「この裏切り者がッ」
「ハゲ!ハゲ!」
「おまえのムスコ、リトル・フィート!!」
リビングを背にアジトから抜け出さんとするホルマジオに、背後から罵声が浴びせられる。
「おい誰だ今オレのちんこリトル・フィートって言ったやつ。見たことねーだろうが。オレのはジャイアント・フィートだ。ジャイアント・フィートなのをリトル・フィートで縮めてるだけだから」
「要はリトル・フィートじゃねーか」
今宵も暗殺者チームのアジトは賑やかだ。クリスマス・イヴとあっては賑やかさにも拍車がかかるのだが、ホルマジオの“裏切り”行為はそこに水を差すようなものだった。
ホルマジオが毎年チームで迎えてきたクリスマス・イヴの集まりを抜けて、女に会いに行くというのだ。
「おまえ決まったオンナなんかいたのかよ」
「どうせセフレだろ」
「聖夜くらい不純な行為は慎めよな」
ギアッチョ、イルーゾォ、次いでメローネという順番で、次々と恨み言が投げかけられる。
「そんなんじゃねーよ。じゃーな、非リア共」
「爆発しろ!!」
そう。そんなんじゃない。セフレなんかじゃない。恋人でもない。今この時に、恋人であったらどんなに良かっただろうと恋い焦がれる女の元に行くのだ。
War is Over
ホルマジオが・に初めて出会ったのは、一年前のことだ。巷の行きつけのバーに、女友達何人かと飲みに来ていた彼女を一目見ただけで、ホルマジオは恋に落ちていた。当然、彼は何とか彼女をモノにしようと躍起になって声をかけたが、結果は撃沈。すでに男がいた。
だが、どうしても諦められなかった。行きつけのバーに足繁く通って、彼女がまた現れないだろうかとねばった。すると、はまた現れた。今度は男を連れて。なるほど、見た目はオレとは真反対の好青年。仮にあの時男がいなかったとしても、デートの誘いなんか断られていただろう、と予想がついた。
それでも、ホルマジオは諦めなかった。もはや例のバーの常連客だ。の姿を一目見ようと、暇さえあれば店に足を伸ばした。彼はストーカーと思われやしないかと内心ヒヤヒヤしていた。すると、が今度は一人で現れた。偶然を装って、また会ったな、なんて声をかけたら、彼女は悲しげに微笑んで見せた。
話を聞いてみると、例の好青年に浮気をされたというのだ。絶好のチャンスだと思った。けれど、その時のはひどく落ち込んでいた。もう男なんかこりごりだわ、なんて呟いて、しばらくひとりでいたいとも言った。だから、ホルマジオは自分の携帯電話の番号を書いて渡して、話を聞くだけならいつだってできるからと言い残し、その場を去った。
ホルマジオは電話がかかってくるのを今か今かと待ってみたが、なかなか電話はかかってこなかった。だが、沈黙は唐突に破られる。つい昨日のことだ。その、恋い焦がれてやまなかったから、電話がかかってきた。
『いつだって、話を聞いてくれるって……言ったから』
の声からは、彼女がひどく意気消沈しているらしいことが伺えた。それはそうか。いつでも相談に乗ると伝えたオレに話がしたいと電話をかけてきたのだから、きっと何か良くないことがあったのだろう。
例のバーは週休日だと伝えると、は口ごもった。何が食べたいとか、そういった前向きな意志を持てないほど気落ちしているのだろうと、ホルマジオは思った。だから彼は、話がしやすいようにと町中の静かなレストランを選んで、待ち合わせの場所として彼女へ提案したのだった。
レストランに着いた。ウェイターに女性と待ちあわせていると伝えたあとに店内を見回した。すると、窓側の席について、ハンカチを手にしきりに目や鼻を押さえ、窓の外を見やるの姿があった。
「待たせたか?」
「……いいえ。まさか、本当に来てくれるとは思わなかった」
「オレも、あんたから電話がかかってくるなんて思わなかった。しかも、もう明日からクリスマスだって……そんな日にさ」
「ごめんなさい。迷惑なら――」
「迷惑なんかじゃあねーさ。むしろやっとか、って感じだぜ。一足先に、サンタさんがやってきて、プレゼント置いて行ってくれたみたいな気分だ」
は顔を上げて、今自分は何を言われたのだろうと不思議そうな顔で、ホルマジオを見やった。
「あ、いや。まあその、何がプレゼントだって訳じゃあねーんだけどよ。その、嬉しいって意味だ。だから、迷惑なんかじゃあねーよ」
ホルマジオがしどろもどろにそう言うと、は涙を浮かべた瞳でふふっと笑って見せた。その笑顔が、今までずっと恋焦がれていた彼女の笑顔が目前にあることが、ホルマジオにとっては幸せで仕方がなかった。
「で? 何かあったんだろ。話してみろよ」
ホルマジオに促されるまま、は、前にホルマジオから電話番号を教えてもらってから今日この日を迎えるまでに何があったのかを話し始めた。
結局、男はこりごりだなどと言いながら、浮気をした男と別れられなかったようだ。男の方も男の方で一応の反省は見せたので、関係を修復するという方へ向かった。しばらくの間、いつも通りのいい関係は続いた。が、それも長くは続かず、つい昨日、再度の浮気現場を目撃したのだという。
「もうきっと、彼は私の心を裏切ることに慣れているんだわ。でも、私は全然慣れないの。裏切られる度に、体を裂かれるみたいな苦痛を感じるの。……しかも、今日って、クリスマス・イヴよ」
は涙をぽろぽろと零しながら、再び窓の外を見やった。歩道を行き交う人々は皆楽し気で、老若男女問わず、身を寄せ合って歩いていた。幸せそうに。
私はこんなに孤独で、不幸せなのに。
「……あいつはきっと今この時も、私のことなんか少しも気にかけないで、他のオンナと一緒にいるんだわ。それが……みじめで仕方なくて」
口にすればするほど、自分がひとりなのだと思い知らされるようで辛かった。喉が締め付けられて込み上げてきて、涙がぼろぼろととめどなく流れ落ちていく。手に持っていた薄手のハンカチは、乾燥が追いつかずびしょびしょになってくたっとしおれていた。
「ごめんなさい。私、あんまり友達も多くないし、いたとしても皆、ボーイ・フレンドと一緒にいるのよ。だから……」
一縷の望みにかけて、話を聞いてくれるかもしれない、孤独な心を少しでも紛らわせてくれるかもしれない人に、電話をかけたのだ。一縷の望みは叶った。けれど、自分はそんな都合のいい人間じゃない。ありあわせみたいに扱うんじゃない。自分だったらそう思う。そう思って、憤慨して、すぐにこの場を離れるだろう。
けれどホルマジオは席を立とうとはしなかった。
「オレは、クリスマス・イヴにオンナと一緒にいないのなんか慣れっこだし、あんたが孤独で嫌になるって気持ちもよくわかんねーけど」
去年のクリスマスも、一昨年も、そのまた前も、女とは一緒にいなかった。特別なクリスマスという日に――過去をふりかえり一年を締めくくり、未来に思いを馳せる特別な日に――一緒にいたいと思うような女はいなかった。それにアジトにいれば仲間がいる。孤独で嫌だなんて思わないし、あれはあれで楽しい。けれど今は、この目の前の美しい女を、ひとりぼっちだと思い込んでいる泣きべそをかく可愛らしい女を、一人置いてアジトに戻る気なんかさらさら起こらなかった。
少しも機嫌が悪そうな顔を見せずに、ホルマジオは優し気に笑って見せた。
「オレが言ってやれることがあるとすれば、オレはひとり身だってことだ。奥さんなんかいねーし、ガールフレンドもいない。だから、今夜は……。あんたと一緒にいられるぜ」
人懐っこい笑顔だ。夜なのに、太陽みたいなその笑顔が眩しかった。の胸が、トクンとひときわ大きな音を立てる。
「で……でも私、彼とまだちゃんと、別れるとかそんな話してなくて……」
「一緒にいるだけだ。それが裏切りか?」
「裏切りよ。裏切ったら、アイツと同類だわ」
「別にいいだろ、同類だろうがなんだろうがさ……。裏切らない高潔さってのを、理想とするあるべき姿ってのを、あんたが勝手に頭の中で定義してるだけだ。それが実現できないからって、誰もあんたを咎めやしねーよ。もちろんオレも、あんたを責めたりなんかしない」
テーブルの上に乗せていたの手に、ホルマジオの手がそっと触れた。彼の熱がふわりと手の甲を覆う。
「裏切ってみて、それが苦しいならやめて他にやれることを探してみればいい。例えば、完全に縁を切ってみるとか、また復縁してみるとか。自分が楽になる方法を探るんだ。……ああ、けどな。オレには自信があるんだ。オレなら、あんたを悲しませたりなんかしない。クリスマスの夜に、あんたをひとりになんかしない。きっと、この先ずっと」
は目を泳がせた。信じられない。怖い。また裏切られるんじゃないか。そんな思いが、分かり過ぎるくらいに分かる。ホルマジオは自分の陳腐な口説き文句に辟易して、今度は自嘲めいた笑みを浮かべて言った。
「まあ、口先だけなら何とでも言えるからな。……怖いんだろ?また裏切られるんじゃあないかって」
はゆっくりと頷いた。ああ、なんて失礼なことを。まるでこの優しい人が、私を裏切ると決めつけているみたいじゃないか。けれど、やはりホルマジオは怒らなかった。どこまでもおおらかだ。私の全てを受け入れようとするみたいに。
「恐怖ってのは、何が起こるか分からないって謎で前が見えないから起こるもんだ。だからまずは、知る努力をしなくちゃあな」
ホルマジオが席についてすぐ、ウエイターに頼んでおいた料理が運ばれてきた。テーブルを縦断していたふたりの腕は、そそくさと元の場所へ戻って行く。はホルマジオの手が離れるのを名残惜しく思ったし、ホルマジオもまた、彼女にもっと触れていたいと名残惜しく思った。そして恐怖を打ち消すために、続けた。
「試してみろよ。オレを知ってみろ。オレを知れば、オレがどんなにあんたに恋い焦がれていたか、それを知れば……きっとあんたは怖くなくなるさ」
オレに時間をくれ。オレも知りたい。あんたが今夜、オレと一緒にいてくれるんだと、そんな確証を得させてくれ。そう。オレも今この時に恐怖しているんだ。この機会を逃したら、あんたにもう二度と触れられないんじゃないかと、それが怖くて仕方がない。だから、教えてくれ。
ふたりは出された料理を黙々と食べた。クリスマスの夜にカップルと思しきふたりが、会話も何も楽しまずに日々のルーティーンを済ませようとしている。そんな光景が他の客の目には不思議に映ったが、当の本人たちはそれを知る由も無い。
ふたりとも、お互いの言葉を待っていた。はきちんと分かっていた。今度は自分が喋る番だ。次もホルマジオに喋らせたら、客観的に見ても彼はしゃべり過ぎだ。
は何とか、自分の心から言葉を引き出そうとした。
今、自分が苦しいのは何故?裏切られたから?ひとりぼっちがイヤだから?自分がみじめで仕方がないから?それとも――
「今夜だけ」
――このひとに、優しく抱きしめて欲しくてたまらないと、思ってしまったから?
「ああ。今夜だけでも――」
「違うの。今夜だけっていうのが、イヤなの」
「だって、あなたを知るには、たった一日じゃあ足りないわ」
ホルマジオはこの時、幸福の絶頂を感じた。
「じゃ、じゃあさ。オレと、結婚を前提にお付き合いをしてくれるってことでいいんだな?」
「け、結婚!?」
は目を剥いて驚きを露わにして、すぐにけらけらと笑い始めた。
「それはちょっと、話が飛躍しすぎなんじゃない?」
「冗談だよ冗談。良かった、笑ってくれてさ」
「冗談でも、そんな簡単に結婚とか言っちゃダメよ。軽い男って思われるわよ」
「今、オレのこと軽い男って思ったのか?」
「思った。正直、はじめて会ってナンパされた時も思ったわ」
「だから、そりゃ決めつけだってば。そういうところ見極めるためにも、オレを知って欲しいって言ってるんだ。後悔させるつもりなんかねーけどな?」
「分かった。分かったわ、ホルマジオ。私、今日からあなたのガール・フレンドになる。アイツは捨てちゃう。ゴミ箱にポイよ。お払い箱。用無し。もしくはバイバイ。あるいはあばよ」
「相当恨みを募らせてんだな」
食事を終えてから突然、幸せそうに笑い始めたふたりに、周りの客たちはほっと胸を撫でおろした。クリスマスの夜には、皆が幸せであって欲しいものだ。幸せな人たちは皆、そう思うものだ。
「これは料理長からのプレゼントです。愛し合うふたりへ、ハッピー・クリスマス!」
そう言って、ウエイターが頼んでいないはずのデザートを持ってきた。雪を被ったクリスマスツリーを模したパンドーロだ。てっぺんには星形をした黄色いチョコレートの飾りがついている。
「美味しそう!」
そう言って目を輝かせるが可愛らしかった。まさか、こんなを拝める日がくるなんて。自分は夢でも見ているんじゃないか。実は酔っぱらった体がアジトにあって、夢を見ているだけなんじゃないか。そんなの嫌だな。
パンドーロを切り分けて、小皿に乗せたそれをホルマジオへ差し向けるの手に、彼はもう一度触れた。は顔を真っ赤にして緊張していた。なかなか小皿を手から放そうとしない。ホルマジオはもう片方の手で小皿をゆっくりと引き離して退けると、今度は両手での手を包み込むようにして握った。
「夢じゃねーよな。なあ、。教えてくれよ」
真摯な顔で呟く彼の声が、の心を掴んで離さなかった。完全に、とらわれてしまった。もう元に戻りたいなどとは少しも思えなかった。やられたからやり返すんじゃない。そんな、あてつけがましいことをしたいっていう気持ちが動力になっている訳ではない。ただ、この人と一緒にいたい。この人を知りたい。この人をこころから愛してみたい。
「夢じゃない。夢なんかじゃないわ。でも、夢みたいな、ロマンチックなクリスマスよね。こんなに胸がときめくクリスマスは、子供の頃経験して以来無かった。久しぶりだわ」
オレはこれまでの人生で初めてだ。こんなにも幸せなクリスマスは初めてなんだ。
胸が苦しくなって、何も言えなくなった。そんなホルマジオの顔を、女神かと見まがわんばかりの美しい笑顔を浮かべて、が覗き込んできた。
「これからよろしくね。ホルマジオ」
「ああ。よろしくな、」
「おいおいおい~~~ッ!!てめえ今何時だと思ってんだァ!?」
「お前こそ何時だと思ってんだよ。もう朝ですよ」
ホルマジオはアジトに戻った。翌日の朝八時頃だ。とはまた明日会う約束をして、ひとまず帰ってきた。
「おいホルマジオ。こんな時間までどこほっつき歩いてたんだ?白状しろ」
「どうせ聖なる夜に一発かましてスッキリしてきたんだろーがよ!?死ね!ホワイト・アルバム!!」
「プロシュートさーん。ギアッチョがアジトの中でスタンド出してますよ。いいんですかー。……なんだ寝てんのか。じじいは体力がねーな。つか寒いわ。外でやれ外で」
「で?いったいどこのアバズレとヤッてきたんだよ」
「チッ。お前のその決めつけも大概だな。イルーゾォよォ。ヤッてなんかねーよ」
「はあ!?」
皆一様に目を剥いた。あり得ない。天変地異の前触れか?などとの心無い声が聞こえてくる。そういう彼らは去年のことを覚えていないのだろうか。……覚えていないのだろう。一緒になってここでバカ騒ぎをしていたから。ホルマジオの記憶も割とあやふやだった。だが、確かに言えることは、にボーイ・フレンドがいると知った矢先に向かえたクリスマス・イヴだった。だから、ヤケ酒を呷っていたのだ。
それから一年の間、驚くことに女と関係しなかった。以外の女と、そうなりたいと思えなかったのだ。だから、下世話な話、性処理についてはポルノでも見ながらひとりで済ませていた。確かに、ホルマジオは今になって人が変わったみたいだと気づいた。
レストランから出た後、とホテルに行った。あわよくばと思っていなかったわけではないが、それより話がしたかったし、寄り添って彼女の体温をそばに感じるだけで幸せだった。ゆっくりでいいと思ったのだ。ゆっくりと関係を進めていって、愛を募らせていきたい。
「やっぱ、オレ変だよな」
「ビョーキだビョーキ!ホルマジオが女とホテルに泊まってやらないとかよ!」
「近くに腕がいいと評判の泌尿器科があるぞ。ナースが美人だった」
「お前何で世話になってんだメローネ。そっちが俄然気になってきた」
何はともあれ、クリスマスはあと半日残っている。その間に、は旧ボーイ・フレンドとケリをつけてくると言った。驚くことに、その後――明日の夜――スッキリ邪魔者の痕跡がなくなった部屋で、手料理を振舞ってくれるらしい。
それまでは、仲間との時間も楽しもう。
「あー。幸せ。マジで」
「チッ……なんで無事帰ってきてんだよ。爆発しろって言ったよなァ!?テメーマジでなめてんじゃあねーぞクソマジオがあああああ!!」
「ギアッチョ。お前さっき今何時だと思ってんだって、オレに帰ってきて欲しかったっぽいこと言ってなかったか?」
「言ってねー!!死ねッ!!ホワイト・アルバム!!」
「外行け外」