ホルマジオはチームの中で最も社交的で一般人に近い感性を持った男性だと、は思い込んでいた。彼女は彼の飄々とした態度には爽やかささえも感じていたし、とっつきやすさで言えばチームでもピカいちであるように思えていた。そして、チームで集まって食事をしている時や飲んでいる時、大口を開けて快活に笑う彼には好感をも持っていた。いわばチームのムードメーカーで、彼とならばうまくやれそうだと、そう思い込んでいたのだ。
そんな彼から自分を調教してやる、なんて言葉が飛び出してくるとは露ほども思わなかったので、は呆気に取られ、ホルマジオが向けてくる冷ややかな視線をかわすこともままならなかった。
「ちょ……調教って……一体……」
「みなまで言わせるってのか?お前が好いと思わないことを好いと思えるように時間をかけて身体に教え込んでやるってことだよ」
ホルマジオは、水着姿のままでいるの鎖骨の間から胸の谷間までの一直線を人差し指の腹で撫で下ろす。瞬間、彼女はぞわりと肌を粟立たせ、そっと利き足を後方へ送りホルマジオと距離を取った。
「その発想は……無かったわ」
「お前が死ぬ直前にどんな快感を味わってんのか知らねぇがよォ、それって他に得る方法ねぇのか?おれがそれを試してやるって言ってるんだぜ。例えば、あれは試したかよ?マリファナが合法な国じゃあ淫乱オンナがこぞってキメながらヤってるって話だ」
そもそもは彼が暗殺を生業としている時点で、常人と精神構造が違っているということに気づくべきだった。暗殺稼業とは、少なからず殺人と言う非人道的行為にポジティブな考えを持っていなければ長続きはしない職種だからだ。ホルマジオは恐らく、殺人を達成するまでの間に他者が苦しむ姿を見て楽しむサディストだ。でなければ、他人の胃を大きな家具で張り裂けさせて殺すなんていう惨たらしい殺し方などしないはず。ただ、その殺し方をに適用してやろうなんていうことは言っていない。むしろそんな姿は見たくないとでも言うように頑なだ。一体それが何故なのか、には分からなかった。
「クスリはいや。……ねぇ。殺してはくれないの?私、時間なんてかけなくっても、そのあなたの能力で、ちゃちゃっと殺してもらえれば、それでいいのに」
「そうだな。率直に言うとよォ……お前と寝てみたいっていう気持ちがデカいんだが、お前が感極まって殺してくれって懇願するところに興奮するだろうなって思ってよ。だって、殺してもらえそうで殺してもらえないってのが一番お前が辛いと思うことなんだろう?別におまえをどうしてやろうって話じゃなくて、オレがおまえで楽しみたいってだけだ」
「そんなのダメよ!お互いに気持ちよくなくちゃいけないわ!」
「……ま、そうだな。そういうのって合意の上じゃあなきゃいけねーよなァ。オレだって、別に嫌がるオンナを無理やり犯す趣味はねーしよォ」
ホルマジオはいつもの気のいい笑顔をに向けた。まるで今まで話していたことをチャラにするかのような彼の表情に、はまたも呆気に取られる。
「気が向いたらオレの部屋に来いよ。いつでも相手してやるぜ」
「……考えておくわ」
すれ違いざまにの肩へ軽く手を置いて、ホルマジオは部屋の出口へと向かう。メローネの事前調査不足により計画が狂ってしまった仕事を成し遂げるために、再びプールサイドへと向かうのだろう。の背後で部屋の扉が開けられて閉まる音が響く。その後もしばらく、は呆然とその場に立ち尽くしていた。
私のこと愛してくれて、ちゃんと最後に殺してくれるなら……。
ドキドキと高鳴る胸を押さえて、は思った。調教と呼ばれるその行為の間に、ふたりの間に愛が芽生えるなら、それもアリかもしれないと。ただ、先程の自分本位なホルマジオの発言から愛は感じられなかったし、きっと彼女が望む死も与えてはもらえないだろう。
らしくないわ。私、めったなことじゃ揺らがないのに。彼にはペースを乱されっぱなし……。
の中で意外性ナンバーワンに躍り出たホルマジオ。彼の扱いにくさに初めて気づいたこの時から、彼女はホルマジオを異性として意識し始めることとなった。
12:Romance Dance
夫婦の暗殺というミッションを何とか完遂したふたりはすぐにホテルを後にした。アジトに到着したのは夜七時頃だった。プロシュートが夕飯を準備していたので、ホルマジオとはふたりでダイニングテーブルにつく。すぐ隣のリビングでは、リゾット、プロシュート、イルーゾォ、メローネの四人が酒盛りをしていた。
「それで?ホルマジオ。一体どうやってあの男色家のおっさんと、その可哀想な妻を殺して来たんだ?まさか、本当におっさんとヤッてきたわけじゃあ無いよな?」
メローネのセクハラは男女平等に降りかかる。こと“性”に関する話題については掘り下げずにはいられない性分なのか、その探求心は本人にも底が知れないところがあった。メローネは今回の仕事にまつわるハプニングを知っている。自分の調査不足が故に、男色家と思しき男にホルマジオが身を売らなければいけなくなったということを棚に上げて、平然と酒を煽りながら被害者と言っても過言では無い彼に尋ねている。もちろんメローネは、ホルマジオの能力さえあれば、男の口車に乗ったふりをして身体に触れられる前に殺すことは難しくない、ということを分かった上で茶化している。そのことはともかく、一体どんな話が飛び出してくるのかと、瓶ビールを煽りながらニヤニヤと自分を見てくるイルーゾォの方にホルマジオはイラついていた。
は、仕事を終えたと言って部屋に戻ってきたホルマジオが、思いの外気分が良さそうにしていたことを思い出す。一体何があったのかと問い詰めると彼の気分を害してしまいそうで、は敢えて今回の暗殺がどのように行われたのか詮索しないようにしていた。ホルマジオも自分から話そうとはしなかったので、遠征地からアジトへ戻るまでの間、は他愛無い世間話を振ることで場を乗り切ったのだ。あの、ホテルの一室での2人のやり取り。帰路の間、それをは少し意識してしまっていたのだが、を驚愕させたあの誘い文句を発したとは思えない程にホルマジオは自然に振舞っていた。対するは彼の態度に釈然とせず、目の前にいる彼を直視できずにいた。
だがやはり気になる。男のプライドがどうこう言っていた彼が、こうも普通に振舞っていることに違和感を覚えていた。踏みつぶされて木っ端微塵となった今は無き携帯端末越しに、覚えておけとメローネに怒気を静かに放っていた彼の気迫も今は完全に削がれている。
「メローネ。おまえ命拾いしたぜ。あのおっさんの性癖に感謝しろよな」
そう言って語られたのは、ターゲットふたりの意外過ぎる性生活だった。
「ふむ。つまり、普通のセックスで勃起しなくなったおっさんが、若い嫁を間男に寝取られているところを見ながら抜くってのが習慣化していたわけか」
メローネはとても興味深げにホルマジオの話を聞いていた。ポルノビデオにありそうな設定だな、などと余計な感想を口にする。
「ちっ……つまんねーな。てっきり掘られて来たんじゃあねーかと楽しみにしてたのによォ」
「うるせーぞイルーゾォ。おまえそればっかかよ。そういやよォ、ソルベとジェラートができてんじゃあねーかって楽しそうに妄想してたもんなァ?おめーが今回のミッションの適任だったんじゃねーかコラ。おいメローネ。今度男好きの男が暗殺対象になったらこいつにやらせろよなァ」
「おいおい二人とも。レディーの前だぞ」
「いや、それお前が一番口にしちゃあいけねーセリフだろ」
プロシュートはメローネに最もなツッコミをかますのと同時に、つい最近レンタルビデオ店でR18作品を手に取れるようになったばかりのペッシが居合わせなくて良かったと安堵した。ホルマジオの口から語られた体験談は、経験の少ない彼にはまだ刺激が強すぎる。
もプロシュートと同じで、この場にペッシがいなくて良かったと思っていた。ところで、こんな話をリゾットはどんな顔をして聞いているのだろうと、先程から一言も喋っていない我らがリーダーの方をちらと見ると彼は真顔だった。一応起きてはいるようだが、下世話極まりない話を聞きながら一体何を思っているのだろうと、の想像する意欲を掻き立てるような表情だ。
リゾットって本当に暗殺向きな性格してるのね。まるで人形みたいに感情が表に出てこない。
だがそれよりも今気になるのは、ターゲットがどんな殺され方をしたのか。である。はホルマジオに“絶対に言うな”と口止めされていたのはターゲットの男が男色趣味を持っていた場合だと解釈して、ついにあの夫婦の最後を聞くことにした。
「それで、ホルマジオ。あなたターゲットの女性と、したの?」
「おい。お前最近タガが外れてきたよなァ」
「プロシュート。これは大事なことよ。ターゲットが本当にきちんと始末されているのか、これはその報告も兼ねているはず。リゾットはさっきから、その話をずっと待っていると思うのだけど」
「いや。ホルマジオが女と寝たかどうかなんて関係ねーだろ。それお前が聞きたいだけだろ」
「してる間に殺されたのか、それともその前に“爆弾”を仕込んでいたので、この色男と寝られるという期待を前に絶望しながら死んだのか、では快感の得られ方が違うと思うのよ!!」
「……いや、だからよォ。リゾットはその点に関しては報告は求めてないと思うぞ」
「それもそうだけどついでだから私が私のために報告を求めるわホルマジオ」
プロシュートはため息をついて項垂れる。元より個性の強い面々が集まったチームだ。前々からツッコミ役を務めてきた彼だったが、の登場によりその回数は格段に増えている。こんな会話を聞きながら何も話さずただ酒を呷っている我らがリーダー、リゾットは一体何を思いながらその場に佇んでいるのだろう。まるでゴールデンタイムで放送されている映画の濡れ場で、親がどんな反応をしているのかとこっそり顔色を伺う子供のように、プロシュートは眼球だけを動かしてリゾットの様子を確認する。――彼はやはり真顔だった。
「しょうがねーな……。オレは別におっさんに見られながらオンナとヤる趣味はねーからよォ、事情聞いてるうちに奴らが飲んでた気付のシャンパンに縮めたモン入れてやったんだよ。いやー、女の方探す手間が省けて助かったぜ。とんでもねー仕事受け持っちまったと憂鬱な気分になったもんだが、蓋を開けてみりゃちょろい仕事だったんで今は心底ほっとしてる」
「永遠のお預けをくらって死んでいったのね……それはそれで……すごくいいわ」
「ああっ、まるで今のオレのようだ……」
「ところで、あなたにそんな殺され方したら、警察はいったいどう捜査するのかしらね。死因って何になるのかしら。すごく気になるわ」
はメローネが余計なことを口走る前に、殺害現場の状況についてホルマジオに尋ねた。彼は現場の惨状をそれはそれはとても楽しそうに話しはじめた。
ホルマジオという若くていい男を連れてきた旦那に賛辞を述べた女。出るとこ出て、引っ込むところはしっかり引っ込んでいるスタイルのいい女だな。もったいねぇ。とホルマジオは思った。
仕事じゃあなきゃ一発かましてやるんだが……。
そんな彼は、意気揚々とシャワー室へ向かう女の後姿が扉の向こうに消えるのを確認し、ターゲットの男の方へ視線を向けた。男はホルマジオにシャンパングラスを差し出した。ぽんっと小気味いい音が男の手元から響き、栓の抜かれたボトルからシャンパンが注がれる。それとは別に、男は二つグラスをテーブルの上に置いた。
「これがいつもの儀式みたいなもんでね。飲みたくなければ、飲まなくてもいいよ」
ホルマジオは、シャワー室から戻る妻を待つ男ののろけ話を聞かされていた。その間、シャンパングラスに、彼が小さくしておいた“時限爆弾”をしかけるスキは無かったので、持ち前のコミュニケーション能力で、面倒と思いながらも男ののろけ話に大人しく付き合っていた。程なくして、女の方がバスローブに身を包んで戻ってきた。男はすぐさま立ちあがり、愛しい妻の傍へ、いい香りだとか美しいだとか言いながら愛でに行く。男の影にこちらを向いている女が隠れた瞬間、ホルマジオはふたつのグラスにしかけを施した。
仲睦まじげに身を寄せながら、ソファーの方へと戻った夫婦。男が空いた――厳密に言うと、目に見えない程の大きさになった大きな家具が入った――グラスに例のシャンパンを注ぐ。そしてふたり同時に儀式と称した杯を空けた。確かに彼らの胃の中に仕込んだ異物が収まったのを感じ取ったホルマジオは、人知れず口角を吊り上げた。
まったくオメデタいやつらだ。これからとんでもねぇ死に方するってのによォ。
「あら、あなたは飲まないの?」
女は夫とキスを交わした後、ホルマジオにすり寄った。そしてソファーに腰掛けている彼にまたがり、キスを求めて顔を寄せる。
「なあ。少々手荒にやっちまっても文句はねェよなァ?」
女から顔をそらし、その向こうでじっとこちらを見つめる男に向かって、ホルマジオは問いかけた。
「ああ。彼女は少し乱暴にされるくらいが好きだ。構わないよ」
「だとよ。なあ、ここじゃあ少し手狭だ。向うへ行こうぜ」
ホルマジオはすぐそばにあるベッドを顎で指した。女はにっこりと笑って、ホルマジオから離れた。ホルマジオは自ずからベッドの方へと向かう女の背中を乱暴に押してマットレスへと突っ伏させた。女は期待に満ちた視線を背後に立つ男に向ける。
「ひとつ断っておくと、これからオレがやることは少々、なんてもんじゃねぇ乱暴なことだぜ」
嘲笑うかのような冷酷な笑みに、女は異常を感じて身を強張らせた。とても、一般社会でまともに生きている人間が浮かべられるような表情では無いと感づいたのだ。彼女はその仕事柄ギャングとも付き合いがあったので、一瞬でそれが分かった。この男はパッショーネの人間だ。
だが、そう思った時にはもう遅かった。彼女の腹部は突如、今までに感じたことのないほどの激痛に襲われた。そしてみるみるうちに腹は膨れ上がり裂け、血が噴き出した。原寸に戻ったソファーが、ただの肉塊と化した女の上に現れて、ベッドのスプリングへと沈み込む。
何が起こったのか理解できずにただ茫然と血しぶきを浴びていた男は、ソファーの下から覗く人間の左腕の様なものの手の中指に、愛する妻に送った指輪がはめられているのを確認した時、やっと妻が死んだのだと理解した。そして、上手いこと血しぶきを浴びずにすんでいる、彼が招き入れてしまった男、ホルマジオは高笑いをし始める。
「なあなあ!見たかよ!ふはははっ……ひっでぇ……!ベッドの上にでけーソファーがあってよォ、女がその下で胴体裂かれて死んでるって、どんな状況だよって……オレがサツだったらぜってェ半狂乱になるぜこりゃあよォ!」
「な……何故、……だ」
「白けるな。……ああ、まだ状況が把握できてねェんだな?いいかおっさん。おめーとそこでくたばってる淫乱女はよぉ……ボスを怒らせたんだ。別に個人的な恨みなんかねェが、死んでもらうぜ」
「や、めてくれ……お願いだ。なんでも、なんでもする!金は返す!いや、倍払う!!だから、だから命だけは」
「ばーか。……もう遅いっつーんだよ」
こうして、キングサイズベッドの上に客室用の血まみれのソファーが、調度品の硝子製ローテーブルの上に客室用の血まみれの木製ローテーブルが乗っているという異質な空間が出来上がった。しばらくして、夫婦の不在に気づいた部下たちが彼らの私室にたどり着いた。そして、その異様な光景と場違いに配置された家具の下に広がる血だまりや肉塊、原型を留めた四肢を目にして、部下たちは固唾を飲んだ。
後に、客室用の二つの家具が無くなっている部屋が突き止められたが、どの監視カメラを見てもその部屋を出入りしていたらしい者の姿は確認できなかった。宿泊者名簿に記された名前は偽名、住所も架空のもの。犯人が誰なのか、そしてどうやって夫婦を殺したのかすらも突き止めることができなかった。こうして、この殺人事件はお蔵入りとなったのだった。