純真なる思いに報いるときが過ぎても


 今の私をあの人が見たらどう思うだろう。

 鏡台の前に座って、鏡に映る自分の顔を見ているとふとそんなことを思った。薄暗くて狭い楽屋。どぎつい香水の香りで充満したこの部屋に慣れてしまったのはいつの頃だったか・・・確か7、8年も前の話だわ。

 あの頃の面影なんて微塵も残ってないこの顔。化粧品を塗りたくって、まるで仮面をかぶったみたいにこてこて。だからきっと、もし街ですれ違っても、初恋の彼に分かってもらえるはずなんてない。

 ・・・初恋?ああ、バカバカしい。こんな、身もココロも根っこから汚れきった私には、思い出すことさえ不似合いな過去だ。青春なんて生まれた時から与えられてないんだ。身の程を知れ。

 コンコン。

 楽屋の扉がノックされる。返事しないとすぐブツの、あの人。はぁーいって甘い声でドアを開ければたちまち上機嫌になるオーナー。心の中じゃ死ねばいいくらいに思ってるけど、そんなこと口にすれば私は路頭に迷ってしまう。

 私は売女。娼婦。夜発。ほかにもいろいろ呼び名はある。全うな人間には忌み嫌われる存在。金持ち連中のウツツで溜まった鬱憤を精液と共に発散させてやるのが仕事。

 たまに、街の中心にあるバーで歌ったりするの。これは、本業の客集めにすぎない。でもね、この時だけは幸せな気分になれるの。何でかな・・・。わかんないや。

「時間だ、

 昨日新しく買ったワインレッドの口紅を仕上げに塗って・・・よし。完璧。

「はぁーい」

 気だるげな眼差しで扉の向こうにいたオーナーのほっぺにキスをする。そうすれば彼は上機嫌になるの。

「今日も綺麗だな。。しっかり客を集めてこい。特に今夜は政界のお偉いさんたちやら街を仕切ってるマフィア連中やらがわんさか集まってる。お前の美貌の虜にしてやれ」
「頑張るわ」

 真っ暗なステージに立って、マイクスタンドのそばに寄る。瞬間、スポットライトが私を照らすの。いつものように歌って、男を誘惑して、性欲処理してお金を稼ぐ。そう、いつものようにやる・・・予定だった。






前編







「ったく。あのじじぃ共また面倒な仕事押し付けてきやがって」

 雨が降ったあとのじっとりとした石畳を歩くフィンクスとフェイタン。二人は珍しくタキシードを身につけ、街の中央に位置する高級バーに向かっていた。

「暇つぶしにはちょうどいいね。それに、金はしかりもらた。特に断る理由ないよ」
「それもそうか・・・」

 彼らの本拠地である流星街の居住区に違法ドラッグが流入していた。もっとも、流星街においてそれが違法と呼ばれるべきかどうかは別の話だが、人体に悪影響を及ぼす一時的快楽を得るための薬品で、一般的な社会では所持しているだけで罪になるようなもの。

 流星街でドラッグを利用する者がいようといまいと、それで人が死のうが死ぬまいが・・・もともと無法地帯のような場所で問題にすらなるはずもないよことのように思えるし、依頼を受けたフィンクスも当初は「知ったことじゃねぇ」の一点張りだった。

 しかし、今回の事例は別だった。ドラッグを利用して死に至るものが続出し、且つ明らかに死ぬまでの期間が短い。無法地帯の居住区だからと言っても、それなりの人間生活や社会らしいシステムは一応機能している。そこで人が大量に死んでもらっては困る。流星街を治める上層部はそう考えていたのだった。

 そこで調査に乗り出した上層部は、開発途中のドラッグの実験体として流星街の住民を利用しているマフィアがいるという情報を得た。居住区にドラッグを持ち込んだ人物から、ドラッグの性能を外部に伝えるマフィアの手先をあぶり出し、ついにはそのマフィアのファミリー名までも吐かせたのである。(ちなみにこの時の拷問はフェイタンが担当した。)

 根本を断たねば、いずれまたこのような事態が発生してしまう。そう考えた上層部が、ファミリーの殲滅を二人に依頼したのである。

「じじぃ共がやりてーのは事態の収束じゃなくて、ただの復讐だろ・・・。ま、久々にマフィア相手に暴れ回れるってのはすげぇ気持ちのいい仕事だけどな・・・」

 例のマフィアのファミリー名は「ウッドナー」。そのウッドナーファミリーの本拠地がこの街である。

 そのウッドナーファミリーが集まるというバーに、二人は今向かっているのだった。

「あたよ。あそこがそうね」

 フェイタンが目を向けた先にあるのは、ダークグリーンの木造家屋。バーと言うには少し規模が大きく、横幅と奥行が十分に確保されていた。玄関にはボーイが立っており、中へ入っていく客ひとりひとりに丁寧に会釈していた。店内に足を踏み入れると、二人はざっと周囲を見回した。店内は必要最低限の照明にしかあかりが点いておらず薄暗い。きつい香の香りが木に染み付いて、客の吸う葉巻のにおいと混ざって嗅覚をつつく。

 二人は今回のターゲットを探る。フィンクスはバーの奥、ステージ付近にあるVIP席を発見した。いかにもマフィアですよと言わんばかりのいかつい顔面が、そのエリアを囲むように立ち並び、各々があたりに警戒していた。そのエリアの中心で葉巻をすぱすぱ吸う大柄でオールバックの男。

「見つけたぜ。アイツがドン・マッチーニか・・・。なんちゅー凶悪な顔だよおい」
「・・・それ、お前が言えることか」

 ファミリーのボスにしてはだいぶ若く見える男だった。彫りが深く、目は切れ長。左のエラあたりから左瞼までを深い傷跡が走っている。他にも、素肌が見える限りで大小様々な切り傷、火傷が確認できる。

 二人がマッチーニとその周辺の状況を探っていると、急に照明が落ちた。直後、ジャズバンドがいた場所に金髪オールバックの男がマイクを持ってしゃべり始める。

「レディース、アンドジェントルメン!ようこそ、バー・ウッドストックへ!今宵も皆さんお待ちかね、街一番の歌姫、・ペトレリのステージです。どうぞ、拍手でお迎えください!」

 暗いステージに一筋のスポットライトが当たる。中央に女が立っていた。その女に、フィンクスは釘付けになった。

「おい・・・何よそ見してるか」
「・・・・・・・・・」

 フェイタンの問いかけに答えることもなく、フィンクスはじっとステージに立つ女の顔を食い入るように見つめ続ける。

(・・・あのオンナ・・・どっかで・・・)

 透き通っていて、それでいて奥深い聴き応えのある歌声。ジャズバンドの伴奏にそって彼女は歌う。まるで歌声に聴き入る男たちを誘惑するかのような視線。

 サビに入ると、フィンクスは気づいた。昔、流星街で聞いたことがあるのだ。

(・・・・・・!!)

 流星街。そこに生まれた者・生まれて間もなく捨てられた者には戸籍がない。国際人民データにすらその存在が記載されていない。そのため、マフィアはよく流星街出身者を雇う。女は幼い頃に売春道具として安値で買われる。学も抗う術も力も何もない彼女たちが、どれほどマフィアにひどい扱いを受けるかはご想像にお任せする。フィンクスの思い出したという少女がそれだった。

 そして、妖艶なステージの女にはその面影がある。すっかり垢抜けて着飾ってはいるものの、昔聞いた歌声には聞き覚えが、顔立ちには見覚えがあるのだ。

 長い間奏で彼女はステージから降り、VIP席の・・・例のマッチーニの前にまで行き、顎に手を添えて頬にキスをする。身を強ばらせていたマッチーにの部下は、他の客席を回ろうと去っていくに夢中だ。

 見た男すべてを虜にしてしまうようなその美貌。の成長にフィンクスは安堵した。流星街出身の彼女が、今では街一番の歌姫だ。彼女を見る限り、生活に困っているようには見えない。詳しいことなど何も分からないが、売春婦として扱われているワケでは無い。そう見えた。

 愛した女を目にして、フィンクスの時は止まったのだ。

「ここにいる連中皆殺しにするよ。それが手取り早いね」 
 しかし、相方のこの一言にだけはしっかりと反応する。

「ダメだ」
「・・・なぜか。お前まさか」
「ああ。そのまさかだ。あの女まで巻き添えくらっちまう」
「いい加減にするね。お前の色恋沙汰にいちいちつきあてられないよ。ささと仕事すませてホームに帰るよ」
「ダメだって言ってんだろーが」
「何でお前が指図するか」

 静かにいがみ合う二人だったが、フィンクスはふうとため息をつき、懐から蜘蛛のコインを取り出した。

「団員同士のマジギレ御法度だったな。コインで決めるか。どっちだ?」
「裏」
「オレは表だ」

 裏が出たなら、を守りながら殺ればいい。戦闘に関しては素人が9割のこの場所で、鏖殺などそもそも赤子の手を捻る程にたやすいことで、女一人守りぬくくらい屁でもない。

 そう思いながらコインを投げ、手の甲と手のひらでキャッチする。そっと手をずらすと、そこで上を向いていたのは表。

「決まりだな」
「・・・どうするか考えてるかお前」
「とりあえず、が裏に引っ込んでから殺る」

 不服そうなフェイタンは少し黙って、再び口を開いた。

。・・・思い出したよ。ホームでお前を骨抜きにした女ね。なつかしいよ」
「やっと思い出しやがったか」
「だからて、仕事は仕事よ」
「分かってらぁ」

 7年程前まで、ホームに戻れば彼女が笑って出迎えてくれた。ステージが終わるまで、フィンクスはそんな過去を思い出していた。