まるで遊び疲れた子供の様に、はオレの肩に頭を預け、ぐっすりと眠っている。彼女がすやすやと寝息を立てて寝始めたのは、ラビアから飛行船が飛び立ってほんの30分程度経ったくらいからだった。窓の向こうに広がるのは、大都会の夜景。この景色を見て綺麗だと感嘆の声をあげていたかと思うと、気づいたらすっかり夢の中だ。
肩から伝わる彼女の熱はどこか刺激的だが、オレの心を落ち着かせるくらいに優しい温もりにも感じられる。少し前まで、こんなに近くにいるってだけで心臓が五月蠅かったと言うのに、今は、この温もりから離れがたい。少し前まで、仮宿くらいにしか思ってなかったの家には、今ではどちらがオレのアジトかも分からないくらいに入り浸ってる。今まで、率先して安らぎなんてものを求めてはいなかったが、今では安らぎの意味がようやっと分かるようになったし、彼女の元から離れがたく感じてしまうのもきっと、その心地いい安らぎの中に身を置いているからなんだろう。こんな浮つきまくってるのは、オレの人生史上初めてだ。
に会うまで、真剣に恋なんてしたことが無かった。何たってオレは根無し草の第一級犯罪者だ。恋人なんぞ持ったところで、まともに相手してやれなくて振られるか、相手が浮気してしまいだ。きっと浮気されたところで、怒る気も起こらないだろうってオンナにしか会ったことがなかったし、肉体関係を持ったってそれは一夜限りだった。そもそも、やれそうだ、ってオンナにしか手は出してなかった気すらする。
オンナなんて、そんな性欲処理くらいにしか思ってなかったってのに、このには全く、今の今まで手が出せなかった。勃起不全症を疑うくらいにだ。だが、思い返してみると、要所要所勃つところは勃っていたし、手を出そうと思えば出せたはずなのに、なぜだか全く踏み出せなかった。
踏み出せなかった原因として敢えて言い訳を添えると、二人でリバに旅行に行こうって話になった時くらいまで、本気での気持ちが計り知れなかった。そもそも、の彼氏が死んだのはオレのせいだ。恨みこそすれ、オレに気なんて起こすワケないんだ。でも何故か、成り行きで彼氏が死んだってことの慰め要員になって、強くなりたいと戦闘の師匠になるよう言われ、今では念のコーチ。しかもつかず離れず、パーソナルトレーナーばりの働きぶりだ。よくよく考えたらこの時点で気づいて良さそうなもんだが、久しく“恋”することを忘れていたオレは、彼女との共同生活の中に幾度も“恋”の駆け引きが散りばめられていたことに全くと言っていいほど気が付けなかった。
そしてあの旅行。宿泊先で珍しく酔ったが、オレの気持ちを探るためなのか、かなり卑怯な問いかけをしてきたんだ。嫌いかと聞かれて嫌いだと言ったらおかしい環境にいることを、お前は分からないのか。そんな苛立ちが自分の中で沸き起こった時、初めて自分の気持ちをもう彼女に伝えて、楽になりたいと思ったんだ。その前から、のことはきっと好きだった。じゃなきゃ、ヒソカに捕らえられたを、プロハンターがうじょうじょいるハンター試験会場の孤島にわざわざ乗り込んだりしない。そもそも、3年間も訪れなかった酒場に、久しぶりに出向いたりなんてしない。
そう。オレはとっくの昔から、のことが好きだった。いや、今のこの感情は、好きなんてもんじゃなくて、愛に近いんじゃないか。そうだ。オレはのことを、愛してるんだ。
こんなに彼女への思いが大きくなるまで、よく我慢できたなと、自分でも思う。それはオレが、オレみたいな世界に名の知れた“ワルモノ”と付き合っていたらロクな目に合わないだろうと思うからだ。実際、の彼氏が死んだのはそのせいだ。
けど、はどうだ。距離を置くどころか、オレの心にずかずかと入り込んで、オレを夢中にさせてくる。
「ノブ・・・。ノブ・・・」
ふと、がオレを呼ぶ声がしたので、彼女の様子を確認する。
(なんだ、寝言か・・・)
お前の夢の中にも、オレはいるのか。それは、お前の願望なのか。夢の中でも、オレと一緒にいたいと、思ってくれているのか。なあ、。
そう問いかけたくなる。だが、起こすとこの熱はオレの肩から離れてしまう。
・・・だけど、もういいんだ。もし、の夢の中にいるオレが、の求めたものであろうが無かろうが、もう関係なくしてやるつもりだ。もちろん、には拒否権なんて、与えない。
お前を、オレの物にしてやる。
あり得ない寝言
飛行船は、夜の21時半ごろ、家の最寄りの空港に到着した。私はノブナガに小突かれて目を覚まし、両腕を天井に向けてうんと伸ばして、凝り固まった肩の緊張を解した。
「まだ眠い~」
「こっからまた電車で1時間だろ。ほんと辺鄙なとこに店構えたよなぁ」
「仕方ないじゃん。父さんから受け継いだ形見だもん」
「へぇ。初耳だな」
そんな会話をして、飛行船から降りると、少し冷たい夜風がぴゅうっと吹いた。
「ちょっと肌寒い」
「ほれ。忘れもん」
ノブナガは、私が飛行船に乗る時羽織っていた薄手のカーディガンを肩にかけてくれる。なんて紳士的なんだ。こう、ちょいちょいイケメンなことしてくるから、私はこの男に甘えてしまうのだ。
「よっ!男前!」
「るっせー帰るぞ」
「ほーい」
空港近くにある駅まで急いで行き、ぎりぎり最終電車に間に合った。車窓を流れる景色は、ローカル線らしい田園風景。たまに海が見えたり見えなかったり。私はこの海から大して離れたところに住んでいたわけでもないのに、こんな夜の、月光が海の水面に反射してキラキラ光る風景なんて見たことが無かった。なんてもったいないことをしていたのかと、今までの二十数年間を取り返したい気分になったんだけれど、それよりも、向かい席で腕を組んで仏頂面で寝ている愛する人に対する感謝の方が大きい。
私に、非日常を・・・ときめきを与えてくれた人。
電車は程なくして、家の最寄り駅へ到着。駅から家まではそんなに遠くなく、歩きで10分くらいのところにあるので、もうひと踏ん張りだ。時刻は23時20分。久々に家の扉を開ける。暗い廊下に明かりをともし、とりあえずスーツケースをバスルームの扉の傍に置いた。
「ノブナガは、ちゃちゃっとシャワー浴びて寝ちゃいなよ!」
「おお。洗濯物、かごん中入れとくからな」
「はーい」
まるで夫婦だな。なんて思いながら、私はスーツケースを開ける。さすがに長いことさぼりすぎた。そろそろ本業に戻らなければ。とりあえずラビアで手に入れた酒を取り出し、店の方へ向かった。数種類の酒瓶を棚へ並べ、明日の仕込みを始めた。その間にシャワーを浴び終えたノブナガが、なんか飲ませろと言ってきたので、冷蔵庫から缶ビールを取り出して手渡す。
「あんま夜更かししないでちゃんと寝なさいよ」
「オカンかお前は。・・・お前こそ、早く寝ろよな。疲れてんだろ」
ノブナガはそう言って私の頭をくしゃっと撫でて、2階へと向かった。乱された髪を整えながら恥ずかし気に歯を食いしばる私。・・・完全に、お熱だ。
ほんとなら、もう一緒に寝てしまいたい。なんで今まで超広いキングサイズのベッドとは言えども、同じ屋根の下同じベッドで寝ていたのに、突然また別室で寝なきゃいけないんだ。そんなことにもやもやしながら、仕込みとシャワーを済ませて、私も寝床に着くべく2階へと向かう。
時刻は朝の2時くらい。寝室のある2階へ行く途中に、彼のために用意した部屋がある。いつもは寝室まで行く途中に、壁にかかる小さなランプの明かり以外頼れる明かりなんてないのに、今日は、その部屋から漏れる光が、私の足元を少しだけ照らしてくれた。
こんな時間まで、まだテレビでも見てるのかな。早く寝なさいって言ったのに。
そう思って、ドアをノックしてから中へと入る。案の定テレビ画面が点灯していたわけだが、その画面は既に砂嵐。そばにはソファーに寝転がって、寝息をたてるノブナガ。彼の腕は投げ出されて、床の上に手の甲がひっついている。
「・・・もう。タオルケットもかけないまま寝て。風邪ひいても知らないぞ」
そんなことをつぶやきながら、ベッドの上にあったタオルケットを彼の体にそっとかけてやった。開けっぱなしのドアから差し込むほんのちょっとの明かりをたよりに、私が彼の下から離れようと一歩足を踏み出した、そのとき。
「・・・!?」
私は手首をつかまれて、動けなくなった。もちろん、私の手首をつかむのは、寝ているハズのノブナガで。次に聞こえた彼の寝言(?)で私は完全に彼のもとから離れられなくなった。
「・・・好きだ、。・・・離れんな」
(え・・・今、なんて)
彼の手を解いて、自室に戻ればいい。そう思うかもしれない。けど、私にはそれができない。理由は簡単。私も彼が好きだから。この時、私は彼の口から発された言葉を、寝言とは思えなかった。というか、思わなかった。なんて都合のいい脳みそだ。
そして私は、彼のさっきの寝言が、彼の本心であることを心から願いながら、つかまれた手首をそのままに、彼のそばで寝入ってしまった。
そして翌日。カーテンの隙間から差し込む朝日で私は目を覚ます。ソファーのそばで、横たわることなく寝ていたはずの私は、何故かベッドから身を起こしていた。ふと隣に目線をやると、そこにいたのはノブナガで。
「・・・あれ?」
夢を見ているんだと自分に言い聞かせながら、自分のほっぺを一発はたいてやって。そそくさと私はシングルベッドから下りようとするのだが、デジャブ。私は手首をつかまれた。
「ただの寝言だと、まだ思ってんのか?」
振り返りたくない。振り返って、もし彼がまだ寝ていたら。彼のまぶたが閉じたままだったら・・・。けど、もし起きていたら?それはあまりにも心当たりのある言葉過ぎて、私は好奇心に負けた。そしておそるおそる、声のしたほうを向く。
そこにおられたのは、しっかりとご開眼なさったノブナガ様。
「だよね。あり得ないもんね」
「ああ。あり得ねーな」
そう言って、私たち二人は笑い合った。
「で?つまり???」
私がにやにやして言うと、ノブナガが掴んだ私の手首をぐいっと引いて、私の頭を胸に収めて、しぶしぶ言った。
「お前が好きだ。オレの物にしてやるから、今は大人しく抱かれてろ」
そう言う彼の胸板に耳を当てると、鼓動がイヤに早いような気がした。口では男前なことを言っているけど、きっとほっぺたは真っ赤ですごく恥ずかしそうな顔してるんだろうな。でも、そうは思っても、今は無粋なので、黙っておく。そして、両腕を彼の腹回りに回して、軽く抱きしめた。
それは、私が、ずっと求めていた温もり。こんなにも心地よくて、安心する。
結局、非日常を求めていた私が一番安心するのは、この温もりなんだ。非日常も、その対極にある安心も、今はこの男に支配されてしまっているんだ。ああ、もう、私は、この男無しでは・・・ノブナガ無しでは生きていけないんじゃないか。
「私も・・・ノブナガ。あなたのことが好き。だから、もう二度と、黙って離れて行ったりしないで。出ていくときは1週間前の申告を要請します」
「・・・分かったよ」
「ほんとに?約束破ったら、断酒させるから」
「それは勘弁だから絶対約束破らねぇ。・・・と、言うよりも」
「?」
ノブナガは、私をぎゅっと抱きしめて、とんでもない殺し文句を言った。
「オレが、お前から離れられそうにねぇ。だから、もう、いいだろ。・・・オレが、今までどれだけお預け食らったか、お前覚えてるか」
「え?何のこと」
「・・・とぼけやがって」
急にノブナガの身体から引きはがされた私の目の前に、顔を真っ赤にしたノブナガの顔が現れた。そして、ベッドへと押し倒され、丁寧さのかけらもない、荒々しいキスの雨に振られた私は、身ぐるみをはがされて、飢えた獣の餌食となった。
あり得ない
こうして、私たちの付かづ離れずな関係は幕を閉じた。幕引きはあっけない。それにしたって、寝言のふりして留まらせて、ベッドに運び込むなんてめっちゃ卑怯だ。長かった。だけど、そんなどぎまぎした関係も悪くはなかったな、なんて、つい昨日までのことを懐かしむ私。
「ね、ノブ。激しい」
「まだいける」
「あ、明日にしよう」
「いいだろ。あと一回」
あの奥ゆかしいノブナガさんは、一体どこへ?
そう思う私だったけど、彼にこの上なく求められることが、とても嬉しくてしょうがないので、今は黙って抱かれていよう。あと3時間で店を開けないとっていう昼下がりまで、私はノブナガとあり得ないくらいに愛し合ったのだった。
そして私は、非日常が生んだあなたと私の関係が、日常として永久に続くようにと願う。
(FIN)