祖国発遊侠青春珍道中

 メローネは朝からソワソワしていた。少なくとも、相方であるギアッチョの目にはそう映っていた。

 なあーんか怪しいよなァ。こいつ、一体何を企んでいやがんだァ?

 絡めば面倒な気がして率先して話しかける気にはならないが、いつもとは全く様子の違うメローネの姿がどうしても気になってしまう。そして、ソワソワと落ち着かない様子の彼を見ているだけで、ギアッチョが中に飼う怒りと言う名の化物が頭をもたげるのだ。そうとは知らずに他の皆は呑気して、十八時にキックオフとなったサッカーの試合中継に夢中だった。

 この通り今日はチームに仕事は無く、おかげで皆が暇を持て余してアジトのリビングルームにいた。

 ちくしょう。今日という日に限ってどうしてこうなんだ。

 と、メローネは思った。昼までには届くはずの荷物が待てど暮らせど一向に届かない。ここナポリにおいては荷物が定刻通りに届かないことなど日常茶飯事なのだが、今日という日だけはそうであってはいけなかったのだ。おかげでメローネの緊張状態は昼以降からずっと続いており、その緊張は緊張していると仲間に悟られないようにとの配慮もしていられない程に高まっていた。

 こうなることは予想できたはずだ。なのに何故オレは、“あんなもの”を買ってしまったんだ!? いや、だって仕方がないじゃあないか。考えるまでも無く、指が動いていたんだ。買わずにはいられなかった。そんな自分が、今この状況を想定して「いや、やはりやめておこう」などと思慮深い先を見据えた判断なんかできたはずがない。だからあとはもう、この場を上手く切り抜けられますようにと神に祈るしかない。落ち着け。ここで、ギアッチョに絡まれると厄介だ。頼む、オレにそんな目を向けるな、ギアッチョ……!

 部屋に響くのはテレビから発される実況者の声と歓声とブブゼラの音、部屋の中でこだまする男たちの怒号や罵声、ときどき歓声。ギアッチョもサッカーに興味があれば良かったのに、彼はことのほかサッカーに興味を示さない。彼が最も好きで興味があるのは車だからだ。なら車でもいじりに行ってくれればいいのに。そう思っても、彼の訝し気な視線はメローネから離れなかった。が、その時。

 ブーッ。

 インターフォンの低いブザー音が部屋に響き渡った。おかげでギアッチョの視線はメローネから離れたが、代わりに皆の視線が玄関の方へと向いてしまった。

「オレが行こう」

 ホルマジオだけはテレビ画面にすぐさま視線を戻したが、他の皆は訝し気に小首をかしげる。メローネから率先して玄関先へ向かうなんて、何かおかしいぞ。と思う。けれども、テレビから大きな歓声が上がった瞬間、皆の意識はまたサッカーの試合へ向いた。その隙にメローネは脱兎のごとく玄関へ向かって駆け出した。

 やっとだ! やっと来たぞッ! 待ちに待ったこの時が!

 ドアを開けると、そこにいたのはメローネの予想していた通り宅配業者で、大きな木箱――八十センチメートル四方ほどある――を足元に置いて立っていた。遅くなってすみません。ここにサインをお願いします。大して申し訳なさそうな顔を見せない男の口からそんな決まり文句が発されてすぐ、メローネは業者の手元から紙とペンを奪い取りサインを済ませ返すと、怒りも何も露わにせぬまま大きな木箱を持ち上げ家の中へと戻った。

 それにしても、箱が大きすぎるし重すぎないか? しかも段ボールでなく、木箱で送る必要はあったのか? まあ、重いから段ボールより木箱の方がいいか。

 自分が購入したはずのものを梱包するにはあまりにもオーバースペックなそれを抱えながら、メローネは次の難関に挑もうとしていた。だが、ここさえ乗り切れば待っているのは天国だ。そう。彼が購入したのは、自室を天国に変えるほどの代物だった。もちろん、メローネがそんな幻想を抱いているというだけの話だが。

 次の難関。それは我らがアジトのリビングを、この大きな木箱を持ちながら通り抜けるということだった。大きすぎる木箱を抱えた自分を皆がスルーしてくれるとは到底思えない。こんなことなら、ホルマジオでも金で懐柔して、荷物を玄関から自室まで運んでもらうんだった。とメローネは一瞬考えたが、いいや、とすぐに思い直した。これが今届くと言うのが運命だったのなら、ホルマジオははした金を受け取るよりサッカーの試合観戦を優先しただろうからどちらにせよあの男は使えなかった。つまりこれは、神がオレに与えた、天国へ向かうための試練なのだ。

 この家が、リビングとダイニングキッチンが一体となった広々とした一室を通り抜けなければ各々の自室へ向かえないという構造をしていることこそが問題の根源なのだ。この欠陥住宅め、と恨めしく思いながらメローネは扉の前で一度木箱を降ろし――それにしても、ひどく重たいな。まあ、“リアリティ”を追求した結果なのだろう。これは増々期待大だな――扉を開け、片足を部屋に突っ込んで再度木箱を持ち上げた。そして、あまり物音を立てないようにと配慮しながら奥へと歩を進める。

 良かった。皆、テレビ画面に釘付けだ。

 心の中でほっと胸を撫で下ろしたメローネが、部屋の奥にある扉の前で木箱を降ろし、ドアノブを握ろうとしたが――

「おぉいメローネよォ……」

――どすの効いた声が背後から投げかけられる。ホルマジオ以外の皆の視線が、メローネの背中から隣に据え置かれた大きな木箱へと注がれる。

「そのおっきな箱。中に何が入ってんだァ……?」
「私事だ。おまえという他人に、干渉や侵害を受けない権利ってもんが、オレにも当然、あってしかるべきじゃあないか? 要するに、その質問に答えるつもりはない」
「他人だァ……?」

 ギアッチョはゆらりとソファーから立ち上がった。ゆっくりとメローネとの距離を詰めながら、言う。

「冷たいこと言ってんじゃあねーよ。オレに向かって、他人だなんてよォ……あんまりなんじゃあねーのかァ? オイ。そうだよなァ、メローネよおおおおお」

 ギアッチョは怒りを発散したがっているだけだ。彼が人に絡みに行くのは大抵がそういうとき、というか十中八九がそうだ。怒りがある程度溜まった彼が、自分の癇に障ることを放っておけるはずがなかった。そもそも彼に怒りを溜めさせたのは今日のメローネである。そしてギアッチョには、メローネの様子がおかしかった原因が、すぐ傍に佇む大きな木箱にあると予想できている。怒りをぶちまけるついでに木箱の中身までぶちまけてしまえばきっと自分がスッキリするはずだとまで考えているからこそ絡みにきているのだ。

 箱の中身をぶちまけるつもりか!? それだけは阻止しなければならない! 己の沽券にかけて、絶対にそれだけは……!
 
「ああ。ギアッチョ。悪かった。おまえは他人に違いは無いが、赤の他人ではないよな」

 メローネは白々しくギアッチョの肩に手を乗せ、わざとらしい笑みを浮かべながら言った。
 
「そう……おまえはオレにとって、とても大切な仲――」
「んなことを言ってほしいワケじゃあねーんだよッ。いいかメローネ。オレはおまえがこの家に危険物を持ち込んでいるんじゃあねーかって気にしてんだぜ。同じ屋根の下で寝食を共にしてんだ。その大きな木箱の中身がなんなのかってことを調べるのは、オレの権利でもあるんだ。それは、おまえのプライバシーなんかよりもよっぽど大事なことだ。何と言っても、オレだけじゃなく、他の連中の命にだって関わる問題かもしれねーわけだからなァ」

 ギアッチョの視線と利き手が木箱へと向かう。メローネは木箱とギアッチョの間に何とか自分の体を割り込ませ、ギアッチョの手が木箱に触れようとするのを阻止した。

「た、頼む。ギアッチョ。これは決して、危険物じゃあない。ダイナマイトとか、人を死に至らしめる生物兵器とか、そんなような物じゃないのはオレが保証する! だから頼――」
「その必死そうな顔を見てるとよォ……。ますます気になっちまうよなァ? 少なくとも、てめーのそばにあるその箱の中身は、人に見られちゃあ不味いもんってワケだ。それが危険なもので無いと言われてもまったく信用ならねぇ」
「ほらよ。バールだ。そいつを開けるには必要だろう?」

 いつの間にかギアッチョの背後に立っていたイルーゾォ――彼も大してサッカーには興味が無いのだろうか。メローネが珍しく焦って困ったように見えるのをひどく愉快そうに、にたにたした笑みを浮かべてギアッチョの側についている――が、どこからか持ってきたバールをギアッチョに手渡した。ギアッチョはありがてえと呟いてそれを受け取ると、とりあえず目の前の障害物をどうにかしようと、バールを大きく振りかぶった。

「お、おおおおいおいおいよせ、よせよせよしてくれッ!!」

 メローネは両腕で頭部を覆い守るような体制を取りながら、木箱に体を打ち付けた。拍子に木箱は勢いよく壁にぶち当たる。

「――あいたっ!」

 ギアッチョは眉根をさらに寄せた。今のはメローネの声じゃなかった。おそらく、イタリア語でもなかった。しかし声はメローネがいるところあたりから聞こえた気がした。ギアッチョは振りかざしたバールを木箱の上辺に振り下ろした。

「――っ!」

 微かだが、何かが恐れおののくような息遣いを感じ取った。木箱の所有者ですら、後ろを振り返り、あれ……おかしいな、と小首をかしげている。

 まさか、そこまでの“リアリティ”を……? いやいやそんなはずはない。もしもそうなら、値段は数十倍か数百倍はしたはずだ。日本製だからな。そもそもそんな仕様であるとの説明はどこにもなかった。それにいくら日本とは言え、そんなものを作るまでの技術力はまだ無いはず。まさか、マンガ“攻殻機動隊”の世界じゃあるまいし。……でも待てよ。とすると、この箱の中から聞こえた声は一体何のそれだ?

「おい。なんか、女の声がしなかったか!?」

 イルーゾォが木箱を指差しながら大声で言った。ギアッチョとイルーゾォのふたりは、メローネへ外道を見るような、嫌悪感を剥き出しにした目を向けた。メローネは、おまえらだって人殺しの外道なんだからなと言いたくなった。彼は誓って人身売買で買う側に回ったことなどないし、回れるだけの金やコネも持っていない。しかし、女の生の声がしたのは彼もはっきり聞いていた。にわかに箱の中身の正体に期待を寄せつつも、もうどうにも仲間からの追求からは逃れられないらしいと気付き、メローネは絶望する。

「ああ。そんなような音が、確かに、聞こえたなァ! おいメローネ! いい加減観念してさっさと今ここでその箱を開けやがれ!」

 騒動を聞きつけた皆がわらわらとメローネと木箱を囲うようにして集まってくる。ホルマジオまでも、サッカーの試合観戦を途中で投げ出しやってきた。ギアッチョは端的に事情を説明し、そうかそれならばと皆は二手に別れた。片方はメローネを拘束する役目を担い、もう片方はバールで木箱をこじ開ける役目を担った。

「頼む! 後生だから! やめてくれ!」

 後生だからってどういう意味だ? さあな。知らね。

 無慈悲に交わされる会話。もちろんメローネはどんなに暴れようとリゾットの鉄の腕からは逃れられないし、箱を開けようとする暴徒を止めることもままならない。悲痛な叫び声を上げながら暴れるメローネの顔は爆発寸前というほど赤くなり、そろそろ泡を吹いて気を失うのではないかというところで、木箱が開いた。皆が中を覗き込む。

「に、人形……?」
「い、いやちげーよ。人間だ……」
「人間だって!?」
 
 ようやっとリゾットから解放されたメローネは、草の根を掻き分けるようにして開いた木箱の中を覗き込んだ。
 
 濡れたカラスの羽のように、豊かで艶のある美しい黒髪。長く日に当たっていないような色白の肌。黒目がちで焦げ茶の虹彩。そして、その女が大事そうに抱きかかえていたのは――

「カタナだ」

 スシ……ニンジャ……フジヤマ……テンプラ……マンガ……ヘンタイ……。

 メローネをはじめとする皆の頭に、ありったけの日本語が浮かんだ。

 彼らが今箱の中に見ているのは、二十歳かそこらのアジア人の女だった。多分、日本人だろう。そう思った皆の判断には、刀――恐らく日本刀――を日本という国に結びつける安直さがあった。女は刀を抱えてじっと箱の外で自分を見下ろす男たちの顔をしげしげと眺め、ゆっくりとまばたきをする。口は開かない。さして緊張もしていなさそうに、ただじっと皆の顔を見る。

 え……なんだ。この、生き物。か、かわ……。

 メローネは彼女と目があった瞬間、自分の心臓が縮み上がるのを感じた。ズキッと痛んだかと思うと、胸の中心のポンプは激しく収縮を始め、全身に熱く滾るような血液を次々と送り出し始めた。手は汗で瞬時に湿り気を帯び、呼吸が乱れる。

「なんでカタナ持った日本人のカワイイ女のコが箱に入ってんだ!?」
「ついに人身売買に手を染めたか。仕事道具か?」
「おい、物騒なこと言ってんじゃあねーよ、リゾット! 仕事道具なら仕方ない、みたいな顔しやがって」

 カワイイ生物の突然の登場に、場は騒然となる。メローネだけは、胸をどきどきと高鳴らせて口を開けず、ただじっと、こちらを見つめてくる女の瞳を見つめ返すことしかできなかった。そうしているうちに、女はすっくと立ち上がって頭を下げる。

「はじめまして」

 あまり流暢とは言えない、抑揚に欠けたイタリア語だった。だが、その声は鈴の鳴るような澄んだ美しさを湛えていた。メローネははっと息を呑んだ。

「わたし、っていいます。日本人デス。……ここで、働かせてくだサイ」

 男たちは想定外に想定外が重なり、皆閉口した。そしてしばらくの間、刀を胸に抱えたまま深々とお辞儀をし続ける女の姿をじっと見つめることしかできなかった。



01:I Need Somebody



 ところ変わってナポリは市街地のとあるレストラン・トラサルディ。高齢の男性――当該レストランのオーナー・シェフ――は、店の裏側にある勝手口で、配達員の男性から荷物を受け取った。

 今日は日本に住む甥のトニオ・トラサルディから荷物が届く日だった。その荷物というのがかなりいわく付きの代物であることは重々承知の上で、彼は荷物の到着を待っていた。

「貴方しか、頼れる人がいないんです」

 トニオは言っていた。詳しい説明はできないが、か弱い女が悪漢に追われているので逃してやりたいという話だった。その女は武芸に富んでいるから、用心棒にもできるだろうし、ある程度のイタリア語を仕込んでおいたから、店の皿洗いくらいには使えるだろう。こちらから仕送りもするので、衣食住を提供してやってほしい。

 女性が困っているのなら、助けるのがイタリア男というものだ。

 仕送りなんかいらないとトニオのおじは答えた。そして彼は、遠い海の向こうで同じ料理人として活躍する甥っ子がイタリア男らしく立派に成長したのだと知り、彼のことを誇りに思った。

 そんな晴れ晴れとした思いと、まだ見ぬ日本のか弱い乙女との邂逅にときめきを覚えていた矢先のことだ。

 確かに、手元の荷物は人一人が入れそうな大きさの箱だったが、段ボールだった。その時点で少しおかしいとおじは小首をかしげた。トニオは、大きな木箱に女を入れて“生鮮食品”と偽って送ると言っていた。言っていたことと違うのだ。眉根を寄せながら梱包を開くと、そこに入っていたのは人間ではなく、箱だった。おじは段ボール箱からさらに箱を取り出して床に置いた。

 箱。――商品パッケージだ。パッケージの中央には、いわゆる日本の“アニメ”画で、胸部と下半身をほぼ露出し、M字に脚を開脚した姿の女性がでかでかと描かれていた。何かポップな書体のピンク色の文字であれやこれやと書かれていて――日本語なので何と書いてあるかは分からないが、とても白昼堂々声に出して公衆の面前で読み上げることはできないであろう文言が書いてあることは想定できる――、ハートなんかも描いてある。この時点で、当初この箱の中に何が詰め込まれていたかは何となく想像ができた。生鮮食品と偽るよりまかり通りそうではあるが、やはり話が違うし、人体が入っているにしては、箱があまりにも軽すぎた。そして、箱は薄いビニールでラッピングされたままなので、この中に生きた人間は絶対に入っていないだろう。

 もはや開けるまでも無く、開けたくもなかったが、中を検めてトニオを追求するまではしなければ、おじの怒りも収まりそうにはなかった。

 開けて見ると案の定、生身の人間は入っていなかった。透明のポリ袋で覆われた――一瞬、本物かと見紛うほど精巧に作られた――人形だった。ラブドールだ。男の性欲を満たすためだけに作り出された、シリコンの塊がそこにあった。

「トニオ……」

 おじは頭を抱えながら、甥の経営するレストランへ電話をかけた。

『ああ、おじさん。彼女、届いたかな?』
「ああ、トニオ。おまえ、一体どうしてしまったんだ? あんな物を買うなんて、頭がどうかしたのか? パートナーはいないのか。いや、しかし、寂しいからとあれを買ったなら、どうして私のところに送ってくるんだ……。そうか、パートナーができて、見つかったらまずいと、それで処分に困って私に……。そうだよな。こういうものを処分するのには勇気がいると思うよ。面と向かって第三者に捨ててほしいと言うなんて、恥ずかしいもんな。でもだからって、人間と偽って人に送り付けてきて処分させようなんて、身勝手にも程があると思わないか?」
『お、おじさん? どうしたんだい? ちょっと、何の話をしているのか分からないんだけ――』
「トニオ。すまんね。少し、考えさせてくれないか。時間が欲しい。心を落ち着けるための時間がな。おまえも、おまえの将来について少し考えたほうがいい。それじゃあな」
『おじさん!? 待ってくれ、話を、分かるようにしてくれないか、おじさん、おじさ――』



 電話は切れた。切られてしまった。私用の固定電話だから電話線を切っても問題ないのだろうか。何度電話をかけなおしても、ナポリにいるおじにはつながらなかった。遠い海の向こうの島国、日本は杜王町のレストラン経営者兼シェフである、トニオ・トラサルディもまた、電話機の前で頭を抱えていた。

「あああッ! さんが無事イタリアに着いたかどうかすら分かりマセンでしたッ! 一体、何があったと言うんデスカッ!?」

 その問いに答えられる人間は、今のところどこにも存在しない。この運命のいたずらがの人生にどう影響するのかは、神のみぞ知るところである。