Give Me(w) Your Love!

 朝が来た。暗殺者チームの全員はリゾットによって召集を受けていた。十時からいつものように例のリビングで、新たに舞い込んできた仕事の割振りをするらしい。

 時刻は九時半。何も考えられない。いや、何も考えたくない。ただ、あの夢のような時間の余韻に浸っていたい。そんな顔で体の裏側ほとんどをソファーに預け、粘弾性物質のようになったホルマジオを見るなりリゾットは顔をしかめた。

 しかめたところでその嫌悪感は認知されていないらしい。リーダーが自分の前に姿を現したにも関わらず挨拶のひとつもなしだ。ホルマジオ以外のメンバーはまだプロシュートしかいない。そのプロシュートを見習えとつい叱責したくなるくらい目も当てられない姿だった。

 最近、ホルマジオの気の緩み方が尋常では無い。それはがアジトに来ると話をした日に端を発していた。まあ、新人が入ってくるというイベントに際しては、その話を聞いてから実際に新人と対面するまで何かと心は浮つくものだ。

 この界隈で言う新人とは、一般社会の一般的な企業や行政機関等でいうところの新人とはものが違う。保証されているのは暗殺者としての適性だけで、コミュニケーション能力や応接のマナーはもちろんのこと、暗殺者として必要となる最低限の節制すら身についていないモンスターが入ってくる可能性がある。否、可能性があるというより、十中八九モンスタ―――リゾットはふと、ギアッチョが初めてアジトに足を踏み入れた日のことを思い出した――が入ってくる。なので新人はどんなヤツだろうと心配になってそわそわする気持ちも分からないでもない。

 だが、ホルマジオはそれが女と聞くなりニヤけた顔を手で覆っていた。不安や心配でそわそわしているのでなく、女と共同生活をすることに何かしら期待して浮足立っていた。その時に嫌な予感はしたのだ。そのうち新人のケツを追い回し始めるんじゃないかと。

 案の定、ホルマジオは慣れてくるとのケツを追い回し始め、今は何故か両思いの仲になり交際している。

 別にチーム内交際を禁止しているわけでは無いが、情にほだされて優先順位を見誤ったり、痴話喧嘩の果てに冷静さを欠いたりといういらぬリスクは負わせたくない。だからホルマジオとでツーマンセルは組ませない。リゾットはそう決めていた。

 今はチーム内交際そのものを禁止してしまいたい気分だ。だが、禁止したところで今さらだし、男女の仲というのは禁止したからとどうにかなるようなものでもない。むしろ禁止されたら逆に燃え上がるのではないか。シェイクスピアのロミオとジュリエットのような結末――要は共倒れだ――を迎えることにならないとも限らない。優秀な人材を一気にふたりも失うなんて最悪だ。結局の所は、二人にタッグを組ませない以外に手立ては無い。

 考えすぎかもしれないが、最悪の事態とはいつも想定を上回るものだ。考えすぎるに越したことはないのである。

「おいホルマジオ。その呆けたツラをどうにかしろ」
「んあ……?お、リゾット……おはよーっす」

 リゾットは溜息をつきながら首を横に振った。

「なあリゾット。今のこいつに何か仕事を任せるのはよした方が良さそうだぜ。誰の仕業か知らねーが、骨だけでなく魂まで抜かれていやがる」

 知らないと言ったが、プロシュートには見当がついている。昨晩ホルマジオと一緒に一足先にレストランを出ただ。あいつがホルマジオをこうしている。大した女だ。

「ぬ……抜かれてねーよ!何言ってんだバカ野郎!」
「ああ?抜かれてんだろ。バカ面も大概にしとかねーとその情けねえ顔面に膝ぶち込んでやるからな」
「抜くとか抜かないとか、そういう話を朝からするなよ!セクハラだぞ!!」
「ああ!?」

 ホルマジオは言った後すぐ我に返った。そして自身の失言に気付いて額に掌を置いてああーと声を上げた。

「どうやら気が緩んでいるだけでなく口まで緩んじまってるみてーだな。おいリゾット、マジにこいつのこといっぺんシメてやろうぜ」

 何の話をしているのかいまいちピンときていないリゾットだったが、一度気を引き締めるためにヤキを入れてやるのはいいことかもしれないと思った。彼はうむ、と言うと立ち上がり拳の骨を鳴らし始める。

 ホルマジオは身に迫るリゾットの大きな影から逃げるように後ろへ――座面に足裏を乗せて背もたれに尻を乗せ――退いた。つくづく情けない。こいつをこんな腑抜けにしたのは一体誰だ?

 だ。だが、悪いのはではなくホルマジオだ。リゾットはホルマジオに迫り続ける。

「おいおいおいおいおいマジか勘弁してく――」

 ガチャリ。リビングの扉が開いた。皆の視線がそちらへ集中する。

「おはよう」

 ――天使きたあああああ!!!

 ホルマジオの頭の中でベートーヴェンの交響曲第九が鳴り響き始めた。

「何してるの?」

 の視線がホルマジオとリゾット間を往復した。そしてリゾットの方で止めると、彼女は不安気な表情を見せた。

「ホルマジオに何かするの?」
「ん?あ、ああ……ちょっと、こらしめてやろうとだな」
「何か悪いことしたの?」
「してない。してないぞ
「おまえ自分が自分で恥ずかしくねーのか」
「うるせーんだよ死ねプロシュート」

 は背の高いリゾットを見上げ、彼の身に纏う服の袖を掴んで訴えた。

「ホルマジオに乱暴しないで」
「……む」

 リゾットは振りかざした握り拳を収め自分の定位置へと戻った。

「リゾット、おまえもか」

 どうやらこのおまえにして平常心でいられるのは自分だけらしい。プロシュートは溜息をつきながらソファーの背もたれに背を打ち付けた。

 別にオレは女だから手を上げないってだけで、別にだからどうという話では無い。仮に何か自分が譲れない所で止めるようにと上目遣いに懇願されたって、その可愛らしさに惑わされて自分の意思を曲げたりなどするものか。リゾットすらああなっちまうなら、最後の砦はこのオレだ。

 そう意気込むのは簡単だが、あのリゾットを言いなりにさせているという事実をついさっき目の当たりにしてしまった。どんどん自信がなくなっていく。そして彼女の真っ直ぐな愛を一身に受けるホルマジオを、プロシュートはこの時少しだけ羨んだのだった。



 話合いの末、今回の仕事にはが就くことになった。そしてリゾットが付添いを務める。しかも遠征になる。遠いと言っても国内――パデルノ・ドゥニャ―ノ――ミラノの郊外にある町だ――だが、ホルマジオは心配だった。

 がスタンド能力で変身する前に素っ裸になるのを未だに矯正できていないからだ。経費で買ったあのスポーツウェアも、まだ買った時のままショッパーに入れられている。

 彼女は人前で裸になるのを恥ずかしいと思っていない。もちろん、人前で裸になることで悦楽に浸るタイプの痴女では無いのでむやみやたらと服を脱ぐわけでは無い。必要最低限で脱ぐのだ。任務を達成するために必要なことであると自身が認識しているので厭わないというわけだ。

 案外頑固なところもあるようで、変身後にスポーツブラとパンツを身に付けているなどあり得ないと、服を着ろというリーダーの命令を無視し続けている。

 今回は急行列車で片道六時間の旅になる。深夜の仕事に向けて午後六時にアジトを出て田舎の邸宅に住むターゲットを暗殺した後、始発の急行列車でアジトに戻る計画だ。任務をこなした後、ミラノ発の急行列車を待つ間、リゾットとはふたりきり。

 リゾットだって男だ。本人はその可能性を真っ向から否定しているが、素っ裸のを見て欲情しないなどと断言はできないはずだ。もちろん、彼のことは信頼しているし、仕事をこなしてすぐ浮かれて女と寝るなんてプロ意識に欠ける行動を取るような男でないことは百も承知である。だがゼロパーセントと断言はできない――リゾットがまごうこと無き男である――以上、最愛のをリゾットとふたりで遠征させるのは落ち着かない。

 こんな感情は男なら誰だって普通に沸き起こるものだ。オレが心配性すぎるとかそんなんじゃない。愛するガールフレンドが他の男とふたりきりで同じ時間を過ごすのだ。それが仕事であろうがなかろうが心配するのは当然だ。

 ホルマジオはとことん自分に肯定的だった。

「オレもついていく」

 仕事の分担が決まりリビングに集まっていたメンバーが散り散りになった後、ホルマジオはリゾットを引き止めて申し出た。リゾットはホルマジオに振り向き眉一つ動かさずに返事をした。

「何故だ」
「心配なんだよ」
「何がだ。彼女は有能だ。おまえの心配など無くとも、仕事は完璧にこなせる」
「オレはそれを知らねえ。あんたは知ってるかどうか知らねーが、あいつはオレの前じゃ物静かで、凶暴性の欠片すら見せねえんだ」
「能ある鷹は爪を隠すからな。そういうことだろう」
「だとしても!オレは、アイツが仕事をしてる姿を見ておきてーんだ。一回オレがこの目で見て安心できたら……もう二度と口出しはしねーよ」

 リゾットは少しの間黙って考えた。を仕事にやる度に毎回ごねられても面倒だ。この際、一度同行させるのも悪くはないかもしれない。

「わかった。よかろう」
「っしゃ!恩に着るぜ!!」
「ただし、条件がある」
「おう、何だよ」
「同行することは黙っておけ。そしてが仕事を済ませ敵地から十分に離れるまでは姿を現すな。気が散るといけないからな」
「……あ、ああ。分かった」
「そしてもうひとつ」
「まだなんかあんのかよ」
「同行してもいいが、自費で来い」

 彼女の貞操を守るためならなんだってする。ホルマジオはそう意気込んでいた。往復三十万リラくらいどうということはない。

の為なら安いもんだ」
の為……?おまえが安心したいだけなんじゃあないのか」
「あ、ああ!そうだ!その通りだぜリゾット!オレの為、ひいてはの為ということだぜ」
「……よく分からんが、まあいい。とにかく、犬並みでは無いにしても、猫科の動物は人間より嗅覚は優れている。だから気づかれないように、オレ達からは十分に距離を置け。わかったな」
「了解!」

 猫は柑橘系の香りを嫌がると聞く。普段つけないベルガモットやレモンなんかの香水でも振っておけば、自分と気づかれることは無いだろう。早速香水を買いに行こう。

 ホルマジオは意気揚々とアジトを後にした。リゾットはやはり浮かれた調子のホルマジオの姿を見て、再三の溜息をついた。

Side Story:
心配性の飼い主が、野良あがりの飼い猫を追った話 《前編》

 当日。ホルマジオはとリゾットのふたりをアジトから見送ってすぐさま自室に戻り、服を着替え件の香水を軽く振った。そして数分後に彼もまたアジトを出た。

 ターゲットの家の場所は聞いているので別に尾行などしなくても良いのだが、ホルマジオはが自分以外の人間とどう接しているかが気になった。あの臆病で気の弱そうに見える保護対象の野良猫みたいな女が、暗殺の仕事を完璧にこなせるというのは今でも信じがたい。だからきっと彼女には二面性があるのだ、とホルマジオは今になって初めてその可能性に気づいたのだ。

 彼は二面性があることに気を悪くしている訳ではなかった。ただ単に、彼女の全てを知りたいと思っているだけだ。

 要は、ホルマジオは彼女をずっと見ていたいわけだ。そして可能な限りで近付いて様子を伺いたいので、同じ列車に乗った。万が一が気づきそうになった場合は、リゾットから電話がくるようになっている。そんなヘマをおかすつもりは無かったが、リゾットがどうしてもと言うのでそんな手筈を整えることになった。乗る車両は別にしたが、車内扉の窓の向こうに通路側の席に座るの姿が見える位置に座った。近いと言えば近い距離だが、部屋は別なので気づかれることはないだろう。

 こうして無事、三人は夜十一時頃ミラノ中央駅へ到着した。リゾットから連絡は無いので、無事気づかれずに済んでいるはずだ。ホルマジオは五十メートル程離れた物陰から、リゾットとの様子を伺っていた。



 ターゲットの邸宅は牧歌的な田園の中にある。よって、深夜までバスなどの公共交通機関は機能していないので急ぐのなら車で行くしかない。が、足がつくのでタクシーもレンタカーも利用するのはできれば避けたい。

 人通りもまばらになった駅前で一息つくと、リゾットとのふたりは目的地に向かって歩き出す。これから二時間の遠足だ。

「ねえ、リゾット」
「どうした」
「今さら言うのは何だけど、付き添いがホルマジオならターゲットの家に早く着けるよね」
「ふむ……確かにな」

 リゾットは頷いた。その絵面はほのぼのしかしないが、郊外にあるターゲットの家に向かうのには一番足がつきにくい、と言うかほぼ完ぺきに足がつかないいい方法だと素直に思った。誰も人間が猫に変身していて、さらに小さくなった男がその猫に跨って人を殺しに向かっているなどと思うまい。

「だが、おまえとアイツは絶対に組ませない。おまえは最初にそれを拒絶したし、今はオレも組ませないと決めている」
「分かってる。雑談だよ。マジに受けとめてもらえるとは思わなかった」

 リゾットは驚いた。はぶっきらぼうでひどく口数が少なく、自分から冗談を言って笑ったりするタイプではないと思い込んでいたからだ。変わったのはホルマジオだけではない。彼女は逆に、いい方向に変わっているように思えた。ホルマジオだけでなく仲間内での信頼関係は必要不可欠だ。いい関係を築くためにも、仲間内だけでは壁をつくらないでほしいとリゾットは思っていた。

 ホルマジオのだらけっぷりにマイナス面ばかりが目立っていたが、あながち悪いことばかりでもないらしい。ならばこちらもきちんとコミュニケーションを取ってやらなくてはな。

 リゾットはそう思って、街を抜けるまでとの会話を楽しむことにした。

「チーターなんかになられたら流石に歯が立たんが、猫くらいなら追いかけられる体力はあるぞ」
「チーターは十キロも全力疾走できないよ。と言うか、これから目的地まで走るつもり?」
「ちんたら歩いて行く理由も無いだろう」
「メローネに頼んでレンタカーでも予約しとけば良かったのに」
「夜中の田舎道をレンタカーが走っているのを誰かに見られたら面倒だ。……街を抜けたら走るぞ」
「私は構わないけど……ん?」

 はふと、何かを察知して足を止め背後を振り返った。

「どうした」
「い、いや……。今なんか、物音が」
「物音?」
「何かが近付いてくる……足音みたいなのがした気がする。スタスタスタって、なんか、子供くらいの……」

 走ると聞いて焦ったホルマジオが能力を使って小さくなり、オレの体に飛びついたか?

 リゾットはすぐにそう勘付いたがそんな雰囲気は少しも滲ませず、すまし顔でが顔を向ける方へ視線を移した。

「気の所為じゃあないのか」
「あんたがそう言うなら……そうなのかも」

 猫の五感の中で最も優れているのは聴覚である。人間の三倍と言うとそうでも無いように思えるが、実際に彼らは飼い主が家に帰ってくる時の足音を聞き分けて玄関前でお出迎えしたり、暗闇の中で足音を頼りに獲物を捕らえてお持ち帰りしたりするのが得意だ。

 は猫になれるだけで、猫ではない。だと言うのに彼女の聴覚が優れているのは、猫に化けるうちに五感が猫並みになったという説明しかできないわけだが、現に彼女は今しがた飼い主の足音を察知した。また、リゾットの推測の通り、ホルマジオはリゾットの体に飛び移っていた。



 ホルマジオは自身のスタンドであるリトル・フィートで体を縮ませてリゾットのズボンの後ろポケットに入り込んでいる。

 自分が小さくなれる限界があるのか知らないが、小さくなれば小さくなるほど精神エネルギーを消費する。なので、感づかれない程度ぎりぎりといったサイズ――だいたい5cm程度――に縮み後ろポケットに忍び込むのがいつものやり口だ。

 それを知っていて、恐らくオレのやったことに感付いたリゾットが、近づいてきた虫の類を追い払うかのようにポケットをはたいたりしないのは彼なりの親切心だろうか。まあいい。そんなことより、は予定より早く変身することになったようだ。街を抜けるなりすっぽんぽんになるのなら、リゾットが盗み見ていやしないかしっかりと監視しておかねば。

 そこまで考えて、もしかすると自分の体に小さくなった部下が纏わりついているかもしれないと察知したであろうリゾットが、わざわざその部下の女の裸を見ようなどとするわけがないと気づく。

 それにそもそも、ホルマジオはリゾットのことは信頼しているし、彼が助平でも無いことはよく分かっている。だからこの際、ホルマジオの本心中の本心についてお話しよう。

 彼女が変身前に素っ裸になるという悪癖を矯正できていないから、リゾットとふたりきりで仕事に行かせるのが心配?もちろん、先述の通り心配ではある。それに、リゾットに同行すると直談判した時の本心はその心配を解消することだった。だが、今はそれが本懐ではない。

 まだチームに所属して間もない彼女がちゃんと仕事をできているか心配?もちろん、心配は心配だ。この度見守る機会が与えられて幸運だとも思う。だが、彼女に近づくなと言われているだけに、実際にターゲットの肉を屠っているところを拝める訳では無いので、見送りと出迎えをしただけで安心できるかと聞かれたら、答えはNOだ。

 ならば一体、彼は何のために今ここにいるのか?

 ああ~早く仕事終わんねえかなァあああ。仕事終わりにオレが出迎えたら、あいつびっくりするかな!?そして喜んで飛びついてきてくれるかな~!?ホテルの下調べはばっちりなんだぜ!早く無事に仕事終わらせて、ふたりでデートとしゃれこもうぜ!

 とセックスをする。ほとんどそれだけのために、今、彼はここにいた。