そのうつくしい手で


人のものであるモノを簡単に奪ってしまえるアナタの手。

例えばそう・・・他人のお金、宝物、命だって、いとも簡単に奪ってしまえる。

そんな手は人々に忌み嫌われるものなのに、アナタは自分の信念を押し切って

自分のそのウツクシイ手を誇るかのように豪語する。


「世界の全てが欲しい」


その手はひたすら貪欲で、残酷で・・・。

それでいてうつくしい。


ああ。素敵。そのうつくしい手は素敵。

だから、そのうつくしい手で私に触れないで。

アナタの全てを許してしまいそうになるから・・・。






憎むべき手を、美しいと思ってしまった。







「もったいないな」


 目の前の男は暗闇の中から手だけを出し、私の頬に添えてそう零した。何がもったいないのか主語を明らかにされないその唐突な言葉はあまりにも場違いで、私には意味が理解できなかった。
かといって、その意味不明な唐突なる言葉の意味を問う余裕など私にありはしない。

「ああ。本当にもったいない」

 次に、暗闇の中から男のもう片方のナイフを持った手が、私の首元に添えられる。その切っ先が私の肌をかすめ、キリと痛みが走った。
私は身動きひとつせずに、ただひたすら目前の闇を見つめた。背後にはうつくしい月明かりが迫っているのに、丁度影に隠れたところにその男は立っていたのだ。足元ならば照らされているはずだが、それを確認する術は無い。なぜなら今、私の首元にはナイフがつきつけられているから。少しでも動けば、彼は何のためらいも無く、私ののど元を切り裂くだろう。

「何だ。喋る余裕も無いか?」
「・・・何を喋れと?」

 長年、ブラックリストハンターと言うものをやってきたが、ここまでの大ドジを踏んだのは初めてだった。今までたくさんの賞金首を捉え、金を稼いでいた私でも流石に、一人で幻影旅団のトップを狩るなど到底無理な話だったのだろう。ターゲットをこの男に定めた時点で、私の死は確定していたらしい。

「お前、ずっとオレの後をつけていたんだろう?」
「だから何だ。殺すならさっさと殺せ」

目前にいるはずの男はまるで無機物のよう。その暗闇にいるはずなのに、そこからのびる腕2本はまるで異次元から飛び出してきたもののようで、生き物の一部だと思うには少し無理があった。それが人並みの体温を持っていたら話しは別だが、サーモグラフィーをもってしても察知できないかのような、その冷徹なオーラ、存在、体温に私は身の毛がよだつのを感じた。

「なあ、。本当にもったいないな」
「・・・。何故私の名前を知っている」
「そんなこと、どうだっていいだろう。アンタは今、死ぬ前の余韻に浸るべき時間の中にいる」

 この男は何を人の死に際にほざいているのだろうか。それは最もだが、ならば、さっさと殺してしまえばいい。これ以上、顔もまともに見れない人間と対話するなんてごめんだ。早く殺して欲しかった。早く、私の黒い装束を紅に染め上げて欲しかった。それなのに、男は尚も喋り続けた。

「前も何度か、アンタみたいな女がオレを殺しに来たよ。多分、賞金目当てだったんだろうな。そんな連中は首元をさらしながら皆一様にこう言うんだ。助けて。お願い、殺さないで。ってさ。すごく自分勝手な連中だと思わないか。自分達はオレを殺そうとして近づいてきたのに、オレに殺されそうになったとたんに命乞いをするんだ。みっともないよな?そう思わないか?」
「・・・何の話だ」
「それに比べてアンタはどうだ。この状況で微動だにもしないし、声を荒げて命乞いをする様もまったく見せない」
「だから、何だ」

 目前の男の手は私の頬をすべり、私のあごを一撫でした後にそれを軽く押し上げた。視線が少しあがったので男の顔が見えるかと思ったが、何故か未だに目の前は闇だった。


 悪は滅ぶべきだと私は思う。純粋にそう思うだけだ。だから私は世界中の賞金首を狩っている。それは復讐心でもなければ、金欲しさの行動では無い。純粋に悪は滅ぶべきと、そう思うだけ。日々、テレビ画面に映る犯罪者達の手はとても汚らわしいと思った。汚い金を握り、血生臭い凶器を握り、体は返り血にまみれたその手は到底うつくしい手とは言えないもの。

 それなのに、この男の手はどうだろう。何人もの命を奪い、血にまみれているはずなのに、そんな汚らしさは全く見せない。普段なら、犯罪者の手が私に触れるだけで虫唾が走るのに、この男の手はとてもうつくしいものだと感触された。

まあ、どれもこれも暗闇からのびる二本の腕しか、目の前にいる人物を確認するものが見えない今においての結論だが・・・。

「オレはな、。世界の全てが欲しいんだ。ただそれだけだ。だから、アンタに首を持っていかれるわけにはいかない」

 男は私のあごを軽く上げたまま、目の前に顔を出した。初めて、目の前にいるモノが人間らしさをあらわしたのだ。月明かりに照らされたその顔は、透き通るような白。彼の目の、透き通る先の奥はまるで虚空を具現化したような色をしていた。その氷のような表情で彼はもう一度呟く。

「世界の全てが欲しいんだ」

 濁りの無い決意をあらわにしたその言葉。それは、悪は滅ぶべきという私の信念によく似ていた。無理と思われる「世界の全て」を手に入れることを、一心に可能だと信じきる彼の一途さを、を私は見た。そして、似たもの同士だとそう感じた。

「アンタとオレは似たもの同士だろう?」

 目前の男も、私と同じことを感じたらしい。

「だから、ここで殺すには忍びない。だから、もったいないんだよ」
「随分と勝手なことを言うんだな」
「なあ、いい加減諦めてくれないか?オレはアンタを殺したくない。もったいないからさ」
「もったいないだって?意味が分からない」

 男はその綺麗に整った眉を潜め、まだわからないかと呟く。小刀を握ったままの私にえらく余裕の表情でいるその男。さっきなんてスキだらけだった。
それでも目前の男を見つめていたのは何故なのだろう。
・・・見惚れていた?一瞬おかしな場違いも甚だしい感情が芽生えた気がしたが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

「私は、自分の信念だけは誰に何と言われようと曲げたくない。アンタは世界のために、死ぬべきだよ。ただ、今の私にはアンタを殺す実力が無い。だから、来世でアンタを殺してやる。・・・さっさと殺れ」

来世なんて、何とまあ格好つけたものだ。自分でもそう思う。ただ、悔しくて仕方が無かった。自分が最も嫌う人種に殺されて人生の幕を閉じようとしているのだから。だからと言って、この状況を打破して逃げ去ることもできなさそうだし、第一、そんなみっともない真似はできそうにない。結局、この男に殺されるしか道は無いのだ。

「ふっ・・・来世・・・ね。中々ロマンチックなことを言うんだな。悪くは無いな。そうか・・・それなら・・・来世ではアンタとオレが恋人同士であることを願おうか」


場違いに場違いを重ねたその男は私の首元に当てていたナイフを首元から一度離し、一気に私の首を―――。





















 目をつぶっていた。そろそろ来る終焉を悔やみながら。すると過去の映像が頭の中を走馬灯のように駆け巡った。ナイフが私の首を突き刺そうと迫る気配もした。だが、刺された感触はしなかった。本来あるべき痛みが首元に走らないのだ。
その代わりに・・・とでも言うのか?私の左の頬に何かが触れた。

 開眼すると、間近にある男の顔。

「・・・!!」

 男を殴り飛ばそうと思った。頭で私の四肢に男を攻撃せよと指令したはずだった。それなのに、私の体はピクリとも動かず、次の瞬間、私は床に膝をつく。

「何をしたっ!?」

 私を見下ろす男を見上げる形で私は怒鳴った。薄く笑みを浮かべる男。その表情がイヤに目に付く。

「・・・頬にキスをした」
「そ・・・それはわかってるっ!・・・ま・・・まさか」
「まあ、そのまさかだな」
「ナイフに毒を塗ってたのか!?」
「御名答」


 ただ、首を掠めただけだった。別にそこまでの痛みもなかった。ただそれだけだと思っていたのが私の誤算だった。それだけで、後に待っているのは死のみだと思っていたのも、私の誤算・・・。

「言っただろう?オレはアンタを殺したくない」
「・・・卑怯だっ!殺せ!」
「盗賊に卑怯を訴えることほど無意味なことは無いな、
「クソッ・・・!」

 悔しかった。情けでもかけられた気分だ。今すぐに目前の男を殴り殺したい気分だったが、やはり体は動かない。

「毒は一日経てば消える。それまでここに大人しくしてるんだな」
「ふざけるな!」
「悔しいのか?」

 図星をつかれ、これ以上無い屈辱を味わい、自然と瞳から涙がこぼれた。

「図星だな・・・?」
「うるさい!黙れ!」
「・・・悔しいなら、追って来い」
「・・・・!?」
「オレはいつでもお前を待ってる。そしていつか必ずお前を手に入れる」
「勝手なことを言うな!」
「・・・それじゃあな。仲間が待ってるんだ」
「・・・いつか・・・いつか絶対に殺してやる!」

 男はふっと鼻で笑い、立ち上がりこう言った。

「答えはイエス・・・か・・・。分かった。待ってる。必ずお前を手に入れてやる」

 男は私に反論する間も与えずに颯爽とその部屋を出て行った。結局、男に誤解を与えたまま、私はもう一度殺しに行ってやると宣言してしまった。それが間違いだったと気付いたのは、自分が彼のものにされてしまったとき。












その手はひたすら貪欲で、残酷で・・・。

それでいてうつくしい。


ああ。素敵。そのうつくしい手は素敵。

だから、そのうつくしい手で私に―――。


触れて・・・?













(白く透き通るような彼の手に映える紅の血痕をうつくしいと思ったのは、自分が彼のものになってしまってからだった。 芯を曲げてしまった自分を情けなく、憎く思う。その気持ちよりも、彼を愛しく思う気持ちの方が勝っている今の私を、あの時の自分が見たらどう思うだろう。)