風が笹の葉を揺らし、かさかさと音を立てる。縁側から澄んだ空気が吹き込む。そしてその風は、彼の長い黒髪でそっとその軌道をかたどった。
背中には大きな太刀傷。破れた着物の隙間から鮮血が溢れていた。
「おい。そこに、誰かいるんだろ?」
ふすまの影から侵入者の後姿を覗いていた私は、びくりとする。どうやら気付かれていた様だ。ひどく消耗したようなその人の声。
「何も悪いようにはしねぇ。ただ、ちょっと、この傷を手当してくれねぇか・・・?」
その人は、そう言ってすぐにばたりと縁側に倒れてしまった。
それが最初で最後の恋のはじまりだった。
「・・・・・・!?」
追われる身にはあるまじきこと。どこか知りもしない他人の家で倒れ、あろうことか布団にまで寝かされている。起きた途端に、盗賊として現在の自身の処遇に困惑をいだいたノブナガ。彼は幻影旅団の一員で、まだ盗賊になりたての彼には少しばかり思い任務について、ジャポンという国に来ていた。狙っていたお宝は手に入れたが、背中に深い痛手を負ってしまっていた。虫の息で、盗みを働いた場所から逃げ、たどり着いたのは竹林の中にあった家屋。ちょっとした菜園と水車のある、こぢんまりとした庶民の家だった。そこの縁側に腰をおろし、息を荒でてしばし休息していた彼。すこししてから背後に人の気配を感じた。その人物に助けをもとめた途端に、倒れてしまったのだ。
と、そこまで思いだして。布団からでようとしたのだが、ぎりっ、と背中に壮絶な痛みが走った。
「うがぁっ・・・・!ち、くしょぉ・・・・!!」
「まだ、あまり動かない方がいいですよ」
「・・・・!?」
声のする方を見るノブナガ。そこにいたのは、聡明な顔立ちの女性。畑で採れたらしい野菜を竹あみの籠に入れて抱いていた。彼女はすぐそばにその籠を置き、そっとノブナガのそばに寄った。
「ひどいお怪我ですよ。治るまで、ここにいらしてください」
「・・・・あんたか。ありがとな。だが、あまり長居はできねぇんだ」
そう、ノブナガが彼女に告げた時、そとでけたたましい声が聞こえた。
「おい!!あそこに家があるぞ!!」
ノブナガを追って来た家来だろう。すぐそこにまで迫る足音。ノブナガは緊迫した面持ちで、そばにあった愛刀を握ろうとする。女は刀へと伸びるノブナガの手を素早く止め、ささやいた。
「私を信じていただけますか?」
「!?何言ってやがる!お前はさっさと逃げ・・・」
「お願いです。私を・・・信じてください。そして、ほとぼりが冷めるまで、決して一言もしゃべらないでくださいね」
彼女はそう言って、おもてへとかけて行った。
「ちっ!おい、女!!」
ノブナガは焦って再び布団から出ようとするが、やはり背中の大きな太刀傷に動きを抑制されてしまう。そうこうするうちに、追っ手と女のやり取りが聞こえてくる。
「おい、そこの女。ここらに、長髪の男が来なかったか!?」
「いいえ」
追手たちは怪訝そうな顔で女を睨む。
「本当だろうな?」
「ええ。嘘ではございません」
「山のふもとに住む男の話と違うな。彼奴は確かに、ここらに向かったと聞いたが?」
「存じませんね。山奥へと向かったのでしょう」
「それなら、家の中を調べても文句は言わないだろう。おいお前ら。家の中を調べろ」
追手の頭と思われる男が、手下5名に命令する。
とたん、女は両手を開き、男たちの動きを制する。
「勝手に家の中へ入るなんて、許しませんよ」
「うるせぇ!黙ってろ!!」
女を突き飛ばし、男たちが家へ入ろうとする。が、突然彼ら6人の体が燃え上がる。
「なっ・・・あ、熱い!!た、たすけてくれぇ!!」
「なんだこりゃあ!!!」
男たちは一瞬で黒こげになり、どさり、と倒れた。あっけにとられていた集団の頭に、彼女は手に炎を揺蕩わせて近づく。
「あのようになりたくなければ、あなたの主人におっしゃることです。彼のことは、あきらめろと」
「き・・・っ、貴様ぁ!!バケモノめがぁ!!!!!」
追手は、彼女にそう吐き捨てて逃げて行った。
その一部始終を、柱の陰から覗いていたノブナガ。必至の思いで布団からはい出ていた。彼女はちら、とノブナガの方を見て言った。
「私、バケモノなんです」
微小をたたえる彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。そばには真っ黒な焼死体が6つ。人肉の焼けるにおい。ゆらゆらと縁側へ近寄り、力抜けたかのように、すとんと腰掛ける。
「どうぞ。お怪我が治るまでここにいてください」
彼女はそのまま、何も言わずにその場にたたずんだ。
あの惨事のあと、夕食の準備に取りかかった彼女。ノブナガは、台所で夕食の支度をする彼女に語りかけ、お前と呼ぶのは悪いから、と名前を聞き出した。彼女の名前は。
どこか妖艶で、口数はすくなくとも、たまに見せる微笑みがかわいらしい女性。ノブナガは確かに、彼女に惹かれていた。人が6人も彼女の手によって殺されていながら、そのように思うのはおかしいかもしれないが、ノブナガにとって殺しなど取るに足らないことなのだ。
「そうだ、。お前、旅団に入らねぇか?」
「・・・それは、なんですか?」
「幻影旅団っつってよ。盗みやら慈善事業やらやる盗賊団なんだが、メンバーはみんなお前みたいな連中なんだ」
「殺しも、やるんですか?」
「まあ、やるぜ。お宝狙って、はいどうぞってくれる奴はいねぇからなぁ」
「なら、ご遠慮します」
できた料理をノブナガの前に出し、箸を取る。いただきますと合掌し、みそ汁の入った器を手に取る。
「ノブナガ様も、どうぞ」
「あ・・・ああ」
ノブナガは釈然としない中、に倣って箸を取り、みそ汁へと手を伸ばす。
「・・・殺しは、始めてだったのか?」
「・・・・・・・」
は、黙ってみそ汁をのどに通し、一息ついてこう言った。
「いいえ。何度か。私を殺そうと火あぶりにした者、復讐しようと私を殺そうとしたその者たちの親族、そして、庭にいる6人」
「・・・何かあったのか?」
「私は、この力を制御できずにいます。そのすべを教えてくださる方を探しに行きたいのですが、残念なことに、外に出歩けば、私はまたひとを殺すことになる。ですから、この山奥に引きこもっているのです」
「・・・念能力だ」
「え?」
ノブナガは、白米を口にかき込み、大きく膨らんだ頬をもごもごと動かしながら言う。
「お前はバケモノなんかじゃねぇ。そりゃ念能力だ。制御しようと思えばいくらでもできる」
「・・・念、能力・・・?」
「良ければ、俺が教えようか?まあ、系統は違うだろうが、根本的なところは一緒だろう」
「ノブナガ様・・・」
「ただし、条件がある。能力を制御できるようになったら、俺と一緒に旅団に入れ。俺が団長にかけあって、無理やりにでも入団させてやる」
「・・・・・・・わかりました」
それから、毎日、ノブナガはに念能力を基礎からたたき込んだ。自分が独自でやってきたように、彼女にもそれをさせた。は素直にノブナガの言うことを聞き、驚くほどの飲みこみの早さで上達していった。出せる炎も格段に大きくなり、少し離れた場所にでも炎を出せるようになった。炎の大きさはもちろん、形状も、熱さも思うがままにできるようになったのは、ノブナガが彼女の家に訪れて1カ月後のことだった。そのころには、ノブナガの背中にできた太い太刀傷も完治していた。
「お世話になりました」
「どうってことねぇよ!さあ、そろそろここを出る支度を・・・」
ノブナガがそう言い終わるや否や、はノブナガの懐に飛び込んだ。ノブナガは突然のことに驚きつつも、の背を優しく撫でた。
「お前に抱きつかれるほどのことが俺に出来たってのか?」
「ええ。ノブナガ様。本当に、ありがとうございます」
嬉しそうに笑うノブナガは、を強く抱きしめた。
「礼なんていらねぇ。俺が聞きたいのは、そんなことじゃねぇ。、俺はお前が好きだ」
「ノブナガ様・・・私もノブナガ様が好きです」
はそっとノブナガの胸から顔を離し、彼の顔を見上げた。お互い、知れずと唇が近づく。そっと触れ合うそれが、ノブナガにはとても甘く感じられた。
すると、突然がノブナガのもとから駆け出した。
「おい・・・!?」
「少し、待っていてください!裏庭から、お野菜を取ってきます!今日は、ごちそうをお用意しますね!」
そろそろ夕闇があたりを包むころだ。はまだ戻ってこないのだろうかと心配になり、縁側から裏庭に戻ろうとしたそのとき、ノブナガの足元に、かさ、とひとひらの文が落ちた。きっと、昼間抱き合ったそのとき、が彼の懐に収めたもの。それを拾って、文を読む。
ノブナガ様へ
ノブナガ様。お怪我が治るまで、私のもとで稽古をつけてくださってありがとうございました。おかげで、力を大分制御できるようになりました。ところで、私はノブナガ様に言っておきたいことがございます。私が制御すべきだったのは、力ではなく、私のこころだったのです。
過去に。私は火あぶりにあいました。おやさしいノブナガ様のことです。つらいだろうと思ってお聞きにならなかったのでしょうが、私の思いの総てを統べるであろうその過去は、あなたに話しておかなければならないと思ったので、筆をとりました。
あれは私がまだ幼かった頃のことです。朝起きると、母が死んでいました。胸を包丁で刺されていたのです。村の人々に助けを求めようと、外に駆け出したのです。するとそこには、すでに村の人々が集まっていました。しかし、家を取り囲んだ総ての人が、明らかに私を睨んでいた。その光景に恐れおののいていると、その群れをかきわけて私の前に出てきた父が言ったのです。「この子が殺したんだ」と。
その日の夜。私は火あぶりにあいました。父に濡れ衣を着せられたわたしは、何を言っても取りあってもらえず、鬼の子だ何だとののしられました。火が足元に近づいたそのとき、私は初めてこの“力”を使いました。そして私は、父を焼き殺し、私を睨んでいたすべての人を焼き殺しました。そして、敵を取ろうとして、私を殺しに来た人も焼き殺しました。それを終えたころには、村中の人々が私をバケモノとよびました。一人になって十余年。ノブナガ様がここに訪れるまで、私は孤独でした。でも、あなたのおかげで、私は人を、愛を知ることができました。何より、私はそのことに感謝したい。
愛しています。ノブナガ様。しかし、私はやはりバケモノです。他人が何と言おうと関係ない。あなたがそばにいてくだされば、もう何もいらない。そう思う時もありましたが、やはり、私を、私自身が信じきれない。この愛を守るためなら、なんでもやってしまいそうな私が怖い。バケモノでも何でもないと、ノブナガは言ってくださった。けれど、この憎しみや罪は消えやしない。つらい過去の総てを清算してあなたについていくには、私は私を裏切りすぎた。
憎しみが、憎しみを生む。私はその根源である自分を断たなければ、苦しくて、苦しくて生きていけそうにありません。
ノブナガ様。今まで本当にありがとう。約束、守れなくてごめんなさい。今度生まれ変わったら、きれいなままの私で、あなたに会いたい。
さようなら。
より
きれいな文字でかかれた文。それを握りしめ、ノブナガは裏庭へと駆け出した。青々と茂った木の下に、が眠っていた。否、死んでいた。
「・・・・・・」
とても安らかに、まるで眠るかのように目を伏せ死んでいた。力を制御するすべを習得した所為か、は巧みに体の内側にオーラを回し、心臓を焼いていた。胸の谷間から、うっすらと血がにじんでいた。
「!!!」
返事は無い。やはり彼女は死んでいた。
「・・・何で、何でこの口で、言ってくれなかったんだ!なぁ、!返事しろよ・・・、おい!!」
ノブナガは、何度も何度も彼女の名を呼んだ。とても美しいの亡骸を抱いて、何度も、何度も。朝が来るまで、声がかれるまで、彼はの名前を呼んだ。額に口づけをして、頬に擦り寄って、何度も何度も。朝日が二人を優しく包む。そしてノブナガは、意を決してのもとを立ち去った。
「待ってろ。俺が、敵を取ってやる」
「何事だ!?外が騒がしいぞ!ええい、庶民どもが朝っぱらから騒ぎおって!!お前たち何をしておる!!さっさと黙らせんか!!」
その村の領主と思しき、肥えた男。一月前に、お宝をどこぞの盗賊一人に奪われた彼は、けたたましく部下に怒鳴り散らす。
「彼奴です!彼奴が、村人を次々と・・・!!」
「何ぃ!?むっ・・・村人などどうでもよい!貴様ら、私の護衛に尽力せい!」
「っがぁ!!」
部下の首が、派手な血しぶきとともに飛ぶ。領主の目に映るのは、深い恨みをその顔にたたえ、片手には刀。もう片手には男の生首を髷をもってつかんでいた。それが、領主の目の前に投げられる。
「ひぃっ!き、貴様!ただではおかんぞ!!」
「・・・知るか。その前に、この腐った村もろとも、てめぇは死ぬ」
「やめろ!やめてくれ!!金か!?金なら、くさるほどある!貴様にくれてやる、だから、命だけは」
彼はしゃべり続けるおとこの喉から肉、肉から骨を一気に断った。
ノブナガは、誰もいなくなったその村の中心で、一人ごつ。
「。お前を恨む奴は、もうだれもいねぇ。あとお前を知ってるのは、この俺だけ。お前を愛してる、この俺だけだ・・・」
「遅かったな」
家に戻ったノブナガ。クロロにお目当てのお宝を投げ渡したあと、ぶっきらぼうに答えた。
「アンタが変なとこにおれを送り込むからだ」
「何かあったのか?」
「・・・村を全滅させた」
「何もそこまでしなくてよかったんだが」
「・・・別に。お前のためじゃねぇよ。の・・・いや、俺のためだ」
「・・・いろいろあったみたいだな」
「ああ・・・。疲れたし、寝る」
自室に戻り、畳に寝転がる。そして、あの文を広げ、読み返す。涙ぐみながらも、必死にそれがこぼれおちるのを堪えた。
「・・・俺は、初めて人を愛したんだ。その初めてが、お前だったんだよ。つらいけど、お前がいてくれて、よかった」
あの日、彼女の亡骸を抱えて、涙ぐみながら必死に紡いだ言葉を思い出す。文を放り投げ、あのつらい日を頭から往なすように、寝よう寝ようと考えるが、逆に眠れない。飛び起きて向かった先は、クロロのいる部屋。
「団長!仕事ねぇか!!?」
「仕事か?寝るんじゃなかったのか?」
「忘れたいことがあるんでね。さっさと仕事くれ仕事」
「・・・仕事は、作ろうと思えばいくらでも作れるが・・・。忘れていいのか?」
「全部じゃねぇ。最後の日のことだけだ」