暗殺嬢は轢死したい。

「――良くやった、ホルマジオ。報酬については明日の朝話そう」

 リゾットはそれだけ言うと、空いたビール缶を片手で握りつぶし、キッチンのゴミ箱にそれを捨てて自室へと戻っていった。

「あれ、リーダー怒ってんじゃねーか?おいホルマジオ。お前が余計な話するからだぜ」
「オレの所為じゃあねーよ。 が聞きたがったから教えてやっただけだ」

 リゾットが席を離れてからも、リビングは残りのメンバーで酒を呷る小宴会場となっていたのだが、程なくしてそれもお開きとなった。そして、ダイニングテーブルに取り残された とホルマジオはサシ飲みに興じていた。ほろ酔い状態で饒舌になったふたりは傍から見れば仲睦まじいカップルのようだったが、当の本人たちにそんな気は一切無い。会話の内容を聞けば、異質な空気がふたりの間に漂っていることが分かるだろうが、そんな会話に耳をそばだてる者はいなかった。壁の向こう側にいる、ただ一人を除いては。

「あのおっさん、ハメ撮りが趣味だったみてーでよォ。ビデオ回してやがったんで、カメラごとくすねてきたんだ。話聞くだけじゃあ足りねェってんなら、これ、おまえにやるぜ。

 ホルマジオは小型のビデオカメラをへ差し出した。彼女は唾を飲み込んで彼の差し出すそれを受取ろうと手を伸ばす。だが思いとどまって手を引っ込めた。

「……私、やっぱり自分で体感したい」
「そう言うと思ったぜ 。それじゃーこれは、悪趣味にも程があるし、オレが思いっきり犯人だと分かってしまうので処分しておく」
「……っ、やっぱり」
「しょうがねーな。ダメだぜ 。……オレは昼におまえとした話を忘れたわけじゃあねーんだ」

  はホルマジオの視線に中てられてめまいがしそうな気分になった。恐らく、酒が入っている所為でもある。だがそれにしても、彼女が男性を前にしてここまで動揺するのは珍しかった。

「言っておくとよォ。オレはお前を一度だって殺さない。このビデオカメラに収められてるようなむごい殺し方してほしかったら、オレをその気にさせてみろ。よがりながら懇願するってんなら考えてやってもいい」
「ホルマジオあなたっ……なんてサディスティックなの!?」
「サディスティックの定義が狂ってんだよ。お前以外の人間にとっては、女をぶち殺すのがサディストのやることなんだぜ。知ってたか?オレはお前を殺さないって言ってんのに」
「常識なんて聞いてないわ。私が欲しい物をすんなりくれないのが、いじわるだって言ってるのよ」
「おまえ言ったよなァ?お互いに気持ちよくなくちゃいけないって。それもそうだなって、あの後考えたんだよ。だがよォ、ただおまえを殺してやるってだけだと、オレが満足できねーってのは分かるよな?フェアじゃあねーぜ」
「じゃあ、どうすればいいの?何をすれば、あなたは満足してくれるの?」
「だから、みなまで言わせるなって言ったよなァ?オレはおまえが苦しむ姿を見たい。だからそう簡単に死なせやしねぇ。でも、死を克服したおまえをよォ、どうやったら幸せに死なせてやれるかって考えてはいるんだぜ」
「あなた、さっき私のこと殺さないって言ったじゃない……。言ってる意味が分からないわ」
「オレは殺さねーさ。だから、おめーがもう生き返らなくていいって思えるくらいに気持ちよくしてやるって言ってるんだ。てめーを殺すのはてめーなんだよ。まァ……オレの気が変われば、あるいはオレのリトル・フィートでお前の望み通りにしてやるかもしれねぇーがな」

 は自分がどうやったら永眠できるのか、ホルマジオにその話をした覚えはなかった。リゾット以外に話した覚えはなかったのだ。だとすると、ホルマジオは独自にそんな結論にたどり着いたのか。はその洞察力に感銘を受けた。彼は彼女が心の底から求める物が何か、大方理解しているのだ。最高のハッピーエンディング。その道のりは、ホルマジオの手ほどきを受けてこそ最短経路となるのでは無いか。だがやはり、目の前の男は嗜虐性に満ちた目をしている。そこに愛が芽生えるかどうかがいかがわしい。

 恋をしたい。死ぬまでに誰かを心の底から愛したい。そして、愛した男にその手で殺されたい。はそう思っているのだが、その感情を吐露してしまうと目の前の男に屈服するも同然なような気がした。

「……もし私がその気になったら、どう言えばいい?」
「素直に言えよ。私を殺してって懇願しろ。そして、オレに殺してほしけりゃ、オレがお前に何をしても文句は垂れるなよなァ」

 屈服するとか服従するとか懇願するなんて言葉は本来、愛し合う男女の間――そういう趣味同士気が合うカップルは別として――では生まれない。が求めるのは、互いに愛し愛される対等な関係なのだ。

 その対等な関係を構築した上で、愛し愛された男に殺してもらいたいというのがかなり変わった願望だという自覚はあった。心の底から愛した女を殺したいと思う男など“普通”いるはずがないのも百も承知だ。だが、殺しを仕事にしている分、一般人と比較すれば格段に人を殺すということに対するハードルは低いはずだ。そこにホルマジオが垣間見せた嗜虐性が加われば、もしかすると――。

 の心はゆらいだ。ホルマジオなら、と思ったのだ。



 薄い扉の向こうで、同僚たちが不可解な会話をしている。バスルームから出てきたイルーゾォは、薄暗い廊下でとホルマジオの会話を聞いていた。とても穏やかな話には聞こえなかったが、多少色事まがいな話にも聞こえるそれに興味を惹かれて立ち聞きしていたのだ。もちろん彼に罪悪感なんてものは微塵も無い。

 ホルマジオのやつ、案外抜け目がねーな。

 男だらけの家に女が一人。メローネほどあからさまではないにしても、アジトの男連中がを女として見てしまうのは当然だ。イルーゾォもそのうちの1人だった。意識していないと言うと嘘になる。そして、そのままがホルマジオの手中に落ちるのを黙って見ているのも面白くない。と、この時、イルーゾォは思っていた。



13:Never Enough



 は人様に迷惑を掛けずに、そしてあまり時間をかけずに死にたかった。自分が死ぬために人様を巻き添えにするなんて許されることでは無いという倫理観は持っていた。そして、どれだけひどい致命傷を負っても生き返りはするが、痛みによって苦しい思いをすることに変わりは無いので、なるべくその時間を短くしたいと思っていた。

 暗殺者チームのアジトに身を置く前まで、は色々な方法で自殺を試みたことがあった。だが、自分で刃物を身体に突き立てようとしても、致命傷を得るためにどこに、どれだけの傷を負わせればすぐに死ねるのかもよく分からなかった。高所から飛び降りようとも思ったが、ビルから飛び降りると人目につくし、山中に足を運んで渓谷に身を投げるために遠征するのも面倒だと思った。鉄道や交通量の多い道路に身を投げたら他者に迷惑をかけることになる。そして、いざ自分で死のうと思っても、痛みに対する恐怖心が故になかなか身体が動かないということもあった。

 死に対する恐怖心は全くないのに、痛みに対する恐怖心がそれを邪魔する。痛みの先に彼女の求める物があるのだが、自分で自分を殺すのと他人に殺されるのとではやはり“思い切り”という点で足らないものがある。何より彼女は仕事が大好きで大事に思っているので、死んで生き返るところを他人様に見られるわけにはいかなかった。

 なので、どうせ自分が殺そうが殺すまいが死ぬことになっている相手なら、別に自分が死ぬところを見せても問題は無いし、命の危機に瀕した者の反撃で自分が命を落とせる可能性も出てくる。なんなら、轢死なんてターゲットが車にさえ乗っていれば何度でも使える自殺手段だ。パッショーネの暗殺者チームという環境はが身を置くのに最高に適していた。

 彼女がボスに住処を奪われる――つまり、暗殺者チームのアジトに住み、彼らの監視を受けるようになる――ことで、欲求不満でどうにかなってしまいそうだった彼女の願望が陽の目を見ることになったわけだ。

 ただは最近死ぬ機会が与えられず、ただのお色気要員として扱われている。これは、計画を立てるのがメローネの役割であるためだ。彼はどうもを死なせてやろうという気はあまり無く、彼女が淫らに乱れるところを想像することに重きを置いているようだった。は今のところ、そのことについて何の文句も言わず現状に甘んじて暗殺者として生活している。だが薄々、彼に期待はできない。と、彼女は思い始めていた。

 この状況を打破するためには、メローネが情報収集を終え、いざ計画を立てようとしている段階に自分が介入するしかない。

 それか――



 は“表”の仕事場のショーウィンドウの傍でエスプレッソを片手に休憩を取っていた。国道を流れていく数々の車をぼうっと定点で鑑賞しながら、その日何度目かの溜息をつく。

 彼女が働くディーラーは、輸入車の中でもスポーツカーやセダンの高級車を積極的に卸し販売していたので、客足が絶えないということも無ければひっきりなしに車を売ったり買ったりしているわけでもなかった。比較的に休暇も取りやすいし、仕事中であっても休憩時間なんて割と自由に取ることができた。彼女のセールスの腕は確かだったので、店長もそのほかの社員たちも、彼女の仕事のスタイルに文句をつけることは無い。

「先輩。どうしたんですか?溜息なんかついちゃって。あー、まさか恋煩いですか!?」

 二十歳になったばかりの同僚、ファジョリーノが彼女の傍にやってくる。彼はに気があるようで、暇さえあれば彼女に話しかけた。愛想よく笑顔を振りまく好青年。ルックスも申し分ないハンサム君だ。

 とは言え、殺人とは無縁の彼は当然ながらの恋愛対象外。恋愛関係の話に何の躊躇もなく首を突っ込んでくる彼をたまに面倒だと思うことがあった。だがメローネと比較して絡みの頻度こそ大して変わらないものの、返答に困るセクハラが無い分可愛いもんだと思えるようになっていた。はファジョリーノの質問に苦笑しつつも人当たり良く返答する。

「私、そんなに溜息ついてた?」
「正確にカウントしてれば良かったですね。とにかく、ここに座ってからそりゃもう何十回って――」

 恋煩いか。まあ、あまり変わらないかもしれない。

 彼女がぼうっとしながら勤務中に考えていたのはホルマジオのことだった。昨晩彼と交わした会話が、どうしても彼女の頭から離れずにいた。

 は色々な死に方をしたいわけでは無い。その先にある快感の度合いが、死に方によって変わってくるので、なくなく様々な死に方を模索しているだけだ。彼女はこれまで、内部から物理的に身体を張り裂かれたことなど無い。そんな死に方はホルマジオのスタンド能力でしか実現しないので、の好奇心を現在進行形で煽っているのだ。

 だが、当の本人はそんな殺し方をしてやるとは言っていない。その気もさらさらないし、殺してほしければ懇願しろと言ってくる。その代わり自分の言うことは何だって聞けと。

 恐らく、彼の性的欲求を満たすための奉仕を強要されるのだろうが、が例え女としてのプライドをなげうち、ホルマジオにこうべを垂れ懇願しても、彼女の求める死が彼から与えられるとは限らない。そしてやはり、彼は明言していた。彼女を殺すのは、彼女自身だと。おそらくそれは永遠の死を意味している。つまり、彼女が満足して肉体と精神共に死ぬことを指している。それだけの快感を――彼女だけが知る、死ぬ前の脳内麻薬によってもたらされる快感以上のそれを――感じさせてやると言っていることと同義だ。

 彼、そんなに良いモノ持ってるのかしら。相当自分の技とかナニとかに自身が無いとあんな発言できないわよね。

 それはそれで気になる。とはごくりと生唾を飲み込んだ。

「ああ、ショックだな。オレ、先輩のこと狙ってたんですよ。でも、他に好きな人がいるんじゃあなァー」
「あら、そうだったの?今度ごはんにでも行く?」
「え!?マジっすか!?」

 年下の同僚をぬか喜びさせて楽しんでいるあたり性悪だな、とは思った。彼女は男性が感情を表に出す瞬間が好きだった。決して手玉に取ってやろうとか貢がせようだなんて思いながらそんなことをしているわけでは無く、ただ単に男性に限らず、自分の言動で他者が喜ぶ姿を見ると、自分も幸せだと思えた。

 だが、ホルマジオにはそんな感情の前に、屈服したくないという思いが先行した。自分が欲しい物を簡単に手に入れたい。そういう欲が自分に芽生え始めたので、優先すべきはその願望の実現だ。ホルマジオを喜ばせてやることなんて優先している場合では無い。

 結局、彼女が他者の喜ぶ姿を見るために何の見返りも求めず親切に振舞うのは、彼女の求める物が一般社会で容易に手に入る物では無いからなのだ。表向きではただあきらめて、修行僧か何かのように悟りの境地に立っていただけなのだと、彼女自身が思い知ることになった。彼女の頭の中は、仏が聞いたらたまげてひっくり返るような煩悩に溢れている。

 愛し愛された男に殺されたい。同時に、脳内麻薬をキメてイきたい。

 こんな訳の分からない願望は、仏でなくてもたまげてひっくり返る。

 私も、求める物が手に入りそうで手に入らない状況に陥ると、嫌な人間になっちゃうのね。

 金が欲しければやらせろと言われて、簡単に身売りする女性は少ないということが常識であるように、彼女がそんな風に思うのは当然と言えば当然のことだが、それを彼女に指摘してやれる人間は恐らくプロシュート以外にいないだろう。ただ、彼女はこの件に関してまだ誰にも相談はしていないし、相談して解決するつもりも無かった。当然ながら、素性を隠しているこの表向きの職場で同僚に相談などできるわけもないのだ。
 
「おや。何やら楽しそうな話をしているね」
「あら店長。お疲れ様です」

 が店長と言って挨拶したのは、白髪の目立つ頭髪をオールバックにした、ウェリントン型の眼鏡を掛けた初老の男性だった。口髭は綺麗に狩り揃えられており、皺の無いグレーの背広に身を包んでいる感じのいい男性だ。

 名はリコルド。彼は、世間では死んだことになっているを――失踪したとして幼い時分に死んだことになっている彼女を――親切心で雇っている。即ち、彼女の境遇を知る数少ない人間のひとりだった。社長曰く、彼女の父親とは親友だったらしい。普通であればギャングに追われて殺されかけている女性を匿うなどごめん被るだろうが、彼はその危険を顧みず、生前の父親に返し損ねた恩義を尽くすことも兼ねて、慈悲深くに仕事を用立ててやっている。そんなこともあって、は彼にだけは頭が上がらなかった。

。少し頼まれて欲しい仕事があるんだが」
「ええ。何なりと」

 アメリカはニューヨーク。ハドソン川を臨む大型のコンベンションセンターで毎年開催されているモーターショーに視察に行って欲しいというのが、店長の言う頼みの内容だった。一週間後に開催されるそれに向けては自分が行くつもりで飛行機もホテルも予約していたが、娘の結婚式とダブルブッキングしていたことに今しがた気づいたというのだ。

 店長のこの手のうっかりはよくある話だったが、さすがに娘の結婚式の日程を忘れるのはいかがなものか。うっかりにもほどと言うものがあるのでは。とは思った。だが、アメリカに行ける。そして何より全世界の最新のマシンをこの目で拝むことができる。そう思うと心躍った。が早速心ときめかせていると、もう気持ちだけアメリカに行ってるな。などと笑いながら、店長は彼女に航空機のチケットとホテルの場所をプリントアウトした紙を渡した。

「ああ、そうだ。あと、この人のカスタムカーを近々買い付けようかと思っていてね。今度のモーターショーに出品するって言ってたから、その人のいるブースに行って、ちょいとパーツがどこのかとか、塗装の要領とか聞いてきてくれないか」
「わかりました!レポートもしっかり仕上げますね」
「ああ。期待して待ってるよ」

 こうして、は異国の地に降り立つことになったのだが、問題は暗殺者チームによる“監視”である。ボスが以外のチームの人間に求めている監視のレベルがいったいどの程度の物なのか彼女は知らなかったが、さすがにノーマークで三日もイタリアの地を離れるわけにはいかないだろう。

 んー。まずはリーダーに相談ね。

 今日も今日とて監視の目は光っていたようだ。彼女が仕事を終えてバス停まで歩いて向かっている途中で、ギアッチョの赤いオープンカーが彼女に近寄ってくる。乗ってくか?と尋ねるメローネは相変わらず二人乗りの車の助手席で自分の膝をポンポンと叩くのだが、ギアッチョに頭をしばかれた彼は、おずおずとトランクへと向かった。

。トランク、閉めてくれ」

 膝を抱えて狭いトランク内で横たわるメローネは、つい最近自らそう言うようになった。最初の頃は、まだあたりが明るくてシートベルトもせずにトランク上部に乗っかって移動しているところを警察に見つかると面倒だからと、無理やりトランクに押し込まれていた彼だったが、今ではしっかりと飼い主にしつけられた犬のようにおとなしい。

 調教ってこういうことかしら。

 はメローネをトランクに閉じ込めた後、助手席に着いた。ギアッチョはそれと同時にエンジンをふかして乱暴に発車する。カーブに差し掛かってもほとんどスピードを落とさない荒々しい運転の中でも、はやはりホルマジオのことを考えながら、夕方の少しひんやりした風を楽しみつつ、アジトまでの短いドライブに興じたのだった。