暗殺嬢は轢死したい。

 星が良く見える午前零時ごろのことだった。その日の任務を終えたプロシュートは、気だるげにアジトへと伸びる荒廃した路地を進んでいた。夜更けに彼がこの路地を進むのは珍しいことではなかったので、その日の異変にはすぐに気が付いた。彼の進行方向、十二時の方向から、カツカツと石畳を叩くハイヒールの音がするのだ。音は大きくなることなく響くので、どうやらプロシュートと進行方向は同じらしい。こんなことは、彼がこの地域で生活するようになってから初めてだ。彼はアジトへと向かう自身の足を速め、その音に追いついた。スラムに近いこの路地で生活する者は少なく、必然的に路地を囲む家々の明かりも少ない。おまけにこんな時間である。ますます少ない明りの中にぼうっと浮かぶのはプロシュートの想像通り、女性の後姿だった。少なくとも、この近辺で生活している者の、そしてこんな時間に一人で夜道を歩くような女の身なりでは無い。そう窺い知れる品のあるいで立ちをしている。

「おい、ねーちゃん。こんな時間にこんなとこで何やってる。家に帰らねーと危ねェぞ」

 女性は立ち止まり、特段驚く様子も見せずゆっくりとプロシュートの留まる方へ顔を向けた。眉をひそめ、とても面倒そうな表情をしているようにプロシュートの目には映った。何か言い返してくるのかと思った彼だったが、意に反して女性はゆっくりと進行方向へと向き直る。そして再びカツカツとその高いハイヒールを路面へと打ち付けて目的地へ向かって歩み始めた。

「シカトこいてんじゃあねーよ。親切で言ってやってるんだぜっ!」

 プロシュートの持つ美貌で、女性に声をかけて何の反応も返されなかったことは一度たりともなかった。眉間に皺を寄せた表情を向けられるなど以ての外である。そのような自負の念が悪さをして少なからずプライドを傷つけられた彼は、怒り心頭で女を追い越そうと足を速めた。ただ、アジトまではあと半ブロックも無い程度であるので追い越すことなく玄関口へと到達してしまうかもしれない。

 そんな風に考えているうちに、女との距離は五メートル程度に縮まっていた。あろうことか女は自分がネグラとする家屋の前に佇み、扉を三度程ノックしている。プロシュートは眉間に寄せた皺をより一層に深くして、女へと迫った。

「おい。場所、間違えてるんじゃあねぇのか。そこはオレの家だ」
「……間違えてなんかいないわ。今日から私もこの家の住人だもの」

 プロシュートはまさかと思い、更に文句をつけようと女に迫ろうとした瞬間アジトの扉が開いた。扉の向うで女を招き入れようとしているのは他でもない、我がパッショーネ暗殺者チームリーダー、リゾットであった。プロシュートが現状を把握できないでいると、リゾットは彼の方をチラと見て言った。

「何だ。知り合いか?」
「違う。こんな女、オレは知りもしないぜ。何かの間違いだろ?」
「そうか。お前にはまだ話していなかったな。……彼女は新しいチームのメンバーだ」
「…………はあ?」

 プロシュートはリゾットにそう告げられて再度、まさか。と思った。そもそもギャングの世界は男社会。さらに言うと、パッショーネという組織の中でも特に腕っぷしを求められる暗殺を生業とする当チームにおいて仕事をこなすには、あまりにも貧弱というか、全くもって何故配属されたのかピンとこない姿をしている。まるで品定めでもするかのように、頭のてっぺんから足のつま先までくまなく観察するプロシュートの視線に耐えられなくなったのか、女は初めて口を開いた。

「……。よろしく」

 そう言って彼女はリゾットに案内されながらアジトの奥へと進んでいった。プロシュートは尚も釈然としない様子で開きっぱなしのアジトの扉を後ろ手に閉じ鍵をかけ、ゆっくりと二人の後に続いていった。



01:in the dark



。お前の部屋は二階に用意している。好きに使え」
「わかったわリゾット。とりあえず、私、寝てもいいかしら?昼の仕事で疲れてるの」
「好きにしろ。明日、メンバー全員が集まる。その、昼の仕事とやらの前に挨拶していけ」
「心配しないで。明日は休みを取ってるから。それで、部屋まで案内してもらえる?」

 と呼ばれる新人とリゾットの会話がリビングに響く中、テレビの前でサッカーの試合中継を見ていたホルマジオとペッシは、プロシュートのごとくに大して狼狽えることなく二人の会話に耳をそばだてていた。二人が二階へと向かってリビングを出ていった瞬間、プロシュートは同僚に愚痴を聞かせ始めた。

「オレはオンナが加わるなんて話聞いてねえぞ」
「兄貴!お帰りなさい」
「遅かったな?てこずったのか?」
「バカ言え。帰りにゆっくりメシ食ってただけだ。ところでよ。何なんだよあのオンナは」

 聞くところによると、今日の朝十時頃、チームリーダーであるリゾットの元にボスより「メンバーを一人増やす」と連絡が入ったとのことだった。その連絡が入った頃にはプロシュートはとうにアジトを離れていたので、彼がそれを知る由も無かったのだ。

「なかなかイイ女じゃあねぇか。なあ?ペッシ」
「え!?……お、おう……そう、だな」

 女慣れしていないペッシは頬を赤く染め、プロシュートへ助けを求めるかのような視線を向けた。彼はそんなペッシの視線を受け流し、尚も愚痴を続けた。

「そもそもよお。オンナに暗殺なんて仕事、務まるのかよ」
「さあなぁ。務まるかどうか判断しようにも、あの女の素性は全く知らされてねぇからな。とても人を殺したことがあるようには見えねぇが……それを言えばペッシ。お前だってまだ経験無いよな、確か」
「お……おう」

 ボスの命令とあっては断ることはできないが、あまりにも唐突なことであったので、プロシュートはチームに女が加わったと手放しで喜べる心情では無かった。それに対し、膝元でブルーの毛皮を纏った猫を撫でるホルマジオはかなり楽観的でいるようだ。ただでさえ男しかおらずむさくるしいこの家に、ほのかにイイ匂いのするなかなかにスタイルも顔もいい女が増えたのだ。男がまた一人増えるよりマシだといった風だ。

「いや~こりゃまたやる気が出るボスからのプレゼントだぜ!そう思うだろ?ペッシ」

 ペッシはと言うと、を見てからイヤに口数が少なくなっている。サッカーの試合が映し出されているテレビを見ているが、眼球にほぼ運動がみられず緊張している様子が伺えた。そんな彼の様子に初心だなんだとおちょくりを入れるホルマジオにため息をつき、プロシュートはシャワールームへと向かった。

「兄貴、ご機嫌斜めだなぁ……。あの女となんかあったのかぁ?」
「そういえば帰ってきたタイミング同じだったな」

 二人が勘繰るほどのことは無いのだが、それだけプロシュートの姿はチームメイトの目に不自然に映ったようだった。彼がなぜ今これほどまでに動揺しているのか。それは彼自身にもよく分からなかった。恐らく、自分に声をかけられて眉をひそめガンを飛ばす女に会ったことが無かったという点で怒りが七割程度。後の三割は――。

「ここをオンナが使うのかよ……」

 ひどく汚れているという訳では無い。掃除当番、料理当番、ゴミ出し当番等々、しっかりと割当てがあるので、基本的にアジトはいつも整然としている。ただタイルは古ぼけていてところどころ剥がれかけている。鏡は結晶化したカルキで汚れてほとんど見えない。脱衣所とは硝子で仕切られただけの狭いシャワースペースは何だか若干かび臭いニオイがしており、とてもじゃないがこのまま女性に使わせる気にはなれない。

 プロシュートは女性に限らず、他人から自分をどう思われるかといったことが非常に気になるタイプであった。自分の居住空間はつまり自分自身を如実に表しているという感覚がある。自分と同じ男にどう思われようと家の中のことに限って言えば何も気にはならないが、女と共同生活をするのにアジトのこの状態はとても良くない。つまるところ、後の三割はこの家をどうにかしなくちゃあいけないというプレッシャーとストレスであった。

 と、そこまで考えたところでプロシュートはハッと我に帰る。

 歓迎……している、だと……!?

 彼はいつになく浮ついた心を落ち着かせようと、さっと服を脱ぎシャワーの蛇口をひねる。そして水圧の弱いシャワーを浴びながら明日の予定を頭の中で組み立てていく。

 まずはここの掃除だろ。あとは便所もマズいな。小便は座ってやるように言うか?あとはロレンツォのルームフレグランスでも買って――

 現時点でここまでを迎え入れるための心構えをしているのは、プロシュートただ一人だった。