隣の彼女


 いつもはさほど意識していなかった。

 蜘蛛の本拠地とされるこの家で寝泊りをするようになったオレは、その女に特に何の感情も抱かず、日々を過ごしていた。



 そう、彼女自身に話しかけられるまでは。



 機会は、何の前触れもなく訪れたのだ。

 それは自称女王のキメラアントを流星街から退治した後、暇をもてあまして旅団の本拠地に寝泊りをし始めてから約1週間後のことだった。何が彼女をそうさせたのかオレにはわからない。とにかく、唐突にこう話しかけられたのだ。



「あんた・・・略したらボノだね」






ミイラかと思ってたけど、話してみたら案外楽しかった。







 特に何もすることがなかったオレはリビングとでもいうべき空間で読書をしていた。そこにいたのは、オレとソファーに横たわって昼寝をするフィンクス、そしてシズクと談笑する・・・旅団員ではない、という女だった。

 団長を含む、この流星街出身の者たちの親友で、オレ達がここに戻る前から居候していたという彼女。見たところ、彼女は旅団員に慕われている様だった。なるほど、彼女にはそれなりの気質がある。気さくで、打ち解けやすく、話しやすい。少し幼さを覗かせる容姿には「かわいらしい」という表現がよく似合った。



 そう思いながらも、自分から彼女に話しかけるということはしなかった。



 テーブルに置いておいたコーヒーカップを手にする。それを口に注ごうとしたそのときだ。前方に人がげがあった。それは寝入っているフィンクスの、腹のあたりに腰を下ろしただった。彼女は、じーっとこちらの様子を伺っていた。その視線はどうもオレの口元に注がれている様だ。オレはその視線を無視して、一服した。 するとすかさず、がおお、と感嘆の声をあげる。その後も、何故かオレに視線は注がれっぱなしで、とうとう耐え切れなくなったオレは声をあげた。


「何か用か?」
「・・・ん?私?」


 他に誰がいる?という眼差しを向けると、少し頬を染めては頭を掻いた。


「ああ。私以外いないよね!私、ってゆーの。アンタは、ボノレノフだったっけ?」
「・・・ああ。そうだが」
「いやー。ボノレノフさぁ、顔面包帯でぐるぐる巻きだから、どうやってコーヒー飲むのか気になって観察しちゃった」
「・・・そうか」


 特に何も突っ込まずに受け流した。まあ、会って間もないのだからそれくらいの疑問は当然だろう。そう思ったのだが・・・どうもまだ視線はオレに注がれているらしい。無視するのは簡単だが、読書に集中することができなかった。うざったくはないのだが、妙に緊張する。


「ボノレノフってさぁ・・・」


 すると、未だにフィンクスの腹の上に腰掛けたままのは 突発的にオレの名前を呼んだ。読書を中断しての方へ顔を向けると、彼女は何やら物凄く嬉しそうにこう続けた。


「略したら、ボノだよね!」


 ・・・だからどうしたというのだろう。そう思ったものの、どう対応するべきかわからずにオレはを見続けた。


「え。まさか、U TWO 知らない?」



 何だ。ユートゥって。


「世界的に有名なロックバンドだよ!私大好きなんだよねー」
「ああ。それなら名前くらいは聞いたことがあるな。・・・それが、どうかしたのか?」
「そのバンドのボーカルがさ、ボノってゆう名前なんだーっ!」
「・・・そうなのか」


 とても嬉しそうに話すから何だろうと思って聞いてみたら、自分が好きなバンドのボーカルの名前と、オレの愛称が同じ。それだけだった。


「ボノは音楽何聴くの?」


 まるで学生の友達作りだ。相手の趣味や好きなものを聞くのがコミュニケーションの初歩ではあるだろう。その典型的さに心の中でおもしろがりながらも、オレは律儀に質問に答えた。


「主にクラシックだな」


 自分の技の名前にまで曲名を使う程だ。オレは音楽と一生を共にする部族の一員であるわけだから、よく考えると、それなりに興味を引かれる話題ではあった。


「クラシックかぁ・・・いいよねクラシック。音楽の基礎を築きあげた部類のジャンルだし」
「アンタは何が好きなんだ?」
「そりゃ、何だって聴くよ。ちゃんとした音楽ならね。クラシック、ロック、ヒップホップ、レゲェ・・・とにかく色々聴く。まあ8割がたロックだけどね」
「・・・それで、そのU TWO とやらが好きなわけか」


 そう言うと彼女は一層に笑みを増してそのバンドについて語りだした。彼らがどれほど偉大であるかとか、自分がどれほど彼らを愛しているかとか、どの曲がオススメだとか・・・とにかく、そのバンドにまつわる話を続けた。


 オレは今まで、このように他人の話を長々と聞くことがあっただろうか。彼女が嬉しそうに語るのを見ると、心が和むからだろうか。オレは語り終えるまで、黙っての話を聴いた。


「ふう。とにかく!U TWOは偉大だよ!!ボノも聞いてみな!」
「む・・・。わかった」


 ロックにはさほど興味はないが、彼女のこの熱狂振りに負けて、オレはそのバンドの曲を聴くことにした。そんなことを考えていた矢先、の尻に敷かれていたフィンクスが目を開いた。


「・・・なーんか重てぇと思ってみたら・・・お前か!!!」
「ひぃっ・・・ごめんなさ!」
「“い”まで言えよ!ちゃんとよ!てか早くどけよ」
「ねえ、何でそんなおなかカチカチなの?どんな筋トレしてたらこんななるの?すわり心地悪いんだけど」
「んな文句言うならさっさとどけ!!」
「ごめんなさ!」
「“い”まで言えって言ってんだろーがこらっ!!」


 フィンクスが起きたことによって、騒がしさは増した。これじゃ、読書に集中できやしない。

「シーッ。静かに!フィンクス。ボノは読書中だぞ!」

「元はお前の所為だろーが」
「ボノ!とにかく、絶対聴きなよ?U TWO!」
「ああ。わかった」
「シカトしてんじゃねーぞ!!」


 ああ。

 人とコミュニケーションを取るのも、悪くはない。
そんなことを、彼女の笑顔を見て思った。










(気付けば彼女は、最近よくオレの隣で笑ってる。)

(大好きな音楽の話をしながら、楽しそうに。)

(それをオレも楽しいと思う。)