暗殺嬢は轢死したい。

『この女を殺せ。生きていてはいけない女が、まだ生きていた』

 チョコラータがボスからその指令を受けたのは3カ月ほど前の、まだ肌寒い冬の朝のことだった。ボスが彼に医療関係以外の仕事――つまり、誰かを“始末”するように指示することは少なかったのだが、ヒットマンチームのソルベを見せしめに殺すように言われた後すぐのことだった。彼は立て続けに来る殺しの指令に胸を躍らせていた。

 きっと今度も、女が迫りくる死に絶望する、そんな姿を拝むことができるんだろう。とても楽しみだ……。

 ターゲット――――の顔写真を見ながら、チョコラータは口角を吊り上げた。

 チョコラータは高級車を購入するために来店した医者を装い、ターゲットがセールス・レディとして働いているというカーディーラーを訪れた。かなりの腕利きなのか、店舗側にかなり信頼されているらしいが他の男性スタッフを差し置き、いの一番に屈託ない笑顔をチョコラータへと向けて握手を求めてきた。

「どのような車をお探しですか?」

 そう言って店舗の外へ向かう彼女は、とても生き生きとしていた。相当車が好きなんだろう。入れ替わり立ち代わり、ありとあらゆる車が自分の目を楽しませてくれる、そんな環境にいることが至福だと言わんばかりにありとあらゆる車の性能、良点を客にアピールしてくる。売ることよりも、その熱意を伝えることに比重が傾いているようにさえ見えた。チョコラータが嘘八百を並べ立て、架空の人物――まだ医者だった頃の自分に立ち戻った彼――の架空の要望を伝えている間も、彼女はとても一生懸命だ。

 ああ。早く、君が絶望に顔をゆがめるところを見たい……。

 は性的欲求にも素直なタイプのように思えた。実際、彼女の名刺を手に入れたチョコラータからのデートの誘いにもなんの躊躇いも無く乗ってきたからだ。チョコラータにはが最初、よくその辺に湧いている、医者というステータスに踊らされた可哀想な女としか映らなかった。だが彼は、それが全くの誤解であると後に気づくことになった。



06:She's A Rebel



 と夕食を共にした後、チョコラータは自分の家に彼女を招き入れた。酒が足りなかったんじゃないかと言っただけだった。如何にもその辺のナンパ男が使いそうな常套手段だが、誘い方に趣向を凝らす必要もないほど、はすんなりとチョコラータの誘いを受けてしまった。

 家のリビングへと入り彼女をソファーへと座らせ、ローテーブルに高級ワインのボトルとグラスを用意する。酒を注いでやって飲むようにすすめるチョコラータがその酒に何も仕込んでいないわけもないのだが、彼を真っ当な医者と信じ込んでいる彼女に防衛本能など働くはずも無かった。

 目を覚ましたが見たのは自分を照らす蛍光灯の明かりと古ぼけた天井だった。やがて、自身の背面に沿うひんやりとしたステンレスの感触に気付く。眩しいと手で顔を覆おうとしたが、かちゃりと金属音がしたのを最後にそれ以上手は動かせなくなった。どうやら部屋の真ん中にある寝台に寝かされて、手首足首を全て拘束されているらしい。そんな彼女を歪んだ笑みを浮かべて眺める男がいる。その男はまごうことなく、彼女の店に訪れ、車を買うからとデートに誘ってきた医者だった。

 一方、チョコラータはすでに異変を感じていた。普通ならば、拘束された女はこの時点で必死にわめくはずだ。変態だのなんだのと、自分の身ぐるみを剥いで冷たいステンレス製の寝台に拘束したであろう人物を、汚い言葉で罵っているはず。だが彼女にはそんな反応が少しも見られない。あろうことか、微笑みすら見せつけてくる。何かおかしい。

 チョコラータは眉間に皺を寄せた。

「チョコラータさん?私のこと、どう、してくれるつもり?」

 顔の不自然な潮紅は、死を恐怖しての緊張で現れたものではなく、何か別の衝動に根ざした興奮によって発現している。おかしい。なぜこの女は、片手にメスを持ってその艶めかしい体に切り込もうとしている男を前にこんな表情を向けられるのだ。

 チョコラータは混乱していた。今まで自身の猟奇的且つ嗜虐的な欲求を満たすためだけに、その手で幾人もの人間を絶望のどん底に陥れ殺してきた彼だったが、こんな反応を見せる人間は一人としていなかった。

 チョコラータはそんな混乱を振り払うように、ボスからの指令通り彼女を解剖ついでに殺そうとする。柔らかな肌にメスを埋めて腹を裂く。だが、控えめなうめき声が聞こえてくるだけだった。麻酔もしていないのに、何故だ?先天性の無痛症か?だが少なからず痛みは感じているからうめき声を上げているんだろう。メスを滑らせる間、チョコラータの頭は違和感と手応えのなさに困惑を極めていった。

 メスで切り込んだ後、皮を捲って空気にさらした腹部は常人のそれと何も変わらなかった。だからが死なないわけがない。そうだ、常人ならば生きながらに腹を掻っ捌かれて恐怖と痛みでショック死でもするはずだ。

 そう思っての表情を確認したチョコラータは安堵した。確かにはショックで気を失っていた。いつも通り相棒のセッコに殺害シーンをビデオカメラで記録させていたのだが、後に超常現象と言うほかない事象が起こることになった。それはビデオテープに確かに記録された。セッコという証人もいる。チョコラータの見間違いなどでは無かった。

 解剖実験で使われるカエルの様に、見事に臓物を空気にさらしていた彼女の腹部はまるでジッパーでも下ろすかのように傷口を閉じていく。青白く血の気の引いていた彼女の身体には生前のそれが次第に戻ってきて、驚くことに彼女は閉じた瞼をゆっくりと持ち上げてチョコラータを見つめていた。

「……ショック死って初めての経験。……麻酔ってすごいのね。麻酔も無しにお腹を裂かれるなんて、貴重な経験だったわ」

 そのあとチョコラータは、ボスの指令通り、半狂乱になりながらも何とかターゲットを殺そうと躍起になった。殴る、蹴るの暴行。毒殺、凍結による壊死、火あぶり、自身のスタンド能力による腐敗――いろいろと試した。頭部と身体を切り離して、一週間程度放置した時もあったが、結局彼女を殺すことはできなかった。

 彼はが一度死に、元通りになる過程をよく観察した。どうやらこの不思議な現象は、彼女のスタンド能力で間違いが無いようだった。スタンドの姿は目には見えないのだが、おそらく、彼女のそれは彼女の体細胞の一つ一つに取りついているのだ。殺した後離れ離れになった体の組織は、まるで海の表面を漂うスカムの様にゆっくりと、そして着実に大きな集合体へと、皮膚、血液、肉片の全てが集まっていく。恐らく、肉体的な死が彼女を襲うと、細胞レベルで生かされるのだ。事実、チョコラータが頭部と身体を切り離した時、頭部は頭部で生きていて、体は体で生きていた。切り口から血液がしたたり落ちることすらなかった。信じられないことだったが、彼はふと、死なないと発動しないスタンド能力を持つものが親衛隊の中にいるという話を聞いたことがあったので、あり得ないことではないと思いなおした。彼は生命エネルギー、精神エネルギー、それは人類が計り知れない、とんでもないエネルギーなのだと、痛感することになった。

 の精神は死を望んでいる。正確には、死で得られる快感を求めている。それを望むあまり、何度でも死にたい、だから何をされても死なない。皮肉なことに、死を求めた結果、求める死とは真逆の生を己が精神に与えられているのだ!

 研究対象としては、面白い。だが、彼は自分が望むものをどうしても手に入れられない今の状態を、心の底から気にくわないと思った。

 とても気分が悪かった。チョコラータにとって、他人を自らの手で死に追いやることは自分が生きていると実感できる唯一の手段で、他人の生命を自分が好きにできることこそ、彼の悦びであり、生き甲斐だったのだ。ついさっきまで生き生きとしていた人間が、自分の死を悟り絶望したその瞬間の表情を見ると最高に満たされた。その悦びを、には完全に奪われた。彼女には敗北するしかなかったのだ。

 ……なんて、面白くないんだ。彼女は反逆者だ。死を望むボスに反逆しているだけではない。死という概念そのものに、神にすらも反逆している。

 そして彼の限界に来た精神は、限界を迎える原因となった女に向かって不満を吐露させてしまう。

「気にくわない。……気にくわないぞ、。お前は、お前はいったい、何なんだッ!!!」
「……私の命を終わらせることができるのは、私だけ。チョコラータ先生。あなたには何をやっても無理。……ああ、でも、すごく幸せだわ。何回も何回も、私を絶頂に追いやってくれた。今度は、どうやって私を殺してくれるの?」



 気づくと、ボスに言い渡された期限が過ぎようとしていた。チョコラータは不覚にも、はどうやっても殺せないと報告せざるをえなかった。そんな報告を受け、ボスが制裁を加えるため刺客を送り込んでくるのではないかと思っていた彼だったが、言い渡されたのは別の指令だった。

を暗殺者チームのアジトまで送り届けろ』

 チョコラータは、彼女が暗殺者チームが根城とするアジトへ向かうのを確認すると夜の闇に紛れた。

 ボスに与えられた仕事は終えた。報酬も受け取った。だが、チョコラータは満たされてはいなかった。を殺すために、自分はこれからどうするべきか。そんな思惑で頭をいっぱいにしながら帰路についたのだった。