メローネはトイレの個室にこもり、ヘッドセットから聞こえてくる音に集中していた。聞こえてくるのは聞くに堪えない五十路を超えた熱い男の喘ぎ声。ぴちゃぴちゃという音。鼻から抜けるような、のエロティックな吐息。メローネはヘッドセットの向こうで行われているであろう情事、その情景を想像して息を荒げていた。
『ああっ……キミ、どこでそんなっ……』
ターゲットが今にも果ててしまいそうといった風に喘ぐその声は、はいったいどれほどのテクニックを持っているんだ!?とメローネの想像力を掻き立てた。
『ダメだ。いって、しまいそうだ』
『いいんですよ。シーツは汚さないように、私が全部口で……受け止めてさしあげます。それとも……』
っ!ダメだ……なんて、いやらしいんだっ!!そんな、そんなことを言っちゃあダメだァあああああ!
メローネは蓋をした便座の上で悶える。もはや目的を完璧に忘れている彼は、酔っ払いの吐瀉物の臭いが足元から漂ってきていることを気にも留めず、昂った股間に手を当て必死にそれを抑えようとしていた。
『まだ、果てたくないのであれば……私の身体を……どうぞお好きに』
ずるいぞ!!!!!何で、あの汚いおっさんには身体を許して、オレには許してくれないんだ!!!ああ、ダメだ、今夜、オレは正気を保てそうにないっ……!
お前は常日頃から正気を保てていないと彼に指摘してやれる者は一人もいない。ベッドのスプリングが軋む音、ぺちゃぺちゃと、彼女の舌が男の身体を這う音、そして深く噛みつくように交わされる口づけの音――。確かにそのどれもが、聞くものが男であれば皆を昂らせる挑発的なものであることに間違いは無い。だが彼は仕事中である。
完全に仕事のことなど忘れて興奮しきっているメローネをよそに、渦中の新入りは完璧に仕事をこなしていた。は少しばかり乱れた身なりを整えながら、どこに仕掛けられたかもよくわからない盗聴機能付きのGPS発信機に向かって声を上げた。
『メローネ。聞いてる?……聞いてるのよね?終わったわ』
「それは……ターゲットが果てたってことかい?」
『そうよ。昇天してる。……いや、息を引き取ったわ。早くそのトイレから外に抜け出して。計画通り、私も部屋の窓から雨樋を伝って外に降りるわ』
ブツッと言う音を最後に、ヘッドセットからは何も聞こえなくなった。
ああ、なんて素晴らしい夜だ……。
メローネはゆっくり便座から降り、トイレの高部に設置された明り取り程度の大きさの窓に体を滑り込ませ、闇に乗じてホテルの敷地内から抜け出した。そして大通りへと出ると、カツカツとヒールを鳴らし何事もなかったかのように人混みへ紛れたの後ろ姿を確認する。彼はその後を追ってホテルまでの帰り道を急いだ。
09:When Your Body Gets Weak
「私、先にシャワー浴びていいかしら?」
「待て待て。まず、リーダーに報告だろう」
「それもそうね」
はホテルの部屋に戻るなり、バスルームへ向かい手を洗った。別にメローネが想像していたほどターゲットの男の体液が身体に付着した訳でも、濃密に体を交じり合わせた訳でも無かったので、シャワーを浴びられないことに大した不快感も無かった。なので先輩ヒットマンの言う通り、まずは報告を済ませようとメローネが用意したラップトップPCへと向かった。
彼女は万が一ターゲットを殺しあぐねたときのためにと、あらかじめメローネから受け取っていた小瓶――ターゲットの血液を入れるためのものだ――を胸元から取り出した。毒殺後ターゲットの呼吸が止まっていることはもちろん確認していたが、もし自分が部屋から抜け出した途端に優秀なガードマンが部屋にやってきて、解毒の後に蘇生してしまってはまずい。そういう考えから、ターゲットが動かなくなってすぐ、体の目立たない所に針で穴を開け、そこから血液を小瓶に注いでいたのだ。
「メローネ。これ。もし死んでなかったら、明日使ってほしいわ」
「ディ・モールト!素晴らしい!抜け目ないな。だが、もし君が毒をしっかり盛ったというのなら、心配は無用なようだ。全く騒がしくなる様子も無いし、救急車の一台も来やしない」
窓の向こうのホテルの様子を確認すると、ホテルからちらほらと招待客が帰っていくのが見えるだけだった。ホテルの入り口に立つガードマンが慌ただしく動き出す様子も未だ見られなかったので、ほぼミッションコンプリートと思っていいだろう。
は一通りのことを簡潔にまとめ、リゾットへメールを送って一息つく。ソファーに深く腰掛け、天を仰ぎ緊張を解くため背伸びをした。するとワインボトルとグラスを携えて、メローネがの隣に座る。
「いいわね。飲み足りなかったの」
酒に酔ってしまっては任務を遂行に支障をきたしてしまうかもしれないと、はパーティに参加している間酒を自制していた。酒を飲むことは好きなので、彼女はメローネの誘いを快諾する。グラスを傾け、がリラックスした様子でワインの味を楽しんでいるのを見て、メローネは彼女へ語りかける。
「ところで。君は、あんな音をオレに聞かせて、オレが自制心を保ったままでいられると思うか?」
「……大丈夫よメローネ。あなたならできる」
「無理だね」
メローネはワインがまだ少し残るグラスをの手元から奪い、彼女をソファーへ押し倒した。
「私のこと、どうしたいの。メローネ」
「君とセックスがしたい。言わないと分からない訳じゃあないだろう?お互い、いい大人なんだ」
「ああ、メローネ。……ダメよ」
は物憂げにため息を吐きながら、自身に近づくメローネの端正な顔を、両の手のひらで優しく包む。
「私達、似たもの同士よね。自分の欲求には素直でいたいし、欲求の前では盲目になってしまう。その気持ちはよく分かるわ。私がチームの中でどう思われてるかは、ちゃんと分かってるつもり。だからもしかしたら、私のことを分かって、愛してくれるのはあなただけかもしれない。相性もすごくいいかもね」
「オレは君を一目見たそのときからずっとそう思っていたさ。だというのに、あんな……オンナを食い物にしてるような汚いオヤジのナニをしゃぶってる音なんかオレに聞かせて……どういうつもりなんだ」
「仕事だから仕方ないじゃない。私だって進んでやったわけじゃあないのよ。というか、それを期待して盗聴していたのよね?」
「いや、もっとすごいのを期待してた。期待外れだったおかげで、おれはイケなかったんだよ。分かるか?この苦しみが!」
「分かる、分かるわメローネ。でもね、慰めて貰える所は他にいっぱいあるはず。私じゃなくてもいいはずよ」
「違う。君は何も分かっちゃあいない。君じゃないと、ダメなんだ。別に誰だっていいってわけじゃあないんだ。オレが普段嘗めますように女を観察するのは、自分のスタンド能力で孕ませてやったら、どれだけ凶悪なやつができるかって考えてるだけなんだ。要は人間観察さ!けど、君は……君は違うんだ。オレは、ベイビー・フェイスでキミに孕ませたいんじゃあないんだ!オレ自身が、一人の男として、オレのペニスで、君を孕ませたいんだ!」
「……かなり直接的な表現するのね。でも、私、あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」
は肩ひじで自身の上体を起こし、そっとメローネに口づけをした。
「ああ。。……やっとオレの思いを受け入れてくれるっていうんだな?」
「そうね。あなたとするのもイイかもしれない」
「ああ、ああ、。その目だ。ディ・モールト良い!その目に挑発されたら、オレはもう……天にも昇る……んんん?」
ガチャリ、という音と共に彼は自分の右手首に、ひやりとした金属の冷たさを感じて驚いた。の鮮やかな手さばきで、彼が知らない内に手首へと手錠がかけられていたのだ。
「。これは一体……」
「ベッドへ行きましょう。メローネ」
「あ、ああ。……そう言う類のプレイだな、。大丈夫だ。どんな君でも受け入れる覚悟はできているッ!」
はベッドに向かって右側にメローネを押し倒し、彼の右手首にかけた手錠の鎖の部分をヘッドレストの鉄格子へ通し、もう片方の空いた手錠をメローネの左手首に掛けた。
「私、シャワー浴びてくるわ。大人しく待っててね」
「もちろんだ!」
はメローネをベッド上で拘束してバスルームへ向かった。メローネは期待に胸を膨らませながらも、彼女がシャワーを浴びる音を聞き頭の中で彼女の裸体を思い浮かべていた。程なくしてがシャンプーやボディーソープのいい香りを漂わせながら部屋へ戻ってくる。メローネの期待はマックスで、テンションもマックス。さあ、早くまぐわおうじゃあないか!
メローネが興奮で色々とはち切れそうな状態でいるのを知ってか知らずか、彼女は冷蔵庫からミネラルウォーターを手に取り一口二口飲んだ後、ベッドのサイドテーブルへそれを置くとメローネが両手の自由を奪われて拘束されているベッドの空いたスペースへ寝転がった。残念ながらダブルベッドなのでメローネとの離隔はさほど取れなかったが、手が動かせなければ何もされない、大丈夫だろう。と、そのまま眠りにつこうとする。
「メローネ。おやすみなさい」
「……………………はァ!?いやいやいや、待て!ディ・モールト待て!!」
「ぷっ……ディ・モールト待てって何よ。面白いわね」
「これからお楽しみが待ってるとばかり思っていたんだが!?」
「放置プレイと言う名のお楽しみよ?お嫌い?」
「お嫌いだッ!つまらんだろうが!放せ!放せえええ!!!」
「寒い?シーツかけてあげるわ。おやすみなさい、メローネ」
「おやすまないぞ。オレは絶対におやすまないからなァ、。別に上半身が動かせなくったってなァ、下半身さえ動かせればそれで――」
「おやすみなさい。メローネ」
「そればっかか!?このドSオンナが!てか、何で手錠なんか持ってんだてめぇ!?」
「あのオジサマMっけがあるんじゃないかしらと思って念のために持ってきてたんだけど、持って行くの忘れちゃってたのよね。まさかこんな風に役に立つとは思わなかったわ。おやすみなさい、メローネ」
「クソォおおおおおおおお!!!」
翌朝、救急車のサイレンの音で目を覚ましたは、自身の下肢にメローネの長い脚が密接に絡められ、彼の股間が臀部に当たっていることに気づく。丁寧に彼の身体を引き離して窓の向こうの様子を見ると、昨晩彼女が殺した男がタンカで運ばれて救急車へ乗せられていくのを確認した。もう死んで七時間程度経過しているので蘇生は無理だと、諦めた様子の救急隊員の姿も見られた。後はニュースで訃報を確認するだけだ。
「メローネ。おはよう。よく眠れた?」
「…………。覚えてろよ。犯してやる。絶対に犯してやるからな」
「わあ怖い。部屋に鍵かけるの忘れないようにしなきゃ」
そんな恨み言を言いつつも、メローネはしっかりをアジトへと連れ帰る。長居は無用と朝七時にはホテルのチェックアウトを済ませ、アジトには午後四時頃に到着した。帰り着くなり真っ先にリビングへと向かったふたりは、ターゲットの訃報を伝えるニュースを見ながらリーダーへミッションコンプリートの報告をするのだった。
報告を終えた後、は何事も無かったかのように日常へと戻り、メローネにはいつも通りの対応をしてみせた。実際何事も無かったのだが、完全に彼女とセックスをする気でいたメローネは狐にでもつままれたかのような感覚に陥っていた。
は……ひどく思わせぶりだ。でも待てよ……?キス、してくれたよなァ?まんざらでもないってことか?一体どうすれば、彼女を振り向かせることができるんだっ……。
今回のミッションをきっかけに、メローネのに対する関心はさらに深まる一方だった。そして彼女が彼に受けるセクハラの回数もかなり多くなったのだが、相変わらずの見事なかわしっぷりにメローネは手ごたえを得られない日々……つまり、お預け状態が続いた。そんな仲睦まじい(?)ふたりの様子を見たチームの全員が“あの時何かあったんだろうな”と勘繰るのだが、当の本人たちの口からその話が語られることは無かった。