国道沿いにが務める輸入車専門のカーディーラーがあった。店舗の広い敷地には、セダン、SUV、スポーツカーと、様々な種類の外車が展示されており、ドイツ車、アメ車、日本車がその大半を占めている。ギアッチョは双眼鏡で覗いた先の景色を見て、が彼の愛車の製造元と名前を言い当てた理由に納得した。しかしそんな感心はすぐに収まり、あまり面白くない仕事に対する不満が徐々に募っていく。
「おいメローネよぉ」
「なんだギアッチョ」
「オレ達はよぉ。何が悲しくって真っ当に生きて仕事してる女を、まるでストーカーか何かのように遠方から双眼鏡で監視せにゃならんのだ」
「それがボスの命令だからだろう」
の職場は市街地から少し離れた、建物があまり密集していない場所にあった。おかげで監視はしやすいのだが、太陽光を遮るものの何もない小高い丘の上から監視しているせいで春先とは言えども日差しが強く暑い。オープンカーに乗るギアッチョのストレスは右肩上がりに上昇する。そんなギアッチョのただの鬱憤晴らしに珍しく至極真っ当な返答をしたメローネは乱暴に相棒から双眼鏡を奪い取り、個人的なという女に対する探求心を満たすべく、彼女が仕事をする姿を食い入るように観察した。
「彼女、普段あんな風に笑うのか。笑顔を向けられている客に嫉妬してしまう。ああ、あの男性客、鼻の下を伸ばしていやがる。あれだけアカラサマだと逆に引くな」
「……いったいどの口が言ってんだてめー」
ギアッチョは思った。それにしても、副業が許されているとは知らなかった。と。彼は一般人に紛れ込んで仕事をするにはあまりにも難のある性格であるため、真っ当に働こうと思ったことすらなかったのだが、やはり金は欲しい。組織の中でも腕っぷしが立つのに、麻薬関連の仕事でおこぼれをもらっている他のチームよりも収入が少ないことに並々ならぬ不満を持っている彼は、ボスのことを嗅ぎまわったソルベとジェラートが見せしめに殺され、リーダーであるリゾットがそのことに対して沈黙を貫いているということさえ無ければ、今すぐにでも蜂起したいと思っている第一人者でもある。
そもそもあの女を、ボスがなんでうちのチームにやったんだ?
単純に殺せなかったから厄介払いだと言ってしまえばそれまでだが、ギアッチョには何かそれ以上の理由があるようにしか思えなかった。少し自分のことを嗅ぎまわったからと、ソルベを輪切りにして額縁に収めるという殺しを部下にやらせるほどの人間が、ただ単に“殺せない”という理由で自分の元から手放すとは考えづらい。ほかに何か意図があるんじゃないか。彼女の猟奇的な側面ばかりが悪目立ちしているが、もっと肝心な何かがあるんじゃないか。ギアッチョは、メローネに監視を任せ、思考を巡らせていた。
「ああっ、見たかよギアッチョ。彼女、絶対あの男に枕営業する気だぜッ。オレがっ……オレが彼女と寝たいっていうのにあの男……殺すか」
「双眼鏡がねぇーのによォ……どうやって見ろって言うんだァ……?アホがァ!そしてお前が今すぐに死にやがれこの変態!」
もしも彼女が我らがチームにボスから差し向けられた、“お目付け役”だと仮定したら?彼女もまた自分たちを監視するように言われており、適宜報告するように言われている。あの女を監視しているとこちらを思い込ませ油断させている間に、あっちもこちらの内情を探ろうとしているのではないか。
何にしても、あの女に心を許しちゃァ、ボスの思うツボ……かもな。
ギアッチョには既に、かつて抱いていたボスへの忠誠心など微塵も残っていなかった。
あの女は言うなれば、ボスが抹消できなかった過去だよなァ……。
ボスからの無言の圧力に恐れおののいている暇などない。逆に利用してやるのだ。狂犬のような目を光らせながら、彼は素性の知れない新入りが居る方角を見据えた。
「ところでよォ」
「何だギアッチョ。オレは今、の太腿を見るので忙しいんだがなぁ」
「ピンポイントで太腿だけ見てんじゃあねーよ仕事しろ仕事をよォ!!ったく……こういうヒューマンエラーがあるし、おれ達が逐一ついてまわって監視してるってのはよくねーと思うんだよ。何かこう……追跡装置みたいなもん持ってねーのか。お前好きだろ。そういういかがわしい機器集めんの。こうやってあの女が仕事に出る度に見張るなんてかったるくてやってらんねーしよォ」
「そうか?オレは楽しいからいいんだがな」
「暇で死にそうって時になら構わねーが、仕事がある時はどうする。チームで足持ってんのはオレとお前だけだろうが」
「……確かにな。盗聴機能付きのGPS発信機ならいくらでも持ってるぞ」
「いくらでもかよ。……きめぇ」
07:The Judas Kiss
ギアッチョとメローネが仕事終わりの彼女の後をつけて監視を続けている時のことだった。17時頃の傾いた日差しが小さな明り取りから入り込むだけの薄暗いリビングルームで、リゾットはひとりラップトップPCに送られてきたボスからのメールを読み返していた。彼はそのメールの指示の内容を、そっくりそのまま仲間に知らせていはない。彼だけに与えられたミッションの内容があった。
『・を殺せ。期限は設けない』……。一体何が目的なのだ。
リゾットは、仲間として迎え入れたはずの新人を“何故”ボスが殺せと命じているのかについて考えた。彼はもう長いこと与えられた仕事を“何故”こなす必要があるのか、と考えることはやめていたが、今この時ばかりは考えられずにいられなかった。
ターゲットは仲間で、反逆の意思など何も感じさせない、か弱い女なのだ。仲間でさえなければ、こんなことは少しも考えなかっただろう。
無期限――つまり、いつになってもいいから殺せ。ということだった。つい先日の彼女の仕事ぶりを見るに、彼女はおそらくどうやっても殺せない。リゾットの能力、メタリカをもってしても殺せないだろう。彼女の身体から抜け出た鉄分は、分解され元の姿に戻り、彼女の一部となって蘇生する。おそらくその蘇生能力に限界は無い。ただ、その能力を使えるのは彼女自身だけなので、特攻隊員として死地に追いやっても戦力が失われないというだけ。その戦力と呼べるのも、何の能力も持たない女性による、刺殺、毒殺、鈍器による殴殺程度が関の山だ。死なないということ以外、脅威が無い。
ボスも恐らく、自分の直属――参謀や親衛隊など――の管理下に彼女を置かないあたりから察するに脅威とは思っていない。だが、部下がやり残した仕事があって癇に障るといった程度の感覚でいるのだろうか。その程度の感覚で、彼女を殺せという無茶振りをしてくることにリゾットは違和感を覚えていた。殺せとは言っているものの、それが困難を極めることは承知の上。彼女を殺す機会と方法が見つかるようであれば殺して、できないのであれば変な気を起こさないように監視していろ。ということなのだろうか。
ただ、自身はそんなボスに感謝の念を抱きこそすれ、反逆しようなどとは少しも考えていない風だ。を監視することに果たして意味はあるのか。だがそうは言っても、実は父親を殺されたこと、そして幼い時分に安息地を奪われたことに恨みを持っていて、チームを焚きつけようと思っていないと言い切れるわけでもない。
いや、もしかすると、監視されているのはこちらなのかもしれない。そうなるとうかつなことは簡単に話せない。特に、ギアッチョが危ない。
だが彼女は、ボスに絶対の忠誠心を誓っているようにも見えない。彼女がここに身を置く理由は、その辺のジャンキーがドラッグを求めるのと大して変わりなく、自分が最高の死による快楽を得るのだという信念以外に何も無いようにも見えた。なので彼女の存在について、過度にびくつく必要は現時点では無いと言えるだろう。
次に、ボスがそんな指令を、はもちろんのこと、リゾットの信頼する仲間六人にも知らせるな、と言ってきたのか。その理由について考えた。
仮にチーム全員が彼女を殺すという思いを抱き共同生活を送ったとしたらどうだろうか。殺そうとしてもそう簡単に死なないので、あの神経の図太さならば、例えチームの全員が自分を殺そうとしていることに気づいたとしても、もしかするとここに居続けるかもしれない。いや、むしろ嬉々として自ら殺されにくる可能性の方が高い。だが、そうして彼女を殺そうとする意志が表立ってしまうと、彼女のボスへ抱いた幼少期の反逆心を思い起こされてしまうかもしれないと危惧しているのか。
何にせよ、現時点で彼女を殺すことも、彼女の本心を暴くことも、ボスの真意を探ることもままならない。ボスはもちろんのことだが、リゾットは彼女のことを知らなすぎるのだ。
彼が、考えるだけ今は無駄なことだと組織のアプリケーションを閉じたのと同時に、玄関の鍵が開く音がリビングに響いた。ガチャリと開いたドアの向こうから顔を出したのは、朝、衝撃的な告白を残し颯爽とアジトを後にしただった。彼女は鍵をしまい顔を上げ、リゾットの姿を確認してすぐに部屋の明かりを付けた。
「いるなら電気つければいいのに」
「……帰ったのか。早かったな」
「今日のアフターファイブは特に何も予定無いの。それにしても、ああ四六時中監視されてると気軽にデートもできないわね」
「ボスの命令だからな。ところで、メローネとギアッチョはどうした」
「彼らなら私がアジトに戻るのを見届けて、何か食べに行ったみたいよ」
「そうか」
イルーゾォとホルマジオは二人でつるんで、18時から開催されるサッカーリーグの試合を見に行った。プロシュートとペッシは、つい先程、生活用品と食品の買い出しに出る際、夕食は外で済ませてくると言っていた。と、なると、これから先何時間かこのアジトは、リゾットとの二人きりとなる。都合がいい、とリゾットは思った。
「リーダーは、何か食べたいものあるかしら。帰りにすごくおいしそうなルッコラを見かけたので、買って帰ってきたの。サラダと、簡単にパスタでも作ろうと思っていたんだけれど」
「それで構わない」
は羽織っていた上着を脱ぎハンガーにかけると、下ろしていた髪を結いあげながらキッチンへと向かった。かなり慣れた手つきで生ハムとルッコラのサラダ、ペペロンチーノをあっという間に仕上げた彼女は、二人分を皿によそってダイニングテーブルへ置いた。ついでに白ワインのボトルとグラスを用意して、まるでレストランの給仕係のように席に着いたリゾット側のグラスへとワインを注いだ。
「リーダーはワイン好き?」
「ああ。赤ワインよりは白ワインだな。……知っているか?赤ワインのタンニンは鉄分の吸収を阻害する性質があるんだ。だから、ターゲットとする人間にはあまり取って欲しくないんだが、オレ自身は赤も飲めないわけじゃない」
「ターゲットの体内の鉄分量が、あなたに何か悪さでもするの?」
秘密の共有。それは人間関係において、親密であることの証としてなされるやり取りだ。事実、ボスにさえ明かしていないチーム全員のスタンド能力だが、チーム内の連携のためにお互いの能力だけは明かし合っている。そのため例えボスの命令で仲間となった彼女であっても、チームの一員に変わりはないので、本来自分の能力を部下に明かすのは当然のこととも言える。
だがリゾットはそれよりも、彼女に疑念の目を向け探りをいれることを念頭にそんな話をしはじめた。彼女が仮に密偵であれば、重要な情報を手に入れた、報告しなければ、と少しばかりの緊張を見せるはずだ。リゾットには、そのような人間の見せるわずかな反応を察知できる観察眼が備わっている。彼は話しながら対面に座るの反応を子細に見つめていた。
「オレのスタンドは、磁力を操作する能力を持っている。体内に存在する鉄分を磁力で操り、体内に剃刀なんかを精製してやって、それをまた磁力で体外へと引き寄せる。つまり、ターゲットの体内に鉄分は多くあればあるだけいい。という訳だ」
「とっても素敵な能力ね。想像しただけでぞわぞわしちゃう!」
白だな。とリゾットは思った。緊張など毛ほどもしていない。むしろ興奮している。それはきっと、彼女の追い求める快感を予感してのことだろう。リゾットは殺してやる――確かに殺せと命じられてはいるが――なんて一言も言っていないというのに。彼女の頭の中はきっとそのことで一杯なのだ。自分がボスなら、こんな女に密偵なんて危なっかしい仕事は与えない。完全に疑いが張れたわけでは無いし気を抜いていい訳では無いが、十中八九白だろう。
リゾットがそんなことを考えている間に、はひとりぺちゃくちゃと話を続けていた。
「鉄分不足って、女性の大敵なのよ。唇や肌が荒れたり、疲れが取れにくくなったり、美容によくないのよ。だから私、普段から鉄分が不足しないようにサプリメントを飲むようにしているの。食事にも気を付けているわ。鉄分の多い葉物野菜を積極的に取る様にしてる。このルッコラだって、鉄分豊富でいいのよ。……だから、私みたいな美容に気を付けてる女って、さぞかし殺しやすいんでしょうね」
「お前は殺せないだろう。やるだけ時間の無駄だ」
「残念。気が向いたらお願いね」
「ところで、お前は一体どうやったら死ねるんだ。まさか不老不死なんかじゃあないんだろう?年はちゃんと、普通の人間と同じように取っているのか」
かなり直球だったが、この機会を逃すと次はいつ彼女に探りを入れられるかわからない。そう思ってリゾットはグラスに口を付けつつ、彼女の反応を伺った。
「ええ。百年も二百年も生きているわけじゃあないわ。……それにしてもどうしてそんなことを聞くの?もしかして、あなたの能力で私のことを感じさせてくれる気になった?」
「……いや。ただ単なる好奇心だ。オレは今まで、お前みたいな無限の蘇生能力を持ったターゲットに当たったことがない。だから参考までに知っておきたいってだけだ」
「そう……。やったことがないから、正しいかどうかは分からないけれど、私が永遠の死を望めば死ねるんじゃないかな」
「お前が永遠に死にたいと思うときがあるのか」
「さあ、どうかしら」
は肩をすくめて、わざとらしくそう言った。彼女が求めるのは最高のハッピーエンディング。彼女が死ぬ寸前に感じる快感は、彼女の精神的かつ肉体的コンディションによって大なり小なり異なってくるという。そのばらつきのある快感の中で、これ以上無い、もう充分だと思えるものを感じることができたときがその時なのだ。
だが彼女は、肉体的に死んでもまるでゲームの主人公のようにコンティニューが可能であるせいで欲深く、ごく一般的な人間が抱く人生の目的だとか幸福論といったものも持ち合わせているので、それを全て充足するまで永遠に死にたいとは思わないだろうと言った。
「私ね、普通に恋をして、誰かを心の底から愛して死にたいって思ってるの。最高の愛を注いでくれる男性に出会って、私のためを思って最高の死を与えてくれる、そんなエンディングを望んでいる。殺しって一般社会だと重罪だから、こういう世界に身を置いていなかったら私は一生満たされることもなく干からびるまで生き続けることになっていたかもしれないし、求めるものを得られないそんな世界に辟易して、若くして永遠の死を望むかもしれない。……要は気まぐれなのよ。私にもよくわからないわ」
なるほど。彼女を永遠に殺すのは至難の業かもしれない。彼女を殺すために、彼女に愛を注ぐ。普通の人間ならば、自分の愛を注いだ女性を殺そうとは思わない。もちろん、そういう趣味のサイコパスならばやってのけるだろうが、そこまでの変人は生憎チームにはいなかった。まあ、可能性があるとすればメローネくらいか。ただ、彼女にも相手を選ぶ権利はある。
そこまで考えたとき、リゾットは食卓に乗せていた自分の左手の甲に、の熱を感じた。
「でもねリゾット。私は今までにないほど、ここにいられて幸福な気持ちなの。気持ちよくなれる機会が増えたからってだけじゃないと思う。……だから」
はおもむろにリゾットの手を取り、身を乗り出して彼の手の甲にキスを落とした。
「私はここにいる限り、誓うわ。あなたに絶対服従すると。だから、私のことを好きにしてほしい」
「……かなりの好き者だな。お前は」
「そう?初めて言われた」
はそう言って微笑んだ。笑いかけられた相手が男なら、誰しもが魅了されてしまうであろうその表情。リゾットも例にもれず、彼女の熱、唇の柔らかさ、そして柔和な微笑みを受け、男としての性を自覚させられることになった。