タイミングが悪かった。
不運にもかなりグロテスクな場面に出くわした彼女は
顔を青ざめさせてオレの赤く染まった手元を見て
彼女は悲鳴を上げたが、痛みを露わにしたオレの表情を見てすぐに応急処置を取ってくれた。
事故じゃない。
強くなると決めたその日、オレは自ら自分の指先を切り落とした。
血にまみれ、机上に転がるソーセージのようなその肉片。
それを彼女は、一つ一つ丁寧にひろっていた。
「狂ってる」
そう呟きながら。
誰よりも優しい彼女に見せるべきじゃなかった。
「何で・・・こんなことしたの」
「強くなるためだ」
何度答えても執拗に繰り返されるその問いは酷く感傷的だ。応急処置は済んだものの、おびただしい量の血液の匂いは無視できない程強烈であるにも関わらず、彼女はその手を温かな手のひらで包んで、ただ同じ言葉を繰り返した。決して自分自身が傷ついたわけではないのに、どうして人の単なる怪我で涙を落とせるのか。その彼女の頬を伝ってきたであろう一滴が、オレの手の甲にぽつりと落ちた。決して自分自身が傷ついたわけでもないのに、悲しみに満ちた彼女の声音は一種の落ち着きをオレに与えた。
かれこれ30分近くこの状態であるわけだが、その間ずっとオレはに手を握られるだけ。その30分の間には何か話し、泣き、オレの第一関節から先の無い手を暖め続けた。それが心地よいからか、オレはなかなかこの場を離れることができなかった。じきにこの地を離れてしまうと一緒の時間を少しでも長くしようと思っていたのかもしれない。ただ事の発端は自ずから引き起こしたものではなく、タイミングの悪さが原因だったのだが・・・。
今の今まで自分の気持ちをに伝えることが出来なかった臆病な自分を情けなく思う。しかしこれから先それをする予定もないし、いずれにせよ彼女は明日流星街を出る。もう2度と会えないかもしれないのにわざわざそれをする必要もないだろう。
だから少しでも長く、今はこうしていたい気分だった。
「狂ってるのよ。あんた達」
不意に発されたその言葉。
狂ってる。
確かに、強くなるためにと指を切り落とす人間は常人にしてみれば狂ってるとしか言えないのかもしれない。彼女は念能力に理解がないから尚更のことだ。
「強くなるために指をソーセージみたいにするやつがどこにいるの。私いやよ。強くなるのはあんた達の勝手だけどさ・・・。それで?どーゆーイメージなわけ?指全部切り落として、それから?」
「・・・強くなりそうだから、だな。指先から念弾を飛ばすのが理想形だ」
「・・・強くなりそうってその念弾の威力が?」
「ああ」
「威力が増すかどうか確実じゃないんでしょ。それなのによくこんな痛いことできるね」
「それがオレの覚悟だからな」
納得がいかないらしいはオレを睨みつけ、押し黙る。それでも、彼女はオレの両手を握ったままだった。
「死なないでよね・・・」
「・・・?」
は両手を握る力を強めてそう呟いた後、席を立ってオレの元を離れた。そのときのオレには彼女がそう言う意味が良くわからなかったんだと思う。ただ、が去った後のその場を、見つめるだけだった。じんじんと指先から痛みが伝わってくる。元オレの指先はプラスチックの贋物か何かのように、ホルマリンの液の中に漬けられていた。丸みを失った、新しいオレの指先を見つめ、ただ只管に念を送った。
強くなりたい。
その思いに徹することしかできなかった自分。彼女の想いにも気付くことなく、強くなりたいと願った。心のどこか隅に彼女を想う気持ちがあるはずなのに、それを抑えて、オレはただ一心に強くなりたいと願った。
「あら、。フランクリンと一緒じゃなかったの?」
部屋の外に飛び出しリビングへ向かうとそこにはパクがいた。大人っぽくコーヒーの入ったマグカップを持って、雑誌をぱらぱらとめくっている。
「一緒だったけどさ・・・気分、悪くなっちゃった」
「・・・何かあったの?」
パクは雑誌から目を離し、心配そうな顔で私を見た。ただ心に溢れてくるこの思いをどうすればいいのか分からない私。悔しいのか?それとも悲しいのか?
ああいうふうに、皆が私をひとり置いて強くなると言う。それに負けないように、自分は自分の道を歩もうと旅に出る決意をしたというのに、それでもまだ私は迷っている。私には戦闘センスも、学力も、特殊な能力も何も無い。幻影旅団に入る事だってできないとわかっているから、明日旅に出ると決め、もうホームを出る準備だってできてる。それなのに私はまだ迷っている。
「・・・皆、ずるいよ」
「?」
「私だって、強くなりたい。強くなって旅団に入って、皆とずっと一緒にいたい。でも、それができないから皆に置いていかれないように、先にここを出て行くって決めたの。それなのに、その寸前になってもあいつは私のこと・・・」
「フランクリンのこと?」
「・・・うん」
私は彼のことが好きだから、ここを出て行く前に気持ちを伝えておきたい。それなのに、よりによって私がここを出て行く寸前に指先全部切り落として、これがオレの覚悟だ。何てことを言う。
「そんなだったら、私、何もここに残せないじゃない。何も出来ないまま、ホームを出て行くことになるじゃない。悲しいよ。そんなの」
「・・・」
わかってる。パクも・・・私を置いていこうとするうちの一人だから。こんな私に何も言えないってことを。パクはそのかわりに、まるでお母さんみたいに私のことを抱き寄せてくれた。
「。伝えていきなさい」
「・・・え?」
「出て行くのは、フランクリンにちゃんと自分の気持ち伝えてからにしなさい」
「でも・・・修行の妨げになっちゃう」
パクは笑って答えてくれた。
「大丈夫よ。強くなりたいって思って指先全部切り落とす程の男なのよ?」
「・・・でも」
「どうしても気になるっていうのなら、明日の早朝、フランクリンの寝起きに伝えに行きなさいよ」
「・・・うん」
まだ、完璧に決意し切れていない私を優しく抱きしめてくれた。
「私だって、寂しいんだからね。」
「え?」
「私だって、あんたのこと大好きなんだから」
「・・・パク・・・」
私だって大好きだ。パクノダのこと。私だって寂しい。
「あ・・・あはは。何か、離れづらくなっちゃうじゃない・・・ここ。でも、ダメだよ。皆に置いていかれて、一人でここに残るなんて、それ以上寂しいことなんてないしね。だから、私・・・」
「引き止めるようなこと言ってごめんなさい」
「ううん。違うの。・・・私も、パクのこと大好きだから・・・!ずっと・・・ずっと親友でいてね・・・パク」
「ええ。もちろんよ・・・」
決めた。フランクリンに、自分の気持ちを伝えよう。出て行く前に、また会おうって、約束して。それなら一人でいるときも、寂しくなくてすむ。自分自身でいられる気がするから。
「フランクリン・・・私、もう行くね」
翌朝・・・まだ日も低い早朝のことだ。
は寝起きのオレに向かってそう言った。
唐突なことじゃない。随分前から聞いていたことだ。だが、それを自分が認め、覚悟できていたかどうかは疑問だった。現にオレは、即座に返事をしてを送り出すことができなかったのだから。その間は微動だにせず、じっとオレの返事を待っている風だった。しかしオレは、それに応えなかった。
否。
応えなかったのではない。応えられなかったのだ。それ程、はオレにとって大きな存在だった。と、そのことに今気付いたのだからなんとも情けない。がここを去っていくことが、鈍感なオレに対する戒めのようにも思えてくる。
しかしどうだ。彼女にとってオレがどの程度の存在であったかはわからないが、ここでオレが彼女を引きとめようとすれば少なくとも、いい気持ちでここを出て行くことはできないだろう。そう思ったオレがやっとのことで発することができた言葉がこれだった。
「・・・気をつけろよ」
するとはどこか切なそうに微笑んだ。
「やっぱり・・・そうだよね。引き止めてなんてくれないよね」
そんなことを呟きながらベッドに腰掛けるオレに近づいてくる。引き止めて欲しかったのだろうか。オレは戸惑った。
「まあ、それが私の高望みだってことはわかってるんだよ。ただ、なんとなく引き止めて欲しかった。それだけなの。他の誰でもない、アンタにね。ホント、それだけ・・・」
目を潤ませて、はオレの目の前に立った。すると突然座り込んで、オレの大きな手をその小さな両手で包み込む。
「私・・・フランクリンのこと、好きなの」
顔を背けたまま、はそう呟いたが、オレはまた、即座に答えてやることが出来なかった。
「・・・そ、その。や、やだ。聞かなかったことにしてよねさっきの!何言っちゃってんだ私は・・・」
ほら。が恥ずかしがってるじゃねーか。何か言ってやれよ。オレは心の中で自分のケツを叩く。好き・・・か。オレは始めて人にそんなことを言うことになるのだろうか。事実、オレものことが好き・・・なのかもしれない。こんなにも、彼女がここを去ることに抵抗を持ってしまったのだから。
「・・・オレもお前のこと、好きなのかもしれない」
「え・・・フランクリン」
オレはの頭を撫でながら、こう言った。
「お前がここにいなくなると・・・寂しいな」
は顔を真っ赤にさせてオレを見続けた。
「と・・・とにかく!!」
「ん?」
「ありがとう、フランクリン!すごく嬉しい!」
「あ・・・ああ」
「そしたらさ・・・お願いがあるんだ」
「何だ?」
彼女は小指を出してオレの顔の前にそれを差し出した。
「約束して。また私と会うって」
「それで・・・指きり・・・か?」
「うん」
「ふッ・・・お前、それ洒落になってねぇよ」
「い・・・いいじゃない!・・・よくない気もするけど・・・」
オレは黙って、短くなった自分の小指を出し、のそれと交わらせた。
「ゆーびきーりげーんまん、嘘ついたら針千本のーます。指きった!」
「・・・針千本用意できんのかよ?」
「マチに借りる」
「てか、会わねぇと飲ませらんねーよな?針」
「・・・あ!そうじゃん!どうしよう・・・他に何かいいペナルティを・・・」
「バカ野朗」
「ん!?」
「オレは逃げたりなんかしねぇ。ペナルティなんていらねぇだろ?」
「・・・そっか。わかった!」
はニコッと微笑んでオレに抱きついてきた。
「・・・・・・!?」
「約束だからね。フランクリン」
「・・・ああ。約束だ」
温かなの体は自然と離れて行き、オレはそれを名残惜しく思った。だが、引き止めてはいけない。その約束の日に、思いっきり彼女を抱きしめたらいいんだ。
「じゃあね、フランクリン。気をつけてね」
「ああ。お前もな」
「うん!」
そしては、最高の笑顔を残してホームを出て行った。
*****
「へー。フランクリンにそんな過去があったんだね。初耳」
「ちょっと待ってよ、って・・・あののこと!?」
「あ・・・あいつお前のこと好きだったのかよ!!」
「フン・・・フィンクス、お前負けたね。諦めるよ」
久々にホームに戻った時、あまりにも暇で7年前のことを思い出した。で、丁度そのとき、フィンクスがに会いたいだのなんだの言っていたから、ついついそのことを話してしまった。シズクとシャルナーク、フィンクスにフェイタン。オレはフィンクスにだけ話していたつもりだったが、いつの間にかギャラリーが増えていたようだ。
「でも、場所も何も、情報交換してないんでしょ?どうやってその約束守るつもり?」
「・・・そりゃ、若かったからな。後先考えず、だったんだよ」
「・・・針千本飲まされちゃうよ?」
「大丈夫だよ。いつか会えるさ」
「あ。団長」
音もなく、部屋に団長が入ってきた。何やら怪しい笑みを浮かべている。
「なあ皆、驚くなよ?」
団長が先ほど自分が入ってきたであろうドアを再び大きく開いた。そこに立っていたのは・・・
「・・・!?」
すっかり成長して、大人っぽくなっただった。
「何が大丈夫よ。フランクリン。私、待てなくなって自分からきちゃったじゃない」
「なあ・・・針千本飲まなきゃダメなのか?」
「ううん。何で?約束、果たしたから大丈夫だよ」
(なあ、。お前はまだオレのこと好きでいてくれてるのか?)