霧がかった崖沿いの田舎道を一台のスーパーカーが疾走していた。運転手は体格のいい中年の男だ。心ゆくまで葉巻を燻らせた後だからか、いつも以上に機嫌の良かった彼は流行の音楽を流しながら自慢の愛車で家路を急いだ。急いだからと言って何か重要な用事があるわけではないが、ただ愛車のマフラーから放たれるエンジン音を聞きたいがためにアクセルを踏み込んだ。
彼の屋敷は郊外の広い敷地にぽつんと建っていた。街を抜けて屋敷へとたどり着く間にどんどん人通りと民家は減っていき、家につく寸前にもなればほとんど車とすらすれ違うことが無かった。そんな閑散とした場所に警察が張り込んでいるわけでもなく、実質的には速度無制限のアウトバーンのような道をスーパーカーに乗る彼が飛ばさないわけがない。
流れる音楽のリズムに合わせて、ハンドル上部を右手の人差し指でトントンと叩きながら上機嫌で愛車を転がす男はS字のカーブに差し掛かる。もう幾度となく通った道だ。人なんて絶対にいないのだ。それにこんな夜更け近くだと九十九パーセントの確率で対向車とすらすれ違わない。轢いて野兎。そんな経験則は、進行方向に向けた視界の隅で影を捉えるまで思い起こすことすらなかった。
最初のカーブを曲がり切った先、右手の崖下に流れる川をまたぐアーチ橋のそばで人を見た気がした。生憎、薄らと霧がかっていたので確実とは思わなかった。人がいるという感覚よりも、むしろ幽霊か何かを見たような感じで末恐ろしくなっただけで、彼はスピードを緩めることは無かった。いや、緩められなかった。次の瞬間には、彼の車の前方十五メートルほどのところに、白いレースのワンピースを纏う女の姿が忽然と現れた。彼は生唾を呑み込みとっさの判断でハンドルを反時計回りに回したが、ガンっという鈍い音を響かせた後、道路わきに聳える切り立つ崖の麓に勢いよく突っ込んでしまった。クラッシュした音は峡谷で反響するも、何事かと駆け寄ってくれる民間人は存在しない。駆け寄ったところで、車も運転手も、もうどうしようもない状態なのだが。
「ああ、もったいねーな。いい車がぺしゃんこだぜ」
「こりゃターゲットもしっかりぺしゃんこだろうなぁ」
「おお~。メローネが言った通りだ。ハンドルはちゃんと左に切りやがった」
「それよりだぜ。あいつの様子を、しっかり見てねぇとよ」
事故現場を崖上から事もなげに眺めていた暗殺チーム一行は、潰れて黒煙をあげるスーパーカーの後方に目をやる。普通の人間であれば全身骨折、内臓破裂、最悪肉や臓物があたりに飛び散ってしまうくらいの衝撃だ。死なない、と言うよりも、どんなに体が損傷しても生き返ることができると本人の口からは聞いたが、いささか信じがたいと彼女の発言を疑いながら一行は眼下に目を凝らした。
の身体もご多分に漏れず、なかなかの損傷具合だった。血はあたりに飛び散り、足は片方があらぬ方向に曲がり、衝突時にフロントガラスに顔面から胸部までを強打した為か出血が著しい。柔らかい腹部は衝撃に耐えきらず破裂したようになり、はらわたはあたりにまき散らされていた。
「……ひでーな」
プロシュートが冷や汗を流しながらまじまじとその様子を見る。街で猫の轢死体を見ることにすら抵抗のあるペッシはこらえきれず、集団から離れ胃の内容物を全て吐き出していた。
「見てみなきゃわからねーって話だが、これマジに生き返るのかよ?」
「ありゃぁ……さすがに修復不可能なんじゃあねェか?」
彼女が車に轢かれてから一分が立とうというときだった。彼女の一部であったものが、まるで意思を持つ生物か何かのように、彼女の大部分が残るアスファルト上に集まっていく。大腸はまるで蛇のように。血は小さな蟻のようにぞろぞろと粒になって。明後日の方向に曲がった足は、カマキリが手を振り下ろすようにゆっくりと、元の正常な形へと戻っていく。
ただの肉塊と化していた彼女が、元の正常な姿へと戻っていくという普通ではあり得ない現象を目の当たりにして、一行の口数はどんどん減っていく。10分ほどかけて四肢を動かせるまでに回復した彼女は、ゆっくりと頭をもたげた。どこか恍惚とした表情で天を仰ぐその瞳には、つい最近仲間になった者たちの姿など誰一人として映していなかった。
「ああ、このまま死んじゃえばよかったわ」
仲間には聞こえないようにぼそっと呟くと、彼女は気だるげに立ち上がる。膝を払って砂を落とし、身に着けていたワンピースを見ると、当たり前だがボロボロだった。
「服も直してくれたらいいのに」
がそうぼやいていると、頭上から甲高い声が降ってくる。
「おい!今ギアッチョが迎えに行ってるからよぉ、そこで待ってろよな」
は、あ、そういえばみんな上で見てるんだったわ。と崖の上を見やった。彼女ははーいと声を上げながら手を振る。程なくして、ギアッチョがメローネを乗せた赤いオープンカーでの傍までやって来た。
「で?私、どこに乗ればいいのかしら。この車ツーシーターよね」
メローネはいったい何を言っているんだと言わんばかりに、とんとんと自分の膝を叩いて座れと言う。ナミはうーんと唸りながらギアッチョに視線を向け助けを乞う。
「おいメローネよォ……。オレはさっさと帰って寝てぇんだよ……。そこ退け?」
「扱いが酷いんじゃあないか!?彼女がオレの膝の上に乗れば済む話だろう!?」
「てめーアホか?そもそも二人乗りのこの車でよぉ、迎えに行くのについてくるって言うんで、当然こうなることを予見してたと思ったんだがよォ~~~」
全く言っている意味がわからない。宇宙人と話しているようだという表情で愕然とするメローネだが、彼はギアッチョがキレると車を素手でぶっ壊しかねないということを知っているので、開きそうになった口を噤んだ。そしておずおずと狭いトランク上部へ移り、振り落とされないよう助手席のヘッドレストを取っ手の様に掴んだ。
「それにしてもほんと、あなた残酷なこと考えるわよね」
はやっと空いた助手席に座り、ため息交じりにそう言った。
「殺しは初めてかい?」
「いえ、そうじゃなくて。せっかくのいい車が台無しじゃない」
「そっちかよ!おめぇの感性のほうが残酷だわ!!」
つい突っ込みを入れてしまったギアッチョは、アジトへと戻るために車を切り返す。バックする際、助手席のヘッドレスト裏に腕を回し後方確認しようと首を右に振った時、と目が合った。
「ギアッチョ、これもなかなかいい車ね。日本車でしょ?マツダのユーノス・ロードスター」
「ああ。女のくせに、良く知ってんなおめー」
「私、昼の仕事が輸入車専門のセールスレディだから」
「へぇ。枕営業でもしてるのかい?」
「メローネ。デリカシーって言葉知ってる?」
「そんなことより、。君、服がぼろぼろだ。着替えたらどうだ?」
「んー。ここで?車走り出しちゃったじゃない」
「別にオレは構わないぞ」
「たとえこれがオープンカーでなくても、私が構うわ」
まるで人ひとり殺したことなど無かったかのように和気あいあいとした雰囲気で、三人はアジトへの帰路についたのだった。
05:MEGADEATH
「お前のスタンド、名前つけてんのか?」
翌朝、今回成し遂げた仕事の報酬についてチームで集まって話していたときのことだった。ホルマジオがなんとなしにへ疑問をぶつけた。昨夜彼らが目の当たりにした超常現象はスタンド能力に他ならないのだが、肝心のスタンドの姿が確認できなかったことから浮かび上がった疑問だった。
「私は彼女のことをメガデスと呼んでいるわ」
メガデスとは、百万の死を意味する軍事用語だ。転じて、百万回彼女を殺してくれる能力だ。と、は補足する。自身のスタンドを“彼女”と呼ぶのは、彼女が肉体的に死んでいる間に暗闇で声がするのだが、その声が自身の声に酷似しているからだった。実際に彼女がスタンドの姿を確認したことは無かった。
「彼女は、目を覚ましなさい。死せる人よって語りかけてくるの。そして、まるでゲームオーバーになったプレイヤーに語りかけるように、私にコンティニューするか尋ねてくるの」
「それで、イエスと答えれば元通りってわけか」
「ええ。その通りよ」
「一体全体どんな精神修業積めば、猛スピードで突っ込んでくる車にぶち当たって一度死ぬって心に決められるんだよ……」
プロシュートは信じられないと思った。は確かに言ったのだ。痛みは感じると。別にそのスタンド能力で全身麻酔の様なものを出しているわけでもないのに、なぜそう簡単に身を挺して轢死体なんぞになれるのだ。と。
プロシュートは自身のその発言が、彼女の猟奇的な性質の核心を突いくきっかけになったのだと後に知ることになった。
「……ねぇ。プロシュート。知ってる?人って、死ぬときに脳内ドラッグで最高に気持ち良くなれるのよ?」
「知らねぇな。死んで生き返ったことねーからな」
彼女は頬を染め、火照ったそれを両手で覆いうっとりとした表情で訴える。
「私はその快感を知ってしまったのよ。例えるなら、そうね……それは、セックスで得られる快感の百倍から二百倍ってところかしら。生き返ることができるなら、私は毎日でもイッちゃいたい気分なの。だから私を雇ってくれたボスにはとても感謝しているわ。表の仕事しかしてなかったら、私のこんな性癖絶対に表に出せないもの。だから今回の成功報酬は私以外のみんなで山分けしてね。ご褒美は、あの素晴らしい車の太いタイヤに弾かれて死ねたということと、あの最高のオーガズムだけで十分だから。それじゃ、私仕事があるから出るわね」
そう言って彼女は、小さめのハンドバッグを持ち立ち上がり、カツカツとピンヒールを鳴らしながら颯爽とアジトを後にした。
まるでお通夜のように静まり返ったリビングルームには、信じられないが以外のヒットマンチームのメンバー全員がソファーに腰掛けている。誰もがあまりの驚愕に一言も発さなかったが、彼女の発言にあったある一つの単語から、が快感によがる姿を想像した者は多かった。
「とりあえず、報酬は山分けだ」
リゾットがそう言って沈黙を破るまで、男たちの妄想は続いた。