アタシは自分が求めることは自分でどうにかする。他人に期待なんかしない。
シャルナークに連れられ流星街を抜け出したは、人身売買を専門に行うギャング組織のブローカーと待ち合わせしている場所に向かう間、マチに言われたことを思い出していた。
シャルナークの運転する車は暗い森の砂利道を進んでいく。先を照らすのはヘッドライトの明かりだけだ。深い森の闇は恐ろしかった。だが、は思った。
進む先とほんの少し先の行先を照らす光があれば、それだけで救われる。今の自分には行くあても何もない。時は自分を置き去りに動き出したようだが、未だ闇の先に明かりなど見当たらない。
だからやっぱり、車に乗り込むまでは死んでやろうかと思っていた。そうすれば自分がこれから先を憂う必要もなくなるし、今まさに私を売って大金をせしめんとする人たちに一泡吹かせることができる。
そんな考えなどお見通しだと釘を刺されたのは、シャルナークと一緒に車に乗込んだときだった。
「ちゃん。死のうなんて思ったって無駄だからね。オレ、君にアンテナ刺してるから」
シャルナークはそう言ってにっこり笑って、携帯端末をちらつかせた。
「・・・アンテナ?」
「オレの思い通りに君を動かせるんだ。ついでだから、車のドア、閉めちゃおうか」
そう言ってシャルナークが携帯端末のタッチパネルを操作し始めた時、自分の意思に反して体が勝手に動き出した。閉めさせられたドアがバタン、と音を立てる。は再度自由に動かせるようになった手を不思議そうに眺めた。
「分かった?オレたちが金を受け取るまで、君が死のうとしたって無駄だってこと」
金が手に入ったら君の好きにしていいよ、と朗らかに言うシャルナークの笑顔は、どこか冷たかった。
無駄なのだ。為す術など何もない。自分でどうにかしたいと思っても、圧倒的な権力や能力の前に、今の自分はあまりにも無力だった。その事に気付いたのも、それを心の底から腹立たしいと思ったのも初めてだった。
初めて自分自身に腸が煮え返るような怒りを覚えた。だから、捨て身で運命に抗いたくなった。
変わりたい。強くなりたい。もう、ただの愛玩人形でなどいたくない。それを強制されるしかないと言うのであればやはり死んでしまいたい。シャルナークの能力が及ばないところにまで到達してからでいい。
上手くいくかは分からない。どこに向かっているのかも分からない。それでも、どうせ死んだように生きるのなら、最期に一度死ぬ気になってみよう。
まずは逃げなければ。シャルナークが見ている内は無理だろうが、彼の手が離れてからなら何とかなるかもしれない。
窓の外を流れいく森の薄闇を見つめながら、はそう決意していた。
その決意は、彼女が久しぶりにフェイタンから離れ、初めて真の孤独を悟ったが故に成せたものだった。
一方のシャルナークはちら、と横目で彼女の様子をうかがっていた。車に乗って移動しだしてからというもの、彼女は一言も喋らずじっと窓の外を見つめている。
何も喋らず何を考えているのだろう。何か覚悟でも決めたのだろうか。絶望を受け入れる覚悟か、運命に抗う覚悟か。それとも、すでに魂の無い人形になってしまっていて、何も考えていないだけなのだろうか。
結局、フェイタンは彼女を見送ることすらしなかった。の方も特段求めていなかったのか、ただ虚勢を張っていただけなのか知らないが、ホームを振り向きもしなかった。
フェイタンは今頃何を思っているんだろう。ひょっとすると、が出ていく姿を家の二階の窓からこっそりと見つめていたりしたのだろうか。彼は、をどうするつもりなのだろうか。
シャルナークは場違いと知りながらワクワクしていた。ギャング相手にたんまりと札束を詰められたアタッシュケースを受け取るのはもちろん、一般的に危険とされる場所に向かったり、潜入したり、秘密を暴いたりということをやるのが好きだった。
これだから旅団はやめられない。
金があればいろいろと動きやすくなるので、もちろん金はあればあるだけいい。けれどそもそもの話、彼ら幻影旅団の能力があれば、金など無くとも好きに暴れて生きていける。金は時間をセーブし楽をするための道具でしかない。それすら邪道と言ってのける武闘派が多い幻影旅団の団員が多い中でシャルナークは変わっている方ではあるが、彼も紛れもなく盗賊で、金以上に欲するものが確かにある。
金を得ることなど、我ら幻影旅団にとって真の目的ではないのだ。きっと、はそんなことにまでは気づいていないだろう。だからますますこれからのことが楽しみで仕方ない。
シャルナークはラジオから流れてくる音楽のリズムに合わせて、指の腹でハンドルをタップしながら楽しげに車を走らせていた。
20:覚醒
ふたりが行き着いた先は製材所の跡地だった。木材を保管する倉庫や、切って成形する工房、簡素なコテージなど、だだっ広い敷地に建物が点々としている。敷地の中央にどんと構えられた倉庫とその周辺は複数の照明に煌々と照らされていて、倉庫の前に黒塗りのワンボックスカー、SUV、バイク等、複数の車両が無秩序に駐車されているのが見えた。
この森の奥深くにおいては人目をはばかる必要などないのは分かるが、ギャング集団がこうも堂々としているのも珍しい。
「さ、着いたよ」
は言われてすぐにシートベルトを外した。外に出ようと車の扉に手をかけたとき、ぐらりと車体が揺れた。シャルナークは大して驚きもせずに運転席から降りて、車体を揺らした張本人に顔を向ける。
「おせーじゃねーか」
「ウボォーが早すぎるんだ。まだ言ってた時間の10分も前だよ」
一体誰と会話をしているのだろう、と、は車から降りて車の向こう側を見やった。車高の高いSUVのルーフを突き抜け、突き抜けてもまだ体の三分の一が天に伸びるほどの大男がそこにいた。
「ちゃんは会うの初めてだったよね?ウボォーギン。彼も旅団の一員なんだ」
「こいつじゃあギャング相手にナメられそうだからって団長に呼ばれて来たんだ。よろしくな!」
は律儀に頭を下げて挨拶をする。これからギャング相手に売りつける女に挨拶なんていらないんじゃ。なんてことは思っても口に出さなかった。
「それにしてもあのフェイタンを虜にするなんて、大した女だな」
「それね」
フェイタンという名を聞くとやはり心がざわついた。は眉をひそめて、冷静でなくなりそうな心をしずめようと目をつむった。そうして思い出してしまうのは、数を重ねるごとに安心から苦痛へと変貌を遂げていったフェイタンとの情事だった。快感を求めてというよりも、口にできない、やり場の無い思いを吐き出しぶつけるような荒々しいそれ。―――彼もまたどこか辛そうな面持ちだった。
は首を振って思い浮かべてしまったフェイタンの姿を頭から振り払う。だが彼女の体は意思に反して、彼の熱を恋しいと思い出してしまう。
(ダメだよ。忘れなきゃ。・・・もう、一生会えないんだから)
もう一生会えない。今更になってその事実が胸に突き刺さった。このウボォーギンとかいう大男が名前さえ出さないでおいてくれれば、このまま忘れていられたのに。むかっ腹が立つというよりも、辛くて胸が締め付けられるような思いがした。
けれどもう、弱く、囚われるだけの人間ではいないと決めた。フェイタンに会いたいと思うのは甘えだ。強い彼に愛され、守られたいと思う自分でいては、また同じことの繰り返しだ。マチという、あの可憐で強い女性のように、自分のことは自分で何とかするんだ。周りが変わるのを待つのではなく、自分が変わらなければ。
「さて、おしゃべりはこの辺にしておいて、そろそろブローカーさんたちのとこに行こうか」
シャルナークはの手を取り、落ち着いた足取りでギャングの巣窟へと向かった。ウボォーギンもふたりの後についてのそりとその巨体を揺らす。
「オレはただ突っ立ってりゃいいんだよな」
「そう。申し訳ないけど、今日は暴れないでほしいんだよね」
だだっ広い倉庫の前で門番をしていたふたりのギャングは、ウボォーギンの巨体を見ても特段恐れに慌てふためく様子も無く扉を開ける。彼らの界隈で、このサイズの大男などざらにいるのだろうか。
は、まだ見ぬ世界―――壁に囲われ外界から隔絶された国の町娘でなくても、まっとうに生きていればなかなかお目にかかれない世界―――に一歩足を踏み入れた。
ウボォーギンが頭をくぐらせずに済むほど大きな扉の向こうには、一般的な倉庫と何ら変わらない景色が広がっていた。ただ、倉庫と言ったものの中に丸太や木箱なんてものが詰められているわけではなく整然としていて、入ってすぐの向かいに簡素で大きめのテーブルがひとつ置いてあるだけだった。空間の隅にソファーや荷物の類が置いてあって、そのあたりにたむろしているギャングたちが一斉に三人に視線を向ける。
「ようこそ」
テーブルの前で、グレーのスーツを着た三十代と思しき金髪の男が大手を広げて仰々しく礼をしながら言った。
「そちらが、パーゴスウェイの秘宝、・嬢かな?」
男はに手のひらを向けて聞いた。シャルナークはうなずいた。
「うん。ああでも、鑑定書なんてないけど大丈夫?」
「そんなもの必要ない。見れば分かることだ。さあ、こっちにきて、もっと良く見せてくれないか」
シャルナークは男の方へ向かわせるためにの背中に手を添えようとしたが、触れる前に彼女は自ら歩き出した。シャルナークは驚いて目を剥いた。
男の前に着いた途端、頬に手を添えられて上を向かされた。は毅然とした態度で男の目を見据える。
「はあ・・・何て美しい目だ。いや、目だけじゃない。きっと、君だからこそ、この目が最高に美しいと思えるんだろう。こんな上玉だとは思わなかったよ。謝礼はうんとはずませてもらうよ」
男が右手を掲げフィンガー・スナップをかますと、アルミ製の大きなアタッシュケースを持った男がふたり、背後の闇から姿を現した。
「十億ジェニー。確認してくれるかな?」
十億ジェニーとやらで何ができるのだろう。ジェニーという通貨が自国の通貨の何倍にあたるのかもよく分からない。それに、自分の値打ちなどに大して興味は無かった。は尚も毅然とした態度で仲買人を見つめていた。
その間に、この後自分はどうなるのかと想像した。とりあえず最初のうちは抗わず従順なふりをして、何なら女の武器―――涙や猫なで声や奉仕など―――で擦り寄り取り入って、できたスキに付け入ってやるのだ。
「話が違うんじゃない?十五億。こっちはさ、彼女をここまで連れてくるのにうんと苦労してるんだ。知らないわけじゃないよね?あの国の守りの硬さ」
まあ、オレたちにとってはザルだったけど。シャルナークはそんなことを思い出しながら嘘八百を並べ立てた。
「壁に囲まれてて、その壁には雇われプロハンターがうじゃうじゃいたんだ。壁を越えて追手を巻いてここまで来るのに何人か死んだんだよ」
「・・・謝礼ははずむと言ったろう」
「だからさ、十五億に謝礼つけてもらわなきゃ困るって言ってるの」
酒瓶を呷りながらたむろしていたギャングたちがシャルナークとウボォーギンのふたりを取り囲むようにわらわらと集まり始めた。
「話が違うのはそちらじゃないかな」
「あのさ。言った言わないの水かけ論に付き合うつもりは無いよ。十五億、きっちり払ってもらえないっていうならは連れて帰らせてもらう」
仲買人はそばにいたの腕を掴み自身に引き寄せた。
「そうはさせない。さっさと金を受け取って帰ってもらおうか」
「納得するまで帰るつもりは無いよ」
「なら、消えてもらおうか」
仲買人のその一言で、ギャングたちが一斉に銃口をシャルナークとウボォーギンの二人に向けた。は腕を掴まれながらびくりと体を揺らした。実物を見るのは初めてだった。ふたりを殺すため、今まさに撃鉄を起こさんとする十数の拳銃を目にして、それが自分に向けられているわけでもないのに怯んでしまった。当の本人たちは、屁でもないと言わんばかりに平然と立ったまま。
「ははっ!そう、そうだよな。オレたちのこと殺せば、十五億どころか十億だって渡さずに済むもんね。・・・ウボォー。暴れるのはダメだけど、一人くらいならいいよ」
ウボォーギンは大きな口の端を吊り上げてニヤリと笑うと、適当な方向に向かって歩き出した。向かってこられたギャングは手始めに一発、大きな的に向かって銃弾を撃ち込んだ。―――撃ち込んだはずだった。
「―――!?な、なんで」
銃弾はからりと音を立て、ウボォーギンの足元に転げ落ちる。まるで鋼鉄製の硬い壁に真正面からぶつかったように弾薬の頭が潰れていた。パニックに陥った男は、迫りくる壁に向かって何発も続けざまに撃つ。だが結果は変わらず。どよめきの中、慌てふためく男の頭は片手で鷲掴みにされ持ち上げられ、メキメキと音を立てる間もなく潰されてしまった。まるでりんごをくしゃりと握り潰すように。
焦燥と動悸と吐き気を覚え、はとっさに目をつむり口を覆った。鼻を突く鉄の匂い。―――むせ返るようなその匂いに、目覚めさせられたような気がした。