堤防の上で、太陽が沈みかけた海の水平線を眺めていた。何て綺麗なんだろう。下端を埋めた状態の太陽は、空も水面も橙色のベールのように染めてあげている。焼けるような目の前の光景。下の方で、堤防を打ち付ける漣の音がする。どこか懐かしい、あの日二人で見た夕陽にそっくりなその光景。そして何故かは分からないが、アタシの頬には涙が流れている。隣には愛しいウボォーの姿。彼は儚いものを見るような悲しげな表情で、じっと私の方を眺めながらこう言った。

「・・・どうかしたか?」

 アタシは立ち上がって、何でもないと一言。涙を拭って、そっとウボォーの両頬に両手を添えた。

「アタシ、ウボォーに伝えたいことがあるんだ」
「何だ?」

 そう。今のアタシが一番彼に伝えたいこと。愛しい、会いたい、分かれたくなんてない。けど、現実は残酷だ。だから、これで最後だと覚悟をして、そっと唇をウボォーのそれと重ね合わせる。全てを求めて舌をすこし突き出せば、自然とウボォーの舌が絡まって、深く、長く、まるで溺れるように、何かにしがみつくように互いを求め合った。

 何時間、いや、何十分・・・何分か、それともたったの何秒か?互いの間で時間はゆっくりと流れ、どれだけの間だったのか正しくはよくわからない。名残惜しそうに唇を離せば、一度拭ったはずの涙が溢れ出してくる。けど、もう戻らなければいけない。その使命感が何かはわからないが、アタシは最後にこう呟いた。

「ウボォー。アンタのこと、死んでも愛し続けるから」
・・・オレも・・・」

 わかってる。言わないでいい。言わなくてもわかるから。それが恋人同士ってもんだろう?

 何か言いかけた彼の言葉を最後まで聞くことなく、私は意識を手放した。







13話:新しい未来へ






さん。どうしたの?しっかりして!」

 近くで悲観的な叫びがアタシを呼んだ。ぼやけた目を軽く擦ると、霞んでいた視界が段々鮮明になっていき、窓から差し込む夕陽に満たされた室内が見えた。脇にはアタシを心配そうに覗き込む少女の姿。

 それを確認した後、無性に悲しくなってアタシは泣いた。

さん?」

 夢だったのか。しかし、夢にしてはいやに現実味があった。ウボォーの体温が、この手のひらにまだ残っているように・・・。触れた唇の温かさも、まだこの唇に残っているように思えて仕方がないのだ。あれが現実ならどれほどよかったことか。そこでアタシは思い直した。違う・・これでもう、思い残すことはない。

「アタシだって・・・随分幸せ者だよ」
「?」
「現実から逃げたってのに、こんな最高のプレゼントがもらえるなんて」
「・・・何かあったの?」

 午後6時を回った頃だった。瞑想中に突然気を失ってベッドに倒れこんだらしいアタシ。その一連の出来事を見ていたの親友、唯香は説明を求めてきた。全てを伝えた。彼女に、ウボォーと会ってきたことを。すると彼女は満面の笑みでこう答えたのだ。

「よかったね・・・さん!」

 他人事のはずなのに、も唯香も、どうしてこんなに親身になってくれるのだろう。そんな二人に感謝しながら、唯香に抱きついた。

「え・・・?さん・・・!?」

 慌てて体勢を立て直す唯香に苦笑しながら、アタシはこう宣言した。

「安心しろ唯香!はこのアタシが、命を懸けて助ける!」
「・・・さん・・・ありがとう!!」





























 そこはガラクタの海。ガラクタ・・・山のように積まれ、放置される廃棄物。その山のてっぺんに腰掛けているのはまだあどけなさの残る黒髪の少女と、アフロみたいな頭をした、大柄の少年だった。彼らの目の前には、その雄大に広がるガラクタの海に沈もうとする大きな夕陽があった。

「綺麗だね!アタシ、この風景何度見ても飽きないや」
「そーかー?ロマンってもんがねーなー。お前」
「えー??」

 少女は隣に腰掛ける少年を、頬を膨らませて振り向いた。すると少年はニヤニヤ笑ってこう答える。

「この前クロロのヤツが言ってたんだけどよ!“海”ってもんがあるらしーぜ!こーんなガラクタの山じゃなくてよ、おーっきな水溜りみたいなもんでさ・・・。その“海”の・・・すいへーせん・・・だっけか?そこに沈む太陽がすっげーきれーらしい!」
「へー・・・。クロロ、見たことあんのかなぁ」
「本の挿絵にあったんだってよー」
「ふーん」

 “海”を知らないらしい彼らは、ひと時、その頭の中で“海”を思い浮かべる。すると少女がこう切り出した。

「いつか二人で見れたらいーね!その“海”の夕陽!」
「え・・・?」

 頬を染める少年に気付かないまま少女は続けた。

「いや?」

 小首をかしげて少年に尋ねる少女。

「いやじゃねぇ!・・・行く!ぜってぇ見に行く!二人で!」
「それじゃー、約束ね!」

 小指を差し出す少女につられて、慌てて少年も小指を差し出す。それらを絡ませたあと、あのお決まりのフレーズで“約束”をした二人。はっと我に返ったように、少年は沈みかけた太陽に向き直る。照れてる照れてる!そうはしゃぐ少女を小突いて、ちょっとした喧嘩になろうとしたとき、彼らの仲間が二人の名を呼んだ。

「ウボォー!ー!いつまでそこにいるつもりだよー!さっさと降りて来いよなー!!」
「メシだぞメシ!!」

 二人は恥ずかしそうに顔を見合わせたあと、ガラガラと音を立てながら、ガラクタの山を降りて行った。




















・・・オレも愛してるぜ!!」

 突然かけられたその言葉に困惑する私。はっと目を覚ますと、そこには筋肉質な大きな肩の一部があった。そしてぎゅうっと今にも音を立てそうなくらい強く抱きしめられる私の体。少しの間あったかいなーと呑気に考えながら、されるがままの状態で居ると、じわじわと、その締め付けによる痛みを感じるようになってきた。

「う・・・ウガァ!!」
「どーした!?。照れ隠しかー?」
「ちょ、ウボォー・・・痛い!!」
「はっはっは」

 笑いながら私を解放して笑うウボォー。もー。と唸って、ちゃっかりと私はウボォーの膝に腰掛けた。ただ、どうも腑に落ちないことがある。私は、夢を見ていた・・・?

・・・」

 先ほどとはうって変わって、真面目な口調でウボォーがこういった。

「嬉しかったぜ、。お前からそんな言葉が聴けるなんてな。思い返してみると、付き合い始めてから一回もオレに、愛してるって言ったことなかったよな。お前・・・」
「え・・・?」

 私はここに来て、一度もまともに言葉を発した覚えはない。それは、私じゃない誰かが・・・そう。そこで瞬時に理解した。

 さんだ。私が夢を見ている間に、さんが一時的に戻ってきたんだ。

 私はそう信じた。そして嬉しい気持ちで一杯になった。今まで感じていた虚無感、それは期間を全うしてこちらに戻ってきたさんには、あまりに酷い現実が残ることに対する悲しみ。そしてその現実に、酷い別れ方をしたあと一度も報われないままに、向かいあわなければならないという彼女の心情を思う心だったのだ。

 それが一掃された今、自然と気持ちが晴れた気がした。そして思った。

「生きたい」

 漫画の中で蜘蛛がどんな将来を歩むか・・・。それを知っていても、私は私のできる限りのことをしよう。それで結末がどうなろうと、知ったこっちゃない。運命など如何様にも変えられる。いや、運命なんてあってないようなもの。「運命」だなんて、それこそこの世で一番信憑性のない、最も頼りにしてはいけない言葉なのだから。

 フィクションなんかじゃない。ここは、もうひとつの、私の世界。

「ウボォー。ありがとう・・・」
「お?何だ?突然」

 さっき見た夢の中で知った、ウボォーとさんの約束。それを思い出して、泣き出しそうになったが一生懸命堪えた。

「ありがとな!約束、守ってくれて!」
「何言ってんだよ。これで何回目だと思ってんだ?」
「うるさい。一生の約束なんだから、死ぬまでに何回だって行くんだからな!」
「一生の約束ってなぁ」
「よっし!遅くならないうちに帰るか!」
「・・・そうだな」

 5時間ぶっ通しで走ってもほとんど息を切らさないウボォー。その彼の肩に跨って皆の待つアジトへと帰る。そうそう、丁度、オープンカーに乗った気分。いや、オープンカーなんかよりもっと気持ちがいい。シートベルトはなし、堅苦しい椅子にこじつけられるわけでもなし。足を支えてもらうだけで、両手は自由だし、風は全体で感じられるし、視界は開けて、満天の星空は見放題。こんなに気持ちのいいことはない。しかも好きな人と一緒。まあ、風の音の所為で会話は大声になったけど。





   ***





 仕事前に疲れさせてはいけない。そう思ってちょっとスピードを緩めて帰ってきたから、1時間ほど行きよりも長くかかったけど、すごく楽しかった。

「お帰り。二人とも」

 団員の皆が笑顔で出迎えてくれた。着いたのは23時45分。もう少しで9月に入るところだった。時計の文字盤を見て一気に現実に引き戻される。

 あと約48時間。

 そこで、私はきょう見た白昼夢を思い出した。

「あ!そうだそうだ!誰か紙とペン持ってねぇ?」

 旅団員の集まるところに向かってそう問いかけると、パクノダが、懐から手帳を取り出してその一ページを切り離し、ペンと一緒に渡してくれた。

「どうするの?」
「え・・・?ああ、日記だ。今日のこと書いとこうと思って」
「ぷっ・・・女の子みたい」
「あ、アタシだって一応女なんだけどな・・・」

 物を書くのに丁度いい平らな部分を見つけて、アタシは日記を付け始めた。・・・日記、と言うよりも、手紙に近いのだろうか。




  さんへ

   8月30日にさんが会ったウボォーさんは

   きっと、本物のウボォーさんです。

   そして貴方の言葉も、ちゃんとウボォーさんに伝わってます。

         より




 
 パクノダにペンだけを返し、私はその手紙を折って、ズボンのポケットにしまい込んだ。

 こっちに戻ってきたさんが、あれが夢だと思わないように、私はこの手紙を書いた。でも、これはウボォーが死ぬことを自分が予期してるってこと・・・。・・・やっぱり諦められない。ここに来た時からずっと変わらない「誰も死なせたくない」という思い。何も変えることが出来ないなんて私は思わない。精一杯、やれるだけのことをやろう。


 二人の思いが重なったその時。ひとつの悲劇が、幕を開けた。