The Catcher in the Mirror

 さんさんと降り注ぐ陽光の下、青く輝く海に浮かぶ船の上でホルマジオが言った。

ちゃん、サイコーにいかしてたと思わねーか……」
「ああ!?」
「ウッ……!」

 ギアッチョは足元に転がる血まみれの人間のみぞおちに、怒りに任せて靴先を叩き込んだ。男は呻く。

「忘れらんねーんだよ。オレ、あの子に恋しちゃってんのかも」
「うっ――ッ!!」

 今度はもう一つ、別のみぞおちが的になる。キツい一撃を食らった男は憎々しげな眼差しを息も絶え絶えギアッチョに向けるが、彼の視線はホルマジオに向いているので少しも取り合ってもらえない。

「知るかよッ!!てめーって男はよぉ、口を開けばやれ尻がどうだの乳がああだのとオンナの話ばかりしやがって!!」
「今は尻や乳の話はしてねーだろうがよ。……いや、確かにちゃんの尻はいい形をしていたし、太ももはモチモチかつすべすべしていて最高品質だったが」
「聞いてねーんだよ!このスケベ坊主がッ!!てかドサクサに紛れて触ってんじゃねーぞこのクソハゲまじでキメェから死んどけッ」
「……残念ながら、触れたのは太ももだけだけどなー」
「聞いてねーッ!」

 今まさに、白昼堂々海の上でパッショーネを敵にまわしてしまった殺し屋ふたりが始末されようとしているのだが、大してそれらしい緊張感も無いフランクな雰囲気を醸し出しながら、ホルマジオとギアッチョは会話を続けた。

「つかよ。お前がイルーゾォのやつをそそのかして調子に乗らせるから、今オレたちはこんな虚し〜い気持ちで仕事するはめになってんだぜ」
「んなこたどーだっていい!!重要なのは、オレたちの地位の向上と賃上げだ!それに比べれば、今のオレたちの虚しい気持ちなんてもんは取るに足らないちっぽけなもんだぜ!」
「あ。虚しいは虚しいのね。……つか、お前が何を根拠に地位の向上とか賃上げがどーとか言ってんのか知らねーけどそれはともかくとして……イルーゾォのやつ、ほとんど寝もしねーでちゃん追っかけに行っちまったんだとよ。相当ご執心だぜ。今あいつが、もしかするとちゃんとイチャイチャしているんじゃあねーかって思うと気が気じゃあねーんだよオレは。すげームカつくんだ……あーちくしょう。羨ましいなァおい……」

 ホルマジオはそう言って立ち上がると、おもむろに海に沈めんとしている男ふたりに近寄っていった。

「だから、オレはこのデケー方をイルーゾォと思って海に投げようと思う」
「おい……待て、待ってくれ……」

 随分前から腹を括った様子で口を引き結んだままのアントーニオ――ホルマジオ曰く、でかい方――とは逆に、往生際が悪い――をヤク漬けにして犯そうとしていたひょろ長い――方の男は、最後まで何とか生き延びようと必死だった。

「オレは言っただろ。……雇い主が誰かって、ついさっき吐いたハズだ!見逃してくれよ!なぁ、頼むぜ……!」

 そう。を殺すよう指示してきたのが誰か。リゾットの前で口を割ったのもコイツである。ホルマジオは憐れむような目を男に向けた。

「……お前、ちっこくなっちまってて見てなかったから知らねーかもしれねーがよぉ、オレたちが出てきた岸辺一帯、海水浴に丁度良さそうなすげーキレイなビーチが多いんだよな」

 唐突に、自分たちの命の行く末には何の関係も無いと思われる話を始めたホルマジオに、男はポカンと呆けた顔を向けた。そんなことなど意に介さず、ホルマジオは続けた。

「なのに、海水浴に来てる客なんかいねーんだよ。何故かわかるか?」
「はぁ!?な……何の話だッ!?」

 ホルマジオはそこそこ大きな鉄筋コンクリートの塊に括り付けた鎖の端を掴んで、それを甲板に転がる男の足かせに括り付けるのにじゃらじゃらと音をさせながら話を続けた。

「この辺り、凶暴な鮫がうようよしてんだ。だから呑気して海水浴なんかやろうってやつは来ねーし、殺したヤツを始末すんのにちょうどいい。……始末しようとしてる死体をビニールでぐるぐる巻きにして海に沈めただけじゃあよお、重しが不十分だったりすると内臓が腐敗するのと同時に出てくるガスが腹の中や包装の中で溜まって浮いてきちまうんだ。でけー死んだくじらが浜辺に打ち上がってる時あるだろ。そいつの腹がまるまると膨れ上がって、太陽の光で温まって爆発起こすの見たときねーか。あれと同じことが人間の体でも起こるんだぜ。それはともかく、死体が浜辺に上がってきちまったら困るだろ。だが……そう、ちょうどリゾットに血まみれにされたお前みたいなやつの足に重しくくりつけて、ビニールシートに包みもしないままこの辺に沈めてりゃ、そのうち鮫さんが血の匂いを嗅ぎつけてくる。腐敗する前に骨の髄まで美味しく食べてお掃除してくれるってわけだ」

 男は顔を真っ青にさせてがくがくと震え始めた。

「つまり、オレが何を言いたいかというとだぜ。……お前に選ぶことが許されてる選択肢は、生きるか死ぬかじゃあねー。大人しく、今ここでオレたちに殺してもらうか、生きたまま鮫さんの餌になるか。そのどっちかなんだぜ」
「殺せ」

 アントーニオが久しぶりに口を開いた。

「さっさと殺してくれ」

 言い終わるや否や、ギアッチョはナイフの刃先をアントーニオの首筋から脳天に向けて突き立てた。仲間の命は、目の前でいともたやすく奪われてしまう。もうひとりの男は悲鳴を上げる。

「ブラーヴォ!ブラーヴォ!!」

 ホルマジオはアントーニオの潔い死に様に、大きくゆっくりとした拍手と称賛の言葉を送った。

「暗殺者ってのはこうでなくちゃあいけねー。てめーが死ぬ覚悟もねーのに人殺して金もらえるなんて、甘い世界じゃあねーんだからよ」

 男は錯乱し始めた。やがてギアッチョは後頭部にナイフが突き刺さったままのアントーニオの亡骸を抱き上げて上半身だけ船体から突き出し、だらりと反った彼の後頭部からナイフを抜き去った。傷口から血が吹き出して、あたり一面が血の海と化す。

「さあほら見てみろよ。撒き餌は済んだぜ。鮫さんが来るのも時間の問題だ」

 死にたくないので、殺してくれとは言えない。だからといって、溺れ死にの苦しみの中、腹を空かせた鮫に我が身を屠られるなどという責苦など受けたくない。――だが、死にたくない!

 男は錯乱の中、凄まじい叫び声を上げる。だが、海は静かだ。他の船のモーター音など聞こえない。助けなどいくら待ったところで来そうになかった。

「しょうがねーなぁ」

 ホルマジオは四肢を拘束されながらも叫び暴れる男を抱きかかえる。だが為す術もなく、死んで血液を海へ撒くアントーニオの隣に並べられ、顔は海の方へ向けられる。

 黒い、鮫のヒレがこちらへ近付いて来るのが見えた。

「まあまあ、落ち着けって」

 やや過呼吸気味の男の背中をぽんぽんと叩きながら、ホルマジオは男をあやすような優しい声で言った。

「最後だ。どちらか選ばせてやるよ。オレに殺して欲しいか?それとも、鮫の餌食になるか?」
「こっ、殺してくれ……!頼む、殺して……殺してく――」

 ギアッチョに手渡されたナイフを、ホルマジオは男の後頭部に突き立てた。そして先に死んだ方から順に、死体を海へ放り込んだ。



11.5: The Life



「死ぬ覚悟か」

 一面血に染まった海を見ながら、ホルマジオがぼそりと言った。

「……死にたくねーよな。そりゃ」
「何ジジイみてーに黄昏れてんだてめーは」

 ついさっきまで命だったものが跡形もなくなるのを見届けた。いつもなら感傷に浸ったりなんかしないのだが、今日は違った。仲間のひとりが何か、自分たちには一生手の届かないような輝かしい未来に向かって突き進もうとしているのを思い出すと、片や自分の運命は、そして自分の最期はどうなるのだろうと気になってしまったのだ。

「オレたちは死なねーんだよ。何たって、組織の中じゃあナンバー・ワンの実力を誇る暗殺のエキスパートなんだぜ。オレたちは常に狩る方なんだ。死ぬ訳がねー!」

 死ぬ訳が無いと思っているのならば、ソルベとジェラートが処刑され、見えない敵――もとい、ボスに怯えて安い給料で命をすり減らすような生活とはおさらばしたいと、反旗を翻してしまえばいいのだ。だが、そのことはもう考えるなとリゾットに言われているし、命惜しさに皆現状に甘んじている。

 要は、ボスさえ敵に回さなければ、オレたち暗殺者チームは無敵なのだということなのだろう。

 矛盾を孕んでいると思われたひとまわり年下のギアッチョの意見を噛み砕いて心の中に落とし込むと、ホルマジオはため息をついた。

「ならなおさらよー、オレたちの人生のゴールって何だろうなって思わねーか」

 さっき殺した野良の殺し屋ふたりに自分が言ったことは完全にブーメランだ。あいつらだけでなく、自分も恐らく、ろくな死に方はしないだろう。死ぬ覚悟はあるつもりだが、なまじ自分たちは強いと思っているがために死を想像するのが難しい。死にたくないと自分が泣き喚く未来も見えてこない。だが、遠かれ早かれ自分はいずれ死ぬのだ。

 無敵なのはいいが、現状から這い上がるのは至難の業だ。このままずっと組織に飼いならされた犬であり続け、人として最低限度の幸福の追求もほとんど許されないまま老いていくのだろうか。

「ろくな死に方しないのは分かってるつもりだけどよ、最後の最後で、ひとりでいたくはねーよな。……って考えてみるとよ、もし、イルーゾォのヤツがちゃんとうまいこといったら、死ぬほど羨ましいと思わねーか。良くできたガールフレンド、どころの話じゃあねーぞ……」

 自分の死に際には、運命と思える出会いの末に心底愛し愛された女にそばにいて欲しいものだ。

「クソ羨ましいな」
「だよなー。あいつだけズッコいよな」
「自分からあいつの背中押しといて何だが、超金持ちオンナとデキるとかマジで羨ましい」
「そっちかー。お前、ほんと金のことしか頭にねーのな。オレはそーゆー話をしてんじゃあねーんだがなぁー」
「は!?訳わかんねーぞ!」
「この世はな、愛こそすべてなんだぜ、ギアッチョ」
「金が全てだッ!頭ン中でお花咲き乱れさせてんじゃあねーぞこの中年!」
「中年の定義知ってる!?オレまだ三十路でもないんだけど!?」
「愛だけじゃあメシは食えねーだろうが!!」
「そりゃそーだがよー」
「だから、アイツがその愛を手に入れる傍らで、オレたちはあの女のコネで仕事を得て、金をガンガン稼いでいければ文句は言わねー!」
「はあ……金の亡者め」
「てめーが性欲の化身なだけだろうが」
「ええー」

 やはり、羨ましいの一言に尽きた。まあ、二人の関係がうまく行けばの話だが。

「生まれも頭も何もかも全部違うから、いつかどっかでダメにはなりそうだがよー。でも、なんかふたりとも好きあってるくせーし、今はただただ羨ましくてムカつくんだよなぁ」
「るっせーな!この件に関しては、オレたちの地位の向上と賃上げ!それしか望んでねーッ!それで金が手に入れば、オンナなんか侍らせ放題だろーがッ!」
「……はあ。違うんだよな〜。まあ、お前はまだガキだからそう思うんだろうな〜。お兄さんほどの経験が無いから」
「うるせーなもうワケわかんねーからマジで死ねッ!!」
「おいおいおい!先輩のこと海に突き落とそうとするのはやめようぜ!?」

 ギアッチョの言っていることは完全に希望的観測だ。だが、彼の言う通りうまく事が運ぶのなら、オレたちの希望ともなり得るかもしれない。羨ましいから腹が立つというのもあるが、反面、突如チームに舞い込んだ希望の光――という希望の星――の出現に少しだけ胸を踊らせていたりもした。

 何はともあれ、今は傍観するしかない。うまくいったらイルーゾォのやつに奢らせて、失恋したらオレが奢ってやろう。

 そんなことを考えながら、ホルマジオはギアッチョと共にアジトへと戻ったのだった。