切り立った山々に囲まれた湖畔に、洗練された近代的デザインの巨大な建物があった。それはパッショーネが裏で管理しているカジノ施設だ。高級ホテルと一体化したそれは人工的な虹色の光を放ち、夜の静かな湖の一部を染めている。
街の二割の人間がカジノ関係で働いているというこの異質な飛び地に、ホルマジオとは訪れていた。それはもちろん、ミラノから車で一時間程度のこの街で“仕事”をするためである。事前調査のため街を訪れていたふたりはホテルの一室を借り、翌日の“仕事”に備えていた。
は借りた部屋のベランダから色鮮やかに彩られた湖や、まだ少しだけ明るく青白い空に輝く一番星をながめていた。その間、今回のパートナーであるホルマジオの帰りを待ちつつ、メローネの話を思い出す。
「。君とホルマジオを同じ部屋に泊めさせるなんて気が気じゃあないが、今回の仕事はホルマジオが適任なんだ。そして、君はやはりその魅力的な容姿を最大限に活かしてほしい」
ホテルの運営とカジノの管理を担当する夫婦がターゲットだった。夫が五十代半ばで、妻は三十代前半と若い。この二人は当然パッショーネの息がかかった人間だ。しかし、飛び地であるが故に通貨が違うということと、パッショーネの目が届きにくい――とは言っても首都の目と鼻の先にあるリゾート地なのだが――ということにつけこんで、カジノの控除率を勝手に上げ、ボスに報告することも無くカジノの売り上げをちょろまかしていたという内部告発があった。今回はそれがボスの逆鱗に触れたようだ。
「夫の方は妻がいるにも関わらず、自分の運営しているホテルのプールサイドにお忍びで遊びに行っては若者を自室に連れ込んだりする好色家らしい。ただ、嫁の方は普段経理関係を牛耳ってるって話しか仕入れられなくてね。普段どこで何をしているかってのが分からなかったんだ。だから、が小さくなったホルマジオをどこかに忍ばせておいて、男を誑かしてる間に嫁の居場所を探ってほしい。至らない事前調査ですまない。健闘を祈る」
まったく……。メローネは私の使い方を間違っているわ。至らないのはあなたの暗殺計画よメローネ。
は別に見ず知らずの男と身体を重ねるためにこのチームに身を置いているわけでは無い。死んでもまた生き返ることができるという特性を存分に活かしてほしいのに、初仕事以降やることなすことが全てハニートラップの類であることに飽き飽きしていた。これはすべて、メローネが事前調査を担当して計画のほとんどを考案している所為だ。たまには他のメンバーがやればいいのに。
はそう心内で愚痴をこぼしつつ、ワイングラスを片手に窓辺で夜風を楽しんでいた。程なくして、ホルマジオが普通のサイズで部屋に戻る。
「出入り禁止になってる場所、一応一通り見てきたぜ」
施設内のいたるところに仕掛けられた監視カメラも、思い通りの小ささになれるホルマジオであれば何も怖くない。ホルマジオは男を始末した後スムーズに女も殺せるように施設の構造を頭に叩き込んでおく必要があったので、部屋に着くなりを一人残しすぐさま探検に出かけた。その探検も3時間程度で終わってしまったようだ。ホルマジオはテーブルに置かれたワインの瓶を取り、グラスに注いだそれで喉の渇きを潤し始めた。
「残念。私も小さくなってみたかったわ」
「それをやるにはお前のこと切り付けなきゃいけねーんだ。気が進まねえ」
「それくらいなんてことないのに」
「ははっ。確かにな。車に轢かれて細切れになったって綺麗さっぱり元通りだもんなぁ」
「ところでホルマジオ。明日、私のどこに隠れておく?胸?それとも……」
が“胸”と言った途端、ホルマジオは鼻からワインを盛大に吹き出した。まさか彼女の口からそんな提案が飛び出すとは思わなかったせいで驚いたのだ。――だが待てよ。胸に隠れる?谷間か?谷間に挟まっていろとでもいうのか?最高かよ。
「あら。大丈夫?鼻血じゃあないわよね。それ」
「げほっ、がはっ……む、胸以外は?」
「一応ショルダーバッグは持っていこうと思っているわ。ショーツは……うーん。隠れるところないわよね。というか、私が恥ずかしいわ。遠慮してほしい」
「あ……当たり前のことを言うんじゃあねーよ。それくらい分かってる。いや、待て。胸はいいのかよ……。いや。ショルダーバッグ一択だな。胸元だと見つかりかねねーしな」
「そうね。胸元から小人さんが飛び出してくるのも面白いと思ったんだけど」
は少し残念そうに笑うと、ルームサービスのメニューを眺め始める。
「ごはんにしましょ。お腹すいちゃった」
「なんだ?外に食いにいかねーのか?」
「ふたりでさもカジノに遊びに来たカップルって雰囲気出したらまずいんじゃない?」
「……それもそうだな」
別に遊びに来ているわけじゃない。女とふたりでホテルの一室に泊まるが、別に遊びに来ているわけではないのだ。と、ホルマジオは心を改めた。
彼はホテルに女を連れ込む時のことを思い出した。その女を抱かないことなど無かった。もちろん、そもそもそういった目的で場末の安ホテルに連れ込んでいたので当たり前のことではある。だが仕事上の不可抗力とは言えども、若い女と締め切られた部屋にふたりきりというシチュエーションで男が“その気”にならない方が少ないはずだ。それは自分にも言えること。そして女なら少しはそれを自覚しておくべきじゃないのか。それなのに、何故は何の警戒心も見せずに酒をがぶがぶ飲んでいるんだ?
ホルマジオはと向かい合う食事の間そんなことを考えていた。彼自身さほど女に飢えているわけではなかったが、据え膳食わぬは何とやらという言葉が脳裏をちらついた。そして、いただけそうであればいただいてしまいたいのはやまやまだった。ただ、今晩彼女を抱けたとしたら、メローネと穴兄弟になってしまうのではないか。ということが気になった。
メローネと穴兄弟――あまり気持ちのいい話ではない。はつい最近メローネとも同じ部屋で宿泊している。もちろん、今回と同じく仕事で仕方なく、監視ということもあってではあるが、そこで何があったのかふたりの口からは未だに何も語られていない。あのメローネのことだ。絶対いやらしいことを考えたに違いない。そして、今こんなことを一生懸命に思考している自分もまた、彼と大して変わらないんじゃあないか。
そこまで思い至ったところで、彼は冷静になった。あいつと同じになっちゃあ人間終わりだ。と。
ただ、ホルマジオは同時にこうも思った。も良くない。そもそも普通の感性を持っていればメローネと同じ部屋に宿泊するなど、できるできないはまた別の話として少なからず拒絶の意を示すはずだ。圧倒的に危機感が無い。まあ、死なないという特性が彼女をそうさせているのだろうが、それにしたって人間死ぬより嫌なことなんていくらでもあるんじゃないのか。
……ああ、そうか。そう言えば、は死ぬことを嫌と思っていないんだった。だから、死ねる可能性のある所には自ら率先して踏み込んでいくんだ。男に乱暴されて死ぬってのも、アリだなんて思っていやがるんだ。
食事中の彼らの会話は、明日の仕事の打ち合わせも交えることになった。まずは彼女の色仕掛けから始まるのだが――
「なあ……。おめぇよぉー」
「?どうしたの?」
「ちったー自分のこと、大事にしろよな」
「……大事に、ね……。ありがとうホルマジオ。優しいのね」
好きでもない男に貶められて、最悪殺されて。それでもは笑って気持ちよかったとでも言って帰ってくるのだろうが、ホルマジオはそんな彼女の姿を見たいとは思わなかった。
。お前は“フツー”の幸せなんて、少しも求めてねぇってのか?
「でもそれって私に言うのはお門違いよ。メローネに言ってやってよ」
「……ほんっとしょーがねーなあー、おめーらよォ」
11:All That You Dream
自分のことを大事にしろ。ホルマジオは昨晩に確かにそう言った。翌日、図らずも彼女はその忠告を守らざるを得ない状況に陥った。
事の顛末はこうだ。
「ああ、おじさま?私に救いの手を差し伸べてくださらないかしら」
はそう言って、ターゲットの男が腰かけるプールサイドのバーカウンターに近づいた。
「救いの手だって?お嬢さん、いったいどうしたんだい?」
男はすぐ傍にボディーガード一人を携えて、昼間から色鮮やかなカクテルに舌鼓を打っていた。はセクシーな水着姿にレースのカーディガンを羽織った姿で、男の座るスツールの隣のスペースでカウンターに肘を掛ける。反対側に肩掛けしているショルダーバッグには十センチメートル程度の大きさに縮んだホルマジオがターゲットとの会話に耳をそばだてていた。
「今、友達の独身最後のパーティをやっているところなの。それで……ふふ。バカげた話なんだけど、女同士の悪ノリでゲームをやってて」
「……ふん。それで?」
「お題は、リッチなおじさまのスイートでツーショットを撮ってくること」
「……なぜ私がリッチだと?」
はこの時から男の“感触”に違和感を覚えていた。どうも自分との会話に乗り気では無いような気がしてならなかった。だが、ダメ押しで話を続ける。
「いかついボディーガードのお兄さんをお供にしてるし、その高そうな腕時計。リッチだなって、すぐ分かったわ」
「ははは。まあ、違いない。だが、ここはカジノだ。金を持ってるやつなら他にもいっぱいいる。だから他を当たってくれ」
「ああ、お願いよ。ノリが悪くてしらけるって言われて、お尻叩かれてきたの。このままじゃあ私、仲間外れに――」
「すまないが、断るよ」
ターゲットはそう言って席を離れる。ボディーガードの男がとどめにきつい一瞥をくれて、二人はの元から遠ざかっていった。彼女は話している間、カウンターにもたれかかるついでに腕で胸を寄せて見せつけていたのだが、そんな古典的な色仕掛けは全く効果が無かったようだ。彼女がどんどん小さくなっていくターゲットの後姿を眺めながら頬に人差し指を当てどうしたものかと考えていると、すかさずバーテンダーが彼女を慰めにやってくる。
「お客さん。あんたは十分綺麗だぜ。ただ……相手が悪かった」
「慰めてくれるの?」
「ああ。慰めになるかどうかは分からねーが……あのおっさん。さっきまでオレを口説いてた」
オレ。と称する彼は、若い小麦色の肌をしたスキンヘッドの男性だった。
「ちょっとメローネ。話が違うわよ」
とホルマジオはホテルの部屋へ戻り、電話越しにメローネを追求する。彼は事前調査の結果、ターゲットとなっている男が“自分の運営しているホテルのプールサイドにお忍びで遊びに行っては、若者を自室に連れ込んだりする好色家”だと確かに言った。
『……………………ああ。済まない。好色家じゃなかった。男色家だった。間違えた。ごめん』
「いや、ごめんで済む話じゃあねぇよ!計画がパーだわ!ってかどんな読み間違いしてんだこのボケ!」
『計画がパーだって?まさか、何も成し遂げずに帰ってくるわけじゃあないよな?そうだ。この際だホルマジオ。君がターゲットに色仕掛けでもしたらどうだ』
メローネはさも当然かのごとくにさらっとそんな提案をした。ホルマジオは無言で額に血管を浮かび上がらせ、わなわなと怒りに打ち震えている。
『。ターゲットが口説いていたというその男、容姿はどんなだったんだ?』
「うーん。スキンヘッドの細マッチョ君だったわね。なかなかにセクシーな顔つきだったわ」
『なんだ。ホルマジオとほとんど変わらないじゃあないか!』
鬼だ。は隣で恐ろしい形相をしたパートナーを見て思った。今にもメローネを殺しそうな顔だ。遠隔地にいる彼のことを呪い殺せそうな勢いがある。ホルマジオはスピーカーホンにしていた携帯電話のマイク部分に口を近づけてボソッと呟いた。
「メローネ。おまえ……覚えておけよ」
そう言って彼は電話を床に叩きつけて踏みつぶした。
「ホルマジオ。そんなに怒らないで、落ち着いて」
「お前に男の尊厳ってもんを理解しろとは言わねェから、少し黙ってろ」
は肩をすくめホルマジオに言われた通り、口にチャックをするジェスチャーを見せて閉口した。さて、いよいよ私ができることが無くなってきた。何とかこの難局を乗り切る手立てはないものか、と彼女は考える。しかし、が何か打開策を思い浮かべる前にホルマジオが口を開いた。
「しょーがねぇなー。。お前、マジでチームの他の連中にだけは絶対、言うんじゃあねーぞ」
「え、ええ。何か思いついたの?」
「もうターゲットの女の方がどこにいるかと探すのも面倒だ。メローネが言う通り、正面突破が一番効率がいい」
「え……まさか」
「ああ。だから、そのまさかだからよォ。マジで言うんじゃあねーぞっつってんだよ」
ホルマジオは頭を掻きながら、ホテルの部屋の中を見回した。
「。お前、腹の中からてめーの身体より横幅でけーもんが出てきたら、人間どうなると思う?例えばよォ。このでけー三人掛け用のソファーなんかが胃の中から突然出てきたらどうなると思うって話だぜ」
そう口にしながら、彼は自分の能力でソファーを目に見えないくらいの大きさにまで縮めた。胸ポケットからプラスチックのケースを取り出し、その中にミニチュアとも呼べないほど小さくなってしまったソファーを仕舞う。ケースを左手に持ちながら、今度はローテーブルに近づいた。
「このでけーテーブルなんかもいいよなァ。縦になって出てくるか横になって出てくるかで、肉の裂け方が違うからよォ……見物だぜ?」
ソファー同様に小さなプラスチックケースに収められたそれを見て、はごくりと生唾を飲み込んだ。恐怖してではなく、興奮してだ。
「ホルマジオっ……私のこともそうやってイかせて!」
「イかせてっておまえ。しょうがねーな……」
「してくれるの!?」
「いや、しねェー」
が残念そうに項垂れると、ホルマジオは彼女の顎を人差し指と親指で挟むようにしてクイと持ち上げた。
「そんなワケわかんねー自殺願望に囚われる必要がねェーくらいによォ、おまえがもっと普通な快感で満足できるように、オレが調教してやろうか?」
どこか嗜虐的な笑みを浮かべるホルマジオ。これが、鳴りを潜めていた彼の本性が初めての前に現れた瞬間だった。