メローネはに尋ねたことがあった。
「君、下着とかって一体どこで洗っているんだ?バスルームのバスケットに放り込んでなんかないよな?」
二人だけの空間という訳でも無いのに、そんな質問を平然とへぶつけるメローネにホルマジオは苦虫をかみつぶしたような顔を向けた。まるで愛するの下着が混入しているんじゃないかと期待に胸を膨らませながら、毎日バスケットをひっくり返しているかのような口ぶりのメローネに、は少しも嫌そうな顔を見せずに笑いながら答えた。
「近くにコインランドリーあるでしょう?いつもあそこにお世話になってるの」
少し歩くことにはなるが、アジトのある退廃しつつある治安の良いとは言えないブロックから、小道を使って抜け出すと少し大きな通りに出る。スラムが近いことからあまり観光客がひっきりなしに赴くような通りではないが、地域住民の生活基盤となる小規模な食料品店やバール等、必要最低限の店がその通りには揃っていた。向かいに喫茶店のあるコインランドリーもあった。は、バスタオルやフェイスタオルなど、特に共用の洗濯機で洗っても問題のなさそうな物以外は全てそのコインランドリーに持ち込んでいた。
はその日も、コインランドリーで洗濯物を乾かしながら喫茶店で暇をつぶしていた。彼女は監視を受けることになってはいるが、徒歩圏内であれば、メローネのストーキンググッズを身に着けるという条件で自由に動くことを許された。たまにはひとりになりたいし、洗濯をしに行くのにわざわざメンバーを動員させるなどバカげていると、がリゾットに持ち掛けた結果だった。リゾットは後に、メローネが趣味の範囲でに気づかれることなく常日頃から監視グッズを彼女に仕掛けていることを知って絶句することになった。
時刻は午後二時半。日差しが最も強い時間から少し経ってはいたが、暑い、天気のいい日。空には雲一つない。風を感じながら外でコーヒーを啜るのも悪くは無いが、いかんせん洗濯物を処理しているそばから汗をかき早々に洗濯物を増やす気にもなれなかったので、は涼しい店内から外の通りをぼうっと眺めつつアイスコーヒーを飲んでいた。
持参した本を読むなどして喫茶店で過ごしていた彼女は、ふと腕時計を見た。乾燥機のタイマーによれば、あと十分程度で乾燥が終わるという時間だった。彼女はまだグラスの半分近くまで残っているアイスコーヒーを早く飲んでしまわなければと、氷が解けて味が少し薄まってしまったそれを手に取った。ほどなくして、彼女は口内にコーヒーを含みストローの飲み口を唇で挟んだまま、一時フリーズすることになる。
あれ……ホルマジオ……よね……。
彼はやり手だ。彼が標的を見誤ってどこかの社長令嬢だとか貴族だとか、そのあたりのハイグレードな淑女にでも話しかけない限り、彼が誘えば大抵の女の子は彼とのデートを拒まないだろう。それはも認めるところではあった。だが、彼がプレイボーイだろうというのは今の今まで彼女の想像でしかなかったし、今まで女性と仲睦まじげに乳繰り合っているのを見たことも無かった。
そんな彼は今まさに、露出多めのワンピースに身を包み、出るとこ出て引っ込むところはしっかり引っ込んだセクシーなブロンド美人の腰を抱き寄せながら、喫茶店の前を横切ろうとしている。
ホルマジオは喫茶店内のの存在には全く気付いていなかった。は目を大きく見開いて、ふたりの姿を目で追っていたにもかかわらずだ。そう窓辺から歩道まで距離は無いのだが、獲物を逃がすまいと、女性をホテルに連れ込むことに全神経を集中させているのだろう。彼は隣のブロンド美人とホテルまでの道のり以外、まるで見えていないようだった。
ホルマジオと女性の姿が店の大開口の窓からフェードアウトして見えなくなったのと同時に、ははっと我に返り、口に含んでいたアイスコーヒーを飲み下す。それは最早アイスなどでは無く、ぬるくなったただの安くて薄いドリップコーヒーと化していた。間の抜けた味に眉を寄せたは、矢継ぎ早に残りのコーヒーをストローで吸い込んで飲み下した。
は、何故自分の胸が高鳴っているのか全く理解できなかった。
別に彼は彼女のボーイフレンドという訳でも何でもない。ただ、ホルマジオには常人には理解できない次元の“お誘い”を受けているだけだ。彼女はそのお誘いを保留している状態だった。全く心を惹かれていないわけではないのだが、自身の欲望を満たすために身体を安易に売るべきではないという信念の元、今もそのお誘いはしっかりと胸の内に閉まっていた。彼女はその所為でホルマジオを見るたびに、訳の分からない焦燥感や高揚感に苛まれていた。まるで彼に恋でもしているように。彼女はそれが恋などでは無いと自分に言い聞かせていたが、のその心と体の反応は紛れも無く、人が恋をしたときに現れるものと全く同じだった。
ホルマジオが向かった先にあるのは……クラブ?いえ、こんな時間に開いてるワケないわ。ホテル……。ホテルよ。そう、それしかない。ああそうなんだ……あそこが彼の……。
はホルマジオの男の顔――いや、オスの顔を見てしまった。これから彼らの向かう先で何が行われるのかは、容易に想像がついてしまった。それからというもの、の身体の反応は時を追うごとに激しさを増していった。
もやもやと胸から顎の下あたりにかけて蜘蛛の巣でも纏わりつくような不快感。胸は高鳴って、喉の奥から何かがこみ上げてくる感覚。早鐘を打ち続ける心臓。はたまらなくなった。席を立ちそうになるのをこらえ、上ずった声で店員を呼ぶと客席で勘定を済ませ、急いでコインランドリーへと向かった。
彼女の洗濯物はまだ乾ききっていなかった。は何だかよく分からない心境で、乾燥機の前に立ち尽くす。拳を強く握りしめながら、円形の窓の向こうで、洗濯物が舞うのをぼうっと眺めていた。そのまま5分程経った時、ピーという電子音と共にドラムの回転がゆっくりと止まり始めたが、はそれでもしばらく動かなかった。
「ねーちゃん。終わったんならどいてくれないか。他が全部埋まっちまってるんでね」
腰を曲げたおじいさんのそんな声で我に返ると、は笑いながらごめんなさいと言ってバスケットを手に取り、急いでほかほかと温かいドラムから洗濯物を取り出しはじめた。
Heart Attack
「ホルマジオって、いつもああなの?」
プロシュートがキッチンで夕食の準備をしている傍ら、はダイニングテーブルを陣取っていた。彼女の胸は尚もどくどくと音を立て高鳴っている。彼女がアジトに戻りダイニングテーブルについてコーヒーを飲み始めてから、もうマグカップの何杯目かも分からなくなっていたそれを呷りつつ、はプロシュートに愚痴をこぼすことで気を紛らわせていた。何かしゃべっていないと、ひとりで何もしないでいると全くもって落ち着かない。そんな彼女の話を黙って聞きながら、器用に夕食の支度を進めるプロシュート。マッシュルームをこぎみ良くまな板で捌きながら、彼はの問いかけに答えた。
「あいつがこの辺一帯のオンナを手当たり次第に食い物にしてるのは今に始まったことじゃあねーぞ。全く迷惑な話だぜ。おかげで安心して近場のオンナと寝れやしねぇ」
ここのアジトの男たちは女と寝ることしか考えていないのか?下手をすると、あの変態と皆に罵られるメローネが一番清純なんじゃないのか?などという疑問が沸き起こったが、そんなことは今のにとってどうでもいいことだった。問題は、彼女を抱きたいと甘言で誘っておいて、平然と他の女に手を出すホルマジオの習性だ。
彼女は愛されたい。愛された上で、愛する者の手で殺されてみたい。そして願わくば、幸せな人生を全うした上で、愛する者の手で永遠の死を迎えたい。それこそ彼女の求めるハッピー・エンディングだ。
ホルマジオはその残虐性において、愛する者を手にかける素質がありそうだとは踏んでいた。だから、少しでも彼との間にロマンスが生まれる可能性があるならば、それに賭けてみたいとも思っていたというのに、彼女にとって最も肝心な、人を“愛する”という点において、ホルマジオは全くもって信頼の置けない男であるようなのだ。
は絶望した。絶望したが、彼と仕事をした時やったらしい、あの、彼の殺し方。それが頭から離れない。身体を内側からぶち破られるなんて、どんな感覚なんだろうか。そして、その先で迎える死とはいったいどんなものなんだろうか。欲しい。彼に与えられる快感が。どうしても……。
はごつんと音を立ててテーブルに突っ伏した。突然視界からが消えたことと、その派手な音に驚いたプロシュートは、つま先立ちでダイニングテーブルを覗き込み何が起こったのか確認すると、ふん、と鼻を鳴らした。
「お前もその辺の女と一緒なのか?」
「……どういうこと?」
「ホルマジオと寝たいのか?」
「ちっ……違うわプロシュート!それは誤解よ!!完全なる誤解だわ!!」
は珍しく声を荒げて勢いよく顔を上げ、プロシュートに抗議した。の瞳は少し潤んでいて、顔は真っ赤だ。
「珍しいな。今日は感情の起伏が激しいぜ」
「……彼のこととなると何だかいつもの私じゃなくなっちゃうのよ。ほんと、変だわ。彼には心を乱されてばっかりなの」
はテーブルに両肘をついて頭を抱えた。彼女の様子が、プロシュートには恋する少女か、恋人に浮気された女にしか見えなかった。そんな彼女の相談だか愚痴だかを聞きながらキッチンに立つ自分が、まるで彼女の父親にでもなったかのような錯覚に陥るプロシュート。彼は大きな溜息を吐いた。
「男に恋してる時と全く同じ反応にしか見えないがな……」
「違う……違うのよ。彼に恋なんてしてないもの」
「まあどうあれ、アイツだけはやめとけ。浮気しまくってどっかでもらってきた性病をお前にうつすだけだ」
「ああ……やっぱりそうよね。彼はやめたほうがいいのよね……でも……」
「何だ。やっぱり好きなんじゃねーか」
「ああ、違うの。彼に、私は殺されてみたいのよ」
プロシュートは忙しなく動かしていた手を一瞬止めて、真剣な面持ちで彼を見つめるの顔を見た。
「やっぱりお前は変態だ。意味がわからん」
「だってだってホルマジオの能力、すっごく面白いじゃない。あなたも聞いたわよね。見えないくらいに縮めた客室の家具をターゲットのスパークリングワインのグラスに放って……。ああ。考えただけでゾクゾクしちゃうわ!」
はテーブルに肘をついたまま紅潮した頬を両手で覆い、どこか遠くを眺めていた。恋する男を思って溜息をつく、恋愛ドラマのヒロインのようだとプロシュートは思ったが、いや、違う。こいつは変態だ。見てくれがいいので騙されそうになるが、ただの変態だ。そう思いなおす。そして再び深く長い溜息をついて、止めていた手を動かし始めた。不思議とまな板に打ち付けるナイフを持つ手に力が入る。トマトの実が潰れて大量の果汁がまな板を汚しそうだった。
「それでね、そんな殺し方してほしいんなら、私を抱かせろって言うのよ」
「ホルマジオも大概だな。ここはいつから変態の巣窟になったんだ」
「ああ。こんな相談、誰にもするつもりなかったのに……」
「オレもまさかそんなクレイジーな相談されることになるとは思わなかったぜ」
は頬を両手で挟んだままその狭間で唇を尖らせていた。欲している物が思うように手に入らず拗ねる子供。今の彼女を形容する言葉はいくらでも出てきそうだったが、面白がって放っておくと暴走しそうだ。プロシュートはやれやれとかぶりを振って、彼の願望も多分に交えた助言をした。
「。アイツは他人が自分のやってることで苦しんでる姿を見るのが好きなサド野郎だ。とてもお前の意思を尊重してさっくり殺してやるようには思えねェな。思う存分手籠めにされるのが落ちだろうよ。オレはアイツを暗殺者としてはかなり評価してるし、信頼もしてる。頭の回転も速いキレ者だ。気のいい奴なんで、一緒にいて悪い気もしねぇ。ただ、仮にオレにオンナや妹なんかがいてあの男に食われちまったとしたら、十中八九ぶち殺しに行く。アイツの本性を知ってりゃあ誰だってそうするだろうよ」
「……本当にそうなのかしら?少しも、私のこと本気で愛してなんてくれないのかしら……」
「あ?おい、ちょっと待てよ。殺されたいってだけなんじゃあねーのか」
がさらにホルマジオからの“お誘い”や、彼女が追い求めている“ハッピー・エンディング”について詳しく説明しようと口を開いたその時、彼女の背後で玄関の扉が開く音がした。は振り返り、プロシュートもそちらへ顔を向けた。
「なーんだ、まだメシできてねーのかよ。ちょっくら運動してきたんで腹が減ってるんだがなァ」
そんなことを言いながら、ホルマジオがへらへらした様子で帰ってきた。は彼を見た瞬間狼狽えて、口をパクパクと魚の様に動かしていた。お帰りなさいと言いたいのに言えないのか、言っているつもりで口だけが動いて発声できていないだけなのか判然とはしなかったが、とにかくの心臓は今にも飛び出しそうなほどにバクバクと音を立てていた。
動物が一生の内に刻む心拍数はある程度その種によって総数が決まっていると言われる。驚いた時に寿命が縮まったと表現するのは、そんな生物学的根拠に基づいてのことだ。そんな言説を正とするならば、はこの日一日で恐らく3年くらいは寿命が縮まっている。が心拍計でも身に着けていれば、昼間ホルマジオを目にしてからずっと彼女の時間単位の平均心拍数が歴代最高値を叩き出し続けているのが確認できただろう。
「ん?何だよ。そんなにオレの帰りが待ち遠しかったのか」
「おあっ……ああ、あの、その……待ち遠しくなんか。……でも、おっ……お帰りなさ…………いやあああ!!もう無理よ!!私、もうダメ!!頭がおかしくなっちゃいそうよ!!」
「お前が頭おかしいのは前からだから気にするな。ところでよォホルマジオ。その運動ってぇのをしにお前が女とふたりで歩いて行ってるところを、は見ちまってるんだよ。何か弁明でもしてやったらどうだ」
「見てたのかよ。ぜーんぜん気づかなかったぜ。どこでだ?」
「……コインランドリーの前の喫茶店……」
はホルマジオに背を向けたまま素直に伝えた。声は震えている。
「何だァ?。妬いてんのか」
ホルマジオはほくそ笑みながらの肩に手を回して彼女を抱き込むと、耳元に口を寄せて言った。は半身を粟立たせてぴくりと身体を揺らす。
「やっ……か、勘違いしないで!私別にあなたに抱かれたいなんて思ってないんだから!別に、あのヒトが羨ましいとかそんなんじゃあないし!あ、ああ、あのヒトを抱いた身体で私に触れないで!!!」
「おい。願望全部吐き出してんじゃあねーか」
「プロシュート!やめて!願望なんかじゃないもの!!」
「駄々こねんな」
彼女が今興奮しているのは、ホルマジオによってもたらされる死と、それによって得られるであろう至高の快楽を夢想してのことだ。その結果、常人が性的興奮を覚えた時の俗に言う“ムラムラする”という状態とほぼ変わらない精神状態に陥ってしまい、副次的な体の変化に苛まれ、思い浮かんだ言葉を大して脳内で校正もせずに発しているだけ。ホルマジオが言うように昼間に見たブロンド美人に妬いているわけでも、プロシュートの言うように「彼に抱かれたい」などという願望が吐露されたわけでも無い。だが、以外の人間からしてみれば、死を追い求める彼女の姿と、性的欲求に駆られる女性とでは全く見分けがつかない。こればっかりは不死身の身体を手に入れない限り一生理解しあえないことなので、両者(ホルマジオ&プロシュート対)の話は平行線をひた走るだけだった。
尚もホルマジオに肩を抱かれ、バクバクとあり得ないくらいに音を立てる心臓を抑え込むようにが身をかがめていると、彼女の向かいに位置する扉からメローネが姿を現した。
「!帰ってたのか!」
「ああ!メローネ!!」
は彼の姿を視界に捉えた瞬間、ホルマジオの腕を振りほどきつつ勢い良く起立したかと思うとすぐに駆け出して、メローネに抱きついた。メローネが突然の愛するからの抱擁に「これは夢なのか?」と困惑しながら彼女を見下ろすと、悩まし気に寄せられた眉、潤んで涙が零れ落ちそうな瞳、への字に食いしばられた唇、全体的に上気して赤くなった顔が伺えた。それらは彼によからぬ妄想を許してしまう。
「。……勃起しそうだ。今日ばっかりはもう自分を抑えられる気がしない」
「大丈夫よメローネ。あなたならできるわ。お願いよ。今はただ黙って私を慰めてほしいのよ」
「ディ・モールト厳しいぞそれは!!いつにも増して酷なお預けだっ」
「メローネ、ああメローネ。あなたは手当たり次第に女性と寝たりしないわよね?」
「ああ。無論だ。オレは毎晩毎晩頭の中でキミとしかシてない」
「それはそれで重症だけど、それならいいの。あなたにあと足りないのは、私のことを殺してやろうっていう気概だけよ……。お願いよメローネ。私のことを殺してほしいわ」
「それは無理だ。愛するキミが死ぬところなんて見たいわけが無いじゃあないか!なんてバカなことを言うんだ!」
「そこよ……あなたに足りないのは、そこなのよメローネ。本当に惜しいわ。そこさえクリアしてくれれば、もうあなたでいいのに」
「……オレ“で”って何か酷い言われような気がするが、君に求められるならこの際体裁なんてどうだっていいさ」
変態ふたりによって繰り広げられる狂気に満ち溢れたメロドラマを見せつけられたホルマジオとプロシュートは、ほぼ同じタイミングでここ一番の深い溜息を吐いた。そしてお互いに同じことを思っていた。
――何でオレはこんな変態女に惹かれちまってるんだ……。
ホルマジオは顔をしかめながら、が座っていた椅子を引いてどかっと座り込んだ。そして後頭部で手を組み天井を仰いで考えた。
ホルマジオは、がこのアジトで生活するようになってから、全盛期に比べて女性をとっかえひっかえしながら抱く機会がだいぶ減っていた。だが、溜まるものは溜まるので、吐き出さなければやっていけないし、と彼は本当に抱きたい女性を思い浮かべながら他の都合のいい女を抱き続けていた。
ホルマジオは行為の最中、他の女の嬌声を聞く気になれず、乱暴に口を抑えながら快楽に耽っていた。後背位で口が塞げないときは、枕に女性の顔を押し付けた。オレが抱きたいのはお前じゃ無いと口にも態度にも出さなかったが、彼の気持ちは完全に他所に向いていた。
「のやつ。メローネとはいつヤるんだろうな」
「どうだか。の欲求のベクトルはメローネのそれと完全に食い違ってるからな」
それを言うなら、オレだってそうだ。ホルマジオは思った。別にオレだって、を殺してやりたいなんて思ってるわけじゃないんだ。と。
ホルマジオは、ただ純粋に・を自分の女にしたいだけだった。今まで一度もガールフレンドを作りたいなどと考えたことも無かったのに、に対しては独占欲を抱いていた。それが何故かということに言及すると、暗殺者チームのアジトという“オス”しか存在しなかった環境に突如投げ込まれた“メス”を、テリトリーを誇示する動物さながらに手に入れたいという、至極動物的な本能がそうさせていると言って過言では無かった。ホルマジオは仕事以外では常に野性的且つ直感的に生きている。そうやってメリハリをつけることこそ、彼が暗殺者として生き抜く術だった。私生活ではそんな動物的な本能に従う彼にとって、を心から愛せるかどうかは、やってみなければ分からなかった。
そして、とメローネの会話を聞く限りだと、彼女にとってメローネとホルマジオは正反対らしい。彼女はホルマジオが自分を本当の意味で愛せるなどとは、微塵も思っていない。それは仕方のないこと。身から出た錆だ。正直彼は、他の女と遊ぶ姿を隠そうとも思っていなかったし、コインランドリーの前の通りだって、もしかすると当てつけのようにわざと通っていたかもしれなかった。だがそれだって、の気を引こうとしている証に過ぎないということを、彼女は理解していない。そして、彼女はさらに輪をかけて勘違いをしている。
ホルマジオは、を殺してやりたいなどとは思っていない。彼はそれを先刻伝えたはずだと思っていたが、は自分の都合のいいように解釈を捻じ曲げている。彼に冷酷無比なサディストというレッテルを貼っているのだ。彼にはサディストという形容詞を自分に当てることに文句を付けるつもりは無かったが、要はその度合いの問題なのだ。感極まって行為の最期に無抵抗の女を殺してやりたいなどと思ってしまうような、凶悪な性犯罪者の類では決してない。
彼女の身体は、確実にホルマジオに反応している。だが、心が彼を完全に拒否している。そのガードを打ち破るために必要なのはまず、彼女の誤解を解くこと。そこから始めなければいけないのだと、この日ホルマジオは思い知ることになった。だが、時すでに遅し。
ホルマジオがプレイボーイであるという醜聞は、本日をもって彼女の中で紛れもない事実と化してしまったのだ。
「今日ほど女食ったことを後悔したのは初めてだぜ……」
「何だ?ビョーキでももらってきたかよ」
「そんなんじゃねーよ」
ホルマジオの芽生えかけた愛をに示し、その愛を育て、彼女を我が物にするという願望の実現にいたる道筋は、ここに来て前途多難を極めてしまった。
ホルマジオは、親しげにじゃれ合うとメローネを眺めながら、はあっとため息を吐いた。
キッチンに立つプロシュートには、ホルマジオのことで思い悩むの姿と、今同じ場所で物思いに耽るホルマジオの姿が重なって見えたのだった。