岸辺露伴は捜さない。
彼が探すのは「作品にリアリティを生む体験」であり、普段はほぼ、ただそれだけのために自身の能力を使う。故に、行方不明で心配だからと人は捜さない。例えその能力が人捜しに適しているとしても。
とは言っても、彼は漫画家の前にひとりの男であり、ひとりの人間であった。女は守るべき存在だという大抵の男が持つ倫理観、義理や人情などと言ったものと全くの無縁でいられるほど冷血漢でもない。それに、彼には他の思惑もあったので、仕事を早く終え、十分な休暇を取得しイタリアはシチリア島を訪れていた。
はシチリアにはいないだろう。露伴は何となくそう思っていた。では何故彼はシチリアの地へ降り立ったのか。それは紛れもなく取材のためであった。ノルマン王宮のパラティーナ礼拝堂の天井一面に、小石やガラスの破片を用いて描かれたモザイク画があるのだが、美しいそれを模写するために来ていた。どうやら所定の場所に着いていないらしいという女を捜すのは、彼にとって急を要する話では無かった。
しかも、その捜すべき女というのはヤクザのお抱え暗殺者で武芸に秀でたならず者ときている。そんな女、捕まえて日本の警察に突き出すためというならともかく、何だって心配だからって行方を捜さなくっちゃあならないんだ。と、思っていたりもする。けれど、のことを大変気にかけているトニオ・トラサルディに頼まれたことだ。トニオの料理は美味いどころか、日々の仕事で蓄積した肉体的疲労を回復するのに有用なので、彼との関係は壊したくない。要するに、露伴にとっての命の心配は二の次三の次なのだ。
しかしながら、トニオが言っていたことは少し気がかりだった。何やら近頃、ナポリの治安がすこぶる悪いというのだ。それが――一体どこの物好きが吹聴したのか知らないが――パッショーネというギャング組織に増産されたスタンド使いによる悪事がほとんどなのだという。がいくら武芸に秀でていようと、スタンド使いには――まあ、能力の種類にもよるかもしれないが――太刀打ちできないかもしれない。何と言っても、幽霊は刀で斬れない。その一言に尽きる。の命に関わるような心配の種といえば、それくらいか。さすがに死なれるのは困る。
午後じゅう礼拝堂の金色に輝く東壁を照らしていた陽の光はゆっくりと傾いていった。そして露伴がスケッチを終えた頃には丁度、礼拝堂の中が薄闇で満ちた。一息ついてスケッチブックを閉じると、彼は空港へ向かった。
しょうがないから、ナポリに行ってでも捜してやろう。……だが明日からだ。
今日の内にナポリへは行くが、それは夕食のため。はどこまでも、岸辺露伴に心配されない女だった。
11: Like a Rolling Stone
たまには一人で外に出たいというの要求を呑んだふりをしてこそこそつきまとう男、メローネ。彼は今、彼が購入したラブドールが眠っているはずのレストランを物陰から覗き見ている。
彼が再びこの地に戻ることになった経緯を話そう。
愛すると部屋を分かたれてからというもの、メローネのセクハラまがいな言動や彼女への愛情表現は、皆の予想通り過剰の一途をたどっていた。とメローネはどこへ行くにも一緒。何なら最近は仕事にだって一緒に行く始末だ。もちろん、これについてはメローネがにつきまとっているというのではなく、がメローネとギアッチョの仕事ぶりを見て学ぶためなのだが、要するに、オンもオフも、自室にこもっている間以外は常にメローネの目が付き纏うというわけだ。
好きあっている同士だから、嫌悪感を抱くほどでは無い。けれどはたまには、外でひとりの時間を過ごしたかった。だから彼女はメローネに言った。
「これから私のことをひとりにしてくれたら、帰ってきてからキスしてあげる」
この一言にメローネはほいほい釣られて、を自由にした。と見せかけて、狡猾なことにそれはふりでしかなく、実のところメローネは、に発信機と盗聴器を仕掛けていた。まさかメローネが、武器ひとつ持たず、スタンド能力も発動できない“か弱く可憐な”にひとり夜の街をそぞろ歩かせようなどと思うわけが無かった。
「外でひとりでご飯食べてみたいんだよね。ね、ちょっとお金貸してよ」
「ああ。君のためならいくらでも出すよ。でも頼むから、怪しい店の近くの薄暗い路地裏とかに入り込んだりしないでくれよ。あと、絶対に変な男について行ったらダメだからな!? 絶対だぞ!」
全世界変な男筆頭にそう言われながら金を渡されたが財布を取り出し札を仕舞うすきに、メローネは仕込みを済ませた。発信機はを見失った時用で、盗聴器は話をよく聴き現状を知る用である。そこに自身の尾行が加われば、の安全は保証されたも同然、と彼自身は思っていた。
他の皆に言わせれば、メローネがついていたところで近くに女がいなければ敵への攻撃すら叶わないし、いた所で所謂ジュニアが使えるようになるまで時間がかかるので、彼の護衛などあって無いようなものだ。そもそも、やたらめったら仕事関係なしに一般人を殺すな、とリゾットから釘を刺されているので、総じてメローネは使えない。に次いでアジトを出ようと背を向けたメローネの背中に、の心証が悪くなるだけだから止めとけストーカー、という助言を皆が吐いたが、に心を狂わされているメローネが聞き入れるはずも無かった。返事はひとこと。
「行ってくる」
恋は恋する人間の目を盲るばかりか、難聴にまでするのだろうか。全く答えになっていない返事に、アジトに残る暗殺者たちはやれやれと首を横へ振った。
はナポリの夜を行く。談笑しながら歩く陽気な人々とすれ違い、身を寄せ合いキスを交わす恋人たちの脇を通り抜け、交通量の多い大通りを渡り繁華街へ。きらびやかで楽しげな雰囲気。周りの人たちは、自分が暗殺者だなんて知らない。これはこれで、居心地がいい。
歩道の隅に立ち止まって物色しているような数名の男の目が、軽やかに歩くを追った。少しだけ小柄で愛らしい女をだ。そのうち数名が、彼女を今夜の相手にしようと言い寄ったが、はにっこりと笑い、約束があるからと言って断った。幸い、しつこく付き纏う男はいなかったので、嘘に嘘を重ねた挙句怒りをあらわにして手を出すまでには至らなかった。平和な夜だ。
は歩く内にふと、メローネに教えてもらったとあるレストランのことを思い出した。配送業者の手違いが無ければ辿り着いていたであろうレストランだ。そもそも、あてがあってアジトを出たわけでは無かったので、店のことが頭に思い浮かんだその時から、彼女の足は自然とそちらへ向いていた。
もしも手違いが無くて、トニオ・トラサルディーの叔父が経営するレストランに着いていたら、どうなっていただろう。
きっと今とは180度違ったであろうもう一つの人生を想像するのも楽しいかもしれない。そう思って、は店の敷居をまたぎ、窓際のテーブル席に座った。
必要なところにだけ配置された電球色の照明。静かで穏やかな、耳に心地よいBGM。こぢんまりとした店内では、2、3名のウェイターがゆったりとした歩調で動いていた。渡されたメニューを開いてすぐに――ここのおすすめはスパゲッティ・ペスカトーレらしい。温かみのある手書きのイラストで、トマトソースが絡んだスパゲッティに、大きないかの輪切りやムール貝、アサリなどのシーフードが混ざっている様が描かれている。美味しそうだ――料理を注文し、しばらく店の中の様子を見たあと、窓から外の景色を眺めていた。
一面石畳の通り。人も車もゆっくりと店の前を通り過ぎていく。が、ひとりだけ、あからさまに周りの人と歩く速度が違うのが窓に向かって左からやってきて、の目の前を一瞬にして通り過ぎた。そしてその男は店に入ってきた。出口付近に立ち止まり、あたりを見回す男。どこかで見たことがあるような……気が……いや、気のせいじゃない。
き……岸辺、露伴!?
周りはほとんど現地人。これまで日本人と思われる顔をした人間はを除いて他にいなかった。見間違うはずもない、あの珍しいデザインのヘアバンドに、人を寄せ付けない、偉ぶった――弱冠18にして週刊誌でマンガを連載しはじめた神童と呼ばれた人間なのだから、そうなるのも仕方がないかもしれない――顔。そして、日本人にしては背が高く、すらっとした出で立ちをした……いけ好かないうぬぼれ野郎兼超わがままジコチュー男、岸辺露伴だ!
が杜王町で世話になった、知る人ぞ知る日本の漫画家、紛れもなくその人であった。彼はウェイターが来るまでの間に店内を見回した。は呆けた顔で彼を凝視していたので、露伴の方も彼女の存在に気付くことになった。気付くなり、目と口を真ん丸に見開いて息を呑み、お客様どうかされましたか、と訊ねるウェイターに構わずの姿を凝視する。次にお客様、と呼びかけられた時に露伴は、の座る席を指差して、あすこの席に座ってる女の連れだとか何とか言った後、彼女へ近寄った。
「き……岸辺露伴! あ、あんたが、どうしてここに!?」
「何だって? ……まったく、ご挨拶じゃないか。ボクが一体何のためにここに来たか分からないってのか? あー、ここってのは、このレストランのことじゃあないぞ。つまり、この国にってことだ」
「取材でしょ」
「ん……まあ、そうだな。ついでに、君のことを探して欲しいという無理難題をトニオに押し付けられたんで、明日から頑張ろうと思っていたところだよ。それにしても……これは運命だな?」
ぬぅあにが運命だこのスカしたインポ野郎がッ!!
メローネは目を剥いて眼球に血走らせ、レストランの向かいに経つ家屋の壁のレンガを握りヒビを入れた。器物破損だ。そして歩道を歩く内に、角からただならぬ形相で殺気を漏らすメローネの存在に気付いた通行人が、ひっと悲鳴を上げて小走りに逃げていく。
「トニオさんが、心配してくれてたんだね。……悪いことしたな」
「まったくだ。一体今までどこをほっつき歩いてたんだ? 本当なら君は、ここでバイトでもやってるはずだったろう」
「手違いで別の場所に届けられたんだよ。私のせいじゃない」
「それから今までのこと、一から順を追って話せよ」
どこまで言っていいものか。とは悩んだ。自分と同じ暗殺者たちのアジトに居候していることは、きっと伏せておいたほうがいいだろう。そう思って説明を始めようとが口を開いた途端、露伴は待ったと言って右手のひらを突き出した。
「いや、いい。話さなくていい。……見させてくれればいい。君のナカを」
ナカだって!? のパンティの、そのナカのことを言ってるのか!? オレだって見たことないってのに!? あの鉄面皮野郎、生きては帰さねぇ!!
メローネが鼻息荒く、横断歩道もない車道を突っ切ろうとしたその時だった。窓の向こうで向かい合う見知らぬ男との間に、4歳の子どもくらいの背丈をした、万年筆を持った人形が浮かび上がった。それは恐らく、常人には見えない幽霊――スタンドだ。
まずい! が攻撃される! 野郎、スタンド使いだったかッ!! こんなことになるなら、をひとりで行かせたりなんかしなかったのに!!
しかし、メローネが自身の行いを悔いている間に――まさしく一瞬のうちだが――の姿が見えなくなった。
……っ!? はどこだ!?
メローネは息をひそめ、店の外にランダムに置かれた丸テーブルの合間を縫い、ふたりがいた窓の近くへと歩み寄った。窓に向かって左側の壁に背中を付けて中の様子を覗く。すると、部屋の角にへばり付き、鬼の形相で相対する男を睨みつけるの姿が見えた。
「おや。驚いたな。見えるのか、これが」
「あんた、私に何をしようっての?」
「なあに。ちょっと、君の歴史を覗かせてもらおうとしただけさ。別に命を取ろうってんじゃあない」
「信用ならない。私の、歴史?」
「信用ならない、か。それはこっちのセリフでもあるな。……せっかく逃がしてやったってのに、無事でいるかどうか、恩人に連絡のひとつもよこさずに遊び呆けている女の言うことなんか信用ならない。だから、この『ヘブンズ・ドアー』で、君の過去を覗こうとしたのさ。ちょうど――」
露伴の前に料理を差し出した後、厨房へ向かおうとしたウェイターの後ろへ振った腕を引き寄せ――華麗とも言えるような身のこなしで――膝の上で後ろだきにした途端、女性の顔が目と鼻と口はそのままに本のようになった。
「――こんな具合にな」
「何してんの!?」
女性の顔――本のページ――には、無造作に文章がちりばめられている。露伴はページをペラペラとめくりながら、彼女の人生を読み上げる。
「なになに……初潮を迎えたのは12歳の頃。その3年後に両親が離婚。高校を卒業してからはアルバイトを転々としているらしいな。初体験は18の時。アルバイト先の先輩に遊ばれて、ひどい振られ方をしたようだ。今は21で、つい昨日、2年つきあった彼氏と別れたらしい。ふむ……ま、よくある人生と言ったところか。何の取材にもならなかったな……」
能力を使い終え、ウェイターの顔が元通りになったところで、彼女はふっと意識を取り戻した。そして顔を真赤にして慌てるので、露伴はイタリア語で大丈夫ですか? 突然気を失われましたよ。なんて言って、膝の上からウェイターを解放したのだった。
「とまあ、こんな感じなので、別に君に口で説明してもらう必要は無いというわけだ」
「ふざけんな! そんなの、プライバシーの侵害だ!」
「大丈夫。他の誰に言うわけでもない。君の秘密を、外に漏らしたりなんかしない。約束するよ。……ああ、楽しみだな。君の人生だ。きっと普通じゃない。正直に言うと、ボクは取材のことしか考えていなかったんだ。イタリアで君を見つけ出したら、君の中を覗いてやろうと思っていたのさ。実は君と出会ったときからそうしたいと思っていたんだが、あの時はどうもそんな雰囲気では無かったから――」
「誰が好きに見せるもんか」
「なあ、。別に恩着せがましいことを言うつもりは無いが、ボクがいなければ君は日本からイタリアへ密入国すらできなかったんだぜ?」
ヘブンズ・ドアーは、先程の本にその人間の未来などを書き加えることができる。
杜王町の港に停泊していた、イタリアはジェノバへ向かう船の乗組員数名と船長にその能力を使い、がトイレで用を足そうと、食堂で食事をしようと、暇つぶしに船内を探索しようと文句を言わないようにしたのだ。は露伴が能力を発動しているところを見ていないし、「話を通しておいた」と言われただけだった。確かに、ただの貨物船なのに、まるで豪華客船にでも乗っているかのような待遇だったので、今になって思えば不自然だった。イタリア語を学びながら――船員にイタリア人がいたので、会話の練習をしてくれた。あの人もきっと露伴の能力によって洗脳されていたのだろう――40日もの船旅を快適に遂げられたのは、確かに岸辺露伴のおかげなのかもしれない。
「……金なら払うから、勘弁してよ」
露伴は少し顔に怒りを滲ませた。
「ボクが金のために漫画を書いてるとでも思うのか? 金なんか、取材に使えるだけあればいいんだよ。重要なのはリアリティなんだ! 君からなら、それが得られる! それは金で買えるものじゃあない! ボクはそれが欲しいんだ!」
露伴の手がへ向けられる。そしてまた、ヘブンズ・ドアーがその姿を現してへとにじり寄るのだった。