ホルマジオが朝起きて、自室から出るなり向かったのはの部屋だった。予見していたことではあるが、扉の前に立ってドアをノックしても彼女が返事をする声は聞こえなかったし、扉を少し開けた向うからおずおずと顔を覗かせることもなかった。まだ寝ているか、寝たふりをかましているかのどちらかだろうと思ってふうっと溜息をひとつ吐くと、彼は一旦彼女と会うことは諦めてリビングへと向かった。
リビングではリゾットがひとりラップトップに向かって仕事をしていた。殺しに関する仕事かチームの資金繰りか……どちらかは分からないが、眉間に深い皺を刻んでモニターを睨みつけている。ホルマジオは感情をほとんど表に出さないリーダーが今どんな気分でいるかと顔色を伺った。うむ、見てもよく分からないが、いいか悪いかで言えばおそらく良くはない。別に話しかけたところでギアッチョの様にプッツンするわけではないのでそれほど気を揉む必要はないだろうが、話しかけるには幾分気がかりなことがある。
昨日、ホルマジオはリゾットに、これ以上のことで絡んでくるなと突き放されたばかりだった。だがホルマジオには彼に、どうしてもに関して聞いておきたいことがあったのだ。聞いてどうすると言われたら何も反駁はできそうにない。だが気になる。
ホルマジオはひとまずキッチンへ向かい、保温されたコーヒーサーバーのコーヒーをマグカップに注ぎ、それを手にリゾットの傍に寄った。別に何も話しかけるつもりは無いよ、という素振りでいたが、リゾットの目はホルマジオをしっかりと追っていた。彼の思惑などリーダーにはお見通しである。
「……なあ、リゾット」
「なんだ」
そらきた。とでも言わんばかりに、リゾットはモニターに顔を向けたまま返事をした。するとホルマジオが彼に顔を近づけて耳打ちをする。心配せずともリビングにはふたり以外に誰もいないのだが、ホルマジオは保険でもかけるかのように口をリゾットの耳に寄せ、手のひらで口元を覆い隠した。普段の声量に比べると1/50程度のボリュームしかないのではないかというくらいの小声で、彼はリゾットに問いかけた。
「あんた、の裸見たのか?」
リゾットは僅かに眉根を寄せた。だが彼はその程度のことを聞かれて慌てふためき声を荒げるほど初心でも直情的でもない。百戦錬磨の暗殺者は尚もモニターに目線を向けたまま、特に小声で喋ろうなどという配慮もせずに答えた。
「ああ。それがどうした」
ホルマジオは目を剥いた。やはり自分の予想は当たっていた!
昨日リゾットはと仕事に出た。は彼と初仕事を難なくこなしたという。恐らく、仕事の成功率を上げるためには能力を遺憾なく発揮したはずだ。彼女のスタンド能力について分かることと言えば、霊体となって表れた猫が彼女の体に憑依すると体もろとも100%猫になれる――一体イエネコの体をどうやって暗殺に役立てると言うのかホルマジオには疑問だったが、彼が今問題としているのはそのことではない――ということ。それと、能力を解除したあとのは素っ裸だということだけだ。リゾットが、新人の彼女の仕事を最初から最後まで見届けたならば、もしかすると意図せず彼女の裸を見ることになったかもしれない。そう見当をつけてした質問だったが、やはり予想通り。
「何かしたか?」
「何も」
リゾットはあくまで平常心を保とうというスタンスのようだ。昨日ホルマジオを突き放した時は少し感情的になってしまった。という反省をしてのことだった。それにしても、ひどい質問だ。
「あんたはの能力がどんなもんか知ってたんだよな。でも、あいつが能力解除する度素っ裸になるとは思わなかった」
「……そりゃあそうだ。オレの前で何の躊躇いもなく服を脱ぎだした時は驚いた」
「な……何!?」
ホルマジオは狼狽えている。そんな彼の様子を眺めるのは面白い。だが、何故突然そんな話をし始めた?彼女の能力についてチーム内で知られる分には何も問題は無いが、とリゾットは単純にきっかけが何なのかということが気になった。
ホルマジオからはと仕事をする機会をつい昨日奪ったばかりだし、その前に一緒に仕事をさせたことは無かった。どうやって彼女の能力を知ったのか。がホルマジオに話したのか?だが、ホルマジオの前でだけはまるで借りてきた猫のようにびくついていた彼女が自分からそんな話をするとは思えない。彼が教えろとしつこく迫ったか、あるいは彼女が私事で能力を使っているところを偶然目撃したか。
「あ、あんたら、どういう関係なんだ……」
「ただの上司と部下だ。裸を見ただけで欲を煽られて女を襲うようなケダモノとオレを一緒にするな。それで、おまえは一体何を気にしてる?」
「リゾット、あんたのことは信頼してる。だが、の裸を見て襲いも何もせず平常心を保ててるなんて、最早男かどうか疑わしいぜ!」
「……失礼だぞホルマジオ。オレはこう見えて忙しい。に熱を上げてるおまえの好奇心に付き合ってる暇も惜しいんだがな」
興奮して立ち上がっていたホルマジオは、魂を抜かれたようにすとんとソファーに腰を落とすと、しばらく呆然としながらリゾットの顔を眺めた。
が能力を使う度に素っ裸になることを知りながら、教育係というオレの仕事を奪いやがったと因縁をつけようかとも思った。だが、ついさっき言ったリゾットを信頼しているという言葉にウソは無いし、そもそも彼がそんな助平でないことくらいは彼も分かっていた。この場合、問題があるとすればそれはにある。
何の躊躇いも無くリゾットの前で服を脱ぎ去った?オレの前では顔を真っ赤にしてブランケットで隠していたのに。
「悪かったリゾット。ちょっと興奮しちまった」
「……全くおまえらときたら、お互いのこととなると突然狼狽えだす。仕事にまでその浮かれた気を持ち込むんじゃあないぞ」
「それは分かってるよ。……とにかくよぉ、あの、変身する度に素っ裸になるってのは良くねーよな」
リゾットはキーボードを叩く指を止め、ホルマジオの顔を見やった。そう言えば、と思った。彼もまた、仕事の度に目のやり場に困る思いをするのはいらぬストレスになるのでどうにかしたいと思っていたのだ。おそらく、ホルマジオの抱く心労とは種類は違うだろうが、利害は一致しているはず。
「おまえもそう思っているなら丁度いい。ホルマジオ、使いを頼まれてくれないか」
「別にかまわねーけど」
「オレは女の好みがよく分からないからおまえかプロシュートにでも頼もうかと思っていたんだが、彼女が毎回素っ裸にならなくて済むように、何か買ってやってほしい。金は出す」
「何かって何だよ」
「本人は伸縮性の高いレオタードみたいなものでいいと言っていたが、なにか纏うのは自分の美学に反するからイヤなんだと。まあ確かに、服を着た猫なんか見るのは滑稽でたまらないが……なんとかして妥協点を探ってこい」
「いいけど、のやつオレと買い物になんか行ってくれるかわかんねーぜ。オレは今アイツに避けられてんだ……。ま、とりあえず、オレが気にしてたのはそれだけだ。解決できそうで良かったぜ」
こうしてホルマジオとリゾットの会話は終了した。ホルマジオはマグカップを手に取ってちらと壁掛け時計を見やった。時刻は9時30分。そろそろ腹も減る頃だろうに、は一向に姿を現さない。
「なあ、リゾットよぉ。が降りてきたの見たか?」
「いや。七時からここにいたが……見てないな」
そもそもの話、朝方ホルマジオの部屋から慌てて逃げ出したが、自分の部屋に戻ったという確証も無かった。
好意を寄せる男に意図しない内に裸を見られた彼女の乙女心がどれほど傷ついたかなどホルマジオは知る由もない。だが、涙目でこちらを見上げていたし――あの時は驚くしかなかったホルマジオだったが、今あのシーンを思い返すと、素っ裸の女が布一枚で体を隠しながら眉根を寄せて、美しい瞳に涙を浮かべ上目遣いにこちらを見つめてくるなど、興奮しかしなかった――何か傷ついて悲しくもなったのだろう。傷ついて家出するほど精神的に幼くもないだろうからいずれ今日のうちにでも会えるだろうが、ホルマジオは今すぐにでも彼女と会って話がしたかった。
とにかく、はもうアジトにはいないかもしれない。ならば彼女はどこに行くだろうか。
空き地。雨。子猫。――あの美しい瞳。酔いの内に思い出した光景が再び頭をもたげた。
腹減ってるだろうし、チーズタルトでも持っていってやるか。
空き地にがいるなんて確証は何も無い。だが、あの空き地で誰かが来るのを待って寂しそうに空を見上げる猫のような女の姿を思い浮かべると、しっくりときた。もし例の場所にいなくとも、チーズタルト片手にふらふら歩いていれば、大好きな食い物の匂いを嗅ぎつけてひょっこりと顔を出すかもしれない。
はスタンドが猫なだけで実のところはただの人間だ。嗅覚も人並みだろう。だから、ひょっこりとというくだりが実現する可能性は低いかもしれない。
ホルマジオはまた、頭の中をのことでいっぱいにしてアジトを後にした。
「ま、待って、ホルマジオっ……、私化粧もなにもしてない!服だってテキトーだし、このまま街に買い物に行くなんて……ああ……」
ヒューム管から引張り出されるなりホルマジオに街へ買い物に行くと切り出され、は腕を引かれていた。テンポの悪い足取りで彼の後ろを歩く彼女は、背後で小さくなっていくアジトを見送って下唇を噛んだ。
こんなみすぼらしい格好でホルマジオの隣なんか歩けない!どうせアジトの前を通るなら、ちょっとくらい寄らせてくれればよかったのに……。
の惨めさではち切れそうな気持ちなど、ホルマジオには分からない。何故なら彼にとって、はありのままの姿で十分美しいからだ。そもそも美しい女性に隣を歩かせて自分の装飾品か何かのように扱うなどという発想は無い彼だから、なおさら繊細な乙女心と利害は一致しなかった。
「リゾットの前で素っ裸になったんだって?」
唐突な質問に、は目を大きく見開いて、やや強引に自分の腕を引くホルマジオを見やった。
もう勘弁して。これ以上私を追い詰めないで!
「だって、どうしようもないじゃない。あんな能力じゃ、仕事の度に服を引裂くことになるもん」
「?イエネコサイズなら大丈夫だろ」
「変身できるの、イエネコだけじゃないの。イエネコじゃ人殺せないよ」
なるほど。ホルマジオの疑問はひとつ消えた。だが、それはやはり問題ではない。彼はに、自分以外の男の前で素っ裸になって欲しくないだけなのだ。別に今はまだそんなことを彼女に強制できるような間柄ではないが、ホルマジオはいずれ、いや、今日のうちにでも・をものにするつもりでいた。
何故自分の部屋に毎晩猫の姿で訪れていたのか。その理由を彼女の口から何としても聞き出して、もちろん同意の上で、彼女をものにする。いい機会だ。素っ裸でいてほしくないのが何故かなんて、言わなくても分かるだろう。いや、だがしかし、リゾットの前では何の躊躇いもなく仕事だからと服を脱ぎ去るところに鑑みると、世間一般的な常識が彼女には通用しないかもしれない。
「それで、服を買ってこいって……リゾットに言われたの?」
「ああそうだよ。全く、どういう神経してんだ……」
「ごめんなさい。初仕事だったから、躊躇してるなんて、使えないヤツだなんて思われたくなくて……」
「でもよォ。おまえ、オレの前じゃびくびくしてろくに話もしねーのに、リゾットの前じゃあ随分大胆なんだな?おまえにとって、男の前で服を脱ぐのは仕事だからって理由で割り切れるようなことなんだな」
もしそうなら、しっかりと教え込んでやらなければ。そしてやはり、どんなにが服を着ることを嫌がって爪を立ててこようとも、放し飼いの猫を風呂に入れる飼い主のような覚悟を持って服を着せなければ。と、ホルマジオは決意した。
一方のは口を噤んだ。何か言わなければ。このまま黙っていたら良からぬ勘違いをされてしまう。そう思って口を開いてみるも、上手い返しが思いつかない。確かに、リゾットの前で裸になるのに躊躇なんてしなかったのに、ホルマジオの前からは恥ずかしがって火がついたように逃げて行ったのは何故かという疑問に対する答えが、仕事に対する覚悟がどうのという話だけ。それで納得しろというのは些か乱暴かもしれない。
「……ごめんなさい」
だが、そう言うしかなかった。
ホルマジオの部屋からは裸でいることよりも、部屋に勝手に潜り込んでいたことが恥ずかしくて逃げ出したのだ。絶対にバレたく無かったことだった。このことについて今説明するとやはり、自分のホルマジオへの思いを本人に悟られかねないので言いたくなかった。今朝型の出来事はホルマジオの記憶が薄れるまで、薄れなければ未来永劫、有耶無耶にすると決めたのだ。
――だがそんな心配は最早取り越し苦労と言う他無い。既にホルマジオは彼女の気持ちに気付いている。だから彼は今しがた、彼女をものにする決意を固めたのだ。さらに言えば、ついさっきは彼に好きだと告げられたばかりである。
それをは完全に忘れていた。自分なんかがホルマジオに愛してもらえる訳がない。彼女のこれまでの人生で染み付いてしまった、自分を過剰に卑下する悪癖が完全に災いしていた。
ホルマジオとは街のスポーツウェアを取り揃えた店を訪れた。伸縮性のありそうなスポーツブラとショーツを手にとって、しばらくしかめっ面をしていた。裸じゃないと猫になったときの体の可動域が狭くなるとか、やっぱりブラとショーツを身に着けた猫なんてイヤだとかブツブツ文句を垂れたが、ホルマジオは譲歩などしなかった。
例え彼が全幅の信頼を置くリゾット相手でも、の裸を見られるなんて我慢ならない。ホルマジオは既にを完全にものにした気分でいた。
「とりあえず今日のところは我慢してこれを着てみろよ。で、気に食わなきゃまた買いに来ればいい」
また、ホルマジオと買い物に出かけられるなら、わざと気に食わないと言ってみようか。元から変身の前に衣服を纏ったままでいること自体気に食わないのだから、嘘にはならないだろう。今度こそしっかりとめかしこんで……とは言っても――
「あ!ホルマジオじゃん!」
店を出るなり、見知らぬ女が声をかけてきた。ホルマジオには見知った顔だったのだろう。振り返るなりパッと屈託のない笑みを浮かべて挨拶を返す。
――そう。とは言っても、この女性ほど胸も尻も豊かではないし、ボディラインを強調するような服は自分には似合わない。そもそもそんな服は持ってない。この女性ときたら、メイクもバッチリ決まってて、すごく美人だ。彼女が履いてる10cmはありそうな高いピンヒールのサンダルなんか私が履いた日には靴ずれ必至。下手をすれば足が痛すぎて明後日まで歩けないかもしれない。
女性とチークキスを交わして楽しげに話しているホルマジオを見て、はやはり自分など相手にされるはずもないと思った。
心臓を握り潰されたかのような痛み。そして息が出来ないくらいの咽頭の閉塞感がを襲った。昨晩彼の部屋を訪れた時に感じたのより遥かに辛い。次第に聴覚も鈍化していった。ホルマジオと女性の会話が耳に届かなくなり、雑踏した通りの足音や幾重にもなった知らない人々の声に呑まれていく。
誰も私のことなんか気にしてない。
はまた下唇を噛み締めた。そして音を立てないように、そっとホルマジオの側から去った。
「ねえ、ホルマジオ?さっき連れてた子、彼女?」
「あ?まあ……そんなとこだ。それより、さっき連れてたってどういう意味だよ」
「彼女、いなくなっちゃったわよ」
ホルマジオは後ろを振り返り、の姿を探した。確かに彼女は姿を消していた。通りにはそこそこ人がいて視界が悪いので断言はできないが、見渡せる範囲内に彼女の姿は見つけられなかった。
「――ッ!あいつ!!わりい、またな!」
ホルマジオは慌てて身を翻した。
確かに、リゾットから頼まれたおつかいだけは達成した。だが、ホルマジオの目的は達成できていない。このチャンスを逃して次の機会まで待てるほど、彼は気は長くない。だが諦めるつもりも毛頭ない。
ホルマジオはアジトに向かって駆け出した。大通りからアジトへ向かう小路へ入り込み、来た通りの道をたどる。案の定、頭を下げてとぼとぼと歩くの後ろ姿がすぐに目に飛び込んできた。途端、彼は速度を上げてバタバタと彼女に駆け寄り、何も言わずに首根っこを掴み上げた。
ひどく驚いた顔で振り向いた彼女の瞳には涙が浮かんでいて、目尻からそれがこぼれ落ちた跡が頬の上でキラキラと輝いて見えた。
「何で勝手にオレから離れて行くんだよ!つーか……、なんでまた泣いてんだ」
「邪魔、したくなかったから」
「邪魔なんかじゃねーよ。何言ってんだ。……泣いてんのは何でだ」
ホルマジオはの頬に両手を添え、親指で流れる涙を拭う。拭っても、次から次へとこぼれ落ちてくるのでキリがない。
「惨めで……、悲しくて……」
「はあ?何で惨めなんだよ」
「私、あんなに……美人じゃないし、あなたの隣……歩いてていいようや女じゃない」
ホルマジオは眉間の皺を一層深くして、さめざめと泣くを見やった。本当に何を言っているのか理解できないとでも言うように首を傾げている。
「おまえは美人だ。だから、惨めだとか、悲しいだなんて思うんじゃあねーよ。……ああ、もう。おまえの口から先に言わせるつもりでいたのによォ、予定が狂っちまったじゃあねーかよ」
ホルマジオはジャケットの内ポケットから小さな紙箱を取り出した。
「おまえさ、オレの話聞いてねーよな。部屋で言っただろ。もう、オレに飼われちまえって。おまえの為なら餌だって何だって用意してやるってよ」
紙箱を開けたホルマジオは、中からリボンのような物を取り出した。1センチメートル程の幅、色はワインレッド。中央にゴールドのリングが2つ通されていて、端々にはネックレスの留め具が施されている。チョーカーだ。
ホルマジオはそれをの首に巻こうと手を伸ばした。不意に彼の手が伸びてきて、またもやビクっと体を震わせたは顔を上げた。そして優しげな微笑みを浮かべるホルマジオの顔に釘付けになる。
この顔……前も見たことある……。
空き地。雨。子猫。――あの優しい眼差し。が一目惚れした男の顔が、目の前にある。
(ホルマジオ……ああ、やっぱり私、あなたのことが大好き。私、本当はあなたから離れたくなんかない。ずっとそばにいたいの……)
すぐそこまで出かかっているのに、それをは声に出せなかった。気を紛らわせるように、は首に纏わったチョーカーを指でなぞる。ベロアの滑らかな感触が心地良い。
「これ……くれるの?」
「ああ。でも、オレの許可なく勝手に取るなよ。おまえはオレのもんだって印なんだ。……こうでもしねーと、さっきみてーにふらふら離れていかれちゃ……気が気じゃなくなっちまう」
私が、ホルマジオのもの?
彼女には経験がなかった。男にこんなに優しい眼差しを向けられたことも、プレゼントをもらったことも、自分の女だと宣言されたことも……すべてが初めてだった。
「いいか。おまえの記憶力は猫並みらしいから、何度でも言うぜ。おまえは今日からオレの女だ。クソ……女とまともな付き合いしてこなかったから、こんな時に何て言やいいのかわかんねー!とにかく、オレは最近おまえのことしか考えられねーくらい、おまえのことが好きなんだ。つーか好きってさっき言ったの聞こえなかったかよ。別に猫になれるからってわけじゃねーよ。もちろん、猫のおまえもめちゃくちゃカワイイから好きだ!定期的に猫のおまえを撫で回させてくれるとありがたい。だが、それ以上におまえが……人間の姿のおまえがかわいい!んで、リゾットだけじゃねー。他の男の前でもう脱ぐなわかったか!?」
息巻くホルマジオの言葉を反芻して、ひとつひとつ自分の中に落とし込む。その度に胸がだんだんと熱くなってくる。
ああ、これが"幸せ"なんだ。初めてそう思えた。でも、こういう時に、嬉しいはずなのに、どうしてこんなに胸が苦しくなるんだろう?どうしてまた、泣きたくなるんだろう?
何か言わなければ。
「ホル、マジオ……、私……私も……あなたのことが」
言っていいの?私なんかが。汚れきった私を、愛してって。好きって言っていい?
最後の最後まで躊躇って、消え入りそうな小さな声で、人間の言葉で、は溢れ出た思いを丁寧に紡いでいった。
「大好き……。大好きなの、ホルマジオ。はじめて、あなたのこと見た時から……ずっと」
「だッ……だいすきときたか。ああ、畜生。反則級の可愛さだな。その可愛らしさは生まれつきか?だとしたら、おまえを創り出した神に感謝だな。神に感謝なんてしたことねーぞオレ。おまえすげーなほんと」
最近、日が落ちるのが早くなってきた。晴れ渡った秋空には、薄くオレンジ色がさし始めている。そしてナポリの街の狭隘な小路には影が落ち始めている。その合間で輝くの瞳に、ホルマジオはまた釘付けになるのだ。
「これも何度も言うけどよ、おまえの目、最高にキレイだぜ」
今日からこの眼差しは、オレだけに向けられるべきだ。そんな優しい独占欲に駆られ、ホルマジオはを抱きしめた。
(fine)