「理解してねェようだからよォー、もういっぺん言ってやるぜ……」
がペッシをお供に買い出しから戻ると、ガレージからキッチンに通じる勝手口の向こうでギアッチョが仁王立ちをして彼女を待ち構えていた。
ギアッチョが“プッツン”すると、だいたいリゾットかプロシュートによって彼がなだめられ場は静寂を取り戻す。しかしながら、そのふたりがいない時にギアッチョが怒るとうるさいしとても面倒なので、彼の機嫌を損ねるような言動は厳に慎むべしという暗黙の了解がチームにはあった。が、新参者のは、敢えて彼を怒らせに行っているのではないかと疑われるほどの行為を性懲りも無く続けていた。
「勝手にオレの車を使って買い出しに行くんじゃあねーぜ!何度言ったら分かるんだこのアマぁ!!」
「だって車が便利なんだもの」
「知ったことかよ!」
「ねえギアッチョ聞いて。これ見よがしにこんなとこにキー置いてたら誰だってあなたの車使っちゃうわ」
は全く悪びれもせず、キッチンカウンターの上に置いてある硝子製の灰皿を指して言った。本来の使用目的から逸れた形で使用されているそれは蓋も何も無いただの入れ物だ。はキッチンで料理をしたり洗い物をしたりしている間、最低でも一度か二度はそこに放られているギアッチョの愛車のキーに目を留め、次はどこに行こうかしらと“犯行計画”を企てるのが日課になっていた。過去に幾度か計画を実行した彼女だったが、それがギアッチョに気づかれると必ず怒号を浴びせられた。その度にギアッチョはに上手く言いくるめられてしまうので、それも手伝って、彼女が態度を変えることは無かった。
そして、の影に隠れていたペッシはふたりの口喧嘩が長引く予感がして、そっと空気に溶け込むように爆心地から離れて行く。
「そこに置いておかねぇと失くすんだよ!触んな!!っつーか、ペッシじゃあなくてオレに言えばいいだろーがよ!」
「だって、あなたに付き添い頼んだらあなたが運転しちゃうじゃない」
「当然だよなぁオレの車だもんなァ!?」
「私ぶつけたりなんて絶対しないし、使った後はガソリンも満タンにして返してるわ。それに、あなた気づいてないかもしれないけれど、この前テールランプが切れてたから私が交換しておいたのよ。そこまで手厚く手入れしてるのに、一体何が不満なの?」
「そーいうとこだよ!何でお前がお前の金で手入れしてんだ!?ありゃオレの車だぞ!?我が物顔でいじくりまわしやがって気にくわねぇんだよ!!!しかもよぉ、昨日カーステレオいじろうと思って手元見たらよぉ、カセットテープ突っ込む場所無くなってんだよ!一体何なんだ?え?!!どうせおめぇのシワザだろーが!」
「今時ドライブのお供にカセットテープなんて……モテないわよギアッチョ」
「うるせえええええええ!何大々的に改造してくれてんだ!!ありゃァオレの車だっ!!!」
「カセットテープのタイトル見たけど、あなたビートルズが好きなのね。意外だったわ」
「うるせぇうるせぇうるせぇなんか文句あんのかコラぁああああああ!!!と言うか人の話を聞けえええええ!!」
「だから最近のでオススメのをCD-Rに入れておいたのよ。オアシスとかね。きっと気に入るわ」
「おめぇはオレのコンシェルジュか何かか!?もう突っ込むのも疲れてきた!!!」
「疲れたときにはオアシスのホワットエバーをオススメするわ。とても元気になれる曲だから」
「お、お前マジで何なんだよ!怖いんだよ!!!」
ギアッチョにどやされている間、は一切彼に怯みを見せることは無かった。怯むどころか、ニコニコと笑顔を絶やさず彼と会話のキャッチボールを楽しんでいるようにすら見え、それが終わるころにはギアッチョが疲弊してに恐怖心を抱いていた。彼にとっては、底が計り知れない恐ろしい存在なのだ。往々にして彼は、自らに絡みに行ったことを後悔して黙り込むことになった。今日もそのような幕引きを迎えそうだ。ギアッチョは怒り心頭に踵を返して自室へ戻ろうとした。が、そこでの口撃の手が緩むことは無かった。彼は敵に背を向けた結果追撃を許してしまったのだ。
「あ、そうだわ!ギアッチョ。ひとつ提案があるんだけれど」
「あぁっ!?」
最高に憤っていて、それを鎮めるために自室に戻り不貞寝しようとしているこのオレを引き止めるとはいったいどういう了見だ、とギアッチョはさらに顔を歪め
の方へ振り返る。はニコニコと笑顔のまま首を傾げた。
「一緒に洗車しない?」
「はァっ!?」
は買い物袋の中をがさごそと漁り始め、目的の物を手にすると、じゃじゃーんと効果音を付けながら何かボトルのようなものをギアッチョに見せつけた。
「何だァそりゃあ……」
「コーティング剤よ。うちの店ではもっと高級なやつ使うんだけど、お客さんに市販で買えるのだとどれがいいかって聞かれたらオススメしてるガラス系のやつなの。これやっとくだけで毎回の洗車がとっても楽になるわよ!汚れも傷も付きにくくなるしピカピカ輝いて見違えるしで一石二鳥なの」
「だから何でテメーがそれを買って来るんだよ!」
「買ってきちゃったものは仕方ないじゃない。使わないともったいないし一緒に洗車しましょ?」
「答えになってねェ!!!」
「ギアッチョ。あなたったらだいぶ怒ってるみたいよ。ちょっと落ち着いたらどう?そもそもあなたが私を見つけたんじゃない」
「オレが悪さしてるお前を目ざとくみつけて怒ってくるからいけないって言いてーのか!?なんてオンナだ!サイコパスかてめーはよォおおおお~~~~~っ!!!」
ギアッチョはに腕を取られ、ぐいぐいと半ば強引にガレージへと連れていかれてしまい、結局彼女に言われるがまま洗車を手伝わされることになった。
ギアッチョは洗車が嫌いなわけでは無い。むしろそれは彼の精神統一の手段と言っても過言では無く、ぶちぎれた後は大して汚れも無いのに洗車したりすることもあった。その点に鑑みると、今は絶好のチャンスではないかと彼自身が思ったのだが、何故それに、怒りの根源であるを同行させなければならないのだ、とやはり憤りが募っていく。洗車を一度したくらいで静まるかどうかが怪しいくらいに彼は憤っていた。彼女の前ではその怒りも何故だか上手く発散できない。
なんて日だ!!!
愛車を勝手に買い出しのために使われるし、お気に入りの曲だけ集めたカセットテープはすべて車で聴けなくなってしまったし、洗車に付き合わされるし、散々だ。
ギアッチョはに諭されるがままに愛車を車道へと出すと、運転席のシートに身を預けたまま曇り空を見上げ、しばらく途方に暮れていた。
Reptilia
ジーンズ生地のショートパンツに、スクエアネックの白い無地のTシャツ。足元は濃いブラウンのグラディエーターサンダル。よくよく見るとは、洗車する気満々で買い物に出かけたんじゃないかと思わせるような格好をしていた。ギアッチョはギアッチョで、カーキのカーゴパンツに白いVネックのTシャツ、その上に黒のパーカーを羽織るという格好でいたので、すぐに洗車に取り掛かることができた。
いつもより露出が多い彼女の足についつい目がいってしまう自分を殴りたい気分になっていたギアッチョは、その怒りの矛先を目の前の彼女に向けようと口を開こうとするも、彼女の姿を視界に入れることがそもそも火に油を注ぐような行為だったのでに当たり散らすのはやめようと口を噤む。ギアッチョはクソがっ!と小さくぼやいた後、気に染まない様子でガレージのシャッター付近に備え付けられている蛇口へと向かった。洗車用のホースを蛇口にセットし、その末端付近を手にして水を出し車の近くへと移動する。石畳の舗装上に水が流れ落ちていく音に癒し効果でもあるのか、自然と彼の気勢は殺がれていった。
彼は車の赤いボディーに水をかけ始めた。まずは後部から、とトランクの蓋に水を撒くと、すぐさまが利き手にマイクロファイバー生地の黒い洗車グローブをはめて汚れを落とし始めた。が自分の立ち位置から離れた場所を、移動することなくそのまま拭こうとする姿がイヤにセクシーで、ギアッチョは動画サイトでいつぞや見かけた“ビキニ姿で洗車サービスするロシアっ娘”を思い出す。
今のの姿は動画の中のロシアっ娘程露出は多く無いが、男にとって何を着ているかは問題では無い。車に寄って身体を湾曲させている様だとか、身体が水に少し濡れている様だとか、そんな状態で無防備に尻を突き上げている様が大事なわけであり、後は脳内補正でどうとでもなる。
(っつーかオレは一体何考えてんだッ。発想がメローネじゃねーか!!最悪だ……)
彼はそんなやましい思いを往なすように手元の作業に集中するのとともに、愚痴を吐くことで気を紛らわせようとに話しかけた。
「そもそもなんでこんな雨降りそうな天気のときに洗車なんかすんだよ……」
「大丈夫よ。今日は雨降らないから。天気がいいと太陽の熱で水がすぐに蒸発するから、急いで拭き上げないとすぐ水垢になっちゃうじゃない。どうせなら愛車をゆっくり愛でる時間だって楽しみたいと思わない?」
「おい。お前の愛車じゃねーぞこれ。ってさっきっから何度も言ってるよなァ……」
「もう私の財産が少しつぎ込まれてるから共用と言っても過言では無いと思うのよね」
「過言だわ!!!」
車体側部、トランク近くの後方部分でリアフェンダーの泥汚れを落とそうと水をかけていたギアッチョ。彼はの横暴な発言にイラついて、手元で握っていたホースの口を強く握ってしまった。その結果、口が狭められたホースから内圧の高まりによって勢いよく大量の水が飛び出し、彼の対面に立ってトランク中央部を磨いていたの上半身に思いきりぶち当たる。
「わぶっ……!!」
「おまえ、ほんとさっきから色々むちゃく……ちゃ……あ……」
「ひゃあー冷たい!あははっ!私を外で洗うのには適さない天気よギアッチョ!」
そう言って笑いながら顔面を覆う水滴を空いた方の手の甲で拭う彼女はまだ、自身の上体に起きてしまった異変に気づいていない。
……メローネに毎朝伝えてるあの“色”……嘘じゃあねーのかよ……。
乾いた状態では少しも察知できなかったその色は、今朝方がメローネの質問に事もなげに回答していたものと同じだった。まさかこんな形でそれを認識することになるとは、と、近くでその会話を耳にして眉をひそめていたギアッチョは思った。ワインレッドのレース調のブラジャーが、濡れた白いTシャツによって浮き彫りになっている。そして胸部に濡れた生地が張り付いて、その形や谷間なんかをしっかりと強調していた。
「姉貴ィ~。オレ、釣具屋で買ったルアーをトランクに一つ落っことしてないか……な……」
悪いことは立て続けに起こるものだ。何かとタイミングが悪い。何故、ついホースを向けてしまった先にがいるのか。何故、事故が起こってすぐペッシがガレージに戻ってくるのか。全部タイミングが悪いせいだ。オレの所為じゃあない。断じて。
ギアッチョはホースから水を垂れ流したまま顔面に影を浮かべ、突然の来訪者へとゆっくりと視線を向ける。ペッシはのあられもない姿を目の当たりにしてぽかんとしていた。そして何故そんなことになってしまっているのか、と原因を探るための対面に目を向けると、世にも悍ましい形相でこちらに圧を放つギアッチョが静かに立っていた。手元には、水が流れ続けるホースがしっかりと握られている。
「あらペッシ。忘れ物しちゃったの?」
「うわあああああああああああああああああああ!!!」
「あら、どうしたのペッシ。ペッシペッシペッシ……」
「よ、寄らないでくれ姉貴!死ぬ!!!オレ死んじまうよぉおおおお!!うわあああああ兄貴ぃいいい!プロシュートの兄貴いいいいい!!!!!!!!」
「ホワイト・アルバム……ジェントリー・ウィープス……」
ペッシが顔を真っ赤にして後ずさりながら、兄貴と慕うプロシュートの元へ泣きつこうと踵を返した瞬間、氷でできた槍のような物が彼の横顔をかすめた。それはそのまま家屋内へつながる木製の扉へと突き刺さり、ペッシの行く手を阻んだ。銃口よろしくペッシの方へと向けられたホースの先から高圧の水が放たれ、彼のスタンド能力で超急速に冷凍された結果作り上げられたそれは、逃げようとするペッシの前方に容赦なく次々と打ち込まれていく。ペッシはあまりの恐ろしさにひぃ!と情けない声を一つ上げて、生まれたての小鹿がそうするように、両足をわなわなと震わせた。ギアッチョは持っていたホースを放り投げ、その辺の路地裏でメンチを切ってくるチンピラの様にポケットに両手をつっこんで、身体をゆっくりと左右に揺らしながらペッシの元に近寄って行った。に背を向けた状態でギアッチョはペッシの肩を抱くと、静かに耳元に唇を寄せて囁く。
「ダメだぜェペッシ。ちびりそうなくれーに怖くなっちまって泣くってんなら静かにすすり泣けなァペッシ。うるせぇからよォ。うるさくってオレの言ってることが聞こえねぇといけねー。いいかァペッシ……。言うんじゃあねェ。このことは誰にもなァ。特にプロシュートの兄貴には言うな。あのクソ風紀委員長に知れたらクソ面倒くせぇからなァ。あとメローネもだ。あのド変態野郎に後で根掘り葉掘り聞かれると厄介だからよォ。なあマンモーニのペッシよォ。お前イイ子ちゃんだからできるよなぁ?おら、返事しろペッシ。そしてオレがさっき言ったことを復唱しろ。さーんはい……」
「あ、ああっ……兄貴には、言わない……。風紀委員長みたいで、面倒だから。それと……メローネにも言わない。後で根掘り葉掘り聞かれるのが、面倒、だから」
「根掘り葉掘りってどーいう意味だコラあああああ!葉は掘れねーだろーが!ああ!?ふざけてんのか!?おいペッシ!てめーこの期に及んでまだふざけてんのか!?いい度胸しやがってクソがあ!!!」
「ひいいいい!!!!!」
ギアッチョの理不尽さは今に始まったことでは無いが、ペッシはこれほどまでに理不尽なことが今まであっただろうか、とまるで走馬灯を見るかのようにゆっくりと過去を振り返った。振り返った結果、いや、こんな理不尽は初めてだ!と思うのだが、それが分かったところでどうということは無いので、ただただギアッチョの怒号に身体を震わせながら、自分は今、どうか許してくださいとギアッチョに懇願しなければいけないのだ、と思考をすぐに切り替えた。
「ゆっ……許してくれェ、ギアッチョ。言わない、言わないよォ。ギアッチョが、の姉貴に水ぶっかけてエロいこと考えてたなんて、絶対言わな――」
「事故だあああああ!いいかペぇえええッシィいいいい。これは事故なんだよ。じ・こ・なんだ。別にオレが故意にやったことじゃあねぇーんだわかるよなぁ?お前その調子じゃ絶対口滑らすよなぁ?仕方ねーもうお前ここで殺しとくかァ?ああ?」
「い、いやだ!許して、許してくれギアッチョおおお!」
「ねえ、ふたりとも?一体何の話をしているの?それに、そのドアに刺さった氷柱は何なのギアッチョ」
「うるせぇお前は黙っとれ!!」
は下唇を突き出してふくれっ面になった後、出しっぱなしの水がもったいないとホースを持ち上げ、ひとり洗車作業に戻る。ギアッチョはが二言三言脅し文句をペッシへ投げかけると、ペッシは投げかけられた疑問文に全力で顔を縦に振って応答し、やっとリビングへ戻ることを許された。ペッシの後姿が氷柱の突き刺さったドアの向こうに消えるを見届けた後、ギアッチョは自分が身に着けていたパーカーを脱ぎながらの元へと近寄っていく。ふわりと上着を肩にかけられたは、目をまん丸くさせてギアッチョの方へ向き直った。
「ん?大丈夫よギアッチョ。私、別に寒くは」
「ちげーよ。そんな格好で外うろちょろすんなって意味だ」
「そんな格好?」
ギアッチョは彼女から顔を逸らしながら、彼女の胸のあたりを指さした。は胸元を見下ろすとしばらくしてやっと状況を把握したようだったが、恥ずかしがることもせずぷぷっと吹き出す。
「やだ!私てっきりペッシに嫌われちゃったんじゃないかって心配しちゃった!」
「そーじゃねぇだろ。てめーに恥じらいってもんはねーのか」
「こんなことでいちいち恥じらってたらメローネと同じ屋根の下で過ごせてないわよ」
「……確かにな。いや、その……何だ。悪かった……」
は唐突に投げかけられたギアッチョからの謝罪の言葉に驚いた。
「いいのよ。ありがとうギアッチョ。おかげであなたの意外な一面を見ることができたわ。それに……」
は自分の肩にかけられたパーカーに腕を通してフロントファスナーを閉めると、両手で首元の布地を掴み上げて顔に近づける。そしてギアッチョが首元に付けていた香水の残り香を楽しんだ。
「彼シャツみたいなの初めてで嬉しいわ。これシャツじゃあないけれど」
「嗅ぐな!マジでおめーもメローネとどっこいどっこいの変態だよなァ……。クサくねーかよ?」
「ぜーんぜん。とってもイイ匂いがするわ。彼シャツって幸せな気分に包まれるのね。シャツじゃあないけれど」
「……それシャツの方よこせって言ってんのか?」
「あなたの裸パーカー姿見てみたい」
「裸エプロンみてーに言うなよ……」
こうして、ひと悶着はあったものの、ギアッチョの愛車の洗車とコーティング作業は無事完了した。翌日になって、ギアッチョは愛車に乗って出かけようとガレージへ向かった。シャッターを開けて車を外に出すと、青く晴れた空の下、愛車の赤いボディーはいつもより輝いて見えた。ギアッチョは満足げに微笑むと、ガレージの扉を閉め、運転席に身を収める。エンジンをかけ、によって新しく取りつけられた真新しいオーディオ機器の再生ボタンを押すと、聴きなれた音楽が、クリアな音質で流れ始める。ギアッチョは驚いて、コンソールボックス内を漁り、恐らく仕舞われているであろうCD-Rのケースを探す。目当ての物を探し当てたギアッチョは、空のCDケース内側の四つの爪に挟まれた正方形の紙を見つける。その紙には、今オーディオの中で回っている円盤の曲目が、綺麗な文字で書かれていた。
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス、ペイント・イット・ブラック、マイ・ジェネレーション、移民の歌…………。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フ―、レッド・ツェッペリンと、ギアッチョが好んで聴くアーティストの代表曲が名を連ねている。彼がもう聴けなくなったと心の中で嘆いていた、あのカセットテープに入れていた名曲たちが、そっくりそのまま、CD-Rに焼かれているらしいのだ。そして十二曲に及ぶ“ギアッチョ・オーサム・ミックス VOL.1”と気取った風に英語で題されたアルバムの最後を飾る曲名の隣には、のコメントが書き込まれていた。
“12:Whatever/Oasis 疲れたときはこれ!安全運転で気を付けて行ってらっしゃい!チャオ!”
あいつ……案外できた女じゃねーか。
ギアッチョはいつになく上機嫌で、愛車のアクセルを踏み込んだ。
後日、ギアッチョはカセットテープがたくさん入ったボックス片手にの部屋を訪れた。彼が録音して溜めていたカセットテープ内の音源をCD-Rに焼いてくれと頼むと、奇跡的にすべてのCDアルバムをコレクションで所有していた彼女が、労せずして彼の依頼を完了させ、頼んだ本人が仕事の速さに驚愕したというのは、また別の話だ。