New Rules

 は任務が終わると、よくタッグを組まされるイルーゾォに報告を任せ、すぐに家に帰っていった。事前の打ち合わせと、分け前の話の時と、それを受け取る時以外では、基本的にアジトに立ち寄ることもない。大きな仕事をこなした後の打ち上げだとかにも顔を出すのは稀だった。

 だからと言って一切口を開かない不愛想というわけでもなく、チームの人間が話しかければ言葉少なに応答はするし、冗談が通じないカタブツという訳でもなかった。ただ、自分から他人に心を開こうとはしない。自分の話も絶対にしないし、聞かれても適当に流すだけだった。彼女のプライベートは謎に包まれていて、チームの誰もがそんな彼女のことを気にはかけていても、一歩踏み込もうとはしなかった。――ホルマジオを除いては。

 はホルマジオのことが苦手だった。彼だけは、いつも自分のことを放っておいてはくれなかった。始めて顔を合わせた時から、彼はのことを仕事仲間としてでなく、女として扱っていた。

 仕事の後は必ず彼女のことを気にかけるような言葉をかけてきたし、決まって食事に誘った。が借りをつくりたくなくて奢られるのを拒むと無理に奢ろうとはしなかったが、食事を終えてふたりで帰る間は、まるで恋人のように彼女の家まで付き添った。その間、は決まって居心地が悪そうにしていたが、ホルマジオは友人と話すように楽しそうにしていた。アパートの二階にある部屋にが到達し、中へ入るまで絶対に目を離さず、彼は控えめに手を振って帰っていった。そうやって毎回素っ気なくが部屋の中へと入っていっても、彼は全く気を悪くせず、彼女をまた夕食に誘う。その繰り返しだった。

 会えば屈託なく笑いかけて来て、食事の間も楽しそうに話しているホルマジオが、一体何を思って自分に絡んでくるのか。それがには分からなかった。自分は少しも面白い話をしてやれないし、女として彼の欲求を満たしてやる気もさらさらないのに?そうやって、はホルマジオのことを意識するようになっていた。

 始まりは好意ではなく、単なる疑問だった。

 ……どうして私になんか構ったりするんだろう……。



「何?インフルエンザだと?」

 ある冬の寒い夜。リゾットがアジトで声を上げた。息絶え絶えに話すの声を聞き取ろうと、耳に強く固定電話の受話器を押し当てている。ホルマジオは、その受話器の向こうで話すのがだろうと思った。彼女はよく風邪をひいた。暗殺者としての能力に不足は無いが、いかんせん身体が少し弱かった。普通の風邪くらいならば一人でも大丈夫だろうと放っておけるが、インフルエンザともなると、高熱で意識も朦朧としていることだろう。ホルマジオはインフルエンザどころか、普通の風邪にすら物心ついてから罹った覚えがなかったので、どれほど辛いものなのか分からなかったが、毎年高齢者がそれで命を落とすという話は聞いたことがあったので、心配になった。若いので死にはしないだろうが……。

「おいホルマジオ。に何か食い物でも用意してやれ。あとスポーツドリンクなんかも大量に持っていけ」

 ホルマジオの能力であれば、大量の食料品も小さく縮めて家に持ち込めるので手間がかからなくていい。それに、彼はの入団当初から何かと彼女のことを気にかけてやっている。気心の知れた仲なら、彼女もホルマジオが家に尋ねてきた方が気が楽でいいだろう。そう思ったリゾットの采配だった。

「おう。じゃあ行って来るぜー」

 二つ返事でアジトを後にしたホルマジオは、その夜アジトに戻らなかった。ほとんどの人間がそのことを気にしなかったが、イルーゾォだけがそれを面白くないと思っていた。



 はマスク姿で意識朦朧としながら、ノックされた玄関のドアスコープから外の様子を伺った。アパートの廊下の安っぽい色をした照明にホルマジオが照らされて立っている。リゾットから聞かされてはいたが、まさか彼を家の中に入れる日が来るとは。

 は気が進まないと思いながらも玄関のドアを開けた。小さく開いたドアの隙間から顔を覗かせる。

「……ありがとう」
「おう。ミネストローネ作ってやるよ。お前はスポドリ飲んで寝てろ」

 そう言ってホルマジオはずけずけと無遠慮に部屋の中へと入っていく。普段ならすかさず制止するだろうに、生憎今のには俊敏に彼の体を押し返そうとするだけの体力も気力もない。いつの間にかキッチンカウンター前のダイニングテーブルに大量の食べ物と、床の上には大量のペットボトルが出現していた。リトル・フィートと目が合った。

 ……カワイイ……。

 はホルマジオのスタンドが姿を消したのを見届けると、床に置かれたペットボトルを取り上げて、ベッドへと戻る。小さなアパートの部屋なので、ベッドからはキッチンの様子が伺えた。

 ホルマジオを家に入れたのは初めてのはずだったが、彼は酷く手際良く料理をしていた。材料は一通り買い揃えてきたのだろうが、調理器具や調味料の在り処なんかは教えてもいないのに知った風に手を進めている。玉ねぎを刻むこぎみ良い音が部屋に響く。風邪をひいてあたたかい料理を用意してくれた親の記憶など彼女には無かったが、酷く安心できる音だと思えた。

 ホルマジオの作った料理を食べることになるのは初めてだ。は大して料理が得意なわけではなかったが、節約のために自炊はしていた。彼が作るものと自分が作るものでどれだけ味に開きが出るのだろうと少しばかりの楽しみもできた。

 それにしても酷い高熱だ。他にすることも無く、なかなか寝付けもしなかったので、彼女は病院から帰って処方された薬を水と一緒に嚥下した後、ベッドの中から何度も体温計に手を伸ばし熱を測っていた。これまで一度も出したことのない高熱。何度測っても一向に下がらない。むしろその最高記録はどんどんと更新されていって、もう少しで体温が四十度にまで達するところだった。病院へ行ったときはまだ少しふらつくくらいで、その程度の倦怠感がずっと続くのだろうと気を抜いていたので、帰りに大して食料も買い込まなかった。夜の帳が降りて、部屋が薄暗くなるにつれての後悔は深まっていった。

 アジトへ電話をかけたのは助けを呼ぶためでは無かった。うつすと悪いので一週間休みをくれと頼んだだけだったし、電話をかけた後になんとか自力で買い物にもいくつもりだった。だがリーダーが気を利かせてホルマジオをよこしてくれた。それが良かったと、は心の底から思った。

 自分から決して人を頼ろうとしない彼女の性格を、リゾットもホルマジオも知っていた。だからリゾットはホルマジオに買い出しをさせるとに進言したし、ホルマジオもまたそれを快諾したのだ。

「どうせ寝つけねーんだろ。これ食って栄養つけとけ」

 ミネストローネを装った深皿とスプーンを、ホルマジオがへ差し出した。彼は何の断りもなくが身を横たえているベッドに腰を降ろす。普段であればひっぱたいてやるところだが、今はそんな気力も無いし、正直今の彼には感謝しかない。は口をついてでそうになった文句を押し殺して、ありがとうと皿を受け取った。

「ホルマジオって料理得意なのね」
「旨いかどうかは食うまでわかんねーだろ。どっちにしろ今のお前は鼻詰まって、味なんてよくわかんねーだろうけどな」
「……ほんとだ、味わかんない」

 は少し残念に思いながらもスプーンでそれをすくい、ゆっくりと胃に収めていく。彼女が食事を進める様子を、ホルマジオはベッドに腰を預けたまま眺めていた。居心地が悪そうにが言う。

「……うつるよ。帰んないの?」
「大丈夫だよ。オレは風邪なんかひかねー」
「寝ずの看病でもしてくれるの?」
「必要ならしてやるぜ。外がクソさみーんでアジトに戻んのもだるいしよ。何よりお前がひどく元気ねーから心配になっちまった」
「……優しいよね、ホルマジオって。私のことなんか、そうやって気にかけてくれてさ」

 病魔に冒されて気勢の殺がれた今日の彼女は、ひどく感傷的で普段よりも幾分素直だ。ホルマジオはスープ皿に視線を投げたままぼそぼそと鼻声で呟くを見てそう思った。

 出会った当初からぶっきらぼうな側面が目立つ彼女のことをホルマジオが気にかけていたのは、単に彼女のことが気に入ったからだった。彼がよく知る女とは一風変わっていて、男に媚びもしなければ甘えもしない。だが、話している間には可愛らしく笑う時もあったし、その笑みを浮かべる彼女の顔は、端的に言えばホルマジオが好むタイプのそれだった。がっついていると思われるのも嫌だし、特に女に困っているという訳でもない。彼女との関係は食事を共にして一緒に帰るだけに留めて、純粋にふたりの時間を楽しんでいた。特に彼女をモノにしたいなどとも思っていなかった。

 心配だという言葉にも嘘は無い。彼女は何でもひとりで背負い込む性格なので、仕事だろうが私生活だろうが、心理的負荷が許容量を超えた時、突然はじけ飛んでしまうんじゃないかと常日頃から彼は危惧していた。もしリゾットがインフルエンザで寝込むの看病を自分にさせると提案しなかったら、きっと治りも遅かっただろう。

「珍しいこと言ってねーで寝ろよ」

 ホルマジオは汗に濡れて髪が張り付いたの額に手の甲を当てると慌てふためいた。

「何て熱さだ!?人間ってこんな沸騰したヤカンみてーに熱くなんのか!?おい、タオルとかどこに仕舞ってんだ」
「え……それなら、バスルームの戸棚に……」
「ちょっと待ってろ」

 バタバタと音を立ててバスルームへと向かい、扉を開け、察しのいい彼は目的の物をすぐに見つけたのか、すぐにまたバタバタと音を立てて戻ってくる。キッチンの冷蔵庫から氷を掻き出しボウルに放る音。そこに水道水が注ぎ込まれて、冬なのに涼し気な音が部屋に響く。カランカランと音を立てながら、ホルマジオが氷水を抱えて戻ってくる。彼は手に入れたフェイスタオルをボウルに放り込んで氷水に浸し、軽く絞って形を整えると、冷やされたタオルをの額に当てた。

「……気持ちいい」
「これで少しは寝やすいだろ」
「うん。……ありがとう」

 

 その後、特に仕事も無かったホルマジオは彼女の家に居座り、の看病を続けた。まる一日と半日も経てばは普通の生活に戻れたので、ホルマジオは彼女の家を出てアジトへと戻った。はその後、ホルマジオのいない部屋を物悲し気に眺めたが、自分の中に沸き起こる感情にそっと蓋をして、残り四日の余暇をゆっくりと自宅で過ごした。

 余暇が明けると、彼女はすぐに仕事に駆り出された。仕事を終えると、ホルマジオがまたいつもの様に夕食に誘う。その際、今度はお前んちで食おうぜ、なんて話が上がり、はそれを了承した。それから、ホルマジオは度々彼女の家を訪れるようになった。彼女と過ごす時間も次第に増えていった。その内にも、ホルマジオと過ごす時間を心地よく思うようになっていた。

 ふたりが体を重ねるようになったのは、成人した男女の間では至極健全で当然のことだったかもしれない。



01:1. Don't pick up the phone



 

「お前、最近ホルマジオのヤツと寝てんのか?」

 この男はデリカシーという概念を母親の胎内にでも置き忘れてきたのだろうか。とは思った。イルーゾォと仕事を終え、家に帰る途中のことだ。苛立たし気に石畳の路面に打ち付けられるの靴底。そのカツカツという音が、建物に囲まれた静かな夜道でこだました。

「……だったら何」
「いや。めでてーことだと思ってよ」
「なら黙って祝福してればいいのに」
「めでてーって言葉には、もう一つ別の意味があるのを知らねーのか?オレが言ってんのはそっちの方だぜ。祝福なんかしてねーよ」
「……はあ?」

 はぱたりと足を止めた。彼女の後ろについて歩いていたイルーゾォは、そのまま彼女との距離を詰め、両者のつま先の間が二十センチメートルに達するところで立ち止まった。彼とは身長差がひどくある所為で見上げないといけないことについて更に不満を募らせながらも、は眉間に皺を寄せ、目を細めてイルーゾォを睨みつけた。

「お前ら一体どういう関係なんだ?セックスフレンドか?」
「あんた……人を侮辱するのも大概にしときなさいよ。一体何のつもりなの」
「なるほどなァ……その様子じゃあ、お前だけは、そう思ってなさそうだな」
「……どういうこと」
「何だ。お前知らねーのか。アイツはひとりと決めて女と付き合うような男じゃあねーんだぜ?」

 は思い出す。ホルマジオと初めて寝た夜も、それ以降も、確かに彼とは付き合うとか付き合わないとかいう話をした覚えはない。しかし、今まで他の女の影なんで微塵も感じなかったし、彼は自分のことだけを見てくれていると信じていた。もしイルーゾォの言うことが本当なら、確かに自分はおめでたいやつだと思えた。

「全くひでえ男だよなァ、。他の女とも寝てるってことをアイツは黙ってやがったのか?それとも、お前が一方的にあいつのことを恋人か何かだと勘違いしていたのか……。まあどちらにせよ、めでてー女だなって話をしているんだぜオレはよォ。お前はアジトにいねーから知らねーだろうが、アイツ、酒飲んで人肌が恋しくなった時にしかお前に電話をよこしてねーぞ?同じ職場で働いてるってこともあって都合がつきやすくていいよなァ。ヤろうと思えばすぐにヤれる女がいるんだ。まったく羨ましいヤツだぜ」

 そう言えば、夜ご飯食べに行くことも、最近はしなくなってた……。確かに最近は、ホルマジオが家に来るのは決まって夜遅くだったし、大抵酒に酔ってたわ。

 バカみたいだ。イルーゾォに、自分はホルマジオのただの遊び相手でしかないのだと指摘されて蔑まれている間、はそう思った。

 思春期を迎えるずっと前から、彼女はひとりでいることを好んだ。ホルマジオを家に招き入れるまで、警戒を解いて、誰かを自分に近づけることもなかった。誰か一人に依存するように、身も心も委ねることなど絶対にしなかった。そんな彼女がホルマジオと関係したのは――いや、関係してしまったのは、ホルマジオの有する能力――スタンド能力などという特殊なものではない、ごく普通の人間でも獲得し得る人心掌握術――の所為だったのだと、はこの時初めて気づかされた。

 ホルマジオはの防御メカニズムの中に入り込み、個人的な情報やプライベートな感情をことあるごとに話すよう仕向けてきた。長年人を拒絶してきた彼女の性質が災いして、彼のその巧みな話術に乗せられて質問の答えをまるっきり話してしまうことなど彼女はしなかったし、彼の話の大半を彼女はほとんど聞いてもいなかった。それでもは、彼の前では他の誰よりも圧倒的に多く自分の話をしてしまっていた。これが他の人間なら、殺すと脅されたって自分の話など絶対にしないのに。無防備にも自分がホルマジオに意のままに操られているような感覚に陥ることもあり、最初はそれが恐ろしいと感じた。

 その反面、これほど無条件の信頼を抱ける人間に会ったのも生まれて初めてだ、とは思っていた。ホルマジオは屈託のない笑顔を向け、思いやりもみせて、ひどく優しくを扱った。少し物足りないとさえ彼女が思ってしまうほどだ。そんな彼のことを彼女は、人の弱みにつけこんで、どうにかして利用してやろうといった下心を抱き、ただ自分の利のためだけに人付き合いをするような人間だとは思えなかった。自分は人を見る目だけはあると確信していたし、ホルマジオに限っては、例え彼女のすべてを委ねたとしても然したる問題は起きないだろうとすら思えていた。

 ふたりが口にしない唯一の話題と言えば、お互いの関係についてだった。男性とまともな付き合いをしてこなかった彼女には、そのことに言及する勇気が無かった。ホルマジオも決して触れることはなかった。

 それが何故だったのか、今、は完全に理解した。
 
 確かに、私ほど頑なに心を閉ざすタイプの女でも落としてしまえる能力を持っているのだから、その辺の女を捕まえて好きにすることなど容易だろう。彼が優しいのは女に対してだけで、自分の欲求を満たすためだけにそうしていたのだ。私の弱みとは、人を容易に信用しないこと。かちこちに固めたガードを打ち破り、信用を一度でも勝ち取ってしまえば、酷く脆い自分の内面を突き崩すのは、ホルマジオにとってはとても簡単なことだっただろう。

 こうしては、再び心の扉を固く閉ざした。

 家の固定電話にかかってくるホルマジオからの電話には応対しなくなった。そんな彼女を心配したホルマジオがアジトの固定電話から電話をかけても、受話器の向こうにいるのがホルマジオと分かるとはすぐに電話を切った。アジトで会っても無視をして、夕食に行こうという誘いも予定があると嘘をついて断った。

 が何故、一変してひどく冷たい態度を自分に向けるようになったのか全く見当も付かず、理不尽な現状に当惑した様子のホルマジオ。そんな彼を見て、イルーゾォは人知れずほくそ笑んでいた。  




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