暗殺嬢は轢死したい。
Side Story

「ああ、もったいねーな。いい車がぺしゃんこだぜ」
「こりゃターゲットもしっかりぺしゃんこだろうなぁ」
「おお~。メローネが言った通りだ。ハンドルはちゃんと左に切りやがった」
「それより、だぜ。あいつの様子、しっかり見てねぇとよ」

 月明かりが照らす崖の上。リゾット率いる暗殺者チームの面々は仕事の成り行きを見届けるため、崖下に広がる惨状に目を凝らしていた。

 これまで胸糞悪くなるような仕事は幾度となくこなしてきた。自身が殺した相手は血まみれで、出血性ショックを起こし死に至る。その過程をしっかりと見届けて、確実に死んだことを確認するまでターゲットから目は離さなかった。自分は死体を見るのにも慣れている。リゾットはそう思い込んでいた。

「うわ……ひでーな」

 彼の部下たちは黒煙をあげるスーパーカーの後方で、原型をとどめている新入りの女性――の上半身、ぐちゃぐちゃになった腹部から流れ出る大量の血液や飛び散った臓物と肉片、そしてあらぬ方向を向いた下肢を目の当たりにして、ひどく動揺していた。

 リゾットは眼下での身体の一部だったものが蠢き出し、ゆっくりと精神の核に戻っていく様を見ているうちに、胸が詰まり息苦しくなるような感覚に苛まれた。

 “轢死”と言う死に方は彼が一番見たくない死に方だった。それは彼に忌々しい過去を思い起こさせるからだ。

 は見て欲しいと言った。自分が死ぬところを。そして、彼女が何度も死ねるということを確認して、是非とも暗殺に活用して欲しいと。だがこんなもの、金輪際見たくは無い。リゾットは顔をしかめて、数多の肉片がゆっくりと元のへの姿へと戻る過程を黙って見ていた。やがて彼女はおもむろに立ちあがり、どこか恍惚とした表情で天を仰ぐ。

 ……不愉快だな。

 自ら車に轢かれに行くその精神性も、轢かれた後のグロテスクな事故現場も、恍惚とした彼女の表情も……その全てがリゾットにとっては不愉快極まりなかった。

 がギアッチョの車に乗り込んだのを確認すると、リゾットは何も言わずに自身が乗ってきたバンへと踵を返す。一行から離れてひとり胃の内容物を吐き出しグロッキーな表情を見せるペッシの隣をリゾットが横切ると、ペッシは彼へ情けなさそうな顔を向けてきた。リゾットはそんなペッシに一瞥をくれて帰りを急ぐ。後ろで情けないしっかりしろと彼に喝を入れるプロシュートの怒声が響くが、リゾットは無理も無いと思った。

 仲間の死で思い浮かべるのは、つい最近30以上の額縁に分割されてアジトへ帰ってきたソルベと窒息死したジェラートのことだった。リゾットは部下たちにふたりのことは金輪際忘れろと告げたが、彼自身が忘れられずにいた。

 彼らの死に様も衝撃的ではあった。だがグロテスクさだけで言えば、のそれは度を越えていた。まるで生き物のように肉片や臓物がゆっくりと動く様も、見るに堪えない。

 彼女を暗殺の道具として起用するたびに、こんな思いをするはめになるのかと思うとリゾットは増々忌々しい気分になった。



 断崖絶壁の反対側、山の麓の方にはブドウ畑が広がっており、一行はその農道にバンを駐車していた。こんな場所なら盗まれることも無いと、鍵をかけずに止めていたそれの最後部座席に乗り込むと、リゾットは溜息を吐いた。それで喉の奥からこみ上げてくる不快感や圧迫感が少しは紛れたが、彼の眉間から皺が無くなることは無かった。

 遅れて車に乗り込み、リゾットの前の席に座ったプロシュートが後部座席を振り返ると、リゾットの顔色を伺った。常に無表情で感情の読み取れない顔が、今は険しく歪められていて、その表情からは忌々しさや不愉快といった感情が読み取れた。

「どうした。珍しく機嫌が悪そうじゃねーか」
「……あれを見て機嫌が良くなるほどオレは狂っちゃいない」
「まあ、それもそうか。女があんな死に方するもんじゃあねぇーよな。……おいペッシ。これ飲んどけ。生臭い匂いが隣から漂ってきちゃあ、もらってこっちも吐いちまう」

 プロシュートは座席の中央部に備え付けられたドリンクホルダーからミネラルウォーターを取り上げると、それを隣の席へ乗り込んできたペッシへと投げて渡した。

「……うう。今日眠れる気がしねぇーよォ……」

 ペッシのそんなボヤキに舌打ちをしたプロシュートは苛立たし気に窓の外に目をやった。運転席にホルマジオ、助手席にイルーゾォが乗り込むと、バンはアジトへと向かって走り出す。悪路が故に車体は揺れていたが、程なくしてタイヤはアスファルトの舗装に乗り上げ走行音も静かになった。それと同時にホルマジオが声を上げる。

「それにしても、驚いたなァ。確かにありゃあ使えるぜ。女だしプロシュートの無差別殺人の影響も受けにくい。死にゃあしねーってんなら、ターゲットをに拘束させて、もろとも銃殺するって使い方だってできちまう」
「男を拘束する腕力が無さそうだけどな」
「いやァ、あの女に脱ぎながら言い寄られたら動けねーだろ。オレなら目が釘付けだぜ。息子は勝手に動き出すだろうがな」
「おいホルマジオ、下らねーこと言ってんじゃねー。お前は発想が逐一ゲスなんだよ」

 確かにホルマジオが想像するように、の使い方は色々ある。女というだけで男は油断するし、そこに死んでもまた生き返るという普通じゃあり得ない特性が加われば、ターゲットの陽動や捕縛も容易になることだろう。彼女がチームの一員となることで仕事の成功率が上がるのは歓迎すべきことだった。

 だが彼女を仕事に使うことで無残な死を強要することになるのも、性を無理に利用させるのも気分のいいものではないとリゾットは思った。だが、だからと言って彼女を遊ばせておくわけにもいかない。チームに身を置き、アジトで生活を共にし、チームの機密情報を共有する以上、暗殺者としての自覚は持っていてもらわなければならない。 

 どうにも、今回の新人は扱いづらい。

 これまで数々の曲者を仲間に引き入れてきたリゾットだったが、彼にとってという女は全くの“新種”だった。 



So Happy Could I Die



 を昨晩襲った快感はやはり、彼女が期待していた通りに最高のものだった。彼女が自身を最後に死に追いやってからかなりの時間が経っていたし、禁断症状のようなものも出始めていた。そこから解放されたということもあって、いつも以上の幸福感に満たされた。

 自身を自らの手で死に追いやるのと、他人に轢き殺されるのでは全く気持ちよさが違った。彼女の嫌う死に至るまでの苦痛の時間が極端に短かかったのと、彼女の好物で殺してもらえたという点が大きいのだろうとはその原因に理由を付けた。

 やはり、暗殺者として雇ってもらえるのは非常にいいことだ。基本的に暗殺は昼にはやらないし、表向きの仕事と被ることもない。それに、思いっきり、死ねる。

 彼女が初仕事を済ませ、ギアッチョの車に乗ってアジトへと帰り着くまでの間、は心地よい余韻に浸れていた。そして、驚くほどすんなりと入眠もできた。翌朝もすっきりと目覚められたし、リビングで報酬の話をした後、表の仕事へと向かう足取りも軽かった。仕事終わりにリゾットと夕食を共にし、ワインを飲んで素敵な夕餉の時間を楽しむこともできた。

 だが、脳内麻薬とは良く言ったもので、彼女が死に際に味わったそれは更なる欲求を引き起こし始めた。

 ――足りない。もっと、もっと欲しい。

 それは遅効性の毒のようでもあった。

 脳髄を溶かすようなあの快感が忘れられない彼女の脳は、時を経て全身に更なる快感を求めるように信号を送り始めた。胸が苦しくなり、喉の奥に熱がこもり、身体はある勘違いを始める。

 ……違う。違うの。そうじゃない……落ち着いて。落ち着くのよ……。

 は必死に否定した。こんな身体の反応は初めてのことでは無かったので、それを鎮めるために自分がどんな行動を取るべきかも分かっていた。だが今まで、一人で家で過ごしていたときとは訳が違う。

 もちろん、この身体の疼きを抑える手っ取り早い方法は、もう一度死ぬことだ。だが、彼女が自分の手で自分を死に追いやるなんてことをするのは、もうどうしようもない時と、好きでも無い男にレイプされて子種を注がれた時だけ。セルフプレジャーで済ませられるならそれに越したことは無い。

 ここで“あんな”こと、できない……。

 だが、胸は張り裂けそうになり、吐く息は熱く早くなって、彼女の中心は熱を持ち疼き始める。は自室のベッドの上で身体を丸くして耐えていたが、すぐに限界を迎えてしまった。
 
 長い禁欲期間が祟ったんだと、はぼんやりと思った。

 リゾットとの食事の際、余った赤ワインを寝酒と称してボトルごと自室に持ち込んでいた彼女は、動悸でうるさい胸を押さえながらゆっくりと起き上がると、グラスに赤ワインを注いで呷った。まだボトルの半分以上残っていたそれをすべて飲み干すと、ふらふらとベッドへと突っ伏した。

 ランジェリー姿でいた彼女は、シルク生地の下で主張を始めた乳房の先端に指の腹を当てる。乳房を鷲掴みするように手のひらで覆って、あてがった指だけを小刻みに揺らして刺激をすると、先端は痛いくらいに突きあがってきた。

 私、何やってるの……。

 羞恥心に顔を歪めた彼女だったが、そんな思いに反して身体は快感を求めていた。

 彼女は死ぬことで得られる快感と、性行為で得られる快感は全くの別物だと思っていた。その感覚は彼女のクオリアに依存するし、他にこの脳内麻薬によって引き起こされる快感がどうだったかと口にすることができる人間は恐らく存在しないので、なぜそうなのか言葉で説明しろと言われてもそれは不可能だった。とにかく別物なので、性行為で得られる快感など遠く及ばないという認識でいた。

 だが全くの別物の快感であるはずなのに、身体が見せる反応はほとんど同じだった。死で得られる至高の快感は不覚にも、を女にする。

「っ……あ、っ、んんっ……」

 くぐもった声が室内に響く。どうかこの声が、外に漏れませんように。と祈る彼女だったが、自分の身体を慰めている内に自制心は薄れていく。秘部に指を宛がうと既にそこは熱く濡れそぼっていて、彼女の中指を容易に受け入れた。腹側を掻くようにゆっくりとこすってやれば、穴の隙間から溢れ出る体液がショーツを汚し、くちくちと淫猥な水音が鳴り響く。

「やだ……あたし、こんなに……っ、だめ、こんなんじゃ……違う、違う、のに……」

 胸と中心とを両手で同時にせめても、あの快感には遠く及ばない。こんなことをしても焼け石に水と分かってはいただが、今は熱に浮かされた自分を慰めずにいたら壊れてしまいそうだと、苦悩に満ちた表情で必死に指を動かした。

 彼女の指は細く長かったが、最奥にまで届く程では無かった。何本か同時に指を突き入れても、折り曲げた指が邪魔をして奥にまでは届かず、長さも太さも足りない。そういった道具を持っていれば良かったと彼女は思ったが、セルフプレジャーグッズを買いに行く勇気も、使った後のそれを共用のバスルームで洗浄する勇気も無かった。

 は奥を刺激するのを諦めて、手前だけでなんとか果てようと試みる。体液で濡れた陰唇の頂点にある小さな蕾に触れると、は全身を一度大きくぴくりと揺らした。ここの刺激は中を自分でするよりよっぽど効果がありそうだ。と確信すると、ゆっくり、圧力をかけず撫でる様に指を動かした。

 ……だめ、こんなんじゃ、いつまでたってもイけない……。

 恐らく彼女は忍耐強い方ではない。死ぬまでの時間をなるべく短くしたいという願望からも分かるように、快感は最も効率的に最短時間で手に入れたいと考えるタイプだ。おそらくローターのようなもので数分振動でも与えてやればいいのだろうが、大人のおもちゃをこのアジトで使うのは非情にリスキーだ。彼女はチームに監視を受けている身。

 はそこまで考えてハッとすると、ゆっくりと手を自分の身体から離した。冷静になって考えてみれば、メローネにどこまで監視されているか分かったものでは無かった。盗聴器、盗撮用小型カメラ、GPS発信器……ありとあらゆるストーキンググッズが自分の周りに散りばめられているかもしれない。そんな人権侵害甚だしい環境に身を置いているなどとは想像もしたくなかったが、あのメローネのことだ。あり得ないことでは無い。こんなことに今更気づいても、もう遅いかもしれない。既に彼の自慰のおかずにでもされているかもしれない……。

 相変わらず身体は熱っぽく疼いていたし、胸がつかえるような苦しさに苛まれていただったが、理性を少しだけ取り戻しむくりとベッドから身を起こした。

 ……お酒で忘れよう……。

 ワインのボトルを半分以上空けた彼女だったが、千鳥足になるほど酔ってはいなかった。ベッドから立ち上がりロングカーディガンを羽織り、ふらふらと多少覚束ない足取りでキッチンへと向かった。

 階下へと降り、LDKの一室に足を踏み入れる前でふとは立ち止まる。

……そもそも、今は一体何時なのかしら。

 リビングからはTVの音やメンバーのうちの数名が談笑する声が聞こえてくる。彼女がリゾットとの夕食を済ませ、食器を洗い、シャワーを浴びて自室に戻ったのが20時手前だったはず。それから程なくして欲求不満になり、彼女は自慰に耽っていたのだが、恐らく早々に諦めたので20分も経っていない。ということは、まだ21時前ではないかと大方の想像がついた。

 今彼女は男に会いたくなかった。だが酒が無いと眠れそうにもない。

とりあえず、手を洗って、もう少し辛抱して皆が寝るまで待とう。そうしよう……。

 そう計画を立ててがバスルームへと向かおうとしたその時、彼女は運悪くリゾットと鉢合わせてしまった。おそらく、日課のトレーニングでかいた汗を流した後の彼だ。爽やかなソープの香りを纏い、タオルで頭髪の水を拭いながらバスルームの扉から顔を出してきた。

「……あ、あらリゾット」

 に気づいたリゾットは、彼女のランジェリーにロングカーディガンといういかにも入眠前の姿を目の当たりにした。だが、もう寝るならば明日にしようなどという配慮は彼には無いらしい。

「丁度いい。さっき話し忘れたことがある。渡すものもあるし、用が済んだらオレの部屋に来い」

 彼女が突然のことに困って口ごもっている間に、返答も何も聞かないまま、リゾットはボトルのミネラルウォーターを口に含みながら階段を上がっていった。

 ……話?渡すもの……?やだ、こんな時に……。でも行かない訳にもいかないわよね……。ああ、タイミング悪すぎよ……。信じられない……。

 は真っ赤にのぼせ上った顔を両手で覆い、ゆっくりと撫でおろす。バスルームで手を洗った後、彼女は意を決してリゾットの部屋へと向かった。



 リゾットの部屋の扉をノックすると中から入れと声がした。は恐る恐るドアノブに手をかけゆっくりと引き下ろすと、及び腰で入室する。普段カツカツと姿勢良く快活に歩く彼女が珍しく、ふらふらとした足取りで現れたのでリゾットは不思議に思ったが、彼女がこっそりと赤ワインのボトルを自室に持ち込もうとするところを見ていたので、その所為かと納得した。

「話って……?」

 がデスクを挟んで向こう側に準備しておいた折り畳み式のスツールに腰掛けたのと同時に、リゾットはデスクの引き出しから茶封筒を取り出し、へと差し出した。

「報酬だ」
「え……私、いらないって言ったわ」
「話ってのはそれだ。お前が何を勘違いしているのか知らんが、あれは仕事だったんだ。仕事には相応の対価を払わなきゃならない。正直、あれだけのことをやらせておいて報酬がたったの五百万リラってのも情けない話だがな」
「あれだけ気持ちのいい思いをさせてもらった上で、500万リラももらえないわリゾット」

 リゾットは差し出された茶封筒に手を伸ばそうとしないを諭すように続けた。

「オレがお前の趣味に付き合う道理は無い。違うか?」
「……そんな冷たいこと、言わないで……」
「まず殺しが仕事だという認識を持て。それに必要に駆られない限り、無暗やたらとお前のその能力を使うつもりもない」
「……わかったわ。ごめんなさい」

つまり次私が死ねるかなんて、いつかわからないってわけね……。大丈夫。我慢するのには慣れてる。この身体の疼きも、明日には無くなってるはずよ……。

 は気だるげにふらりと立ちあがると、報酬の入った茶封筒を手に取った。

「ありがとう。大切に、使わせてもらうわ……」
「わかればいい。……ところで

 が机から離れ自室に戻ろうと背を向けたとたん、リゾットは彼女に声をかけてを引き留める。

 は早々にリゾットから離れたかった。でないと、身体の疼きと熱に浮かされて自分がどんな変な気を起こすかも分からなかったからだ。彼女がリゾットに向き直った時、彼はすでに席を立ちの傍らに立っていた。2メートルにも及びそうな彼の大きな体がの顔に黒い影を落とすと、リゾットの武骨で大きな手がぬっと差し伸べられる。

「夕食の時と打って変わってかなり体調が悪そうだぞ。熱でもあるのか?」

 はそれを交わす時間も与えられなかった。リゾットの冷たい指先が彼女の額に触れた瞬間、彼女は身体をピクリと震わせた。見上げた先にあるリゾットの黒い瞳を見つめると、鼓動が早くなりどくどくと身体が脈打つのを感じ始める。確かに、は今体温が高いだろう。熱があると思われても仕方がない。その真の原因が何かなどリゾットには知る由も無いのだが。

 は下唇を噛んで必死に欲求を抑え堪えた。

早く自分の部屋に戻らなきゃ……。

 そう思うものの、思う通りに身体が動かなかった。動悸が激しく、やがて立っているのも困難になりはじめた。突如として凄まじい倦怠感が彼女を襲い、身体から力が抜けていき、床に突っ伏すように倒れ込みそうになるところをリゾットが受け止める。

「お前の能力には副作用でもあるのか?無理が祟ったか……」
「副作用……か……。そう、かもしれない……。苦しい。胸がつっかえるようで……息もできないくらい……」

 リゾットは軽々との身体を抱きかかえると、自室を後にしての部屋へと彼女を担ぎこんだ。



 は死にはしない。死んでも生き返る。リゾットはさほど心配する必要は無いだろうと思いつつも、頬を赤くして息を荒げ、胸を激しく上下させる彼女の姿を見てしまうと、このまま放置しておくのも気が引けたので、落ち着くまで傍にいてやろうと考えた。

「水でも飲むか?……風邪ならワインなんか飲んでいる場合じゃあ無いだろう」

 リゾットはナイトテーブル上に放置された赤ワインの空き瓶と空のグラスを見て何をやっているんだと溜息を吐く。リゾットは完璧にが風邪をひいたのだと勘違いをしている。

「リゾット、私……風邪じゃあないのよ」
「かなり体温が高かったが?」

 はぼうっとした頭で、まずいことになったと思った。この状況では先程までベッドの上でひとりでしていた方法で熱を抑えることもできない。だが、それが効果なしと断定し酒を浴びる様に飲んで紛らわそうとしていた矢先のことだ。完全に風邪だと思い込んでいるリゾットに、水と一緒に赤ワインのボトルも一本持ってきてくれなんて、今の状況では言える気がしなかった。

 おかしいわ……まさかここまで酷くなるなんて……。

 もう正直に話して早くこの場から去ってもらった方がいいかもしれない。

「あの……私、恥ずかしくて言いたくないんだけれど……」
「なんだ。オレにできることであれば協力する」
「いや……その、協力って……ダメよそんな」
「一体何なんだ」

 ダメ!こんな恥ずかしいこと言えるわけが無い……!

 は脳が熱で浮かされてまともに思考できずにいる。だが、彼女は意を決してリゾットの顔を見ないように、シーツで顔を隠しながらぼそぼそと真実を伝えることにした。

「私、昨日のことが忘れられなくて……。すごく、気持ちよかったから……だから、欲求不満って言うのかしら。メガデスの能力で生き返った後、いつもこうなっちゃうの。でも、昨日のってけた外れによくて……こんな倒れちゃうほどのは初めてだったわ。だから、その、もっとってなってるのよ。もちろん、自分で死ねばいいって言われるのは分かってる。でも私、ほんとうにもう無理我慢できないって時にしか自分のこと殺さないの。躊躇い傷ってあるじゃない?あの心理と同じで、死ぬのに時間がかかっちゃうから……痛いのが長く続くのも嫌だし。だから、他の方法でこの身体の疼きを抑えようとしてたんだけど……なかなかできなくて。でもきっと貴方が私のことここで殺してくれたら、すぐに良くなるわ」
「…………ワケが分からんな。オレは金にならない殺しをするつもりはない。それに、そのお前の欲求には底が無いように思えるが、お前はヤク中がクスリに手を出すような頻度でオレにお前を殺させるつもりなのか?」
「さっき協力するって、言ってくれたわよね……」
「それはオレのポリシーに反するのでできない。他は。どうすればその沸いた頭を元に戻せるんだ」
「し……辛辣だわリゾット。頭沸いてるって言ったわね……。後は、お酒を飲んで忘れるしかないと、思うの……」

 リゾットは再度深く大きな溜息を吐くと、おもむろに立ちあがり部屋の出口へと向かった。

「酒を持ってくる。赤でいいんだな?」
「ごめんなさい。ありがとう……」



 程なくしての部屋に戻ったリゾットは、赤ワインのボトルを開けてグラスに注いでやると、待ってましたとばかりにグラスを勢いよく呷るを見て言った。

。お前はきちんと男を避けていたつもりなんだろうが、そんな格好でアジトの中をうろつくな。ここにいるのはギャングなんだ。……お前は危機感に欠けている」
「はい。ごめんなさい。以降気を付けます」
「……分かればいい」
「ふふっ、リゾットってお父さんみたいね。風邪なのか?とか風邪なのに酒飲むなとか、そんな格好するなとか……」

 リゾットはそんな言葉を聞いてふと足を止めたが、ふんと鼻で笑ったかと思うとそのまま振り向きもせずにの部屋を後にした。

父親だと……?とんでもない。

 リゾットは自室に戻りながら思った。

 彼女は自殺以外の方法で熱を抑えようとしていたと言っていた。酒で紛らわせる?あの顔はそんなんじゃあなかった。

 うっすらと閉じかけた瞳に涙を浮かべ、苦痛に眉を顰めた狂おしい表情。熱い吐息。厚めのシルク生地に浮かび上がった乳房と乳首。彼女を抱きかかえた時に触れた柔らかな太もも。その全てを思い出すと、リゾットはその記憶をいなすようにかぶりを振った。

 あんな物を見せつけておいて、よくもそんなセリフが吐けたものだ。

 ――父親なら、娘にあんな劣情は抱かない。