「セックスって」
冷たい清流に両足を浸し木漏れ日を浴びながら、私はそれについて考えていた。こんなに緑豊かで美しくて静謐で清らかな場所で考えるべきことでは無いような気がするのだけれど、私はチョコラータに言われたことを意識の外に追いやることができずにいた。他に気を散らす何者も存在しないからこそだろう。私は自分のくだらない過去を振り返ることに没頭し、考えた。
数年前に一度、酒の勢いというやつで、とくに好意を寄せていたわけでもなんでも無い組織の男と愚にもつかないようなセックスをしたことがあった。それ以来、覚えている限りではあるが男と性交渉を持ったことはない。いや……私はその愚にもつかないセックスの後から、男にも自分にも、そしてこの世の何もかもに嫌気がさしたみたいに、誰かと深くかかわり合いになりたいと思うことが無くなった。それと時を同じくして、男とふたりきりでいる時に酒を飲むのはやめようと決意した。だから“覚えている限り”ではなく完全にゼロだ。それだけは確かだった。性欲が完全に消えたわけではないのだろうけど、それより何より面倒だという気持ちが勝っていた。
だからなのか、それを馬鹿正直にチョコラータへ伝えた私は、彼から人外でも見るかのような目を――あるいは憐憫の眼差しを向けられてしまった。その上信じられないことに、私が病んでいるのはセックスが足りていないからだと指摘されたのだ。
「ふざけてんの」
「いや。至極真面目な話だ。そして今おまえが問題の症状に悩まされているのは、脳科学的に至極当然な帰結だ」
チョコラータは例の脳みそを輪切りにしたイラストの上に3つの文字列をピラミッド状に配置して書いた。ピラミッドの頂点は「オキシトシン」、左下に「セロトニン」、右下に「β-エンドルフィン」という位置関係だ。これまで医学には全くの無関心で生きてきた私にとって、頭に入ってきたそれらは“読めはする”というだけの異国語だった。
「この3つは所謂“幸せホルモン”だ。そして人間っていうのは、ホルモンの操り人形だ。おまえの行動はおまえ自身が決めていると思っているかもしれないが、それはまったくの勘違いだ。人間の精神が安定しているとかいないとか、それによってどういう行動を取るかというのは全てホルモンバランスの変化によって決まる」
「……で、それと私のセックスの頻度とか、私の病気なんかがどう関係するっていうの」
「まあそう焦るな。聞け。……いいか。オキシトシンは、おまえが不安や恐怖心なんかを察知したときにセロトニンの分泌を促す」
そう言って彼はオキシトシンからセロトニンへ矢印を引く。
「セロトニンはノルアドレナリンの働きを抑え、精神を安定させたりうつ症状を緩和させたりする。はたまた、おまえが痛みやストレスを感じれば、オキシトシンが脳内麻薬とも呼ばれるβ‐エンドルフィンの分泌を促す」
さらに彼は、オキシトシンからβ‐エンドルフィンへ矢印を引く。
「β‐エンドルフィンには、鎮痛作用や抗ストレス作用がある。……つまるところ、オキシトシンが肝要なんだよ」
彼はオキシトシンを丸でぐるぐる囲む。
「そしてオキシトシンってのは、おまえが心地よいと感じる程度の触覚刺激によって分泌が促されるものなんだ。……もう分かっただろう。成人がその“心地よい触覚刺激”をお手軽に得られる機会ってのが一体いつかって話だ。まさか、毎日マッサージ屋にでも通うっていうのか? そんな暇も金もないだろうに」
「あんたにはありそうでいいわね」
「それにしても、よくこれまで生きてこられたな」
私の嫌味に何の反応も示さずチョコラータは言った。彼が私に向けた憐憫の眼差しは、凱旋門をくぐり都へ帰還する兵隊に向けるような尊敬の眼差しに変わった。たった数年セックスをしないでいることが、そんなにもすごいことなのだろうか。まったく、癇に障る表情だ。おまえに憐れまれる筋合いはない。
さらに言わせて――正しくは、思わせて――頂くと、彼の解説の中でひとつ引っかかったことがあった。それは、オキシトシンを得るためにセックスをすることを“お手軽”と宣いやがったことだった。お手軽なのは、例えばティッツァーノやスクアーロのように、常日頃からひっつきあえるような決まったパートナーが存在する人間に限るんじゃあないのか。生憎、私には信頼のおけるパートナーどころか、セックスフレンドすらいない。
「で、私は結局、そのオキシトシンとやらの不足を解消するためにどうしたらいいわけ」
「簡単な話だ。セックスをするといい」
「それは私にとって簡単なことではない」
「なんだ、潔癖症なのか」
「そうじゃない」
「じゃあ何だ。他にどんな理由があってセックスができないっていうんだ」
「あんたは医者で金持ちで頭が良ければ口も達者で、おまけにルックスもいい」
ここで言うルックスとは造形美のことだ。チョコラータの顔面やスタイルは造形だけはいい。ただ、いくら造形が良かろうと人格が破綻していたり死を連想させるオーラを纏っていたりこれまでの悪事に関する経歴があかるみになっていたりしたら全てがパーであるという事は言うまでもない。言うまでもないことなのでそれをわざわざ本人に指摘することは差し控えるが。
「だから女に困ったことは無いんでしょうね。そんな人間にセックスなんか簡単に出来るって言われたってね。何の説得力も無い。そりゃあんたはそうでしょうねって話よ。私には決まったパートナーがいなければセックスフレンドもいないんだ。だから、私には簡単なことじゃない」
「なら男娼でも呼ぶか? 奴らは金のためなら客の顔もスタイルも性格も選ばないぞ」
「マッサージ屋に毎日通うほうが安く済むでしょうよ」
「ああ、だが……アレだな。部外者はここに入れられない。後でパッショーネが経営する高級サロンにでも問い合わせてやろう」
「いや、私の話聞いてる? 金無いんだってば。てかそれどっちの話よ? もちろんマッサージ屋だよね」
「マッサージ師と男娼とで何が違うっていうんだ。どっちにしろ、ふたりっきりで部屋に籠もって服を脱いで全身を愛撫してもらうことに変わりはない。道具にしたって、手や足にナニや口が加わるだけだ。それならより気持ちいい方が効率は良い」
「あんたどうしても私にセックスさせたいみたいだね。何なのその執念」
「早く治したいんだろう?」
「そりゃそうだけどさ!」
「私もボスにはおまえを早く治せと言われている。だから言う事を聞いてもらわないと困るのだ」
「これは……一種のセクハラだ」
「それに、時間や金のことなら心配しなくていい。治るまでおまえに仕事は振られないし、金だって経費で落とす」
「時間はともかくとして、その請求書なり領収書なりが“医療行為”の一環としてティッツァーノとかスクアーロのとこに行くはずだ」
「まあ、そうなるな」
「要するに、男娼をここに呼ぶと、あの仲良しコンビにはそれが私の治療行為の一環だと秒で割れる」
「だからどうした」
「そんなのプライバシーの侵害だ!」
「おい、おまえ……勘違いするなよ。おまえがこれから受けようってのは、構成員がすべからく受けられるリラクゼーション目的の福利厚生プログラムじゃない。治さなきゃならないんだ。果たすべき義務だ。仕事の一環なのだ。プライバシー云々について文句を言ってる場合じゃあないし、セクハラだなんだと騒ぎ立てている場合でもないんだ」
「そ……そんな。あんまりだ……!」
私は頭を抱えた。こんな恥辱を受けるのは生まれて初めてだ。
「わかった。いや……なんで私がこんなことで追い詰められなきゃならないのか、今でもまったく理解できないけれど、ひとまずそれは置いといてさ……考えさせて」
「まず、それについては考えるだけ無駄だと言っておく。おまえをこの施設から外にやって自由にさせるわけにはいかないからな。だが、2、3日健全な生活リズムを取り戻すことに専念するのも悪くは無い。朝日で目覚め、陽光を浴びて、よく食べ、よく動き、よく眠るんだ。そうすれば自然と性欲も回復するだろう」
「どうだか」
「そうだ。外を案内しよう。ここは人里離れた森林の中だ。清流もある。静かで良い所だ。近所にはひとっこひとりいやしないから、素っ裸になって川を泳いだって誰にも咎められない。何をしようと、おまえの自由だ」
正午の木漏れ日が私を包みこむ。それが温かく心地よかった。とにかく、午前中に起こったことはいよいよ私を疲労困憊の極地にまで追いやったらしかった。そよ風に起こされる葉擦れや川のせせらぎの音、そして私の足の指の間で遊んでは離れていく冷たい水の感触。私を囲む全ては、早々と私を深い眠りへ誘った。
深い、深い眠り。夢をみる暇も与えないような、時の欠落。一時の死と言われて、納得してしまうようなそれは私の頭をかなりしっかりと洗浄してくれた。そんな、さっぱりとした気分で瞼を持ち上げた。気分爽快だ。だがそれは1秒と続かなかった。瞼の向こう――距離にしてたったの20cmばかりの所――に、チョコラータの顔があったからだ。
「ひいっ!」
それが誰の顔であれ、この至近距離には皆が驚くことだろう。ことにそれがハンニバル・レクター博士もびっくりのサイコパス・キラーのそれともなると、驚くだけでは済まされない。直後に己の死をも覚悟した。まったく私は、無防備になにを腑抜けたことを。
「いいな。その調子だぞ」
過去に、自分の治療の成果として病状が薄まり快方に向かっている患者に向けていたであろう、こいつには似合わない笑顔。本当は似合わないはずなのに、彼のことを良く知らない私には自然なようにも思えるそれが、私の心をじわじわと侵食している。驚くことに、それが不快じゃない。
信じられない。
「何が」
「無防備でいい。とてもな。……リラックスができている証拠だ。案外すぐにここを出ていけるかもしれないな」
そう言ってチョコラータは私に背を向け、大小様々なサイズの岩が転がる川辺で器用に足を運んでいく。
なんでだ。なんで私は今、ここから離れるのはもう少し後でいいと思ってしまったんだ。なんで私は、彼が直近に言ったことについて、物悲しく思ってしまっているんだ。なんで、彼のことをもっとよく知ってもいいかもしれないなんて、世迷い言が頭に思い浮かんだんだ。死にたいのか。
「何してる」
彼はひときわ大きな岩の上で足を止めると、振り返って続けた。
「夕飯の時間だ。さっさとついてこい。せっかくの飯が冷めてしまう」
中編:先生は、私が落ち込むのはセックスがたりてないからだって言った。
食卓に向かうと、そこには彩り鮮やかなサラダ、肉料理、魚料理、スープ、チーズとパン、それにパスタ、はたまたアンティパストみたいなこざこざしたものまで、とてもひとりで準備したとは思えない品数の料理たちが用意されていた。私は久しく、こんな豪勢な食事をしていないどころか見てもいない。
「驚いた。これ全部、あんたがひとりで準備したの?」
「まあな。今日がたまたま作り置きの日だったというだけだが。流石に毎日これだけつくる気力は起きん」
「それにしたって、すごいな」
こればっかりは素直に褒めざるを得なかった。緑色のドロドロした身体に悪そうな何かしか生成できなさそうな見た目してるくせに、さっきから何なんだこのギャップは。
「だから、全部平らげられちゃ流石に困る。……まあ、おまえの胃袋はそれほど大きくないだろうから、心配は必要なさそうだがな」
「もちろん。そんな強靭な胃袋は持ち合わせちゃいない」
「あと、今後おまえにも料理はしてもらうからな」
「え」
「当たり前だ。働かざる者食うべからずだ」
「料理は得意じゃない」
これは本当だ。食にこだわりがない上、料理を振る舞いたいと思う相手もいなければ、なんならもう料理をして生きるために食べるということ自体が面倒くさい。生き続けるために必要最低限のできあいの飯がくらえればそれでいい。そんなふうに思っている人間が料理なんか得意な訳がない。
「スパゲッティくらい作れるだろう」
「それくらいしか作れない」
「十分だ。だが、レパートリーを増やす努力はしろよ。毎日スパゲッティばかり食っていたんじゃ栄養が偏るし太っちまう。……おっとそうだ、セッコを呼ばなきゃな」
そう言って、チョコラータは私が座るべき席の椅子の背もたれを引いて着席を促すと、そのままスタスタと部屋の出入り口の方へ向かっていった。そして扉をあけ、上半身を暗い廊下の方へ乗り出させ、相棒の名を呼んだ。暗がりから、うおっみたいな、返事なのか何なのか分からないうめき声のようなものが聞こえてきた気がした。
呼ばれて出てきたのはもちろんセッコだった。細い足にぴったりとフィットした黒のスキニージーンズを履いた足を気怠げに動かしながら、ベージュのパーカーに付属しているフードを深々と被ったその奥から鋭い眼光を覗かせる。余所者をみる目……どころか、まるで異教徒を火炙りにしろとでも言わんばかりの視線を向けられる。私が負けじと向かってくるセッコを睨みつけると、彼は小さく舌打ちをしてチョコラータの向かい――私の斜向かい――の席に着いた。
あらかじめ私がここで療養していることを話しているのか、チョコラータはセッコに私のことをわざわざ紹介したりしなかった。
「さあ、食べよう。……おいセッコ。そう機嫌を悪くするなよ。食事ってのは皆で楽しくやるもんだ」
チョコラータに言われると何も反駁できないのか、セッコは少し身体を小さく縮め、上目遣いにチョコラータを見つめた。そして目を横に流して、不服そうに私へ一瞥をくれた後、彼はやっとフォークに手を伸ばした。
なんて気が重いんだろう。テレビでもついていれば少しは気が紛れるのに。そう思ってあたりを見回してみても、そんなものは置かれていない。普段から別に率先して見ているわけでもないが、今このときだけはあればいいのにと願ってしまう。
「ここって、テレビのひとつも置いてないの」
私はみずみずしい葉物野菜をベースとしたサラダに乗せられたトマトをフォークで突き刺しながら言った。するとチョコラータは間を置かずに、質問に質問で返してきた。
「そんなもの、一体何のために置くんだ」
私は大して遺憾の意を示すこともなく、口に含んだトマトを咀嚼し終えてから答えた。
「あんたの相棒が私を疎ましがっているのがひしひしと伝わってくる。空気が重たくて食が進まない。なので、気を紛らわすものが何かあればと思ったのよ」
「さてはおまえ、ひとりの時も家に帰って耳がさみしいからとテレビをつけてダラダラと過ごしていたな?」
図星だった。いや、図星もなにも、そんなの大抵の現代人がそうだろう。そんな、図星だな? と得意げな顔をされてもな。
「だったら何」
「テレビやラジオってのは、今も昔も全く本質は変わらない。時の為政者や大企業が、金欲しさに自分に都合のいい情報を垂れ流すため作られた洗脳装置だ。愚民を量産し、大衆を恣に扇動するための機械だ。そんなものを家に置いてどうする。別に強制されているわけでもないのに」
「テレビをつけていたって、大して内容なんか気にしちゃいないよ」
「おまえが心でそう思っていたって、脳みそってのは自分の意思とは別で勝手に働いているものなんだ。その、受動的な態度がおまえの今の症状を悪化させていると言っても過言じゃあない。主体的に、可能な限りの範囲のことを自分で選択するんだ。能動的に頭を使って生きろ。おまえは操り人形じゃあないんだ」
「操り人形よ。ボスのね。だから今もこうしてここにいる。これは私が選択したことじゃない」
「それは生きるのに必要だからやっていることだろう。すでにボスの操り人形でいるのに、その上さらに不必要に、他の何者かにおまえという船の舵を握らせるなんてどうかしてる」
言われてみれば、それはそうかもしれない。複数の傀儡師がひとつの人形をシェアしていたとする。もちろん同時にではなく、時間を別にして人形がシェアされるなら、その人形が自由でいられる時間は限られてくる。曰く、それが今の私なのだ。私はきっと不自由なのだ。今更ながら、その事実に気付かされた。
「おまえがおまえでいられる時間を意識的に作るんだ。これは人間が幸せに生きていくために最も重要なことだ」
死と言う他人の最大の不幸を願い実現する殺人鬼が、人間の幸せについて語っている。説得力があるようでないような。けれど、思い当たる節はあるし、何だかんだ納得してしまっている自分がいるのも確かだった。まあいい。この際、自分はこれから間もなく死ぬんだと思ってこの男の言う通りに生きて見るのも悪くはないかもしれない。
「わかったよ。テレビをつけるのは我慢する。というか、無いんだから仕方ないし。ただしさ、その、今にも私に向かって吠えて噛みついてきそうな番犬の躾はちゃんとしといてよね」
私はセッコを指差しながら言った。
「失礼だぞ。セッコは犬なんかじゃあない」
チョコラータは確かにそう言ったはずだった。しかし、彼は食後にセッコとふたりで席を離れ、空いたスペースでキャッチボールをするくらいの間隔で向かい合うと、デザートと称した角砂糖を3粒ほどセッコに向かって投げた。セッコはそれらを上手く口でキャッチした。チョコラータはセッコの頭を抱え、よしよしよしよしと延々とよしよしを繰り返した後、部屋へ戻るように指示した。この一連の流れが、私にはどうしても主人と忠犬との間で行われる交流とスキンシップのようにしか見えなかった。
私が食事を終えると、チョコラータは私に皿を洗うように指示した。まあ、上げ膳据え膳をしてもらえる身分に無いのは分かっている。しかもタダメシが食えるのだから、それくらいはやって当然だろう。私は文句ひとつ垂れずに皿を洗った。その間、チョコラータは部屋を出ていた。まもなく皿洗いが終わるというその時になって彼はリビングへ戻ってきた。と同時に、食器用洗剤とは別の洗剤のものとおぼしきミントの香りがほのかに漂ってくる。
「疲れたろう。今日はもう部屋で休め。シャワーを浴びたければ浴びるといい」
なるほど。チョコラータはバスルームを掃除してくれていたというわけか。
夕食をふるまってくれたり、清潔なバスルームを使わせやうとしてくれたり。彼の意外にも優しいところに感銘を受けてしまう。
……いやいや。いけない。こいつはとんでもない殺人鬼なんだ。心を許したら即、死だ。そのことを肝に銘じるのだ。それに、こんなことはきっと最初のうちだけに決まっている。そのうち本性を表すに違いない。
「部屋はまだ案内していなかったな。ついてこい。こっちだ」
2階の寝室は広すぎず狭すぎず適度な広さのもので、必要最低限の家具がそろっていた。私は手に持った小さな旅行バッグ――今になって思えば、準備してきた衣服の類は少なすぎたようだ。だって、まさか1週間以上もの療養を必要とする病だなんて思いもしなかったから――をクローゼットの前に置き、とりあえずベッドの寝心地を確かめることにした。――うむ。悪くない。ここはやはり、元々ヴィラだったのだろう。
「シーツの交換だとか洗濯とかは自分でやるように」
「身に付けた衣服の洗濯も、共用のランドリーでやっていいの」
「ああ。構わない」
とは言え、下着を干すのはこの部屋にしておこう。
こうして私は、ここで日々生活を送るために必要なことの粗方を頭に入れた。そして眠ることにした。私はベッドサイドに置いてあるスタンドライトにあかりをともした。すると、それとほぼ同時に部屋の戸口付近に置いてあった照明――この部屋に入ってすぐ、チョコラータがあかりをともした壁掛けのランプ――が消えた。そこで初めて、私はチョコラータがまだ扉を開けたまま部屋の戸口に立っていることに気が付いた。廊下の照明は彼の背中を照らすだけで表情はうかがえない。戸口に切り取られた光の中で、彼の影は不気味にこちらへ向かって伸びている。
「あの……。私、寝てもいいですか」
「ああ。おやすみ」
意外な優しい声音。優しく閉じられる扉。私はしばらく呆然と、闇の中に浮かぶ白い扉を見つめた。寝間着に着替え、寝床についてから眠りに落ちるまではすぐだった。そして、夢を見た。
舞台は今いる寝室。私は裸で、ベッドの上にうつ伏している。枕元にはエキゾチックなかおりの香が炊かれていて、背中には温かな指圧を感じる。誰かの10本の指はオイルを介して背中に密着して、リンパを流している。心地良い。
良かった。チョコラータはきっと、男娼じゃなくてマッサージ師がいいという願いを聞き入れてくれるのだ。夢のさなかにそう思った。だが、そう思った矢先に、指は背後から胸元に潜り込み、その頂をもて遊び始めた。
吐息が漏れる。下腹が疼く。じわり。あそこから体液が滲み出る。
快感に頭をやられながらも、私は持てる限りの理性をもって上体を浮かせ――すると、誰かの両手のひらは乳房を覆い、無遠慮にもみしだきはじめる――抗議しようと背後を振り向いた。何するの。そう言いかけて、私は絶句した。
チョコラータが、微笑んでいた。ん? どうした? そんな顔でいた。私が呆気に取られてなにも言わないでいると、彼は私の何も身に着けていない身体を表替えしにして抱きかかえ、顔を近づけて言った。
ここがいいのか? ……ふ、良さそうだな。私はな、。おまえに心地良くなって欲しいんだ。だから、正直に言ってくれ。良いのか、悪いのか。
チョコラータの指は、まるで羽根でなぞるような感触を軌跡として残しながら、下へ下へと伸びていく。私は彼の優しい眼差しから目を離せない。そこには下卑たものなど少しもない。嘲りもない。そのうちに、彼の指は陰唇を撫でた後私の中心へと潜り込み、濡れそぼった内壁を上へ向かってトントンとリズミカルに刺激する。声が漏れる。出したくて出しているわけでは無い、やむにやまれず出てしまったうめき声。それが確かに彼を歓ばせていた。
そこで私は目覚めた。カーテンのすき間から、朝日が漏れていた。時計を見ると朝の6時だった。もう寝付けそうにない。
私を悩ませたのはそれだけでない。その夢の記憶は以降も、私を苛み続けたのだった。