祖国発遊侠青春珍道中

 露伴はの視線を感じて目を落とした。スピーカーから微かに漏れた声から只ならぬ雰囲気を感じ取ったのだろうか。彼女は眉間に皺を寄せてじっと音が聞こえてくる場所を見つめている。すると露伴はスピーカーフォンに切り替えて、に会話の内容を聞かせ始めた。

 露伴がそうしたのは、トニオへ何か災難が降りかかるとしたら、どう考えても由来の何かとしか思えなかったからだ。別にだからと言って彼女を責め立てるつもりなどなく、ただ当事者が聞いておくべきと判断したからに過ぎなかったのだが、傍から見れば彼の表情は険しかった。何か非難がましい感じがして、この時点からは多分な罪悪感に駆られ始めていた。

 携帯電話の文字盤にうつる『トニオ・トラサルディ』の文字。見たとき、彼女の想定は確信に変わった。聞こえてくる声の主は――ヤマトだ。

 スピーカーフォンに切り替えられる前から漏れていた声音から想定していた相手はのかつての同僚だった。そいつが、トニオ・トラサルディ――つまり“一般人”を巻き込むという禁じ手に出て脅しをかけようという魂胆であることにも、話を聞かずとも容易に察しがついた。
 
『――露伴さんッ! 私のことはご心配なさらないでくだサイ! 大丈夫、大丈夫デス――っと、トニオ・トラサルディは言っている。まあ、別にオレはどっちだって構わないんだ。あんたがを探して居場所を教えてくれないってんならオレがそっちに探しに行くだけだしな。んで、オレは腹癒せにそっちの――イタリアの――トラサルディもぶち殺す。特に期限は決められていないから、ゆっくりやるよ。観光だってしたいしな。……ただオレの代わりに探してくれると手間が省けるし、協力はやっぱりほしいんだよなァ。ほら、オレってイタリア語話せないしさ。オレが探してるオンナの命と、あんたが日々の糧として重宝してる料理の作り手の命と、どっちが大切かって天秤にかけた時に、果たしてそのオンナに助けるほどの価値があるのかってことはきちんと考えた方がいいと思うんだよな』

 は鬼の形相だ。けれどそのさなかにも器用に下唇を噛み押さえつけて、声を上げないようにと必死だった。露伴はの自制心を見て取り感心した。

 今ここで怒りに任せて彼女自身の口から「かかって来い、いつでも相手になってやる」などと啖呵を切らせる訳にはいかないからだ。

 この店でと再会してすぐに対峙したその時、露伴は彼女に対しひとつの違和感を覚えた。それは最初こそから何かが欠けているという漠然としたものだったが、ヘブンズ・ドアーが彼女ににじり寄れば寄るほどにそれは明確になっていった。違和感の正体は、彼女から刀そのものと一緒に威勢やら気迫といったものが消失していることだった。

 怖いものなど無いとでも言わんばかりの凛々しく気高い眼差しは、儚くか弱い乙女のそれに変わっていた。出会った当初の彼女ならヘブンズ・ドアーの前から颯爽と逃げ去るか、いともたやすく露伴の背後を取って刃を喉元に食い込ませていただろうに、今の彼女ときたら木の葉のように震え背中を壁に押し付けるばかりだった。

 刀さえあればこうはならなかったであろう。いや、そもそも露伴は、彼女が刀を持っていれば「中を見せろ」と迫りもしなかったかもしれない。つまり彼女は今、危ういのだ。この好き勝手を喋り散らかす無礼な青年――声からして、と同い年か少し下かといった感じがした――が何者かを露伴は知らないが、どういう輩かはおおよそ想像がついた。刀を振り回し闇を暗躍していたらしいの同業者が、浮世で真っ当な仕事に就いて真っ当に生きているはずもない。……と言うか、協力しなければトニオを殺すと脅迫している時点でそうなのだ。そんな輩とを、今の状態で迂闊に対峙させるわけにはいかない。

『てか、考えるまでもないだろ?』
「時間をくれないか」
『ふん。……どれくらい?』
「1週間」
『長いな。そんなにかかるのか? 3日で』
「無理だ」

 は直ぐ側にいるが、彼女が敵を迎え討つ準備を整える――彼女自身がそうすると言った訳ではないが、そうせざるを得ないだろう。(露伴に対しては)つっけんどんなだが、これでも情には厚いし義理を蔑ろにするようなタイプでもない。まさかこの話を聞いておきながら、トニオ・トラサルディとアントニオ・トラサルディという恩人ふたりを見捨てるような真似をするはずが無い。少なくとも露伴はそう信じていたし、だからこそ彼は杜王町で彼女を助けたのだ――ための期間は長いに越したことはない。

は誤送されたんだ。その話はトニオから聞いているだろう。パスポートも何も持たずに日本を出たんで簡単にイタリアから出る事はできないかもしれないが、それでも捜索範囲はイタリア全土――ほぼ日本本土と同じ面積だぞ――に渡る。三日三晩でどうにかなる広さじゃあない」
『効率的にやれよ。運送会社はトニオに知らされてんだろ?』
「分かっているさ。ボクをバカにしないで欲しいものだな。とは言え、君。逃走中の彼女が誤送先に大人しく留まっているはずもないだろう。そこから順繰り辿っていかなくっちゃあならないかもしれないんだぞ」
『なら5日だ。でも3日後に進捗状況の報告が欲しいな』
「構わない。連絡先を――」
『オレからあんたにかけるさ。それじゃあ、頼んだぜ露伴先生』

 こうして名すら名乗らなかった正体不明の敵との通話は終了した。

「ところで

 露伴は携帯電話をポケットにしまいながら言った。

「君、刀はどうしたんだ」
「失くした」
「失くしただって? あれは大切な大切な婆さんの形見なんだろう?」
「……正確に言うと、杜王町に来る前から失くしてた」
「いや、確かに大事そうに持ってたじゃあないか」

 露伴が人差し指を突き出してそう指摘すると、は自分でもまだ信じられないとでも言うように視線を脇へ逸らし、悲しげな、小さな声で応えた。
 
「本物じゃなかったみたい。みんなはスタンドだったんだって言ってた。あの、あんたがさっき出したのと同じ“幽霊”だって」

 露伴はすっかり肝を抜かれてしまったような顔でしばらくを見つめていた。

 彼女が携えた刀はあまりにもリアルだった。それがスタンドだなどとは露にも思わなかった。だが気付けなかったのはあり得ないことでは無いとすぐに思い至った。トニオも露伴自身もスタンド使いなのだ。スタンドを見ることができる素質を有している。だから、スタンド能力で具現されたらしいの日本刀を――一時たりとも姿を消すことなく存し続けていたそれを――実在する物と疑わなかったのだ。

 けれど、それならそれでまた別の疑問が浮上してくる。スタンドならまた出現させればいい。露伴がさらにそう指摘するとは首を横に振って言った。

「出なくなった」
「そんな、突然さっぱりほうきで飛べなくなったどっかの魔女っ子みたいなことを言われてもな」

 その魔女っ子が出てくる虚構の物語の脚本通りなら、原因は――

。……何かあったのかい?」

 ――この変態野郎だろう。にわかには信じられないが、この露出癖でもありそうな服を着た、そして恥ずかしげもなくラヴドールの箱を抱えその影から顔を覗かせて恋人の様子を心配そうに伺う変態にが恋をしたからなのかもしれない。なんの根拠も無いが。……ああ、信じられない。

「日本でお世話になった人を殺すって、元同僚から電話があったの」
「日本でお世話になった人って、前に言っていたトニオ・トラサルディって男のことかい?」
「うん。その人が日本に構えてる店に乗り込んできたみたい」

 その後は現状と元同僚がどんなヤツなのかについて説明し、メローネと共に部屋へ戻って来たオーナー・シェフ、アントニオ・トラサルディに向かって深々と頭を下げた。

「絶対に、あなた達にはこれ以上ご迷惑をおかけしないと誓います」

 その言葉を聞いた露伴がすぐに指摘した。
 
「いいや、待てよ。どの口がそんな戯言を言ってるんだ?」

 厳しい口調だった。は反駁の余地なしと押し黙り、代わりに歯噛みして露伴の追求に耐えた。

「君は今、敵を迎え討つ手段を持たないだろう。そして察するに、さっきのヤマトってヤツは戦闘において君と同等かそれ以上の能力を持っているはずだ。そんな状態で一体どうやってトニオやアントニオさんを守るなんて言えるんだ? 約束なんかできないはずだし、これは人の命に関わる問題だ。その場しのぎに嘘で誤魔化すなんて許されることじゃあない」

 やはり反駁を加える余地は無かった。歯がゆいことに露伴の言う通りなのだ。トニオやアントニオという“一般人”――ここでの頭の中で自然に露伴の名が連ねられなかったのは、彼が一般人と言うにはあまりにも突飛な存在だからだろう。日本では名の通った有名マンガ家だし、スタンド使いだし、ヘンタイだし、一般人ではないと結論づけられていたのだった――を命の危機にさらして始めて、自分が犯した“過ち”のその重大さに気付いた。

「私、どうすれば……」
、大丈夫。オレ達に任せ――」

 メローネがそう言っての肩へ手を伸ばした途端、手が触れるより先に露伴が彼女の両肩を両手でがっしりと掴み、近くの壁に背中を押し付け半ばのしかかるようにして迫った。

 こんなスキだって、前に会った時は少しも見せなかった。か弱い女子を虐めているような気分になってくるのが不思議で気分も悪い。だがこれは、僕にとってはチャンス以外の何ものでもない。

「ボクと取引きをしないか」

 には露伴が自分に何を引き換えにさせようとしているのかが分かりすぎるくらいに分かった。だが邪魔をせずに最後まで言わせることにした。

「トニオやアントニオのことは心配するな。ボクが命をかけて守ると誓おう。その代わり――」

 露伴は鼻先同士が触れ合わんばかりに顔を近付け、の瞳をじっと見つめて続けた。

「――トニオやトラサルディの命に危険が及ばないまま無事に今回の件が済んだら、君の中を、君の過去を、君の誕生から現在に至るまでの軌跡を全て、僕に見せてくれ」

 やっぱり、そうきたか。

「なりまセン!」
 
 いささか時代錯誤な言葉遣いの日本語でメローネが叫び、それと同時にふたりの顔の隙間に右手を差し込み岸辺露伴の顔面を鷲掴みにしながら、愛する女性の目の前から男を払い除けた。

「……。君の過去を、君のすべてを知るのはオレだけでいい。いや、オレだけでなくっちゃあならないんだ。オレは君のこと全てを、これから先何年も何十年もかけて、ゆっくり、じっくりと知りたい。それなのに、こんなぽっと出の訳の分からん男に――」
「訳が分からんってどういうことだ。おまえついさっきまでボクのサイン欲しがってただろ。と言うか、おまえの存在の方が理解不能だッ」
「――一瞬にして知られたくなんかない!」
「うん。でも、メローネ。私は……あなた達に迷惑をかけたくない。ただでさえお世話になってるんだもん。これ以上、誰かを危険にさらすわけにはいかないよ」

 は露伴との間に立ち塞がるメローネの肩を優しく掴んで退けると、露伴の目を見て――いや、半ば睨みつけるようにして――言った。

「いいよ。岸辺露伴。約束する」
「よし。交渉成立だな」

 露伴は手を差し伸べた。はそれに応じる前に言った。

「ただし」
「ただし、だと?」
「私もあいつが――ヤマトが何か行動を起す前までに力を取り戻す努力をするし、ヤマトに対処したらその後すぐに刀を取り返しに日本に帰る。岸辺露伴。あんたが大して役に立たなければ――もとい、あんたの手を煩わせる前に私が力を取り戻したら、その時は私の内面はあんたに読ませない。全力で抵抗するから。……ていうか、無理だね」
「何がだ?」

 は自信満々に続けた。

「だって私が力を取り戻したら、あんたは私に近寄ることすらできない」
「ふん。面白い。……せいぜい頑張れよ。それに、ボクが守ると言ったのはトニオとアントニオさんの二人だけだってことを忘れるんじゃあないぞ」
「ならなおさら、早いとこ力を取り戻さなくちゃだね」
 
 露伴はどこか楽しげだった。全て終わった後にを追い回し、スキをついてやるのもまた一興と思ったのだ。楽しげな彼は珍しく友好的な態度をとって見せた。取材用の小さな手帳とペンを胸の内ポケットから取り出して何やら走り書きをすると、そのページを引きちぎってへ渡した。
 
「ボクの携帯電話の番号だ。何かあったらここへ連絡しろ。そして、何か相手方に動きがあればおまえに連絡したい」
「メローネ。あなた、携帯電話を持ってるよね。岸辺露伴に電話番号教えてもいい?」

 メローネは少し思案した後、他でもないのためと思い頷いた。一応、自分がギャングで暗殺者であるという面から、万が一電話番号が流出したら……などという雑駁な心配ごとが頭をかすめた。だがまあ、面倒ではあるが対処法が無いわけでは無いと結論付けたのだった。

 こうして電話番号の交換を終えると、露伴は街の雑踏の中へと消えていった。そしてはアントニオへ深々と頭を下げた後、店の裏口から出てアジトへ戻ることにした。裏口のドアノブに手をかけた時、彼女はメローネの手元――ほぼ全裸の女が破廉恥な格好をしている様が描かれたイラストを装ったままの、例のブツが入った箱――を睨みつけて言った。

「それそのまま持ち歩くつもりなら、私と並んで帰るのやめてよね」



13: No Way Out



 一騒動を終えアジトへ戻ったとメローネのふたりは、他数名のチームメイトと共にリビングで酒を飲みながら団らんしていた。すると、車のキーをじゃらじゃら言わせながらギアッチョがリビングへ入ってきた。メローネは彼の姿を見て、お、と呟くと、ソファーの背もたれから身を乗り出し、リビングの壁際に置いてある箱――そこそこの大きさで、古新聞で包装されている――を指差して言った。

「なあギアッチョ。それ、いらないか」
「ああ?」

 ギアッチョはメローネの指が示す先を見るなり箱へ近寄ると、箱の側面真ん中あたりにとりあえず靴先を叩きこんだ。

「なんだよこれ」

 箱の前にしゃがみ込み古新聞を引き剥がすギアッチョ。その様子を見守るメローネとホルマジオ、そしてイルーゾォの3人は声を出さないように努めながらニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。やがてガサガサという物音は消え、ギアッチョが硬直する。耳を真っ赤にした後おもむろに立ち上がると、腰を折って箱を抱き抱え振り向いた。

 その顔は怒り一色だった。眉はいかり、目は吊り上がり、口は不自然に歪み、これ以上無いという程の怒りに満ちていた。一瞬の内にリビングが桁外れの冷気で満たされ、彼が抱える箱は空気中の水分だったものが氷結した氷の膜で覆われた。おそらく中身もカチカチに凍りついているだろう。ギアッチョは抱えた箱を頭上に掲げ、メローネに狙いを定めた。そして、逃げ出そうとソファを乗り越え始めたメローネに向かってそれを投げながら怒号を飛ばした。

「いるワケねええェェェエエエッ!!」
「フガッ」

 投げられた箱はメローネの上半身側面に当たり、メローネは衝撃に耐えきれず、箱に押し潰される格好で床に伏した。ギアッチョの怒りと攻撃はこれだけでは止まなかった。今度はメローネの無防備なみぞおちに靴先を叩き込み、一度ならず二度、三度、それ以上と打撃を加えながら物申した。

「心配して頂いているところ大変恐縮ではあるがなァ、あいにく間に合ってんだよ!!」
「嘘つけよギアッチョ。おまえオンナいねぇって言ってたじゃあねーか」
「んなクソくっだらねぇこと覚えてんじゃあねーぞこのスケコマシのクソ坊主がッ! 特定のオンナとしか寝ちゃいけねーって法律はねぇ!」
の顔見てみろ。日本じゃありえねーらしいぞ」
「フケツです。オンナの敵デス、ギアッチョ。マジアリエナイ」
「ほんとそれな」
「ちょっと待てクソマジオッ! おまえこのシリコン人形作ったオンナと寝たんじゃあなかったか!? どの口がほざいてやがんだボケ」
「おまッ、何もちゃんの前で言わなくてもよくねー!?」

 男という生き物にはほとほと呆れてしまう。きっと脳味噌の機能の内半分が下半身の棒に移譲されているのに違いない。皆が皆そうとは思わないが少なくとも、ここにいるメンバーの大半がそうなのだとは思った。

 メローネも例外ではない。も、というかメローネこそその最たる例だ。いや、最たる例だった、という方が正しいと最近は思えていた。薬を盛られて以来、ふたりの信頼関係は時を追うごとに深まっていったという実感があるし、距離こそ近いもののやたらめったらに襲おうという意思は感じない。

 きっと愛なのだろう。

 は男達が見せる賑わいに微笑した。ただ、笑っていられるこの環境に安堵した。と、同時に気付いてしまった。メローネからの愛情が感じられる程に、底なしの安心感に包まれる程に、自分が弱くなっているということに。

 孤独だからこそ、力を求めた。頼れるのは自分だけだと信じて生きてきた。その信条が揺らいでいるような心許なさがの胸をざわつかせていた。