもしれないとあって、メディア王の鼻持ちならない億万長者、シェイディー・キャンベルの御曹司であるヌーブの命を虎視眈々と狙っているかもしれない。彼女の両親がパッショーネに暗殺を依頼しているという情報を握っている可能性はほぼ無いだろうが、用心するに越したことは無い。とメローネはリゾットに申し立てる。

「今回は慎重にやらなくちゃあならない。できれば自殺とか事故だと思われるように殺すんだ。そうだな、アウェーの地で何も情報が無い所からのスタートだ。慎重に慎重を期して、イルーゾォ、メローネ。お前ら二人が行ってこい。なるべくターゲットとは距離を取れ」

 ターゲットはもとより、周りの人間にすら気づかれることなく鏡の中の世界を自由に移動できるイルーゾォと、遠隔地からターゲットを追跡し殺害することができるメローネ。このコンビであれば、事前情報が無くとも大抵の仕事はこなすことがでるとの判断だった。ついでに、チームの中で唯一、メローネは英語を話すこともできた。

の監視も忘れるな」
「やっぱり監視が付くのね。何で私の監視が必要なのかしら。必要ないと思うんだけど」
。オレたちはやれと言われたことをただやるだけだ。金が発生している以上、オレ達はそれを全うしなければならない。だから理由なんて知らないし、知る必要もない。気にはなるだろうがな」
「と、言うことは、とは同室に宿泊する必要が」
「社長が取ってる部屋、シングルなんだけど」
「何か問題でも?」
「この前はダブルだったから何とかなったけど、シングルじゃ……ダメよメローネ。お願いだから、イルーゾォと二人でツインの別の部屋を取ってちょうだい」
「どちらかひとりは君と一緒にいないと監視にならないじゃあないか。イルーゾォは別の部屋でないといけないのはわかる。だが、オレは君と片時も離れたくない」

 メローネはいつもの調子で発言して皆に冷たい視線を浴びせられるのだが、全く動じる素振りを見せない。そしての発言で、やはり“この前”のことが気になる面々。メローネとはダブルベッドで寝たのか?と妄想する者が多かったが、それを口にして問うことは誰もしなかった。



14:Beat It



「野郎と二人同部屋なんて、ホテルのフロントに何と思われるか分かったもんじゃないぞ……」

 メローネは、ローマ発ニューヨーク直行便の客席で嘆いていた。隣の窓側にイルーゾォ。右隣の列の三行程前、通路側にが座っていた。幸い平日と言うこともあっての持っていた航空券に記されている航空機に空席はあったが、彼女周辺の席は既に埋まっていた。なので、空いている席で最も彼女に近く、監視しやすい場所を二人は指定していたのだ。

「お前そんなにと一緒が良かったかよ。最早執念だな」

 普段からメローネのに対する執拗なセクハラは時間、場所、場の空気構わず連発されていたが、ここまでくると最早彼の必死の恋を応援したくなってくる。これは、ホルマジオに対して沸き起こった感情とは真逆だが、彼の手中にが落ちるよりは面白い物が見られそうだ。と、イルーゾォは思った。

 が求めている物が“快感”、つまりエクスタシーであることは間違いない。ただ、それを得るための道程が一般人には想像もつかないものであり、且つ一般人には真似できないものであることが彼女の特徴だ。別に彼女は男性から与えられる性的な快感を求めているわけではなく、ただ単に、本来人間が知り得ない快感に味をしめてしまったというだけだ。表層だけ撫ぜて彼女を形容するならば、ただの死にたがり――自殺念慮に囚われた精神疾患患者なのだ。

 なので、いくらメローネがを口説き落とそうと躍起になっても、彼に彼女の求めるものを提供する意思がない限り、絶対にはメローネと寝たりしないだろう。彼女は快楽を求めて男をとっかえひっかえし、クスリをキめながらセックスに耽る淫乱女とは違うのだ。

 と、ここまで、イルーゾォは的確に彼女を分析できていた。だから余計に、ホルマジオがダイニングテーブルでをゆすっていたあの発言が、最も的確に彼女の好奇心を煽り、尚且つ自分が甘い汁をすするための効率的なトラップであることが分かって面白くなかった。逆にメローネのあからさまなゴリ押し攻撃では、永遠に彼女の心は開かれないだろう。

「お前まともに女と付き合ったことねーだろ。……ああ、聞いたオレが悪かった。ぜってーねーよな。いい。みなまで言うな」
「イルーゾォ、お前人の心に土足で踏み込んでくるなよなァ」
「女相手にめちゃくちゃなセクハラしまくってるお前に言われる筋合いはねー。ただよ、たまには引いてみるってのも大事だぜ。押してダメなら何とやら、だ」
「ふむ……なるほどな」

 何かいい考えでも思いついたのか、メローネは考える人のポーズで一時停止していた。イルーゾォは、メローネがいったい何を考えているのか想像する気も起きなかった。ただ、彼もまた、皆が虎視眈々と狙うという存在に惹かれ、自分こそが彼女を手に入れてやるのだと思い始めていた。

 今はまだ、彼の中でそれ自体が目的だった。別に彼女を愛しいと思っているわけでは無く、まるでゲームのように攻略してみたい。ただそれだけだった。

「ところで、お前とミラノで仕事したとき、何かあったのかよ」
「聞いてくれるか!?」

 メローネは、話したくて話したくてたまらなかったんだという様子で、前のめりになって話し始めた。

 仕事中に彼女がターゲットの男相手にあんなことやこんなことをしていて、その音を聞いていた自分のジュニアがどうのうこうので、かくかくしかじかで彼女を押し倒すまでに至ったが、結局キスで気を逸らされている間に手錠でベッドに拘束されお預けをくらったまま朝を迎え、今日まで一度たりとも彼女の身体に触れることさえできていない。

 メローネはかなり悲愴感を漂わせて話すのだが、少しも共感してやれる点が無い。イルーゾォは手錠で拘束される情けないメローネの姿を想像して、腹を抱えて爆発しそうな笑いを必死に堪えた。ここは航空機内で、周りに一般人が大勢いるのだ。あまり大きな声でこんな下世話な話をしていい場所では無い。

「っぷっ……くくっ!ざまァねーなメローネっ!やっぱりお前向いてねェ……!」
「何にだ!?」
「色恋沙汰だよ。ああークソ面白れェ……!」
「クソ……オレはまだ諦めないからな……」
「ま、これからまだ汚名挽回のチャンスはあるんじゃあねェか?知らねーけどな」
「おいイルーゾォ。お前、オレの話聞いていたか?あのお堅い彼女が、男のナニをしごいたりしゃぶったりしている音を、オレは確かにこの耳で聞いたんだぜ!興奮するだろう普通!」
「お前、AVの音だけ聞いて抜けるタイプなのかよ。すげーな。尊敬するわ」
「尊敬してねーよな!?なんだその憐憫の目は!」

 最早二人の会話は、女体と言う神秘に思いを馳せる青年のそれで、離れた席にいたも薄々メローネが至らないことを喋ったことを察知していた。

 ……彼らと席が離れていて良かった。

 そう思い素知らぬふりをしながら、は機内サービスの音楽番組を聞くため、備え付けのイヤホンを前の座席ポケットからおもむろに取り出し、イヤホンジャックへとその端子を差し込んだ。“POP&ROCKS”と番組表に書かれたチャンネルに合わせると、まるで図られたかのように“ザ・サムズ”の曲が流れ始める。

 一体何があったのか知らないけど、彼女をテラスから突き落としたのが本当だと言うなら、死をもって償うべきね。

 流れてくるのは、耳障りの良い所謂“産業ロック”だ。作詞、作曲の欄に書かれているのは、バンドメンバーのうちの誰でもない。聞くところによると、彼らのステージは聞くに堪えない程酷く下手らしく、特にボーカルが音を外しまくるわ、酒に酔ってステージに上がるわ、果てには1時間半の予定のステージを三十分経たない内にやめて下りたりなど、やりたい放題らしい。には正直、何故彼らの音楽がこうももてはやされているのか理解できなかったが、確かにヌーブという男は、顔だけ見ればかなりハンサムだ。CDという媒体にしてしまえさえすれば、下手な歌や演奏はいくらでも修正できる。ステージを前にして熱狂しているファンの大半は女で、きっと曲など耳に入ってすらいないのだろう。
 
 顔だけに騙されちゃあダメよチリエージャ……。あなた、男を見る目が無かったのね。勿体ないわ。

 今は亡き若き女優に“男を見る目が無かったのだ”と指摘するだったが、自身を俯瞰して見たとき、ホルマジオのことばかり考えている今の自分はどうなのだろうか、とふと思った。

 ホルマジオは確かにいい男だ。顔もスタイルもいい。表向きの性格も。ただ、一度彼の本性が現れると、嗜虐性に満ちた言動には慈しみだとか愛だとか、およそ世の女性が好意を抱く男性に求める物が一切感じられなかった。が求めているのはまさにそれであるので、望み薄という他無い彼に時間を裂くのはナンセンスかもしれない。

 私ももう少し落ち着いて、男を見る目を養うべきかもしれないわ。

 今回のアメリカへの旅は、ちょうどいい機会だった。はアジトにいるとホルマジオを目で追ったりしてしまって、その度に彼との例の会話ばかり思い起こしていた。最早彼女は、この思いこそ恋心に他ならないのではないかと錯覚すらしていたが、胸を高鳴らせる度に深呼吸をして、それが間違いだと思いとどまらせる日々が続いていたのだ。溜息が多いと同僚に指摘されるのも、仕方のないことだったかもしれない。



 十時間という長いフライトを経て、一行はホテルに到着した。ローマ、ニューヨーク間の時差は六時間。十時間狭い座席に縛り付けられていた割に、時計の文字盤だけで見ると、進んだ時間はたったの四時間だ。昼の二時頃ローマを飛び立ち、ニューヨークに着いたのは夜六時頃だった。

 チェックインを済ませたとイルーゾォは、フロント前のラウンジで面白くなさそうにしているメローネの方を見て、客室へ向かうよう合図を送った。

 の監視の件については、メローネの私物である隠しカメラと盗聴器を、部屋を見渡せる一点にしかけることで片がついていた。メローネはが客室の鍵を開けた途端我先に部屋へと入っていき、カメラを仕掛けようとした。彼が一目散にバスルームへと向かっていたので、イルーゾォは彼の首根っこを掴み引き戻す。

「おめぇ……ほんと下らねェなァ……」
「ホルマジオの言葉を借りると、下る下らないは頭の使い方ひとつ、だぞイルーゾォ」
「てめーの場合下りまくって下半身しか使ってねェだろうが」
「まあ、想像はしてたけど。早く仕掛けて自分たちの部屋に行ってくれる?」

 笑顔で男二人を部屋から追い出したは、静かに扉を閉めた。締め出された二人は、偶然同じ階だったツインの客室へと向かう。その途中、イルーゾォは今回の暗殺計画について、メローネに尋ねた。

「今回は関らせないんだろう?まだ漠然としたイメージしかねェだろうが、オレは何をすればいい」

 メローネはドの付く変態であるという点を除くと、暗殺者としては完璧な頭脳とスタンド能力を有していた。で、なければこんな男、リゾットから即出禁を食らうだろうし、そもそもチームの一員として迎え入れられてすらいないだろう。イルーゾォもまた彼の才能は認めていたし信頼もしていたので、今回の仕事については計画を一任するつもりでいた。

「ああ。オレは明日一日を調査に費やす。お前はの表の仕事に付き添ってやってくれ。まあ、監視しなきゃあいけないということもあるしな。まずは、顧問弁護士の女の居場所をつきとめて、男の血液を採取。後は女にベイビィを生ませてやればミッションコンプリート。男の血液を採取するっていうのが今回の難関だが、それをどうするかは今思案中だ。何はともあれ、明日のオレの調査次第だな」
「わかった。とりあえず、今日はメシ食って寝るか。あのクソ狭い座席のせいで身体がカチコチだぜ」

 軽い夕食をホテルのレストランで済ませツインの客室に着くなり、メローネは最新の薄いモニターを取り出し、の部屋の様子を監視……というよりも観察し始めた。やっていることがただのストーカーで、彼のスタンド能力もまあストーカーのようなものだ。スタンドとは能力の持ち主の精神エネルギーなので、スタンドがストーカーならメローネもストーカー。要するにメローネは、完全なる真性の変態ストーカーだ。とイルーゾォはひとり納得した。だがこんな男でも、腕の立つ暗殺者なのだ。

 そんな変態暗殺者をよそに、シャワーを浴びたり言語の分からないTVのチャンネルを回したりしていたイルーゾォは、いつの間にか眠りに落ちていた。