夜、とあるホテルの一室にて、ロマーノ・は額に銃口を突き付けられていた。
「一体、なんの真似だ?」
ロマーノの向かいにあるコーヒーテーブルの上には見慣れたデザインをした金のバッジが置かれている。ついさっき、それをジャケットの内ポケットから取り出してその場所に置いたのは、今まさに自分に銃口を向け、聞いたことに答えず、ことさら冷徹に、無表情でいる娘――・であった。
「ロマーノ。君の代わりに、君が幹部を務める。そんな申し出があってね」
のそばに立つペリーコロが言った。
「お、おい。何を、バカなことを……!?」
「なりたくても」
はやっと口を開いた。
「椅子が空いてないって言われたのよ。なら、椅子を空けてもらえばいい。私は単純に、そう思ったのよ、父さん」
娘は尚も無表情だった。どうやって椅子を空けるのかという説明など不要とでも言わんばかりに、はサプレッサーの付いた拳銃の安全装置を解除した。
「だ、そうだ。ワシは止めたんだよ。ロマーノ。だが、どうしてもと言って聞かないんだ。組織への献上金もしっかりいただいたしな。……個人的にはこういう、気骨のある娘はとても好きなんだがね」
ペリーコロ。ロマーノは、この――好々爺然とした風貌の、それでいて時に“まだまだ現役”と言った風な鋭い眼光を放つ――老齢の幹部をよく知っている。ロマーノがパッショーネへ入団した当初から何かと世話を焼いてくれた、人間味のある男だ。そのはずだった彼は今、同胞が実の娘に拳銃を突きつけられているというこの上ない悲劇を前に、どこか楽しそうに微笑みを浮かべている。
「まあ、何だ。娘に殺されるようなら、それまでの男だったということだ。わしの知らないところで、だいぶ彼女の恨みを買っていたみたいだな、ロマーノ。……組織は、金さえ支払えば身分を、仕事をすれば報酬を保証する。しかし、保証するのは身分や報酬だけだ。自分の命は自分で守らなきゃならん。それすらできないのならば、幹部でいる資格は無いということだ。……言うまでも無いな?」
実の娘に殺される、などと想像ができたはずもない。だが、時に肉親すら疑わなければならない事態に陥るのは、何も我々の世界に限った話ではない。それが己の生死に関わる事態となるかどうかはまた別の話だろうが。
とにかく、ロマーノは確かに油断していた。全室を借り、完全に人払いをしたホテルの一室に娘といた。そこに信頼する同胞――ペリーコロが訪ねてきた。後に、心からの信頼を寄せる最愛の娘に銃口を突き付けられた。
こうなってしまったのは何故かとロマーノが過去を振り返る間、無慈悲にも時は刻々と過ぎていく。そして無慈悲にも、そしてなんの躊躇いも見せずに、は引き金に人差し指を置く。
「さよなら。父さん。……愛してるわ」
の、拳銃を持つ手の人差し指に力がこもる。銃身が軋みを上げ、撃鉄が起こってから、ロマーノの時は至極緩々と進み出した。
愛している? ならどうして、おまえは私を……。だが、まあいい。愛する娘に殺されるというのなら、それもいい。本望かもしれない。
私が私に課した使命は果たせない。娘を守るというマリアと交わした約束も、道半ばで反故にすることとなるが、こうなってしまったのは、娘にこんな道を選ばせてしまったのは私だ。娘に私を殺させたのは私だ。私の責任なのだ。だから、自分が死ぬことは仕方のないことだ。
もとより、死など怖くはない。むしろ死ねば、私は呵責から解放され、この先おまえを失うかもしれないという恐怖に蝕まれずに済む。やっと、マリアの元へ行けるんだ。
彼女は怒るだろうか。……いやきっと、笑顔で私を迎えてくれるはずだ。だからいい。私のことはどうだって。ただ、。おまえが、おまえさえ生きていてくれれば、幸せでいてくれさえすれば、それでいい。悔いが残るとすれば……そうだな。おまえが、一生を添い遂げられると信じた、私ではない誰かと一緒になって、幸せに笑う姿を見た後、最高に愛らしいであろう孫をこの腕に抱きたかった。欲を言えば、孫の成長まで見て、それから死にたかった。
こんなことを言ったら、束縛の激しい過保護な父親が何を言うと、おまえは思うかな。許してくれ、。こうなる前に、伝えられれば良かった。私はおまえの幸せを、心から願っていたんだ。その想いは、うまく伝えられなかった。
だが、大丈夫。大丈夫だ。ロマーノ。おまえがの行く末を見届けるまでもない。娘はここまで、強く、気高く、美しく育ったのだ。娘には幹部になる、それだけの力があったのだ。だから、大丈夫だ。
ああ……どうか、神様。娘を、私の愛する娘の行く先を、眩いばかりの光で照らし、お導きください。
――弾丸は、ロマーノ・の眉間を撃ち抜いた。
22: No Way
時は数週間前に遡る。
例の就任パーティーの後はこれまで、数日に一度、イルーゾォとの逢瀬を重ねていた。父の目がどこにあるかもわからないので、会うのは必ずイルーゾォのマン・イン・ザ・ミラーが創造する鏡の中の世界だったし、そう長い間一緒にはいられない。会う頻度も少なくしていた――会う度に肉体的な交わりを迫られたのだが、は断りつづけている。イルーゾォは断られれば、おまえが嫌がることはしたくないと言って一応の聞き分けの良さを見せていたのだが、そろそろ限界が近いようだ。が「三か月はダメ」とか「心の準備がまだ」とか「落ち着いてからゆっくり」などと言って彼の熱烈なアピールを交わすのも、日に日に難しくなってきている――ので、早くどうにかして父の許しを請うなりなんなりして、イルーゾォとじっくり愛し合いたい。そう思いながら、慣れないながらも社長として一生懸命働いていた矢先のことだった。
平日午後十五時頃、シドがアポイントメントも無しに突然社長室へと入ってきた。は目を丸くした後、意味あり気に秘書のカミッラ――齢二十二にして最高のマネジメント能力を持つとが見込んだ女性だ。彼女を採用したのは、秘書を付けるなら女以外許可しないと言ってはばからなかったイルーゾォの要望を聞いた結果だった。カミッラは長いブルネットの髪に黒目がちで濃いブラウンの虹彩を持つ瞳が印象的だった。長い髪は後頭部でひとつにまとめ、バレッタ付きのシニヨンネットにくるんでいる。身長はやや低め。そんな可愛らしい見た目とは裏腹に、なかなかしっかりの脱線を咎め軌道修正させるしたたかさを持つ女性だ――を見やった。カミッラは特段表情も変えずに言った。
「アポイントメントは取られていませんでした」
そしてカミッラは訝し気な視線をシドへ投げた。全身黒づくめでフードを被り、面妖なマスクを付けて手まで黒い革のグローブで覆った不審者――シド・マトロックを見るのは初めてで無かったが、普段地下室に籠って出てこない彼が、ビルのてっぺんにまで上り詰めてくるのは彼女がこの職についてから初めてのことだった。
「社長に何の御用ですか」
「カミッラ。すこし外してくれねーか」
「あの、私のした質問に答えていただけません?」
カミッラは眉根を寄せる。見るからに不機嫌そうな彼女を、がなだめにかかった。
「カミッラ。この後の予定、何だったかしら」
「はい」
カミッラは即座に手帳を取り出して答えた。
「明日のナポリ支社での会議に向けてご準備いただきます」
近年、南では窃盗や殺人が多発している。そのため、銀行や宝石店などの高価な品を扱う店舗のみならず、ホームセキュリティーの需要も高まってきており、が父に譲り受けた会社は以前にも増して売上を伸ばしていた。どれもこれもおそらくパッショーネの“おかげ”なのだが、愛する者が属する組織なだけあって、は複雑な心境だった。
そんなナポリにおいての警備体制の強化はもちろんのこと、情報セキュリティーのシステム開発拠点も新たに築こうという計画が持ち上がっており、は社長に就任してからというもの、目まぐるしく過ぎていく毎日を過ごしていた。
「本日十七時にプライベートジェットにてミラノを発っていただく予定です。宿泊先のホテルは手配済みです」
「なら、これから一時間程度は余裕がある。そうよね?」
「ええ。そうですね」
「あなた、シエスタはまだだったわね? シエスタついでに私の軽食を買ってきてくれないかしら。いつも行く大通りのパン屋のパニーニが食べたいわ。あ、チーズマシマシでお願い」
「はい。かしこまりました」
カミッラは部屋の出口へ向かう道すがら、シドの隣に立って言った。
「シドさん。今度は是非、アポイントメントを取られてからお越しくださいね」
「へいへい。分かりましたよ、美人さん」
カミッラは顔を真っ赤に染めた後、足早に社長室から退却した。
「この女ったらし」
はニヤニヤしながらシドを冷やかした。
「別に、あんなカタブツ女誑し込もうなんて思っちゃいねーよ」
「いい加減彼女に素顔見せてみたら? あの娘、あなたに興味あるみたいよ? この前マスクの下がどうなってるのか聞いてきたから、生まれながらの大きなアザが顔にあって目立つけど、顔の作り自体は整っていて、俗に言うイケメンよって教えてあげたの。そしたら見てみたいって」
「おばさん、そういうのおせっかいって言うんだぜ。まったく……最近おばさんに増々磨きがかかってきたよな」
「今持ってきた成果の報酬半額削るわよ」
「すみませんでした」
いつものやり取りだ。は社長になったからといって変わらないシドの態度に安堵して、微笑んで見せた。
「さ、本題に入りましょう。約束の時間を過ぎたらまたカミッラに叱られちゃう」
シドは小さくうなずくと、ブリーフケースに仕舞っておいた数十ページ綴りのレポートと、黒いUSBのメモリースティックを取り出して、マホガニーのデスク上に置いた。
はそのふたつの成果品らしきものをじっと見つめたあと、前に立つシドの顔へ視線を投げた。顔を見ても、例の物騒マスクのせいで顔色は伺えない。なので聞くしかなかった。
「私がこの資料を読む前に、あなたが私に言うべきだと思うことはない?」
「……そうだな」
シドは首をかしげ顎に手をやって、左上を見るような、やや大げさな仕草をして見せた。本当に見ているかどうかは分からない。
「ある程度覚悟はしておいたほうがいい。過去も現在も未来も。まあ……大方そんないい知らせじゃないって予想はついてるだろうけど」
確かにはある程度の覚悟ができているつもりでいた。パッショーネの幹部を務めている父親の過去や現在が潔白なら、今パッショーネの幹部を務めている事自体がおかしいのだから。これから先の未来の方も、にとっては光に満ち溢れたようなものであるはずもない。過去も現在も良くない人が、未来に向って突然軌道修正をはかろうなどと普通は考えないからだ。父親は依然変わりなく、コントロールフリークの束縛男のままである。改心するような大きな出来事があったわけでもない。
覚悟はできているつもりだ。ただ、父親のほとんど全てのことを知った後で自分が何を感じることになるのか分からない。そんな恐怖心だけは、今このときを迎えるまで完全に消すことはできなかった。
「わかった。ありがとう。報酬はあなたの預金口座へ振り込んでおくわ」
「ああ。頼むぜ。……それじゃあ、オレは――」
「待って」
は踵を返そうとしたシドを呼び止めた。
「これは、友達としてのお願いよ。シド」
シドはの顔をじっと見つめた。どこか不安気な表情だ。
「ダメだぜ、。あんたはもう社長なんだ。弱さなんか社員に見せちゃいけねぇよ。……まあ、でも――」
シドは頭を掻いて、から目を逸して続けた。
「オレは別に正社員じゃあねーしな。話し相手くらいにはなってやる」
「ありがとう」
シドは来賓用のソファーに腰掛けた。は机上に置かれた資料とノートパソコンを持って席を離れ、シドの隣に腰掛けた。シドは思い出したように立ち上がると、コーヒーを淹れてくるとへ伝えた。ふたり分のコーヒーを淹れに行って戻ってきたシドは元いた場所に腰掛け、マスクの口元だけを外して――実は彼の物騒マスクは上下で分離可能なのである――コーヒーを飲んだり、の様子をちらちら伺ったりしながら過ごした。
時折、の手に力が入ったり、何か小さく独り言ちたりがあった。けれど、彼女が資料を途中で放り投げることはなかった。
「さすがね、シド」
は資料を読み終えると、ノートパソコンを開いてUSBのメモリースティックを手に取りながら言った。自分を称賛するだけの余力があることに、シドは驚いた。
「とてもよくまとまってる。無駄も無いし分かりやすい、素晴らしいレポートだわ」
USBポートにメモリースティックを挿し込み、外部メモリのフォルダを開いた。フォルダ内にあったのは、今手元にある紙媒体のレポートの電子版と、動画ファイルひとつ。
は動画ファイルを開き、映像を確認し始めた。
今流れている映像の内容は、事前に文章で把握している。だが、文面で理解した気になるのと実際の映像を見るのとでは、心理的な負荷は比較にならないほど高いようだ。は映像をひと目見た瞬間から、見えない誰かに首をしめられているのではないかと疑うほどの息苦しさを覚えはじめた。
画面右下に示されたビデオの撮影日は、母の命日だった。見知った別荘の寝室、例のベッドの上に母が横たわっている。部屋の角、天井付近からレンズを下へ――つまりベッド側へと向けて撮影されていた。母を取り囲むように、スーツを着た男たち数名と、白衣を纏う医師と思しき老齢の男性がひとり立っていた。そして窓側に、母・マリアの手を取り、じっと彼女の顔を見つめる父の姿があった。
やがて、部屋にもうひとり男が入ってくる。背の低い、白髪頭の老齢の男性だ。かっちりと黒いスーツを身に纏ったその老人は、手に何か矢のようなものを持っていた。老人は矢を父、ロマーノに手渡す。彼は何分間か矢と妻の顔を交互に見つめた。何か会話をしていたが、唇の動きまで読み取ることはできない。そして老人が父の肩に手を置くと、父はゆっくりと頷くように首を縦に振り、受け取った矢の鏃を母の手元へ運んだ。
直後、母は悶え苦しみ始める。数分間、母は頭を左右に振り、腕を拘束する複数の手を振り払おうと奮闘していた。けれど父は、母がどんなに藻掻いても、絶対に握った手を離さなかった。
ふと、母の動きが止まる。そして腕から力は抜け、起き上がろうと必死だった半身はベッドに倒れ、頭部は窓側を――父の方を向いて、それから動かなくなった。
は母の死の瞬間を、初めて目の当たりにした。
そうだ。私は母の死に目に会えなかった。
ショックでは何も言えなかった。だが、映像は止まってはくれない。
愛し合うふたりの早すぎた別れの瞬間でもあった。はたまらず瞳から涙を溢した。それから堰を切ったように涙が流れ始める。たまらず顔を両手で覆うと、駄目だ、目を逸らしてはいけないと、しきりに瞬きをして瞳から涙を払い、映像を最後まで見届けようとした。
突如、モニターは怪異な現象を映し出した。母が事切れて数十秒が経った頃、まるでフラッシュでも焚かれたかのように部屋が閃光に包まれたのだ。画面は一瞬ホワイトアウトした後、何事も無かったかのように元の様子を写し出しはじめた。
もしもこの時、実際に閃光弾のようなものが放たれたというのなら、皆目がくらんで右往左往しているはずだ。しかし、画面に姿を映す者は皆、亡くなった母を抱きしめ嘆き悲しむ父の姿を見つめるだけだった。
父に矢を渡した小柄の老人が、部屋の中にいた部外者たちに外へ出るように促す。そして、父がベッドの上、母の足元に放ったままでいた矢のようなものを拾い上げると、また父の肩に手を乗せて二言三言何か言った後に部屋から出ていった。
映像はここで終了した。
はハンカチで目尻や頬の涙を拭い、深呼吸をして心を落ち着けた後、シドに言った。
「さっきの光には、誰も気付いてないみたいに見えたわ。……何だったのかしら」
「確かなことは何も言えない。ただ、カメラのフラッシュとか、そんなもんじゃねーことは確かだ」
シドはほとんど間を置くことなく答えた。彼の仕事はロマーノ・の身辺調査であり、画面に映し出された怪奇現象の調査ではないのだが、調べろと言われずとも知りたくなるものだったらしい。例えばそう、鏡の中にのみ姿を現す暗殺者の身元を明かしたくなるのと同じ心境だろう。
「あと、スローモーションでさっきのシーンを見てみたんだが……光はあんたの母さんから放出されたみたいに見えたぜ」
「……気になるわね」
気になることは三つある。
ひとつめは、私を差し置いて母の臨終の床に立ち会ったスーツ姿の男たちは一体何者なのか。ふたつめは、白髪の背の低い老人が父に渡した矢のようなものは一体何なのか。みっつめは、動画の終盤で見えた閃光は何だったのか、である。
とは言え、これらの調査にかまけて本業を厳かにするわけにはいかない。父に疑念を抱かせる羽目になるのはもちろんのこと、カミッラに怒られる羽目にもなる。怖いから嫌だ、とは思った。ともなれば、頼れる、そして信頼するにあたいするのはやはり、シドしかいない。
「シド、暇?」
「オレはあんたに仕事を振られていない間は基本暇だ。あんたお抱えのリサーチャー兼凄腕ハッカーだからな」
「ふふ。そうだったわね。なら、また仕事を頼まれてくれない?」
「ああ。そうなるだろうと思ったぜ」
「ただし、今回の仕事は今までに増して危ない仕事のような気がするわ」
ひとつめの気になること――スーツの男たちが誰なのか、については大方の検討がついている。身なりからしておそらくギャング。父と関わりのあるギャング組織といえば、パッショーネ以外にあり得ないだろう。
つまり、ギャング組織を相手にして調査を行ってほしいと言っているのだ。
「あんたさ、自分の父親が紛れもないギャング組織の幹部だってこと忘れてねーか。この映像だって、多分だが、オレが探し当てたってことがバレたらオレは殺される。……危険ならとうの昔に犯しちまってるんだぜ」
「確かにそうね」
はシドの背中を叩いて言った。
「わかった。なら、任せるわ。……あなたには、この白髪の小さなおじいちゃんが誰なのかを明らかにしてほしい。そして、この矢みたいなものが何なのかも。できれば、あの閃光が何だったのかも、可能な限りで調査してほしい。……危険に見合っただけの報酬を用意するわ。期待してて。ただし、絶対に無理だけはしないこと。命の危険を感じたら、即座に調査作業を中断して。以上よ」
「りょーかい」
シドは立ち上がり言った。
「あのさ、」
「何?」
つくづく、と出会えて本当に良かったと、シドは思った。自分の腕を心から信頼して、自分の存在を全面的に肯定してくれる、最高の上司に巡り会えて本当に良かった。
おかげで、オレの世界は変わった。変わった後、最近崩壊した。けれど、崩壊は再生の始まりだ。オレの世界は再生をはじめて、前よりもっと、明るく輝きはじめたんだ。
「……いや。やっぱ、なんでもね」
「何よ、言いなさいよ。気持ち悪いわね」
シドはに背を向けて手をひらひら振りながら部屋の出口へと向かった。すると、目の前にまで迫った扉が三度のノックからほとんど間を置かれずに勢いよく開いた。
ゴン、という小気味よい音が響く。開いた扉の向こうにいたのは、チーズマシマシのパニーニが入った、濃厚なチーズ臭を漂わす紙袋を手に抱えたカミッラだった。
「あなた……まだいたんですか」
「ご挨拶だな。……まず言うことがあんだろうが。カミッラ」
「痛かったですか? マスクのおかげで助かっ――」
「ちっ。今日のところはこの辺で勘弁してやる。……覚えてろよ」
下半分だけマスクをつけ忘れていたシドはこれ以上顔を見られまいと、慌てて部屋を出ていった。
「あ。顔、半分だけ見えたんじゃない? カミッラ」
カミッラはしばらく呆然として、開け放ったドアの向こうに小さく消えていくシドの背中を見つめた。彼の姿が見えなくなると扉を閉めて、の隣に腰掛けた。
「く……口元が……」
「うんうん。なになに? おばさんに聞かせてみなさい?」
ニヤニヤしながらがカミッラの顔を覗き込むと、彼女は頬を赤く染めて、からは視線を逸らして言った。
「口元は……タイプでした」
はふと、シドのマグショットを持っていることを思い出したが、本人の了承もなく見せるのは良くないと思いとどまった。その代わりに――
「おばさん、力になるわよ!」
「結構です!」