MERCY


助けてください 私はもう立ち上がることすらままならない

このゲームみたいな人生を変えようとして 侵入しようとして

でも今、私は負けたの

いつも踊らされているようで

だから私を助けてください

幽霊や影が、私の魂を飲み込んでしまう前に




慈悲を そう、慈悲を

お情けをおかけください

そうなれるが故の力をもってして

どうか私にお情けをおかけください






誰が私を救い出せるの







 恐らく、彼女ほど精神的に打ちのめされた者は旅団の中にはいないだろう。およそ悲しみと呼ばれる感情を滅多に得ることのない強豪たちが集う中では、むしろ最も人間らしい感情を表に出すこそが特異な存在だった。ウボォーギンを亡くした蜘蛛のメンバーが喪失感に苛まれていたのは、一般人が大切な仲間を亡くし悲しむ時間の半分にも満たない程度であっただろう。しかし、その平均値を上げ続けている女性がだった。

 を正式な旅団のメンバーとして数えるのは、蜘蛛特有の刺青を入れていない、突出した戦闘力を持っているわけではないという点から、いささか困難であろう。しかし、旅団創設時のメンバーからしてみれば、郷を同じくする幼少からの仲間であり、大切な存在に変わりは無かった。むしろ、取替えの効かない存在であると認識されている点では、旅団の構成員であることよりも、大切な存在であると認識されていることなのかもしれない。

 こと、ウボォーギンやノブナガにとって、幼い頃から体が弱いにも関わらず、外の世界を見てまわりたいと二人について行く彼女は、まるで妹のような存在だった。年齢は彼らよりも5,6歳程度下。とても人懐っこく可愛らしく、少し抜けた所がチャーミングな所は旅団創設時のメンバー皆が口を揃えて挙げる彼女の特徴でもあった。

 そんなに、ノブナガはいつしか恋心を抱くようになった。その気持ちに気づいたのは、が齢にして20を迎えたころだった。20といえば、ノブナガの母国で言えば成人とみなされる年齢だ。これでお前も立派な大人の仲間入りだな、と彼女の頭を撫でたときに、彼女は頬を染め、そっぽを向いた。



「いつまでも妹扱いしないでよね!」



 そう言って、恥ずかしそうに駆け出した彼女の後姿を目で追っていたとき。今まで抱いたことのない、何か体の奥底からこみ上げてくるような感情が沸き起こったのだった。しかし、ノブナガはすぐに彼女の発言に打ちのめされた。



「ノブナガにね、相談があるの」



 彼自身、うすうす感づいてはいたのだ。昔から、ウボォーギンについて回ると、自分がたまたま存在する空間を同じにしているだけではないのかと。からしてみれば、オレはただの兄貴のような存在でしかないのでは?そんな疑念を抱いていた。



「私ね、ウボォーのことが、好きなの」



 ノブナガの疑念を見事に真実へ変えたの一言は、彼の得体の知れない感情を打ち砕くのに十分すぎる威力を持ったものだった。それと同時に、彼は知った。得体の知れない感情が、の言う、異性に抱く「好き」だという思慕の念であることを。

 んなもん、本人に直接言え。言っておくがオレはお前の恋愛のために助太刀はできねぇ。そんな本心を嘘偽りなくに言い放った彼の打ち砕かれた感情は、心の奥底に散らばったまま、数年という月日が流れた。

 それからと言うもの、彼はを敢えて避けるようになった。ウボォーについてまわる彼女。そんな絵をすすんで静かに鑑賞したいわけが無いからだ。当初は、避ければ避けるほど、彼女のことを考え、砕け散った思いが再構築されて再び形を成すことになろうとは思わなかったので、当然と言えば当然の行動だったのかもしれない。

 たまにウボォーは言った。が寂しそうにしている。と。
 ワケは話してくれないが、ノブナガが最近一緒にいてくれないのは、自分の所為かもしれないと言っている。そんな話を、ヨークシンでの仕事の直前にもウボォーの口から聞いている点から察するに、恐らくウボォーの最期まで、彼女の思いは告げられることが無かったのだろう。

 だからと言って、自らにウボォーの死を告げるのは、彼自身が気分が良くなかった。そもそもノブナガ自身、ウボォーの死はかなりのショックだったのだ。ウボォーギンは多くの戦場を共にした大事な仲間だったからだ。恐らくと同じくらいの精神的ダメージを受けていた。ただ、鎖野朗を倒せる可能性を持つノブナガは、その悲しみを戦闘するための怒りというエネルギーに変換できた。悲しみ、泣き続けていられるほど、一般人に近い感性は持たないのが、彼ら旅団がA級首と恐れられる所以だろう。

 今回、ウボォーが死んでから初めてと対面することになったのは、マチの頼みがあってのことだった。マチは言う。幼いころから姉妹のように接してきたパクノダも死んだ今、一人での傷を癒せるほど私は口が上手くない。アンタも協力しろ。と。マチがそんな頼みを持ち出したのは、のウボォーに対する思いを知っているが故でもあるのだろう。自分よりもウボォーと一緒にいた時間の長いノブナガに慰めてもらった方がいいだろうと踏んだ末の頼みが、彼にとっては複雑な思いを増加させるただ迷惑なものであるとは知らずに。

 ただ、ここ数日何も口にせずふさぎ込んでいると聞き、ノブナガはいても立ってもいられなかった。最初こそ断ろうと決めていたものの、そんなの現状を知ってしまっては、複雑な己の気持ちよりも、彼女を心身共に心配する思いが先行して、いつの間にか足が彼女の閉じこもる部屋へと向かって動いていた。

 その結果ノブナガは扉を前にして、今まさに、ドアノブに手をかけようとしていた。

 彼は自分の気持ちは半分に、そしてもう半分は重力に手伝ってもらうかのように、ゆっくりとレバー型のドアノブを傾け扉を開けた。外の太陽光は、可愛らしい柄のカーテンによって半減されて部屋の中へ送られる。おかげで部屋の中は昼間だと言うのに薄暗い。肝心のは、と言うと、光の粒子に当たることさへ拒むかのように、窓のすぐ下にうずくまっていた。ノブナガが入ってきたドアの真正面に位置する窓のすぐ下である。おかげで彼女の姿を探す必要は無かったが、ノブナガは憔悴しきった彼女を見る心の準備もできないまま、対面することになってしまった。

 と最後に会ってから、ずいぶんと長い月日が経ったように思えた。と言っても、おそらく1年も経っていない程度だったが、やせ細った彼女の躯体を見れば見るほどに、前回とは変り果てたその姿が、そう錯覚させた。

 ノブナガは話題づくりのために、もう片方の手に昼食を持っていた。マチがこさえたミートソーススパゲティ。の一番の好物だ。

「おい

 そう声をかけるまで、部屋の中に足を踏み入れた人物が誰か興味を示さなかったが顔を上げ、少しだけ反応を見せた。瞳が大きく見開かれたのだ。ノブナガ自ら自分に会おうとすることが珍しく、何年か前の一件で彼の気分を害したと思い込んでいた彼女にとっては驚きを隠せなかったのかもしれない。

「ノブナガ・・・」

 次に、彼女は消え入りそうな声で彼の名を呟く。

「おめぇ、ここ最近何も食ってねぇらしいな」
「食欲無い」
「ならオレが食っちまうぞ」

 ノブナガはわざとの目の前まで行き、フォークを手に取りくるくると回し麺を絡め取る。水分量多めのミートソースが、麺の下端から飛び跳ね、の顔面を汚した。

「ちょっと。ソース飛び散ってるんだけど」
「わざとだが?」
「・・・はあ。勝手にして」

 は再び顔をうつむかせてうなだれた。その様子を見たノブナガは、自分の腹がある程度満たされるまで、マチお手製のパスタを堪能しつつ、遠慮なくめがけてソースを飛び散らせまくる。それに対して怒る気力も無いと言わんばかりに、は微動だにしなかった。小学生レベルの気を引くという作戦が失敗に終わったノブナガは、空になった皿を横に置き、改めてまじまじとを見た。

 もともと華奢な体つきではあったが、これほどまでに弱々しい彼女の外見を拝むことになるのは初めてだった。ひざの前で交差した腕は、まるで棒切れのように細く今すぐにでも折れてしまいそうだ。手の甲には青い血管と骨の形が浮かび上がっている。そんな彼女の手を何となしにすくい上げ、親指で骨ばった手の甲をさすると、顔を上げることもしないままは口を開く。

「何してるの」
「てめーはガイコツか」
「仕方ないじゃない。食べ物が、喉を通らないんだもの」

 そう訴える彼女の声は震えていた。

「ノブ・・・あなたが傍にいると、ウボォーとよく3人でつるんでたときのこと思い出して、余計辛くなる」
。お前いつまでそうやって塞ぎこんでるつもりだ」
「・・・気が済むまで」
「違うな。死ぬまでだろ」

 ノブナガは突然の細い手首を掴み、自分の方へ引っ張った。突然のことに驚く間もなく体勢を崩したは、乱暴なノブナガの行動に怒りを覚えキッとにらみつけた。ノブナガはこのとき、はじめて憔悴したの顔をよく見ることになった。目の下の広範囲にはクマ。頬はこけ、いつもの人懐っこくかわいらしいの面影など微塵も無い。そんな感想を抱きながら、まじまじとの顔を見つめ続けていると、はみるみるうちにその瞳に涙を浮かばせ、果てに大粒の涙がボロボロとこぼれ始めた。

「・・・なんてひでぇツラしてやがんだ・・・!」

 いたたまれなくなったノブナガは、薄い彼女の腰に手を回しきつく抱きしめる。今のノブナガには、こうすることしかできなかった。そもそも、仲間の死を悼み涙を流す女を言葉で慰められるほど、話術に富んでもいなければ、何を言ってやればいいのかすら、今の彼は思いつきもしないのだ。一体が何を望んでいるのか。自身がどうなることを求めているのか。聞かなければ分からない。しかし、ただ恐ろしい。ただ、ただ・・・

 彼女が死を選ぶことが。

 彼女の口から死を望む言葉が出ることが。

「やめてくれ・・・頼むから・・・」
「・・・ノブ・・・?」

 は困惑した表情で、ノブナガがどういった心境でいるのかを察知できずにいた。どんどん自分を締め付けるノブナガの力が強くなっていく。それと同時に、微かに震え始めている。そういえば、と彼女は思い出した。つい先日、マチから聞いた言葉を。

 ノブナガは、涙を流してウボォーの死を悲しんでた。

「ノブも、悲しい?」
「あたりまえだろ」
「ノブも、私と一緒なの?」
「ああ。一緒だ。けどな、オレはすぐにその悲しみを怒りに変えちまった」
「うん」
「まだ、鎖野朗は・・・ウボォーを倒したやつは殺せてねぇ。けど、いつかぜってぇ敵を討ってやる」
「うん」
「お前は、オレがウボォーの敵を討つまで、泣いててもいい」
「うん」
「だが、お前まで・・・愛するお前まで、ウボォーと同じところに行くなんて、許さねぇ」
「・・・ノブ?」

 は困惑した表情を浮かべる。ノブナガがつい先ほど言い放った言葉を理解できなかったからだ。ただ、この場で再確認するのは無粋なような気がして、は開きかけた口をすぐに噤んだ。  

「お前は、オレにその悲しみをぶつけていい。オレの傍でなら、いつだって泣いてるお前を慰めてやる」
「・・・うん」
「そしてオレが、お前から受けた悲しみを全部、鎖野朗にぶつけて必ず倒す。だから・・・」

 ノブナガはそっと抱きしめていたを介抱し、その両の手を今度は彼女の頬へと移し瞳の奥を覗き込む。の、光を失くした、深く、暗い瞳の奥を。
 
「だから、それまで、絶対に死ぬんじゃねぇ。お前の、ウボォーへの気持ちを、絶対無駄にするんじゃねぇ」
「ノブナガ・・・ありがとう」

 頬を染めてはにかむの表情。もう何年ぶりかと言うほどに懐かしい、暖かな声音でつむがれたその言の葉。その二つがノブナガに決意させた。

(お前だけは、絶対にオレが守る)









「マチ!聞いて!昨日ねー!ウボォーと行ったパドキアの洞窟に行ってきたの!」

 それは、あれから1年ほど経過した10月のこと。流星街はカラカラに晴れたいい天気だった。月に最低でも1週間程度はホームに滞在しているマチは、ウボォーが死ぬ前までに見せていた頃と同じ、まぶしいくらいの笑顔をたたえるに背後から唐突に話しかけられた。

 マチがノブナガをのもとへ送り込んだあの日から、およそ1年という月日を経て、はずいぶんと精神的に回復した。それがノブナガのおかげであることはマチ自身よく分かっている。しかしマチがと月に1度会う度に、死んだ仲間の名が繰り出されることが、どうもひっかかるのだ。辛いことを心に刻み込んで、無理に笑顔を作っているように見えて仕方がなかった。を傷つけまいと、いままでずっと聞かずにいたことが、つい口を衝いてでてしまった。

「でね、体長6mはあろう大きな熊さんと遭遇したんだけど、その熊さん、前にウボォーの前に出てきてボコボコにされた・・・」
「また、ウボォーのことかい」
「マチ・・・?」

 マチは一呼吸置いて、慎重に言葉をつむいで言った。しかし、それであって自分の中に芽生える疑念を晴らしたいという明確な思いを持っているかのような、力強い口調だった。

「アンタはアタシに会うたび、ウボォーの名前を口にするけど、辛くないのかい?・・・好きだったんでしょ?アイツのこと」
「うん。・・・大好きだったよ」

 一瞬、の顔に切なげな微笑が浮かぶ。が、しかし、すぐにまた、いつもの笑顔に戻った。ウボォーの後ろについてまわっていたころの、まぶしいくらいの笑顔だ。

「ううん。今でも、大好きなの!」
「やっぱりね。それなら、尚更のことだろう?」
「・・・そうだね。たまにね、今でもウボォーのこと思い出しちゃうの。そのたびに、泣いちゃうんだ。けど、その悲しみはね、ノブナガが受け止めてくれるんだ!私はほら、弱いからさ!ウボォーのこと思って、泣くことしかできないけど、ノブナガはその気持ちを、力に変えてくれるから・・・。いつか、いつかウボォーに私の気持ちが届くって信じてるんだ!」
「・・・

 恐らく、今でも彼女は空元気だろう。懸命に元気そうに振舞っているが、行き場を失った思いを昇華させることもできずに、日々をすごしているのだろう。それは、マチだけではない、他のメンバーも薄々感づいてはいたものの、実際に彼女の口から吐露された感情を知ったマチはいたたまれない気持ちだった。

「だからね、あの時・・・ノブナガが神様みたいに見えちゃったの」

 は、ほのかに頬を染めて続けた。

「ちょ、ちょっと大袈裟だけどね!それから、結構ノブナガとウボォーと私の3人でお外に行ったときの話をしたんだけど、ノブナガってすっごい昔のことでも覚えてくれてて・・・。とにかくね、ノブナガが傍にいてくれると、すっごい心があったかくなるんだ」

 それは、マチがにウボォーのことが好きだという話を聞いたときと同じ表情で。少し微笑ましく思えたマチは、クスクスと笑いながら言う。

「今のアンタ、ウボォーのことがスキだって言ってたときと同じ顔してるよ」
「え!?・・・いや、そんなんじゃないし!ウボォー一筋だし!!」
「はいはい!わかったわかった!で、その熊さんが、なんだって?」
「あ、でね、熊さんがまた性懲りも無く襲い掛かってきたから、ノブナガが・・・」
「ノブナガが王子様みたいに助けてくれたんだね。めでたしめでたし」
「マチィイイイ!意地悪!あんなヒゲちょんまげ王子様じゃないもん!!いや、でも確かにかっこよかったんだけど・・・」
「そうかいそうかい」

 そんな二人の会話を裏でこっそりと聞いていたノブナガは、頬を赤くして頭皮を掻きながら自室に戻っていった。