祖国発遊侠青春珍道中

 リゾットには人を見る目というのが養われていている。本人にそういう認識は無かったが、チームメイトの皆は認めていた。

 実際、あの見た目も中身もどヘンタイの一言で片が付くような、どうしようもない社会不適合者――つまりメローネに、暗殺者としての才能を見出したのは他でも無いリゾットである。メローネはどヘンタイであるが故――なのかどうか定かでないが――に、倫理には著しく欠けながらも酷く合理的な論理的思考力と集中力を持っていたので、それはチームに舞い込んできたいかなる仕事においても発揮され、ほとんど参謀のような働きをした。仕事だからやる、というよりも好きだからやる、というようなある種の情熱を持って彼は仕事にあたっているのだ。一般常識として、暗殺の計画に情熱を持つことが良いことで無いのは言うまでもないが、失敗とは即ち死である彼ら暗殺者チームの人間にとっては、生き残ることこそが正義でる。失敗をゼロへと近付けるメローネの思考力は、彼らが生き残るために必要不可欠なものなのだ。

 だがここ最近、仕事へ向けられていたメローネの情熱の大半が、可憐な美しき異邦人――に向けられている。リゾットはそれをあまり歓迎できないでいた。を歓迎していないというより、メローネの浮ついた態度をである。守るものがあると人は強くなるとは言うが、過渡期には注意が必要だ。守るべきものへの愛が迸っている時には、それ以外への注意が散漫になる。つまり、仕事もしくじりやすくなる。この世界では浮かれたやつから死んでいくというのがセオリーだ。チームの皆が家族でリゾットには大切な存在だが、仕事のことだけの話をすれば、メローネのスタンド能力や頭脳に換えは効かないので特に死なれては困る。浮かれるな、という言葉が、熱のこもった眼差しをへ向ける彼の顔を見るたびに口をついて出そうになっていた。

 ところで、は本当に守られるだけの存在なのだろうか、というリゾットが彼女をひと目見たときから思い抱いていた一つの疑問に、昨日答えが出た。

 答えは恐らくNOだろう。リゾットは、昨日ホルマジオやイルーゾォから知らされたの話を思い返した。メローネを彼女から奪おうとした女――何故そうなったのかという事の顛末を聞いて、ベニバラ・エツコなる女の存在を知り、一口に日本人と言っても色々な人間がいるのだな、と勉強になったものだ――に明らかな殺意を、刃を向け、あわや公衆の面前で殺人を犯すところだったと。その身のこなしは、達人の域に達していたという話だった。

 リゾットはやはりの本質を見抜いていたのだ。隠しきれない、“同種”のにおい。可憐で、一見男からの庇護を受けるべくして生まれたような見た目だが、彼女が携える日本刀を振るう場面を思い浮かべると、とてもしっくりときていた。――昨日、その刀を失くしたらしいのだが。

 しかも失くしたという刀は、スタンド能力によって具現されていたものらしいのだ。つまり、はスタンド使いということだ。

 リゾットは実のところ、にチームの一員として働いて欲しかった。いつでもどこでも具現できる日本刀。しかも、刀で人を斬る時に音はしない。隠密行動にうってつけだ。暗殺者としての適性はこれ以上無いというほどである。

 あとは、こちらの指示どおりに動いてもらえるよう、イタリア語教育に力を入れれば――

「おい、どこへ行く」

 リゾットはリビングを横切り、ふたりで出かけようと背を向ける二人組を呼び止めた。の背に刀は無い。いつもの自信に満ちた凛とした佇まいは消え、それこそメローネの庇護無しには生きていけないとでも言いたげな、儚げな目がリゾットの目を引いた。

「ちょっと気分転換に」

 メローネは自分のバイクのキーをちゃらと鳴らしながら答えた。

「そうか。……、戻ったらおまえと話がしたい」

 はリゾットに目を向けて少しの間見つめると、悲しげに顔を歪めて頷いた。何故彼女がそんな反応を見せたのかリゾットには分からなかった。今後の――正規に、暗殺者チームの一員として仕事をしてほしいという――話をしたいだけなのだが。

 メローネとの背中を見送ると、リゾットは一息ついてソファーの背もたれに背中を預けた。

 まだ、という日本人の過去を全て知っている訳では無い。けれど、何かしらの戦闘訓練を受けていて、日本のギャングと関わりがあるのだとすれば、恐らく彼女は堅気の人間では無いだろうと想像はつく。

 美しい女に、汚れ仕事をさせようというのだ。リゾットに罪悪感が無いわけではなかった。けれど世の中は残酷で、適材適所というものがあり、人それぞれ馴染める場所とそうでない場所があるのも、残念ながら事実だ。もしも彼女が拠り所を探してここまで来たのなら、自分たちが拠り所となってやれる。彼女が求めるのであれば、だが。もしも嫌なら無理にとは言わないが、仲間に――いや、オレたちの家族になってくれ。

 リゾットはと、そんな話がしたかった。



09:Be Sweet



 アマルフィの海岸線をバイクで駆け抜ける間、はメローネの腰に腕を巻き付け背中に頬を預け、青い海の水平線を見つめていた。これまでに一度も見たことが無い、どこまでも青く澄んだ美しい海。大きな新しい世界はじわじわとの心に入ってきて、何か言いようの無い、深い感動を覚えさせた。大雑把に言えば、彼女は世界に希望を見出したのだ。

 全てを忘れて、ただその美しさを、母なる海の偉大さだけを感じることができた。けれど、それもほんの一瞬のことだった。

 メローネは海岸沿いにしばらくバイクを走らせた後、駐車スペースに停めた。はメローネに促されるまま先にバイクから降りた。道の反対側が崖になっていて、そこには階段の降り口があった。崖のむこうにはやはり、綺麗な海が広がっている。

「あの階段から下へ降りよう」

 ふと、メローネはイタリア語でに話しかけた。には不思議とそれが嬉しかったので、気落ちしていたはずなのに、心からの笑顔を浮かべてメローネに同意した。階段を下りると、ふたりは浜辺に腰を降ろした。他に人はいない。まるでプライベートビーチにいるような感じだった。人目など気にせず、思い思いのことを吐出してもらおうというメローネの魂胆があってここに来たのだが、とメローネの間には人ひとり分ほどのスペースが空いていた。メローネは敢えて距離を詰めずに、まずはのやりたいようにやらせることにした。

 アジトから片道2時間の道中、ふたりはあまり会話らしい会話をしなかった。腹は空いたか、喉は乾かないか、疲れないか、等といったメローネの気配りに、は首を横に振るか立てに振るかで答え、何が食べたいか聞かれても、イタリア料理にはまだ慣れず、ぱっと思い浮かばなかったので、あなたが食べたいものを、と答えただけだった。

 は心の整理を試みていたので上の空だったのだ。けれど、整理しようにも、他では埋められない空間がぽっかりと空いたままで、結局整理はつかなかった。自分はその穴を埋めるためにどうしたいのか。したくともそれが可能なのか。可能でないのなら、これからどうすべきか。それらが次から次へと思い浮かんだが、結局それらしい解決策が思い浮かぶこともなく、この場に辿りついてしまった。



 メローネが視線を海の彼方へと注ぎながら言った。

「なに」

 返事をすると、メローネは続けた。

「……これから、どうするつもりなんだ?」

 と、イタリア語で。は日本語で答える。それでも会話は成立しそうだった。思い思いに、それぞれがもっとも得意とする言葉で、自分の気持ちを正直に表現することを望んだ。

「刀が無いと、不安で……不安で仕方ないの」

 目の前に広がるのは果てしない青。水平線の先で海と空が一つになって冴え渡る。開けた視界に、足がすくむ思いがした。行く宛は思い当たる。けれど、海の彼方へ今漕ぎ出してもきっと、穴の空いたままの私は溺れるだけだろう。けれど、漕ぎ出さずにはいられない。そんな感情と理性の狭間にいるのだ。

「君から刀を奪った連中は、その価値を分からない人間なのか?」

 は首を横に振った。きっと、分かっている。アイツは私がいずれ刀を取りに戻ると、アイツの元に戻ると踏んでいる。……むしろそのために、アイツは私から刀を奪ったんだ。だからきっと、雑に扱ったりはしないはず。

「なら、焦る必要は無いんじゃないか」

 メローネは言った。を思っての言葉でもあり、自分の望みでもある言葉だった。

「君の目的は、ヤクザ相手に戦ってくれる人間を探すことだ。そこに、君の大切なものを取り返すという目的が重なった。なら、そのうち日本に行かなきゃならないってわけだ。……もちろん、オレは君の助けになることなら何だってやるつもりでいる。君が望むなら、一緒に日本へ行くことだって辞さないよ。でも、今すぐにそうは出来ないだろう。今の君には、使い慣れた武器が無いんだ。この国には刀鍛冶なんかいないしな。そんな状態で敵地へ向うなんて、自殺行為だ」

 は頷いた。かろうじて使えていたスタンド能力とやらもすっかり消えてしまった。どうすればあの力を取り戻せるのか、には皆目検討もつかなかった。そもそも、取り戻せるものなのかどうかすら分からない。

「だからしばらく、この国で英気を養わないか。その内、力も戻るさ。いや、スタンド能力を取り戻す手伝いを、オレにさせてくれよ」
「それはお願いしたいけど……私、アジトから追い出されるんじゃないの」
「え?」

 は抱え込んだ膝をさらに手前へ引き寄せて、太ももと腹をくっつけるように小さくなった。顎を膝小僧より低くして、潤んだ瞳がメローネに見えないようにと努めた。

「一体、誰がそんなことを?」
「……だって、騒ぎを起こしたでしょう。嫉妬に目が眩んで、人を殺そうとした。そんな厄介者、いたら迷惑じゃない。リゾットはきっと、もうアジトから出て行けって言うつもりなのよ。彼の目がそう言ってた」
「はは。リゾットの目は怒ってる時も喜んでるときもまったく同じだし、君の保護監督を担うオレにそんな話は来ていない。それに……そろそろ言うべきかなと、思っていたんだが――」

 は目玉だけを動かしてメローネを見やった。彼は少し言い淀んだ後、意を決した。

「――オレたちの仕事は、暗殺だ。ギャングってだけじゃあないんだよ、実のところは。人殺しなんか……オレたちの日常さ。やりたくてやってる訳じゃあないがね」

 は潤んだ瞳を見開いて、ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。

 そう。やりたくてやっている訳じゃない。私だってそうだった。そうしていないと、生きていけないから、そうなっただけだ。他に生きていく術を、場所を知らないから。

「あなたたちも、そうだったの」

 は言った。

「も、って……ことはやっぱり、。君は暗殺者なんだな」
「うん。……一緒だね」
「ああ。……それなら」

 メローネは体をへと寄せた。手のひらをの背後を飛び越えて遠くへ置いて更に近寄ると、それとは反対の手をそっとの頬へ添えて顔を見合わせ、目と目を合わせた。

 目と鼻の先に、メローネの顔がある。高鳴る心臓の音が聞こえやしないかと心配になるほど近くに。波が反射する光にキラキラと照らされたそれは、普段より一層美しく見えて、はときめきを覚えた。頬を覆う熱は、心地よいんだかただ心拍数を上げていいるだけなのか分からない。どうしてこんなに美しい男に、こんなにも優しい目を向けられるのかも。

「もう、隠し事は無しだ。……君のことを、オレに教えてくれ」

 熱っぽい囁き声。優しげでもあり、誘惑的でもあるそれはまるで呪文のようで、から抗う力を奪い去る。いつもなら、すでにメローネは海岸の砂に顔の半分を埋めている頃だ。

「君が何に喜んで、何に怒るのか。何が好きで、何が嫌いなのか。君のすべてを、オレは知りたい」

 に、自分の全てをメローネに教える勇気はまだ無かった。けれど、いずれそうするのも悪くないような気がした。今はただ、信じてみたかった。何かにすがっていたかった。

 メローネの熱い息を口元で感じる。寂しさが、のガードを緩めた。

「……優しくしてね。噛みついたり、しないで」

 が囁いた瞬間、メローネはの唇に唇を押し当てた。食込むようなそれでの頭が逃げていくのを、彼女の頬に当てていた手のひらをすべらせて、後頭部を掴んで阻む。角度を幾度も変えられながら、深く、甘く、何度も何度も啄まれる。

「んっ……メロー、ネ……っ」
「ダメだダメだ、。そんな声、出されたらオレはッ」

 は体から力を抜いた。自然と体は傾いて、暖かな砂浜の熱を背中で感じる。覆いかぶさるメローネは、余裕の無さそうな顔をしていた。扇情的で、やはりどこまでも美しくて、不覚にもは思った。

 この男のものになら、なってみたい。

 ――おまえは、オレのもんや。。どこにも行かさへんで?

 胸に巣食う、憎悪の根源。今まで何度も聞かされてきたある男の呪いが、を冷静にさせた。男は、自分の欲望を満たすために女を利用した。そこには思いやりも、愛情も、何もなかった。

 はメローネの肩に両手をあてがい上へ押し上げると、一気に上下を逆転させた。目にも止まらぬ早業にあっけに取られたメローネは、のミステリアスな視線に射抜かれて身動きが取れなかった。猛り狂って熱を迸らせる彼の分身に尻を沿わせるように、はメローネに跨った。

「私も、あなたのことが知りたい。でも、それはゆっくりでいい」

 いや。ゆっくりがいい。できれば、私の一生をかけて、そうしたい。

「あなたを、信じさせて。メローネ」
「お預けってことですね!」

 メローネは顔を真っ赤にしている。今にもいろいろと爆発させそうだ。
 
「うん。ざんねん。もう少し辛抱してね」
「あああ、それだって、オレにはご褒美さ、! ああ、でもな。優しくしてって、言われたもんだから、てっきり今まさにこれから、君に優しく“シ”てやれるもんだとばかり思っていたよ、オレは! ははは、とんだピエロだ!」
「心配しないで、メローネ。あなたは出会った頃から今までずっと、私には道化師よ」
「いつにもまして辛辣だな! けど、そういうところが、ディ・モールト好きだッ! 愛してる!」

 は笑った。心の底から笑った。決して嘲っているわけではなく、楽しくて、おもしろくて、嬉しくて、幸せな気持ちで笑っていた。こんなにストレートに感情をぶつけてくる人間は初めてだった。こんなにまっすぐに、愛を叫んでくる男も初めてだった。刀を失くしたと気付く前――ついこの間までを振り返れば、それほどまでに心が落ち着いて、毎日を楽しいと思えたのも初めてだった。

 そこで、はやっと自覚した。

 私は、メローネのことが好きだ。彼に自分のことを知ってほしい。彼のことをもっと知りたい。愛されたい、愛したい。優しくしたいし、優しくされたい。心から、そう思った。

「……私も、メローネのことが好きだよ」
「え、今なん――」

 両手首を両手で砂浜に押し付けた。唇で唇を塞いだ。気が済むまでそうした後ゆっくりと立ち上がると、は履いていたサンダルを脱ぎ捨てて海へ向かって駆け出した。

 夢から醒めたようにはっとして身を起こすと、メローネもまた駆け出していた。今にも自分から離れていってしまいそうなを逃がすまいと、パシャパシャと海水をじぶかせながら無邪気にはしゃぐをしっかりと見据え、彼女を追いかけた。