Happy Christmas

 午後六時。暗殺者チームの面々はアジトでクリスマス・イヴを迎えた。さあパーティの始まりだ、と皆が意気込む中、ギアッチョは車のキーをチャラチャラと鳴らしながらひとりガレージへと向かう。メローネはシャンパンのコルクを抜こうと立ち上がったついでに、ギアッチョの背に声を投げかけた。

「おいギアッチョ。どこ行くんだよ」
「迎えだよ。いつもの」

 ギアッチョがお迎えにあがるのは、彼のガール・フレンド。名は。郊外にある自動車整備工場で働く整備士だ。

 普段は職場の休憩室をほとんど自分の部屋のようにして生活しているが、暇を見つけては実家――すでに両親は亡くなっているので、出入りするのはだけだが――へ戻り、洗濯や料理をするなどして束の間の休息を楽しんでいた。

 ギアッチョはクリスマス・イヴに、週に一度の頻度で今まで繰り返してきた通り、を工場へ迎えに行き、実家へ送り届けるついでに、彼女の実家でふたりきりの時間を過ごすつもりでいたのだが――

「アッシー君はまさかそのまま彼女のおウチで過ごすつもりねーよな?帰ってくるよな?」

 ホルマジオに聞かれ、ギアッチョは答えた。

「おう」

 ――明日もは朝から仕事だ。だから、きっと帰ることになるだろう。ギアッチョはため息をついた。

 クリスマスくらい休ませろ。ギアッチョはの上司に向って怒鳴り散らしてやりたいところだった。だがその上司というのは聞くに、身寄りのないの面倒を幼い頃から見続けた男らしく、彼女自身そいつに大変な恩義を感じている。故に、長期休暇が目前となると何かと仕事を押し付けてきて、自分はしっかりと休む癖がついているらしいその男の言うことを、は断れないというのだ。クリスマスを目前に控えた丁度一週間前にそんな話をから聞いて、聞いた瞬間男に殺意が湧いたが、殺したら彼女が路頭に迷うことになるので殺せない。

 そんな残念で憂鬱なギアッチョの気分も知らずにホルマジオは陽気な様子で、パーティを開始してものの十分足らずで空になったビール瓶を掲げて言った。

「さすがギアッチョ!酒買ってきてくれよ。足りそうにねぇんだ」
「……ったく。この飲んだくれ共が」
「マジにちゃんと帰って来いよ〜!あ、そうだ。ちゃん一人にすんの可愛そうだしよ、ここに連れてきたっていいぜ〜」
「ダメだ。何を言っている」

 リゾットがすかさず言った。言われずとも、ギアッチョはをこのアジトへと連れてくるつもりなどない。殺しを稼業にしていることはおろか、自分がギャング組織の一員であることすらには伏せているのだ。

 それはともかく、ホルマジオとかメローネとか、女関係のことでいろいろとヤバいヤツしかいないこんな無法地帯に、大事なを連れて来れるワケがねーだろうがッ!

 ギアッチョはロードスターに乗り込んで――黒い幌は閉じたままだ。寒い――の待つ工場へと急いだ。



War is Over



「メリー・クリスマス、ギアッチョ!」

 例に漏れずパンパンに膨れ上がった大きなリュックサックを背負ったが手を振りながら言った。ギアッチョはおう。とだけ答えて、のためにトランクを開けてやった。バタンと背後で音がして、程なくしてが助手席に乗り込んでくる。すかさず彼女はギアッチョに抱きついた。どこからともなくオイルのにおいが漂ってくる。ついさっきまで仕事をしていたのだろう。

「仕事、片付いたのか」
「まあ、一応はね」

 二言三言、何でもないような会話を済ませると、ギアッチョは街へ向って車を走らせた。

 赤いロードスターは街を駆け抜けていく。たまに信号が赤で停車すると、の目についたのはショーウインドウのクリスマスツリーや、植栽を彩る電球色のイルミネーションだ。街は当然のことながらクリスマス一色に染まっている。歩道を歩くカップルたちはここぞとばかりにめかしこんで、プレゼントの袋を抱えて仲睦まじげに笑い合っていた。

 は惨めな気分になって、助手席で身を小さくした。仕事さえなければ。そんなふうに思ったが、仕事が無ければ生きてすらいけないと気付き、ますます憂鬱な気分になった。

「こんなにカッコいい車の助手席に乗ってるオンナが、油臭い修理工って……笑っちゃうよね」
「突然何言いだしてんだ」
「しかも、今夜はクリスマスだよ。ろくにおめかしもできてない」

 本当は、こんな……ぼろのスニーカーにジーパン、そして着古したニットなんかじゃなくて、ハイヒールを履いて、可愛らしいワンピースにファー付きのコートなんかを纏ってギアッチョの隣にいたかった。

「別にクリスマスだからってめかし込む必要なんかねぇだろ」
「……がっかりしてない?」
「してねーよ」

 会えるだけで、それだけで幸せなんだ。そう言ってやりたかったが、なんだか気恥ずかしくて口にできない。ギアッチョがちらと横目でを見ると、彼女は唇を突き出して、なんだか釈然としないといった風な顔で進行方向を睨みつけていた。

 モヤモヤと気が晴れないまま、ふたりは目的地に到着する。そしてのモヤモヤは、家の中に入ってからも続いた。冷蔵庫の中に特別なものが何も無かった。あるのはバターと卵とチーズ、冷凍した肉や、日持ちのする野菜だけ。ここのところ、もうすぐクリスマスだからと食材を買い込む暇も無かったのだ。

「ごめんギアッチョ。私ってほんとダメな女よね」
「……疲れてんだろ。お前はあっちで休んでろ」

 そう言って、ギアッチョはリビングのソファーを指差しながらキッチンに立った後腕まくりを始めた。

「え?え??」
「え?じゃあねーよ。つか、先に風呂にでも入ってこい」
「あ、やっぱりにおいが気になってたんだ……」
「ちげーよ!オレは別にオイルのにおいなんか気にしてねーし、むしろ好きだ!」
「そ、そうなの?まあいいや……じゃあ、お言葉に甘えて……」

 お互い車が好きで、それで意気投合して付き合いはじめたのだ。ギアッチョも車のチューニングは自分でやったりするらしいし、だからオイルのにおいが好きだと言うのはおかしいことではないか。

 そんな的はずれな考察をしながら、はひとりバスルームへと向かった。念入りに体の汚れを落とし、髪を乾かし、これまた念入りに全身の保湿を行った後リビングへ戻る。すると、食欲をそそるガーリックの香りが部屋に充満していた。

「わあ。すっごいいい匂い」

 ブルスケッタ、クリームパスタにカルパッチョ、そしてダイニングテーブルの中央には、小さな可愛らしい紙箱が置いてあった。クリスマスカラーに染まったその箱を見ると、パネトーネと書いてあった。

「これ、ギアッチョが買って持ってきてくれたの?」
「ああ。そうだよ。……ほら、オレだって腹減ってんだ。さっさと席につけ」
「はーい」

 ギアッチョはどこか気恥ずかしそうに目をそらす。クリスマスだからってめかし込む必要はないと断言しつつも、彼はちゃっかりクリスマスを意識していたようだ。

 そうやって意識していたクリスマスの日に、私と一緒にいてくれて……しかも料理までして、労ってくれるなんて。私、なんて幸せ者なんだろう。

「ギアッチョ」

 は席につくなり顔を伏せ、声を震わせ呟いた。

「ありがとう。……わたし今、すっごい幸せ」

 毎年、クリスマスは一人ぼっちだった。両親を早くに亡くしてから、一人で、ただ生きていくので必死だった。ボーイフレンドができなかった訳じゃないけれど、仕事で忙しいと会わないでいるとなかなか関係が続かなかった。

 でもギアッチョは違った。会う約束していた日に急に仕事が入って断っても、機嫌を悪くしたり、浮気をしたりはしなかった。ツンケンしていて、私にではなく、他の何かにぶちギレて声を荒げることは多々ある難しい人だけど、私に向ってだけは絶対に酷く声を荒らげたりしなかったし、彼の優しさは、彼の行動からひしひしと伝わってきた。それで私は彼のことがますます大好きになって、彼も変わらず私を愛してくれた……。だから迎えられた、年に一度のクリスマスだった。

 特別なことをしたかったけど、忙しさにかまけて私は何もできなかった。いつも彼からは、貰ってばっかりだ。

「ごめんね。いつも私、あなたに何かしてもらってばっかり……。私からは、何もしてあげられてないのに」

 スパゲッティを食べようと思ってフォークを握ったは良いが、胸が苦しくてなかなか手を付けられない。は鼻をすすって、涙目でギアッチョの顔色を伺った。

「……バカ。オレは、おまえがそばにいるだけで十分なんだよ」
「え?」
「だから、そのえ?って聞き返すのをやめろ!……いちいち説明なんかしたくねーんだ!」
「……ごめん」
「ああ、ちくしょー……お前ってどうしてそう……。クソッ」

 を悲しませたかったわけじゃない。泣かせたかったわけでも、謝らせたかったわけでもない。けれど、口を開くとすぐに暴言が飛んでいってしまいそうで、うまく言葉を紡げない。

 ギアッチョはたまらず椅子から立ち上がった。に歩み寄って、しょんぼりと項垂れる彼女を背後から抱きしめる。抱きしめると、幾分心は落ち着きを取り戻して、頭の中に整理がついて、うまく喋られる。

「おまえって存在に、オレは支えられてんだ。だから言ったんだぜ。おまえがそばにいてくれるだけでいいってな」

 はギアッチョにとって、ありのままの自分を受け入れてくれる唯一の女性だった。ありのままの自分――つまり、怒りがすぐに表に出てきてしまう、気性が極めて荒い自分だ。大抵の女は、彼のそんな一面が垣間見えた瞬間、すぐに距離を置いた。攻撃的な男なのだと判断して危険を回避しようとするのだ。

 けれどは、彼女だけは違った。危機感の薄い女だと最初は思ったが、違った。方々に牙を剥く一匹オオカミにも心はあって、孤独に苦しんでいるのかもしれないと思ったのだろう。とんだおせっかいだ。けれど、そのおせっかいが、とんでもなく心地よかった。彼女だけは、恐れもせずに、嘘偽りなく、こころからの喜怒哀楽をギアッチョにぶつけた。そんな女は、後にも先にもだけだ。ギアッチョにとっては彼女そのものがかけがえのない贈り物で、唯一無二の大切な存在だった。

「ギアッチョ……。こんな、ダメダメな私にそんな風に言って、私のこと愛してくれるのはあなただけ」
「おまえはダメなんかじゃあねーよ。それに……そりゃあこっちのセリフだぜ」

 ギアッチョはを抱きしめるのをやめ、照れ隠しに両肩にバンっと掌を乗せ、彼女を激励するかのように言った。

「ほら。腹、減ってんだろ。せっかくのメシが冷めちまうから、さっさと食え」
「うん。……いただきます」

 おいしい。口をもごもご動かしながら、は涙ながらに呟いた。自分が作った料理を美味しいと言って食べてくれるのも、だけだ。チームメイトたちはほぼほぼ言わないし、言っても何か一つは文句をつけてくる。具はこれよりあっちが良かったとか、塩気が多すぎるとかなんとか。洗い物をしている間にそう言われるもんだから、ムカついて大抵包丁を投げる。

 あ、そう言えば、酒を頼まれてたんだったな。知ったこっちゃねーけどな。

「おまえさ、明日、仕事何時からなんだよ。また五時起きとかで出て行くのか」
「あー、それがさ。お仕事、昨日から今日まで徹夜で頑張って、明日昼からでいいようにしといたの」
「徹夜ァ!?おまえ徹夜なんかしたのか!?」
「え、あ、うん。割とよくやるけど」
「バカやろう!良い仕事はいい睡眠から生まれんだよ!それに、注意散漫になってたら危ねぇだろーが!ただでさえオンナにやらすにゃあヒヤヒヤするような仕事ばっかだってのに!」
「ごめん……どうしても、ギアッチョと長く一緒にいたかったから……でもダメだよね。前に会う約束したとき、日を跨ぐ前に帰るって言ってたもんね……」
「なら帰らねー」
「え、いいの?」

 アジトの連中だって、大切な存在に変わりはない。だが、アイツらはひとりじゃない。それに、きっと今頃全員へべれけになってて、いまさらシラフのオレが帰ったところでクソ面倒くせー絡みされてブチギレて、怒鳴り散らすのが関の山だ。

「ああ。別に、オレは何も予定なんかねーからな。オレが帰るって言ったのは、お前の睡眠時間を奪いたくなかったからだ。さっきも言ったが、睡眠不足で注意散漫になっちまったお前に、怪我なんかさせたくなかったからだぜ」
「ギアッチョ……。ギアッチョって、どうしてそんなに優しいの?もう、ほんと好き。大好き。愛してる」
「い……いいから。さっさとメシ食って寝るぞ!」

 はフォークで巻き取ったクリーム・スパゲッティを口に含んだところだった。口から少しだけはみ出したスパゲッティの端。ちゅるっと飲み込まれていくそれからそぎ落とされたクリームが、彼女の口角から下に向かって垂れていく。もぐもぐと咀嚼してごくりと嚥下した後、顎のあたりに違和感を覚えたのか、は親指の腹でクリームを拭い取って、それをペロっと舌で舐め取って言った。

「……寝ちゃうの?」

 ギアッチョは瞬時に顔を真っ赤に染め上げ、慌てふためいた。



 翌日昼過ぎ、を工場へ送り届け、ギアッチョはアジトへ戻ってきた。

「くっせぇ!!」

 寒いからと閉め切った部屋に、男共の熱気?臭い?に乗っかったアルコール臭が充満していた。ギアッチョはたまらず声を荒らげた。皆、ギアッチョがアジトを出る前に居た場所でイビキをかいて寝ている。

 つくづく、帰らなくて良かったとギアッチョは思った。昨晩は最高に良いクリスマス・イヴだった。自分のこれまでの人生で初めての最高のクリスマス・イヴ。

 決まった場所に車のキーを放り投げた時、ふらふらと覚束ない足取りのホルマジオが、空の酒瓶を持ってギアッチョの前を横切った。そして、虚ろな顔をしたホルマジオと目が合った。

「朝帰りたァいい度胸してんじゃねーかよ」
「もう昼だッ!」
「つか、酒買って来いっつったよな。……ッぷ。気持ち悪ッ。酒はどこだ」
「十分足りてそうだけどな!?」
「おつかいもまともにできねーのかよ……おまえはよォ……。で、ちゃんと仲良くやってきたってワケね。いいご身分だよなぁ……。この、幸せ者め……。あー彼女欲しい」

 そう。オレは幸せ者だ。

「あーーーッ!んなとこで吐こうとしてんじゃあねーよきったねーな!おら、トイレに行ってから吐けやこのハゲがッ!」
「ハゲじゃあねーッ!オシャレな坊主だとナンベンもおぼろろろろろろろ」
「ああああああああああああッ!!!!」

 幸せ者なので、今日のところはこの飲んだくれ共の世話を、文句も言わずにしてやろうと思う。

「あースッキリした。メリー・クリスマス!ギアッチョ!クリスマスはまだ始まったばかりだぜ!と、言うわけで、飲んだ酒全部出ちまったから買いに行くぞ」
「そのゲロかたしてからな」