The Catcher in the Mirror

 イルーゾォはペッシから受け取った、国際郵便で届けられたらしい封筒を訝しげに睨みつけていた。差出人は不明。切手に被せて押された消印を見ると、それがイギリスから送られたらしいことだけは分かった。だが言うまでも無いことだが、イルーゾォにイギリス人の友人などいない。そもそも、イルーゾォに限らず、ここ暗殺者チームのアジトにおいて、個人に向けて手紙が届くことなど無いに等しいのである。

 怪しい。怪しさしかない。一体誰がこんな真似を。

 まだ封を切ってすらいない、どんな内容の手紙が入っているかも分からないそれを、イルーゾォは恨みがましく睨み続けた。そんな彼に痺れを切らしたギアッチョが声を上げる。

「おい、何やってんだてめー。さっさと開けろや。みんな待ってんだろーが」
「いや。そもそもなんでおまえらが、オレがオレに届いた手紙だか何だかの封を切るのを待ってんだ」

 リゾットまでいる。リゾットまでもが、イルーゾォをじっと無表情に見つめているのだ。イルーゾォは改めて、この場――パッショーネは暗殺者チームの憩いの場であるリビング――の異様な雰囲気に気づかされる。ことの発端は、仕事の割り振りをどうするかというミーティングの最中にアジトの呼び鈴が鳴ったことだった。ペッシが表に受け取りへ出たのだが、それを皆の前でイルーゾォへ渡した。チームは気を取り直し、ひとまずミーティングだけさっさと済ませてしまったのだが、いつまで経っても誰も席を立とうとしなかった。だから今こうなっている。

 イルーゾォの何故という問いには誰も答えない。皆がイルーゾォに宛てて送られた手紙の中身について知る必要と正当性について説明できないからだ。皆の頭には、滅多に無いことだから珍しくて、という理由が一番にある。だがそれと同時に、上質な紙でできた封筒の送り主に、心当たりがあった。だから、皆が何かを期待しているのだ。そのことはイルーゾォにも当然分かった。だが、彼が皆の期待に応えてやる筋合いなどない。イルーゾォはさらに封を切るか切るまいか迷い、切るにしても場所を移すか、などと考えを巡らせ始めた。だが――

「この根性なしが。さっさと開けねーか」
「ホントおめーってヤツはよォ。でけえのは図体と態度だけかァ!?」
「あーけーろッ! あーけーろッ! さーっさとあーけーろッ!」

 ――如何ともこの場から逃げ果せる気がしなかった。イルーゾォを三点で囲うように座したままのプロシュート、ホルマジオが煽り、メローネが囃し立てる。ついには、メローネの手拍子に合わせて、リゾット以外の皆が開封を促す謎のコールを始めてしまう。人をおちょくることにかけて、この暗殺者チームというやつらは驚異的なチームワークを発揮するらしい。

「るっせーな!! 分かったよ!! 開けりゃあいいんだろ開けりゃあよォ!!」

 イルーゾォは仲間たちの煽りに見事乗せられ、とうとう勢いに任せ乱暴に封を切った。すると中には、何やら印字されているらしい白い紙数枚と、映画館のチケットのような短冊状の厚紙が入っていた。取り出されたそれらを皆が立ちあがって覗き込む。

「お、おいこれ……招待状、か?」
「一体何の?」
「おい待て」

 メローネが声を上げる。

「この会社の名前、のじゃあないか?」

 ホルマジオはイルーゾォの手元から招待状を取り上げてじっと見つめた。そして裏面を表に向ける。 

ちゃんからじゃあねーか!社長就任のご挨拶……? あ、あのこ、あの大手警備会社の社長になるってのか!? やべぇ!! ……しかし、イルーゾォ。お前宛じゃあねーな。これ、シド……マト、マト……マトロック?? って誰だ?」

 シド・マトロック。イルーゾォは頭の中でシド・マトロックと復唱した。その名前の持ち主はよく知っている。マトロックという家名は初めて聞いたが、この封筒を送りつけてきそうなヤツと言えば、の小間使い、もとい天才ハッカーのシド以外にあり得ない。だが一体何故、イギリスから……?

 疑問を解消すべく、イルーゾォは同封されていたもう一枚の紙を開いて見た。すると、手書きではなく、ワードプロセッサーで打った文章を印刷した文書であることが判明する。イルーゾォは眉根を寄せて文章を読んでいく。

“拝啓 ファッキン傲慢おさげ野郎 お元気でしょうか。いや、きっとお元気なんかじゃねーだろうな。ざまあ見やがれ”

 この書き出しで早速紙を破きそうになったイルーゾォだったが、彼は沸き起こった怒りを何とか鎮め続きを読み進めた。

“オレは今イギリスにいる。に休暇をもらったんだ。オレはほとほと疲れた。だからちょこっと故郷が恋しい。そんな嘘を――嘘だ。故郷なんかこれっぽちも恋しくねーし、なんならこんなじめじめしたクソの掃き溜めみたいな場所は故郷とも思っちゃいねー――ついて、わざわざこいつをおまえに送りつけるためにここに来たんだ。あと、がオレにスーツを買ってやるって言って聞かないもんだから、それから逃げるためでもある。なんであいつがオレに、着せ替え人形みたいにスーツを着せようとしてるかは想像に難くないだろう。その、いま手元にあるであろう招待状が原因だ。オレは照明の煌々と灯っただだっ広くて人の多い場所にいると死んじまう病にかかってる。だからオレの代わりに、そのパーティーに出席してくれ。オレが場に馴染むなんてことはできないんだ。だが、おまえら暗殺者にとっちゃ得意分野だろ。おまえはオレの生まれたままの姿を――ああ、思い出しただけで死にたくなるくらい屈辱的なんだが――見たから知ってると思うが、顔に難がある。みんなぎょっとしてそわそわしやがるんだよ。そういうそわそわひそひそがとても癇に障って普通じゃいられなくなる。……まあ、そんな話は置いておいて、だ。封筒の中身をもう一回、よーく見てみろ。面白いもんが見られるぜ”

 ここで手紙を読むのを一時休止して、イルーゾォは言われるがままに封筒の中身を改めた。すると小さな紙片がぽろ、と落ちてくる。

「……ッ! あ、あいつ……!一体いつの間にオレの写真を……」

 皆が小さな紙片を凝視した。そこには、今その紙片を持つ男の顔がまるで鏡のように写し出されていた。

「お、おい。おまえ、車の運転免許証でも取るつもりか?」
「とうとうヤケを起こしたか……?」
「まさか、足抜けしてまっとうに生きようとなんて考えちゃ――」
「んなこと考えるかッ……!」

 いや。実は考えていた。建前上、仲間の前では考えていないと言うしかなかっただけだ。と別れてからの一ヶ月間、まともに眠れなかったし、眠れなかった間に、オレがまっとうに生きていれば、なんてことを考えていた。その詳細について思い返すと恥ずかしくなるのだが、ギャングで殺し屋をやる戸籍も何もない自分には到底実現不可能な空想以外のなにものでもない。だから、まずは身分を証明する公的な物を、なんて具体的なプランまでは考えていなかったし、そもそも戸籍が無いので不可能だ。そんなこともうだうだ考えるだけならタダである。

 それはさておき問題は、何故こうも精巧に、真正面から自身の身分を証明せんと撮ったような写真を作れたのかと言うことだ。これに関しては全く身に覚えが無い。というか、好青年と言っても差し支えのない写真のような微笑みを自分が浮かべられるかどうかすら怪しい。盗撮したとしても、何かしら手は加えられているはずだ。

“盗撮と思ったか? 気色がわりぃ。盗撮なんかするか”

 盗撮では無いらしい。ならどうやって作った?

“イギリスのオレのお友達にアーティストがいるんだ。写真や動画の人物をめちゃくちゃ精巧に描き替えちまったりできる凄腕なんだが、オレの監修の元でそいつが描いたのがそれだ。このデータを、パーティの受付がラップトップの画面上で確認する招待客リストのオレの写真――オレがマスクを取っての写真撮影を断固拒否したもんだから、が嫌がらせみたいに、イギリスの刑務所からかっぱらってきたオレのマグショットを提供していやがるんだ――とすり替える。パーティ当日、一日限定でシド・マトロック様になれるって訳だ。感激だろ? もちろんおまえがどこの誰かも、シド・マトロックがどこの誰かも受付は知らねーから安心しろよ。すり替えた後の写真の処理は任せろ。あと、あんたが会場入口を通過した後で監視カメラの映像も責任を持って抹消してやる。そして正面から堂々とパーティ会場に入れ。なになに? 信じられないって? ああ、オレだって、オレが今やろうとしてることを自分でも信じられねー。なんのためにこんなことをって思うのは当然だと思う。別にあんたのためだなんて少しも思っちゃいねーよ。のためだ。あいつのさ、辛そうな顔なんかもう見たくないって、それだけだ。きっと、あんたが行けば、はいつものに戻ると思う。だから、至極真面目にあんたに頼んでるんだぜ。オレじゃあ無理だからさ。ああ、そうだ。どうせ金はたんまり持ってんだろ? ここぞとばかりにパーっと使っちまえばいいんだ。リムジンでも借りて会場前に乗り付けたらどうだ? ……それをやって浮くか浮かないかはテメーで考えてくれよな。そのことについてまでオレは責任持たないぜ”

「まるでお城からの招待状じゃねーか。おまえは差し詰めシンデレラ姫ってとこだな?」

 勝手に手紙を覗き込んで読んでいたホルマジオがニヤけながら横槍を入れる。イルーゾォは意にも介さずシドからの手紙を読み進めた。

“そうだ。このままじゃあぜってー来そうにねーから、脅迫しておこう。あんたがパーティーに来たとオレが確かめるために、会場に着いたらまずオレに会いに来い。真っ先に来い。ああ、分かるぜ。何をおいてもまずに会いたいってんだろ。だがダメだ。オレがあんたと会えないまま夜の八時を過ぎた途端、オレはロマーノのおっさんに、イルーゾォはを諦めていねー。今会場に来ていると嘘のタレコミを入れるぜ。さっきのお友達にはもう動画だって作ってもらってるんだ。一昨日の夜会場のホテルに入っていった、あんたと同じくらいのたっぱの男の顔をあんたに変えたやつだ。これこそ見せてやりたかったが、残念。データが重いんでメールじゃあ飛ばせねぇ。じゃあな。返事はいらねーよ。……つーか、間違っても返事なんか送ってくんなよ? 何のためにオレがイギリスまで飛んだかわかんなくなっちまうからな。以上だ。グッド・ラック!”

「こ……こいつッ……!! 調子に乗りやがって!!」
「抜け目が無いな。こいつを引き抜いてチームに招き入れたいくらいだ」
「はぁ!?」

 リゾットまで手紙の中身を盗み見ていた。どおりでさっきから自分の体の周りがあつ苦しい訳だ、とイルーゾォは思った。

「ふむふむ。夜の八時までにそいつに会わねーと魔法が解けちまうってわけだな」
「おまえシンデレラ大好きだな?」

 ホルマジオは相変わらず童話のシナリオに置き換えて物を喋る。

「四の五の言ってねーで行ってこいや! このタマなしが!!」
「行かなきゃロマーノさんにチーム殲滅されそう……」

 ギアッチョとペッシが言う。

「リムジンの手配は任せろ。クライスラーでいいか?」

 メローネがまた何か意味がわからないことを言っている。クライスラーって何だ。

「いいな。リムジンで酒飲んでドンちゃん騒ぎだ」

 暗殺者チームの良心ことプロシュートまで、一夜限りの夢物語に思いを馳せている。なるほど、ホルマジオがシンデレラシンデレラ言うのはあながち間違いでは無いかもしれない。報われない世界線のシンデレラだ。

「キレイなねーちゃん呼ぼうぜ! 」
「おい。リムジンで行っていいかどうかは客層を見てから決めろ。目立つようなことはするな」
「キレイなねーちゃんはいいですか?」
「いいだろう」
「いや良くねーよ! 何勝手に盛り上がってんだおまえら!?」

 イルーゾォは行く以外の選択肢を取り上げられたような気分になって白目を剥いた。ホルマジオはともかく、最後の砦、リゾットまでもがこのざまだ。キレイなねーちゃんに興味あったのかこいつは。それに、放ったらかしにしていたとは言え、ここぞとばかりに例の金を使ってパーッとやろうと便乗する気満々でいるチームメイト皆が略奪者にしか思えない。

 略奪者たちの目は一斉にイルーゾォへ向く。何を言っているんだ? 理解できない。とでも言いたげだ。それはこっちのセリフである。

「行くとは言ってねーだろうが!!」
「はああああああ!?」

 ここからはブーイングの嵐だった。イルーゾォは皆に一斉に罵詈雑言を浴びせられる。

 一体何のためにオレはを諦めたんだったか。自分をここまで貶めるような連中の命のために、オレはオレの心を殺したのか? もう何もかもが馬鹿らしくなってきた……。

 唇を噛んで仲間の一斉口撃に耐える内に、イルーゾォの瞳にうっすらと涙が浮かび始めた。いじめっ子に囲まれたいじめられっ子さながらだ。そんな自分の格好悪さにも泣けてきてしまう。が、彼の様子を察してか、ストレス発散のためにエネルギーを浪費する皆の声がただただ喧しく感じたからか――

「落ち着け」

 ――いささかの怒りをはらんだリゾットの鶴の一声で、騒然としていた場は一気に静まり返った。

「イルーゾォ。何を恐れてる」
「……同じだ。あのトランクを持って帰ってきた時と何も……何も変わっちゃいない」
「普段のおまえなら少しの臆病さすら見せないのに、らしくないな。そのらしくないおまえに、ここにいる皆がうんざりしてるんだ。……オレはおまえが最終的に下した選択は間違いではないと思ったし、おまえの賢明な選択には敬意を払っているつもりだ」

 リゾットの心からの言葉が、イルーゾォの傷心に沁み入った。幾度となく締め付けられるような痛みを感じた胸が、また痛む。だがそれはひどく優しい痛みだった。久しぶりに、生きた心地がした。

「だが、今のおまえは精神的にひどく不安定に見える。そんなおまえを、あれから一ヶ月経とうとしている今になってもオレは使いたいとは思えない。それに、ここにいる皆がそうだが、有能な部下が一つ欠けるだけでもチームにとってはひどい痛手なんだ。だから、その招待は受けろ」

 ホルマジオが、それ見たことか、といったしたり顔でイルーゾォを見やった。

 理由が欲しかった。全てを諦めて、の前から永遠に去ることができるような決定的な理由が。だから、眠れない間にずっと探していた。要するに粗探しをしていたのだ。だが、一つも無い。以外の人間なら、嫌いなところなんかいくらでも挙げられる。それはもう、すれ違う全ての人間に対してそうだった。自分と言う人間を爪はじきにしてきた大衆だ。そもそも金持ちなんて、一番嫌いな部類の人間だ。

 だが、は違った。超が付く金持ちなのに。なのに、見た目が美しいだけでない。心が、芯の方から先の先まで、何もかもが完璧で美しいのだ。欠点なんて、見つかるはずが無かった。そう思い知れば思い知るほど、何もかもが汚れきった自分との差にばかり目が行く。結局、自分という存在がイヤになるだけで、それが理由なのだと諦めるしかないと分かった。だがその自分の心が、諦めるということをしたがらなかった。いつまで経っても。

 こうして今に至る。その、諦めたくないという心が、リゾットの言葉に救われた気がした。

「おまえがさんを傷付けてここにいる皆の命を守ると決めたときと同じくらいの覚悟を持って、今度はオレたちの命を賭して落とし前をつけて来い。そうすることを、オレが許してやる。……だから、そうやっていつまでもうだうだウジウジと、ここに居続けるな」

 怯えるな。と心の中で呟きながら、皆が立ち止まったままだったイルーゾォの背中を押していた。彼が守ろうとした者たちが、今度はイルーゾォの思いを――心を守ろうとしていた。そのためならば、自らにどんな危険が及ぼうとも立ち向かえる。皆が一丸となって覚悟していた。そもそも、イルーゾォがスタンド使いでもなんでもない人間にむざむざと見つかるはずもない。長年培ってきた信頼もあってのことだった。

「さて。……そうと決まればまずはドレスアップだな」

 プロシュートが立ち上がる。そして、彼はリビングの隅で薄く埃を被っていた例のスーツケースを床の上に倒し、留め金を外して中から必要と思われるだけの札束を引き抜き玄関へと向かって行った。

「さあ来いお姫様。ドレスを買いに行くぞ」
「おお! 魔法使いだ! おい姫ぼさっとしてねーでさっさと行ってこい!」

 ホルマジオに背中を蹴って押されて、やっとイルーゾォは立ちあがった。

「かっ……勘違いすんなよ! これだって、おまえらの為なんだからなッ」

 顔を真っ赤にしてそんな捨て台詞を吐いて、イルーゾォは部屋の戸口前に立っていたプロシュートを押し退け、いの一番に外へ出た。いつもなら皆が溜息をついて、また始まった、やれやれと首を横に振るようなひねくれた言動だ。だが不思議なことに、久しぶりのそれに皆が微笑みを浮かべていた。久しく見ていなかったいつもの彼が、少しだけ息を吹き返したようで嬉しかったのだ。

「ッざっけんなこの根性なしがッ!! こんだけお膳立てしてもらっておきながら言うことじゃあねぇだろうがよォ〜〜〜ッ!? 調子に乗ってんじゃあねーぞクソがッ! ガラスの靴はもちろんのこと、髪の毛一本でも落として帰ってきたら容赦しねーからなァ!! そして今度こそ、ぜってー王子様をモノにしてこい!! じゃなかったら、帰ってきた瞬間にぶっ殺すッ!!」

 ギアッチョは流石に通常運転だったが、これはこれで、彼なりの声援でもあった。





18: Scared of Happy





 昼にエステに連れて行かれて肌をピッカピカのつるんつるんに磨かれた。そして湯を張った浴槽に突き落とされ、挙げ句の果てに、イルーゾォは今、アルマーニの高級スーツを身に纏っている。いつも五つか六つに分けて結うだけだった髪。彼はワックスなんてものを使うのが初めてだった。ベタベタとワックスを塗りたくられ、固められ、髪をスッキリとまとめられた。その後、プロシュートが自信を持っておすすめする香水を軽く振りかけられる。爪は史上最高に綺麗に整えて磨いた。これは流石に自分でやった。プロシュートに手を握られるなんてゴメンだと思ったからだった。それが夜の街の照明を反射してピカピカと光って見えた。

 手元にはホテルの間取り図がある。手書きで、会場の受付がどこ――ホテル自体が貸し切りになっているらしく、ホテルの入口から入ってすぐに受付のカウンターが設置されているらしい――かと、シドが待っている場所がどこか、驚くことに警備員の配置がどうなっているか、さらにはロッシーニ夫妻がどの席にいるかまでが印された、例の手紙の一番最後にあった紙を、イルーゾォはじっと見ていた。

 イルーゾォが乗っている車はマセラッティ、グラン・カブリオのコンバーチブルモデルだ。メローネがレンタルで手配したのをギアッチョが運転しており、後部座席にはプロシュートとホルマジオがいる。四人は会場のロータリーへと向かっていた。ハリウッドのレッドカーペットじゃあるまいし、流石にリムジンはやり過ぎだとリゾットからのストップがかかったのだ。車の助手席に座るイルーゾォは、後部座席から伸びてきた手に肩を叩かれて振り向いた。プロシュートが真後ろから話しかけてきたのだ。

「おい姫」
「……いい加減その姫って言うのをやめろ」
「緊張してんのか」
「ああ。してるさ。オヤジさんの目が光ってるんだ」
「だが、おまえが嬢を一度つっぱねた効果はあるんじゃあねーのか。安心して、もうおまえのことなんか忘れ去られているかもしれねーぜ」
「ああ。かもな。だが――」
「ここまで来て、いまさらあーだこーだ言ってんじゃあねーぞ情けねー!」

 プロシュートの隣に座っていたホルマジオが、助手席のシートを蹴りつけて言った。

「 つーか、おめーがそこをどけねーとよォ、オレが隣にキレイなねーちゃんを侍らせられねーんだから、嫌だと言っても絶対に叩き下ろすからな!」

 同乗の三人は、イルーゾォをパーティ会場に送り届けた後、キレイなねーちゃんをどこかでピックアップして、街中のクラブに遊びに行くらしい。ちなみに、メローネとペッシ、リゾットの三人はアジトでお留守番である。

「おまえがこれから大ぽかやらかしてオレたちは死ぬかもしれねーわけだから、最後かもしれないこの時にパーッとやろうってのは許して欲しいし、気にもするな。だが、オレたちはおまえを信用しているぜ」

 プロシュートが言った。目的地は目前に迫っていた。イルーゾォの心臓はばくばくと音を立て始める。キュッと喉の奥が絞まるような感じを覚えて、ゴクリと喉を鳴らして唾を飲んだ。

「今日のおまえは最高にイカしてる。自信を持てよ、イルーゾォ。絶対に誰もおまえを小汚いギャングだとは思わねー。しっかりとケジメをつけてこい」

 と、プロシュートは続けた。イルーゾォは恥ずかしくなってプロシュートから顔をそらした。やがて車はロータリーに着く。ギアッチョはホテルの入口へと伸びる階段の前に車を付けて、ロックを解除した。

「とっとと行ってこい」
「しくじんなよ」

 そんな声援を背中に受けてすぐ、イルーゾォは座席横のドアを少しだけ開けて、こちらへ歩み寄ってきた白手袋のドアマンに委ねた。車を降りると、背後でドアが閉じられる音がした。イルーゾォは振り向きもせずに襟を両手で正して胸を張り、一歩を踏み出した。