「おい、あのオンナは誰だッ!?」
外に出ていたギアッチョは愛車をガレージに突っ込むと、慌ててリビングへ戻るなり声を荒げた。
「オンナ? ……一体誰のこと言ってる」
プロシュートは手元の雑誌から視線を外さずに、いつも通り苛立ちに任せて喋るギアッチョを軽くあしらった。
「メローネの隣にいたオンナだよ! すっげー体してる……ありゃきっと日本人だか中国人だか韓国人だか、その辺の国のオンナだ! そんな顔つきだったぜッ」
すっげー体。ギアッチョが一体どのような体のことをそう表現しているのかは判然としないが、イルーゾォは身近なアジア人の女の姿を――の姿を――思い浮かべた。そして、すっげー体とは言い難い体つきだと思うと、メローネの隣を歩いているという女がどうもでは無いらしいことを察する。そもそも彼女はメローネでなく、ホルマジオと観光に出ているということを数秒後に思い出した。
「すっげー体って、どんなだよ。要領を得ねーな」
「こんなだ! こんな!」
ギアッチョは興奮気味に両手を前に突き出すと、上から下に向かって、真横から見た砂時計の外郭を描くように動かして、自分が見た肉感的な美女の体つきを表現した。イルーゾォは確信した。
「じゃあねーな」
「ああ。じゃねー! てか、アイツだったらオレは今、こんなに驚いてねーんだよッ!」
「そう言えばメローネのやつ、戻ってこねーなとは思っていたが、外に出ていたんだな」
プロシュートは壁掛け時計をちらと見やる。そもそもメローネがいなくなったのが――つまり、玄関ブザーが鳴ったのがいつだったか思い出せない。そして、扉の向こうに誰がいたか知らないし、声も聞こえなかったので気にも留めていなかった。インターフォンを鳴らしたのが、その謎のオンナだったのだろうか。
「美人だったか?」
イルーゾォは訊ねた。
「あ、ああ。美人、だった。つーか、エロかったッ!!」
「チっ。何なんだ。最近アイツ調子乗ってんじゃあねーのか」
といい、謎のボンッキュッボンッのオンナといい、どうしてあいつの周りにばかりオンナが寄ってくる。万年童貞のクソ変態サイコパスの分際で生意気だ。とイルーゾォは思った。
「というものがありながら、それは良くねーと思わねーか。ギアッチョ」
「ああ。が見たらどう思うだろうな。良くねー。まったくもって良くねーぜッ!」
イルーゾォはぬらりと立ち上がると、ギアッチョの背を押しながらガレージへと向かった。プロシュートは彼らの後姿を睨みつけて言った。
「おい、おまえら。どこに行くつもりだ」
イルーゾォとギアッチョは、同時に振り返って同時に言い放った。
「ちょっとそこまで!」
プロシュートは呆れたようにため息をつき首を横に振って、ふたりの背中を見送った。
女の名は、紅薔薇悦子。日本人だった。
メローネは、豊満な体つきをした美しい女の隣を歩きながら、最近の自分の運の良さに心から感謝していた。そして女が何者で、何用で遠路はるばる日本からやってきたのか、というもっとも気にすべき事柄などそっちのけで、すれ違う男の視線と言う視線をかっさらう彼女の胸を、くびれを、そして尻をじっとりとした目つきで嘗め回すように見ていた。
と、言うのも、メローネはがアジトへやってきてから、禁欲の日々を送っていた。隣にこんなにもセクシーな女がいたのでは、それだけで息子が立ち上がってしまいそうなくらいに。
チームリーダーには、の面倒はおまえが見ろと言われていたし、そうでなくてもきっと自分の部屋で寝泊りをしろと言っていただろう。だからと言って、がメローネの下心に応えてくれるわけもなく、スキもないし、睡眠薬を盛っても効かないしで、同じ部屋にいてもいなくても、には触れることすらほとんど許されない状況に陥っていた。の前で自慰に耽るわけにもいかないし、かと言って外にセックス・フレンドがいるわけでもない。そもそも、セックス・フレンドができていれば、あの人形を買おうなどとは思わなかっただろう。
「んふふ。そんなに、じっと見つめないでくだサイ、メローニさん。体に穴が開いちゃいそう」
エツコはたわわな胸を二の腕でむにっと押し上げながら言った。メローネはごくりと唾を飲む。からからに乾いた心が、身体が、目の前のジューシーで美味しそうな女を欲しているのだ。
ああ、ダメダメ。ダメだメローネッ! 惑わされちゃあいけない。オレには、がいるだろう! バカバカ。
「あ、あの。何なんですか。あなた。……オレはまだ、あなたの名前しか知らない」
「ええ。失礼しまシタ。私、ラブドール専門店、フェティッシュ・ドールの代表取締役です」
メローネがポカンと口を開いてその場で立ち止まると、エツコは胸元から名刺を取り出して彼に向けて突き出した。メローネは名刺を受け取ると、まじまじとそれを見て記載事項を確認した。見覚えのあるロゴが紙面の右上にあった。そして、例の人形の発送元と会社の所在地が同じだ。会社名をそれほど意識していなかった――どんなオプションがあってそれがどれだけ豊富で自分好みにカスタマイズできるか、そして見た目が好みかどうかが最も重要なのであり、会社のネームバリューがどうとかは一切考えすらしなかった――ので、言われてもピンとこなかったが、今まで他の店で買ったこともないものなので、ラブドールの専門店と言われればもうそれしかないと言うのも手伝って、彼は断定した。
この女は間違いなく、オレが買って使うはずだったラブドールを造った会社の社長だッ!
「何の用ですか!? 大体、顧客の個人情報を何だと――」
「ええ。分かっていマス。会社の信用を失くすような行為だということは、きちんと理解しているんデス。でも、どうしてもッ……どうしても訪ねずにはいられなかった!」
エツコはメローネの手を取り、潤んだ目でじっと彼を見つめた。
「あなた、使ってくれていないわッ!」
「な……なにを」
「私が作ったドールをデス! 楽しみにしていたのにっ」
「いや、どうして、あんたにそれが分かるって言うんだ!?」
エツコはメローネの手を取ったまま何も言わずに歩を進めた。答えを得られないまま、メローネはエツコに導かれるままに道を行き、バスに乗らされ、街中にまで連れて行かれた。メローネはその間に何か話が聞けるのかと期待したが、エツコは瞳を潤ませて口を閉じたままだった。街中に行くのに30分もかかるわけでは無いが、自分が女を泣かせたクズ野郎になり下がったようでいたたまれず、ひどく長い時間移動しているように感じた。
着いた先はとあるレストランの前だ。メローネは恐る恐る聞いた。
「おなかすいたんですか?」
「……感じるの」
「え」
午後3時をまわった今、店の前はドルチェとエスプレッソなどを楽しむ客でにぎわっていた。そのど真ん中――店の入り口の前――で、エツコは店に入るでもなく、まるで店の中が見えているかのようにある一点をじっと見つめながら言う。
「ここに、あのドールがある。可愛そうにあの子、カラカラで……暗い箱の中に閉じ込められたままなんだわ」
「え……ええええええええッ!?」
エツコはメローネに問いただした。
「ねえ、どうしてなんですか!? この国に来るまで分からなかった。ドールが、あなたの住所とは違うところにあるとは気づかなかった! けれど、あなたの家の前に来た時に……いいえ、この国に降り立ってから、あなたの家に向かい始めてすぐに気づいたわ! どうして、そんなことをするんですか!? 譲ったの!? でも、譲った先で使われていないって、どういうことなの!?」
メローネは、外席にいる客の視線が自分たちに集中しているのを感じた。暗殺者たるもの、白日のもと大勢の人の視線にさらされる訳にはいかない。メローネは慌てて、エツコを宥めながらレストランの脇の裏道へと向かった。
「もっと、人が少ない所で話しませんか、エツコさん。このままだと、オレが本当のことを話したくても話せそうにない」
「ごめんなさい、大声出して……。でも、ちょっと待って」
エツコは店の裏口の前で止まると、扉の方を指差した。
「すぐ、そこにいるのよ。感じるの。そのままにしておくって言うんですか!?」
大枚はたいて買ったドールが、すぐそこにある。どういう訳か、市内の一流レストラン「トラサルディ」の中にあるという。そもそもどうしてこの女が、まるで霊能者みたいに人形の在り処を探し当てたることができたのかという謎への興味が湧いた。だが、それより何より驚くことに、彼は人形の在り処が分かった今となっても、それを手放すことを惜しいと思わなかった。
がそばにいてくれるなら、その方がいいと思ったのだ。
「とりあえずは」
「とりあえずって!」
「だって、返せと言って乗り込んでも、警察を呼ばれるだけだと思うんですよね」
「なら、配達業者に間違いだと言って――」
「いや、間違いなんかじゃないんです」
メローネは目を閉じて、の可憐な姿を頭に思い浮かべた。可愛らしい、。愛する。オレは君に夢中だ。君の愛を手に入れるためなら、何だってやる。これはその第一歩だ。君への愛を証明する、第一歩なんだ。
「間違いなんかじゃない。こうなる運命だったんだ」
06:You Could Be Mine
「そう。……それで、あなたはドールではなく、生身の人間の方を選んだと」
メローネはエツコを連れて街中から郊外へと戻り、アジトにほど近いところにある喫茶店のテラス席に、彼女と向かい合って座った。エツコは今にも嗚咽交りに泣きだしてしまいそうな顔でいる。別に慰めてやることにメリットがあるわけではないが、メローネはにこの女といるところを見られたく無いと思っていた。なので、宥めて心を落ち着けてもらい、さっさと祖国へ戻っていただかなければならない。
うーむ。それにしても、なんて体してるんだ、この女ッ!
胸がテーブルの上に乗っていた。どうぞ召し上がれと言わんばかりにふたつのチョモランマがメローネの手を誘っている。そして目に見えない何か――彼女のフェロモンのようなものが蜘蛛の巣のように広げられていて、少しでもそれに触れようものなら囚われて、中身を吸い付くされてしまうような気がした。
この女は危険だ。ブラック・ウィンドウだ。オスからすべてをしぼりとり、むさぼり食う悪女だ。
メローネの理性は頭の中で警鐘を鳴らしていたが、体は素直だった。今こうして、エツコと共にいるのも実のところ、男の性がそうさせているのだ。理性の言うことを聞いてさっさとこの女から離れるべきなのに、そうしないで「まずは宥めなければ」と考えているのは、飢えて今にも爆発しそうな息子が開放の時を求めているからだ。
「でも、あなたは……とても不健康に見えマスよ、メローニさん。もしも私のドールがきちんと届けられていたら、あなたは今、そんなに苦しんでいないはずだわ」
「別に、苦しんでなんか――」
いや。嘘だ。触れられそうで触れられない、愛しい存在に振り回されている。振り回されて、捨て置かれ、もう心も体もズタボロだ。
「――ッ、あっ、な、何をッ」
突如、久方ぶりの刺激を受けてメローネは目を剥いた。股間が押しつぶされている。パンプスを脱いだ素足――柔らかなぶ厚い肉を纏った足の裏側で、半立ちの息子が揉みしだかれはじめたのだ。テーブルの下で見えにくいとは言えども、白昼堂々だ!
あぁッ……なんて日だッ!!
「あっ、やめ、やめろッ、何をするッ」
「私だって同じなのよ、メローニさん」
半立ちの状態から、カチコチに固くなったところで、エツコの足は元の位置に戻された。
「なんで止めるんだッ」
「ふふ。本心が出たわね。やめろって言われたからやめたのに」
「……ハッ!!」
エツコは前のめりになる。
「私だって、あなたと同じで、我慢し続けてきた。ドールを生み出して、生み出した子が海を越えて、あなたの元へ届けられるまでの辛抱と信じていた。あなたに愛されるその時を心待ちにしていたの。……でも、いつまで経っても愛してもらえない。だからもう、私だって心が張り裂けそうなのよ」
「そこだよ。……さっきから、まるで自分を愛してもらうみたいに言うじゃあないか。大体、何で人形がどこにあるか分かるんだ。それが本当かどうかなんて分からないがッ――あ、あああっ、ふ、んんッ!!」
件の足が、再度メローネの屹立したものを揉みしだく。足でそうしながら、メローネの手の甲を人差し指でそろそろとなぞっていた。そして、メローネを含め、周りの人間には分からないだろうと、日本語でいやらしい言葉をかけはじめた。
「“いいじゃない。そんな細かいこと、気にしないで。ほら、あなたのココ、すっごい硬くて……熱くなってる。もう、我慢できないんでしょう?”」
白昼堂々である。メローネにはエツコの言うことが分かったので、言葉攻めを受けながら彼は、もう天国への扉をノックしているような気分だと思った。
「"シましょうよ。あなたの大好きなちゃんなら、絶対にさせてくれないようなあんなことやそんなことを……私ならさせてあげる。好きにしていいのよ。私のこの身体を。……私なら、あなたをすぐに、天国へ連れて行ってあげ――”」
もう、あとひと揉みで達するという時だった。エツコの頭部の左半分に、銀色の雨が、横殴りに吹き付けた。
「――ッ!? な、何だッ!?」
エツコは、突如自分を襲った何かによる横からの衝撃で椅子から崩れ落ちた。メローネは無様にも、股間にテントを張ったまま椅子から立ちあがり、後方へ飛び退いた。
「"死んだ?”」
すると、愛する女の声が背後から聞こえてきた。メローネは声のした方へ顔を向け、またも目を剥いた。
「!? ど、どうして君がここに」
「“何よ。見られたくなかった? その女と一緒にいるところを。……ねえ、メローネ! 一緒にお茶してるだけで、股間をそんなにさせてッ……! あんたって、ホントどうしようもないブタ野郎ね! 恥を知りなさい!”」
「ッあ、あああああああああッ」
メローネは達した。彼にトドメをさしたのは、だった。はメローネと一緒にいた不届き者――エツコをねめつける。何が起こったのかは正確には分からなかったが、自分が何か、女に攻撃のようなことをしたような気がした。意図せず、心の赴くままに、底知れぬ殺意を向けたのだと感じた。
しかし、エツコは生きていた。頭部の左側を銀色に濡らした姿で、ぬらりと立ちあがった。濡れた頬にてのひらを寄せ、指先で濡れた部分を拭ってじっと見ると、次にを見据えて言った。
「“あなたが、ちゃん? ……メローニさんの、“使えない”お人形さんね”」
「“ちょっと、メローニって……誰のこと言ってんの、おばさん”」
「“そんなに年齢変わらないでしょう。失礼しちゃうわ。まあでも、あなたと比較して……体だけはオトナってことは認めるわ”」
エツコは身を屈め、両腕で胸を前に寄せて言った。その場にいた男全員の視線が、彼女の胸の谷間の底に吸い込まれていった。に付き添っていたホルマジオの目も例に漏れず、エツコの体に釘付けだ。そしてやはり彼はただ茫然として、鼻血を垂れ流すことしかできなかった。
「“侮辱しやがって、このクソ女!”」
はそう言って、背後に手を回した。するとそこには、幾千もの針に姿を変えたはずの日本刀の姿が戻っていて、その場にいた誰も――エツコ本人を除いて――気づかなかったが、エツコの頭部左側を濡らしていた銀の溶液のようなものはきれいさっぱり姿を消していた。
「“やあね、日本刀なんか振り回して。物騒だわ”」
向かって来るを見ても、エツコはその場から余裕しゃくしゃくといった風に身動きひとつ取らなかった。結果、の振りかざした日本刀はそのままエツコの上半身を切り付ける。が、エツコの服が破けるでも、血が噴き出すでもない。ねっとりとした不可思議な感触に驚きは咄嗟に後退し、手元の日本刀を見た。
刃先がまるで溶けたように、滑らかに、柔らかくなっている。
「ガンズ・アンド・ローゼズ」
主に名を呼ばれ、スタンドが姿を現した。何か科学的な溶解液でどろどろに溶かされたみたいな、スライムのような人型の何かが、エツコの体に纏わりついていた。は眉根を寄せて、その得体の知れない存在を凝視した。
「“なに……それ、なんなのよ、気色悪いっ!!”」
「“私の柔肌に刃を突き立てようったって、そうは問屋が卸さないわよ。ガンズ・アンド・ローゼズは鋭利なものを軟らかくできる。……ああ、当然、軟らかいものを鋭利にすることだって、大得意なのよ”」
メローネには日本語が分かるので、エツコの言いたいことがよく分かった。そして、もうこれ以上は勘弁してくれと頭を真っ白にさせながら昇天し、泡を吹いて路上に仰向けに倒れた。ホルマジオにはエツコが何を言っているのか分からなかったが、メローネと一緒にいたナイスバディの、ひどく艶めかしい日本人女性が、何かエロティックなことを言っているらしいとなぜか察し、股間を固くし始めていた。