主寝室には紅葉が美しい秋の森の風景を切り取るように大きな掃き出し窓があった。窓の向こうで、はらりはらりと地面へ落ち行く葉を目で追いながら、幼き日のは問いかける。
「ねえ、お母さん」
愛らしい我が子の柔らかな髪を膝元で撫でながら、母親は応えた。
「なあに、」
「お父さんって、私のこと嫌いなのかな」
自分の頭を優しく撫でていた母の手がぴたりと止まって、それと同時に時も止まってしまったかのようだった。すぐに答えが返ってくると期待していたは、その数秒間の沈黙に耐えられなくなって母親の顔を見上げた。母親は目を大きく開いて唇をすぼめている。
「……お母さん?」
「何を言いだすのよ。お母さん、びっくりしちゃったじゃない」
「だってお父さん、最近笑ってくれないんだもん。この前だって……算数のテストで満点取ったのに、よくやったなってぼそって言って、ちょこっと頭を撫でてくれただけで……」
その後、自分を一人家に残して母の元に行った。
ここまで訴えたかったが、そうすると病気の母を咎めているような気がして言えなかった。だが、母親にはの思っていることなど全てお見通しだったようだ。
「。ごめんね。お母さんが、お父さんのこと独り占めしてるわね」
「ごめんなさい、ごめんなさいお母さん。そんなこと、言いたいわけじゃあないの。お母さんのこと責めてるわけじゃあないのよ。ただ、私……ひとりで家にいるのが寂しくて……」
何とか本心を隠そうと取り繕う。だが、これだって嘘ではない。いつも、金曜の夜にここへ来て、日曜の夜に家へ連れ帰られる。月曜から金曜など無くなればいい。はそう思っていた。
父はここでなら笑顔を見せてくれる。その笑顔が自分に向けられることは稀だけれども、重苦しい空気のだだっ広い家に笑わない父親――母親のことが心配でならなかったのだろう――とふたりでいるよりはずっと良かった。
「私、ずっとここにいたいわ。お母さん」
「ええ。。私もずっと、あなたとお父さんと一緒にいたいわ。でもあなたには学校があるものね」
「学校なんか行かなくったって、私お勉強得意なのに……」
「ええ。そうよね。さすがは私とお父さんの子だわ」
母親はまた、の頭を優しく撫ではじめた。
「ねえ、聞いて?」
「……ん。なあに」
「お父さんもこの間、お母さんがさっき言ったのと同じことを、嬉しそうに話していたのよ」
今度はが驚いて、ちょうどついさっき母親が見せたような表情で母親を見やった。
「それって本当?」
「ええ。本当よ。いつもなのよ。いつも、お父さんはあなたの話ばかりしているわ。お母さんだって、あなたに嫉妬しちゃっているのよ」
例えば、の容姿のことについては、お前に似て最高に綺麗だ。と言う――これはもう耳にタコができる程聞いている――し、は父親似だと反論すると、そうかな。まあ、算数や理科が得意なところは似てるかもな。なんて誇らしげに話して、それはともかくとして、あの子は可愛らしすぎるから、将来の男関係が心配だ。とか、そんな話をし始め、最終的にはが連れてくるのがどんな男だろうと、それが生物学上の男である限り会うなり一秒で追い返してやるという結論に至ったのだという。
「お父さんはね、こういう事を本人にはめったに言わないのよ。昔からそうだったわ。……だから、自分が本当に愛されてるかって心配になるのはお母さんも良くわかる。だけど、信じてあげて。お父さんはね、死ぬほどあなたのことを愛してるわ。それはお母さんが保証する」
母親から初めて語られた話を聞いては有頂天になった。父親からの確かな愛情を感じ取ることができた気がしたのだ。心を覆う暗澹たる霧がスッキリと晴れたような心地だった。確証が欲しい、父親本人から愛情を受け取りたい。そんな気持ちが無くなったとは言えないが、この時は母の言葉だけで十分だとも思えた。
「でも……変だわ。愛してるって言ってくれないのに、どうしてお母さんはお父さんと結婚したの?」
この疑問は、ちょっと興味がわいたという程度のもの。十歳を超え、少しばかり異性が気になりかけてきた年頃の少女の好奇心だ。
「うーん。そうね……」
なんと言おうか、迷った風に窓の外を見やって唸った後、母は言った。
「ビビッときたのよ」
「ビビッと?……なあに、それ?」
「なんて言えばいいのかしら……。初めてお父さんを見たときににね、こう……この人だ!って……ほら、探知機が探しものを探し当てた時みたいに……ビビっときたのよ!」
「えー!変なのー!わけわかんない」
はけらけらと、母親の膝のあたりで笑い転げた。母親は両の人差し指を突き出して耳の横に添え、しきりにビビッと言ってはを笑わせた。
「。あなた、お母さんのことバカにしてるみたいだけど、そのうち分かる時が来るんだから」
「絶対ないよ!そんなの絶対ないもん!」
「いいえ。絶対あるわ。お母さんはね、そのビビッときたのを逃さなかったの。……だから今、私はこんなに幸せなのよ。最高にカッコいい旦那様がそばにいてくれて、最高にかわいい娘に恵まれて……お母さんは、本当に幸せものなのよ」
そう言って、女神のような優しい眼差を向ける母親は最高に美しかった。声はうわずって、美しい瞳からほろりと涙がこぼれ落ちる。は慌てた。
「ど、どうしたの?……お母さん?」
母親は人差し指を目の下に添えてこぼれ落ちた涙を拭い、を抱きしめた。
「あなたもきっと……いいえ。必ず……必ずよ。あなたのことを心から愛してくれる素敵な男性に巡り会える。……この人だと思ったら、誰に何と言われようと、自分を……自分の心を信じなさい。そうすればあなたも、お母さんと同じで……最高に幸せになれるわ」
幸せであるはずの母親が、何故泣いているのか。当時のにはよく分からなかった。そして、それから一年と経たない間に母親が亡くなった時、ようやくその理由が分かったのだ。
最高の幸せが、いずれ近いうちに無くなるものと分かっていたから泣いていたのだ。
母親が、父親の愛情を確かめるための頼みの綱だった。父親の愛情は、母親を介してしか確かめ得なかった。けれどもは、母親が亡くなってからも母親の言葉を信じ、父親は自分を愛しているのだと信じて生きてきた。こうして今の自分があるのだ。
けれども、幼心の延長線で盲目的に信じてきた父親という存在を、今は信じられなくなっている。
「お母さん」
主寝室の大きなベッドに寝転がり、は呟いた。窓の向こうでは警備員がうろついていて目障りなのでカーテンは閉めていたが、は回想した幼き日の自分と同じように、広々としたクイーンサイズのベッドの上に寝転がっていた。
「私ね、ビビッときたのよ」
今この時この場所にいて、もう随分と長い間思い起こさなかった母親の言葉を思い出したのにも、は何か運命のようなものを感じていた。母親がいた場所で、母親に何か問いかけてみれば答えが得られるような気がした。
「だけど、父さんのことは……もう、信じられそうにない。だけど、その人を受け入れるのなら、父さんのことも受け入れないといけないの」
きっと母は知らなかっただろう。父親がギャング組織の幹部だったなんて。それがいつからなのかは知らないが、きっと母は知らない。そんなことを弱った母にわざわざ知らせたら、心臓発作でも起こしていただろうから。
もし天国なんてものがあって、天国で母親が私達を見守っていて、父親のことも、自分のことも、イルーゾォのことも、何もかも知っていたら今ごろ何を思っているだろう。
「私、これからどうしたらいいと思う……?」
が消え入りそうな声で呟いた直後、劈くような警報音が内側と外側とで同時に鳴り響き、辺りは騒然とし始めた。
は驚いて跳ね起きてブランケットを手繰り寄せ、ベッドのヘッドボードへ身を寄せた。扉の向こう側に、バタバタと――恐らく――警備員が詰め寄ってくる音が聞こえて、すぐに扉がノックされる。
「さん!失礼します!」
警備員の声が聞こえて、の返事も待たない内に荒々しく扉を開けられる。突入してきた警備員は、開けてすぐ脇の壁にあるスイッチを押し部屋に明かりを灯した。が無事、ベッドの上にいることを確認するなり、なにか問題は?と聞き、がいいえ、何も、と答えると、トランシーバーで異常なしと外の班長に伝えた。
「ああ、びっくりした!一体何があったの?」
「大変失礼致しました。実は、キッチンの勝手口のロックがはずれ、ひとりでに開いたもので」
キッチンの勝手口は、父親が食材やら何やらを運び込むのに自動ドアだと勝手がいいと電子制御しているものだった。
「故障なの……?」
「ええ。恐らくですが……。型式がだいぶ古い物ですので、誤作動があってもおかしくはないのですが……」
「ですが?」
「今のところ全く原因が掴めていないのです。申し訳ありません」
「いえ、いいのよ。ご苦労さま」
「ありがとうございます。念の為、邸宅内に異常が無いか確認して配置に戻ります。少々騒がしくなるやもしれませんが、ご了承ください」
警備員は小さく頭を下げて部屋から出て行った。
すっかり目が冴えてしまった。過去に思いを馳せ、亡くなった母親に救いを求めていた脳は、命を狙われている身であることをに思い出させた。誘拐され、廃墟で犯された後に殺されそうになっていた時の恐怖が、じわじわとの心を蝕んでいく。
は居ても立っても居られなくなって、まるで檻に入れられたトラのように部屋の中をうろつき始めた。
どうして殺されそうになっているというのに、大人しく囲われたままでいられるだろう。今まで呑気して過去を振り返り、夢想にふけっていた自分が信じられない。犯人が捕まるまで何もしないでただ待つなんて、焦れった過ぎて頭がおかしくなりそうだ。ああ、私にもホルマジオとかいうあの坊主のお兄さんみたいな特殊能力があればいいのに!……あ、そう言えば、結局イルーゾォの能力がどんなのかって詳しく話を聞くのを忘れていた!……ああもう!気になって気になってしょうがない!眠れる気がしない!
やがて部屋の外の物音がなくなって、警備員が再びドアをノックし、扉の向こうから部屋のどこにも異常はないとのことを伝えると撤退していった。
少しほっとしたが、思い出したが最後、やり場の無い怒りやストレスはどんどん膨れ上がっていった。
は深いため息を吐き出しながら、重力に任せてストンとベッドの端に腰を下ろした。すると、向かいの壁に鏡がかかっていることに気がついた。
そう言えば、この家にはやたらと鏡が多いのだ。父親の前で常に美しくありたいという母親――抗がん剤治療の副作用で、豊かだった母の髪は、闘病末期には殆ど抜け落ちていたが、母は毎日ウィッグを被り、メイクも欠かさなかった――の意向で、少なくとも部屋に二つか三つは必ず壁にかけられていたのがそのままだ。主寝室の鏡は今のようにベッドに腰掛けると、ちょうど顔が見える位置に掛けられていた。は鏡の中の自分をしばらく見つめた後、ゆっくりと目を閉じた。
目を開けたらそこに、彼の姿が映っていたらいいのに。
彼はいつだって私の前に幻影のように現れた。華やかに、美しく現れて、私の心を揺さぶるの。まるでマジックみたいにね。
そして囚われの身の私を外へ連れ出して欲しい。彼にならきっとできるはず。
短い空想にひたって、そんなことあるわけ無いか、と諦めて目を開けた。開けてすぐに、は我が目を疑った。
ついさっきまで頭の中で思い描いていた光景が、目の前の鏡に映り込んでいたのだ。
11: That's My Girl
が驚いて後ろを振り返ると、そこには鏡に映っていた通り、イルーゾォがいた。ベッドの上であぐらをかいて、その上に肩肘をつき手の甲に顎を乗せ、にやりと笑っている。がどうしてここに?と、問いかける前に、イルーゾォは荒々しく彼女を抱き寄せ、きつく抱きしめた。
「今日、会う約束をしていただろう?」
「ええ。約束の時間は、もう十二時間も前だけれど。……まさか、来るなんて思わなかった」
「来てほしいとは思っていたんだな?」
イルーゾォは抱きしめていたの体を一度自分から離し、彼女の顔をまじまじと見つめながら答えを待った。
見つめられたは途端に顔を真っ赤にして目を泳がせ、何と言おうかと散々迷った挙げ句、降参して本当のことを語った。
「ええ。どうしようもなく……あなたに会いたかったわ」
その答えを聞いた瞬間、イルーゾォはをベッドの上に押し倒して彼女の体に跨った。大きな体の割に小回りは効くらしい。押し倒された本人は、何が起こったか分からないまま、熱い眼差しを向けてくるイルーゾォをじっと見つめていた。
「ならオレと来い。おまえのことはオレが守ってやる」
断るという選択肢は与えない。あるはずもない。そう言わんばかりの自信に満ち溢れている。今のイルーゾォは心の底から格好良く頼もしい。はときめきの内に、今の今まで思い悩んでいたことをすっかり忘れてしまっていた。そしてゆっくりと頷いた。
「いいわ。私をここから、連れ出して」
天井を向いた掌にイルーゾォの手が重なって、指と指が交差し、果てにきつく握りしめられる。唇がゆっくりと近づくに連れて、の鼓動はさらに早くなっていく。そんな中、目を閉じて彼からの贈り物を心待ちにしていると――
「えふえふん!!」
――わざとらしい咳払いが聞こえてきた。明らかにイルーゾォのそれではないと判断がついたは驚いて飛び起きようとするも、イルーゾォの額に自分の額を激しく打ち付けてしまい、あまりの痛みにベッドの上でのた打ち回った。
イルーゾォは痛みにもだえ――スタンド能力の特性上または仕事柄、敵と殴る蹴るの乱闘にもつれ込むことがないので、彼は痛みに慣れていないのだ――転げ回りたいのを必死に抑え、咳払いをした張本人をキッと睨みつけた。その目には薄っすら涙が滲んでいる。
「うら若い青少年の面前でサカりちらしやがってこのファッキンクソジジイが!!」
「……テメーの部屋でこそこそマスかいてばっかのガキにゃあちっとばかし刺激が強すぎたか?」
「うるせーんだよマジで余計なお世話だわボケェ!!汚れるんだよ!!心が!!汚れるからやめて!?」
「おい。セックスってのは別に汚らわしいもんじゃあねーんだぞ。お前だって父ちゃんと母ちゃんのセックスの賜物なんだ」
「セックスの賜物って何だよやめろぉ!!聞きたくない、聞きたくないんだよぉ!!」
やっと痛みが引いてきた頃、は額に手を当てながら、涙目で騒ぎの中心を見やった。
「シド……?」
イルーゾォとの口戦に熱中しているシド。いつもの様にあの物騒なマスクを付けているので誰にもわからないが、彼は今白目を憎き恋敵に向けている。が自分に近付いてきていることに気づかないほどの怒りに取り憑かれていた。
「シド!」
「うぎゃっ!」
唐突な抱擁に悲鳴を上げて、シドは硬直した。恐らくそれは、覚えている限りでは初めての抱擁だ。物心がついてから今まで一度も感じたことの無い温かさだった。ほっとするような、けれど気恥ずかしくてむず痒いような、何とも言えない気持ちになって、シドは顔を歪めた。
「良かった……無事だったのね……!」
「お、おう。あんたも……っていうか、あんたが無事で……良かった」
シドはぎこちなくぽんぽんとの背を軽くタップしてギブアップと伝えたつもりだが、彼女はなかなか離れようとしなかった。の肩越しにちらとイルーゾォの方を見やると、面白くなさそうな顔で腕を組んで仁王立ちしている。少し気分が良くなって、まあ、もう少しこのままでもいいか。と思い至る。
「父さんに何か酷いことされてない?クビだとか、出ていけとか、殺すとか言われていない?」
「ん?いや。……なんでそうなるんだよ」
「私をナポリから連れ帰る時に、そんなことを言われたのよ。父がまさか……パッショーネの幹部だったなんて……信じられないわよね。組織の幹部が言う事だから、ハッタリなんかじゃあないって思ったの。だから私、こっちに戻ってきたのよ」
ロマーノの言葉はただの脅し文句だ。シドは最初こそ、が暗殺者を追ってナポリへ向かうのを止めなかったことに怒りをあらわにされていたが、それ以降は捜索に全面協力を要請されただけ。まさか、あのカタブツから感謝の言葉をかけられるとは夢にも思わなかった。死の危険など少しも感じていなかった彼にとっては寝耳に水だ。もっと言えば、シドはロマーノがパッショーネの幹部を務めているという事実を黙っているようにと、口封じに多額の金を受け取っていたので、最早の父親には好印象しか持っていない。
それはそれとして、が、自分が殺されるかもしれないからと心配になってイルーゾォをナポリに残しミラノへ戻ってきたのだと聞くと嬉しかった。
イルーゾォ。パッショーネのヒットマン。――がついさっき、どうしようもなく会いたかったと言った男だ。今まで一度も見たことの無い女の顔で、合って間もない暗殺者に愛を語っていた。その光景を思い出した途端、彼の嬉しいという気持ちは瞬く間に奈落の底へ落ちていく。
シドはいい加減苦しいから離してくれと、本心を隠しの腕を振り解いた。
「で?これからどうすんだよ」
シドもまた負けじと腕を組んで仁王立ちになる。はハッと思い出したかのように口に掌を当てた。
「……私達こんなにぺちゃくちゃ喋ってて大丈夫なの?今どういう状況なの?」
辺りをキョロキョロと見回して耳を澄ます。外は静まりかえっている。だが、が今まで見つめていた掃き出し窓は何故か反対側に移っていた。そのとき、初めて異変に気がついた。
「あれ……どうして窓が……反対側に……?」
「……なんだ。オバサン、こいつのトンデモ能力知らねーの?」
「え……?」
シドが指差す先には、ひどく自信満々な様子で壁に寄りかかって腕組みをしているイルーゾォがいた。もったいぶって中々話そうとしないのに苛立って、シドは本人に代わり彼の能力と、どうやって現状に至ったかについて解説を始める。
「――案外使い勝手の悪い能力だよな。……こっちの世界じゃあ施錠されてる扉を打ち破ることはできないわけだし。ポンペイの遺跡とか――そんな所に鏡があるわけもねぇが――扉の無い場所なら無敵でやりたい放題かもしんねーけどさ。つまりオレがいなきゃアンタはここまでたどり着けてねーんだからいい加減偉そうにドヤ顔で突っ立ったままでいんのやめろや腹立つな!?」
「ヤケに突っかかってくるじゃあねーか、シド。それにしても、人の能力について勝手にペラペラと講釈たれやがって……」
――そう言えば。
イルーゾォはの当初の目的が何だったかを思い出した。彼女の目的は、自分がどうやって例の殺人をやってのけたのか。そのトリックを聞くことだ。死にたくなければとか、確かそんな口説き――脅し――文句で、関係を迫った気がする。
トリックがわかりました。はい、さようなら。そうなるのではないかという不安がふと過った。そして、今の彼女にはあの時の勢いとか情熱とかいったものが感じられない。恐らく、父親のことでショックを受けているのだろう。今まで正義の人と信じてきた父親が、実は人の死の上に生きるギャングだったとは。そんな所か。
オレもまたそんな組織の一員に違いない。だがは確かに、ここから連れ出してくれと言った。ならばギャングで、しかも父親よりもタチの悪い、殺しを実行する暗殺者である自分を受け入れるということなのだろうか。
「。もう一度聞く。……お前はオレと一緒に来るんだな」
イルーゾォは、シドと自分の間中に立つを見つめた。はイルーゾォの問いかけを頭の中でもう一度唱えると、何か決心がついたような、固い意志を湛えた眼でイルーゾォを見つめ返した。
「ええ。……ずっとここにいて、殺されるのを待つなんてまっぴらだわ。シドとあなたがいれば、ここから抜け出すのはもとより、私を殺そうとしているヤツを捕らえて刑務所にぶち込んでやることだって簡単。そうでしょう?」
前言撤回。向きこそ変わったようだが、の情熱は彼女の中で熱く滾り続けていたようだ。
自分の運命は自分で切り開く。そんな強い意志が、からはいつも感じられる。
強く、気高く、そして美しい。最高の女。――これがオレの女。・なのだ。
「ああ、その通り。それでこそおまえはオレの女だ」