私は食にこだわりが無い。味覚障害があるわけではない――と自分は思っている――けれど、イギリスで数年間学生時代を生き延びることができたので、少なくともグルメではない。普段、不味いものは不味い、食えないと突っぱねることくらいはするのだが、不味い料理でも他に選択肢が無く、仕事のためにどうしてもエネルギー補給が必要となれば突っぱねることすらせず胃に収めてしまうだろう。そんな自信がある。
あの国の料理は不味い。それはあの国の民ですら認め自虐的なギャグとして他国民に言いふらすような、皆が知るステレオタイプ――いや、地理、歴史に基づく事実だ。決して偏見や悪口などではない。
イギリスは、今から一万年ほど前まで国土の約三分の二が氷床に覆われていた。土地は氷食により地表の養分が削り取られてできたが故に痩せている。そこで育つ野菜と言えばジャガイモくらいだ。だから、多種多様な野菜を駆使し、創作意欲あふれる目にも美しい料理を作ってやろうと、あの国の先人達はそもそも思えなかったのだ。
裕福な貴族たちは野菜に目もくれず、とにかく家畜の肉を食らった。そんな国で産業革命が起きる。おいしい料理を作るため、素材に下味を付けたりする時間、仕込みに使う時間すら惜しくなる。労働者にはより多くの利益を生み出してもらうため、とにかく働いてもらわなければならない。そこで効率よく安価にエネルギーを補給できるよう、フィッシュ・アンド・チップスが生み出される。片や金持ちの紳士たちはやっぱり、牛肉をただ焼いて食らっていた。それが、由緒正しきジェントルマンのお作法だった。決して意地汚くあってはいけないという質素思考だ。
このように、労働階級においてその日暮らしを余儀なくされ、食にこだわりを持つ余裕すら無いような人々と、肉しか食べないジェントルマンが国民のほとんどを占めていた国で、食文化が盛り上がる訳もない。郷土料理と呼べるようなものも誕生しない。DNAに刻まれているのか、現代に至っても国民が大して食に興味を持っていない。
そうなるのは無理もないと、私は思う。資本主義社会においては、ほとんどの大人が労働者だ。労働者は仕事で忙しい。仕事が忙しくなり熱中していると、何を食べようかと思い悩む時間すら惜しくなる。味の良し悪しより、短時間にエネルギー補給ができるか否かということの方が、何を食べるかという意思決定に大きな影響を及ぼしてくるのだ。
そういうわけで、学業に励んでいた私はイギリスという偉大な国で食に対するこだわりを失くした。おかげで、食事はもとより料理になど時間をかけたくないという思いはより一層深まってしまった。料理はここ数年ほとんどやっていない。わざわざ自分で不味い料理をつくらなくても、幸い食を大事にする国民が多く住まう美食の国イタリアでは、一歩外へ出ればすぐに美味しい料理にありつけるからだ。
「私に料理ができないのは、あなたの生まれ故郷のせいだわ。シド」
「なんでそれをオレに言うんだよ。てか社長、ヒマかよ」
明日から一週間程度、休暇を取ることにした。社長になりたてで慣れない日々を送り続け、その上ギャング組織の幹部になってコワいおじさんたちがわんさと集まる幹部会に乗り込んだりしたので、端的に言えば疲労困憊している。なので、例の別荘でゆっくりしようと思っていた。その内の何日間かを、イルーゾォ――ああ。早く彼に会って、思いきり抱きしめられたい――と共に過ごす予定だ。
あの別荘、人目に付かない山の中にあるという点で非常に都合が良いのだが、ひとつ問題がある。人里離れた別荘なので、料理は自分でやらないといけないのだ。自分一人山にこもるのなら料理人を雇ってもいいのだが、イルーゾォがいる手前、どこから情報が漏れるか分からないのでよく知りもしない第三者を迎え入れることはできない。
となると、私自らが包丁を握り――握れない――野菜などの皮を剥いたり――剥ける気がしないが――しなければならない。だから今、過去最高に思い悩んでいる。イルーゾォに、料理もできないのかと失望されたくない。彼の期待を裏切りたくない。だが、これから練習するには圧倒的に時間が足りない。
決裁の必要があるものは粗方目を通しサインをして片付けてきた。もう会社を出たって何も問題ないという状態なので、シドの自宅兼職場にグチをこぼしに来たのだ。だから、ヒマといえばヒマだが、ヒマな割に心に全く余裕がない。誰か私を助けて。
「シド、料理得意?」
「あんたが今しゃべりかけてんのはイギリス人だ」
「ええ、そうよね」
「それに、料理なんか人間がやることじゃあねーんだよ」
「さすがにそれは言い過ぎじゃない?」
「例えば今オレの手元にあるピザだが」
「ピッツァ、ね」
「うるせぇよ。で、このピッツァは、機械で大量生産された冷凍食品だ。だが、死ぬほど美味い。なのになぜ人間が料理に時間をかける必要がある? ラザニア――」
「ラザーニャ、ね」
「そう、そのラザーニャだって、機械に作ってもらえる。で、クソみたいに美味い」
「クソみたいに美味いって……美味しいのかマズいのか分からないわね」
「いいか、。オレが言いたいのは、だ。イタリア人の創造力と食への探究心は素晴らしい!だが、食いもん売ってまともな利益を得るためには、産業革命が必要だった。だからイギリス人もすごい。要は、持ちつ持たれつ。各々が得意なことをやれば、物事ってのは上手くいくんだ」
まったく、シドの言う通りだと思う。けれど、私は何か金銭的な利益が得たくて――要は、仕事のために思い悩んでいるわけじゃない。
「あのね、シド。例えばなんだけど……カミッラが料理できなかったらどう思う?」
「なんでカミッラが出てくる……」
「あなた、カミッラと付き合ってるんでしょ」
「……ちょっと、一回デートしただけだよ」
「まあいいわ。カミッラが……好きな女の子が料理できなかったとしたら、どう思う?」
「だからさ、そもそも聞く相手間違ってんだよ。クソみたいな冷凍ピザでも死ぬほどウマいって言うんだぞ、オレは。それがカミッ――いや、好きな子が一生懸命作ったものだってんなら、ダークマターだってうまいうまいと唸りながら食うわ」
「やーん。シドってば優しい〜」
「で、あんた一体何に気を揉んでんだよ」
シドの顔は見えないけれど、彼のオーラが言っている。一企業のトップとパッショーネの幹部を兼任する、世にも恐ろしい女が何を恐れるって言うんだよ、と。向かうところ敵なしじゃあないのか、と。
私はイルーゾォに捨てられたくない。この世で唯一愛した男性に見限られたくない。今このときをただそれだけで生きている。思うに、彼こそが最強の男だ。私が私として存在する所以である私の魂を、心を、彼は握っているのだから。
イルーゾォの喜ぶ顔が見たい。あの、常に傲慢そうな表情を浮かべている彼が、心の底からの安心と幸せを享受していると分かる笑顔をそばで見ていたい。そのためなら私は何だってする。彼が、おまえの手料理が食いたいと言うのなら、私は彼のために練習する。今日からでもやる! 頑張る! 私は彼のために、世界一の料理人になってみせる!!
でも、明日には無理だ!!
「ひとんちで勝手に悶々として頭抱えるのやめてくんね?」
「料理ができない女なんかいらないって、イルーゾォに捨てられたらどうしよう」
「もし本当にそうなったら絶望するしかねーよな。まあでも、あれか。あのおっさんの力を借りてロマーノさんの命を救うことはできた訳だから、まったくの無意味ではなかったよな。ご愁傷様です。お疲れさまでした社長」
「なんか冷たくなったわよね、あなた。カミッラに夢中でそれどころじゃないって感じがひしひしと伝わってくるわ」
「ふははは。とにかくさ、男の立場からひとつ言わせてもらうとするとだ――」
シドは今日初めて私の方へ体を向けて、真正面から言った。
「――もしあんたが料理や洗濯の類まで一流家政婦ばりに完璧にこなせちまったら、スキが無さすぎる。オレなんかいらないよなって、あのおっさんは尚更思うだろうな。ただでさえ稼ぎという面でこの世に生きとし生ける大半の男のプライドをへし折っているあんたなんだ。ちょっとは人より出来ないところを見せた方がいい」
「ううん……。本当にそうかしら」
「つか、あんだけのことやっといて、今さら料理できないってだけでフるわけねーだろ。もしフられたら、その程度の関係だったって思って諦めろよな」
ピコン、という小気味よいメッセージ受信音が鳴ると、シドは瞬く間にパソコンの画面に向き直った。きっとカミッラだろう。カミッラと彼が出会う前まで、こんなことは一度も無かったから。シドはメッセージを読みたいのに私がいるせいで読めないって風にウズウズしている。そして失敬にもモニターに顔を向けたまま、動物でも追い払うようなジェスチャーを見せて言った。
「わかったらとっとと出て行ってくれよ。ここは恋愛相談室じゃあねーんだ」
「はーい。シドも、デート頑張ってね」
「うるせぇ」
「カミッラと、楽しんで」
「うるせぇうるせぇ!!」
「自然体でね。そのお面は外しなさいよ」
「気が向いたらな!!」
そう。自然体でいいんだ。変に見栄をはったりしないで、ありのままの私を愛してもらおう。料理ができないままの私を。
とは言っても、食事をどうするかという問題は依然として目の前に立ちはだかったままだ。料理の練習はするにしても、その末に出来上がったものはおよそ人に食べさせられるような代物じゃないだろうから。
一応、適当に食材を買い込んで置こう。あ、その前に何を作る練習をするか決めなきゃいけない。そのためにはまず、本屋へ寄ってレシピ本を買わなきゃ。食材を買い込むのはそれからだ。保険のために、機械が作った冷凍食品も買い込んでおこう。お酒もいるわ。あと、お酒と一緒に、簡単につまめるようなものも。それから――
Side Story: 社長は料理ができない
一朝一夕に身につけられるスキルなんてものは存在しない。それは分かっていた。とくに、料理なんて慣れとかセンスとか、自分の好みに合わせて、説明書に書いてないことについてまで微調整したりといったことが必要になるものだ。だから、人間が身につけ得るあらゆるスキルの中でもとくに、習得にまで時間を要するもののはず。しかも、習得したと言えるレベルは、自分が満足するものを作るか、人を満足させられるものを作るかで全く違うとくる。
私が美味しいと思っても、イルーゾォが美味しいと思ってくれるかどうかはまた全くの別問題だ!
ほぼ半日キッチンに立って料理をしているうちにそんな結論に至ると、私はサジを投げた。いや、正確に言うと、投げたのはサジでなくレードルだけど、そんなことももうどうだっていい。
色が変わるまで葉物野菜を煮込んだせいで、全くおいしそうに見えないスープ。私はこのスープを見ている時に絶望的な気分になって、レードルを流しに放り投げたのだ。くったくたになって水面を漂うほうれん草は、この液体が人間が食べるには適さない危険な物であると色で訴えている。
ボロネーゼ。ナスを入れるタイミングが分からなかったので終盤に思い出したかのように入れたから、何かシャキシャキとしている。味がしない。コレジャナイ感がすごい。おかしいな。説明の通りにやったはず――レシピ本に目をやる――やれてなかった。そしてベースになってるソースがそもそも美味しくなかった。あ、何か入れ忘れてる気がするけど自分が何を入れたかすら思い出せない。
唯一の自信作。生ハムと旬野菜のサラダ。ドレッシングは買ったもの。イルーゾォに胸をはって提供できそうなのはこれだけだ。
そんなこんなで、ぐちゃっと色々とっ散らかったキッチン。片付けるのが嫌になるほどのカオス。けど、さすがにこんな光景は見られたくないから片付け――
ブーッ。
――あ、終わった。時間切れの合図だ。玄関のブザーが鳴った。私はエプロンを身に着けたまま慌てて玄関に向かい、モニターで外の様子を伺った。すると、フェルナンド・フランチェスコ――父がパッショーネの幹部を務めていたことと、今はその後釜に私が座っていると知っている数少ない社員のひとり――の姿が見えた。
『さん。例の方をお連れしました』
彼には、空港に着いたイルーゾォをこの別荘まで連れてきて欲しいと頼んでいた。やっとイルーゾォに抱きしめてもらえるんだ!
私は玄関の鍵を開け、扉を引く。すると、フェルナンドを押し退けるようにして、イルーゾォが私との距離をつめた。
「! おまえ、怪我をしているのか!?」
ひどく慌てた様子で彼は私の両頬を両手で包み顔を優しく持ち上げると、額のあたりをじっと見つめた。大きな手のひらで垂れた髪を頭頂部に撫でつけ――頭を撫でられて、胸はより一層に高鳴った――おでこに、美しい峰を描く彼の鼻が近付いた。
「なんだ、良かった。ケチャップか」
ああ。いやだ。三歳児じゃあるまいし、私はおでこにケチャップを付けて愛する人をお出迎えしたんだわ。イルーゾォがくすくすと笑うので、私はほっぺたを膨らませて怒りをあらわにすると、彼の背中を押して家の中へと押しやった。振り返ってフェルナンドに心からお礼を言うと、彼はどこか楽しそうにニコニコと笑顔を浮かべ、ごゆっくり、と言って帰っていった。
フェルナンドの乗る車が緑の向こうに消えるまで見送ると、私は玄関扉を閉じ、鍵をかける。さて、イルーゾォはどこかしら。リビングを見渡しても、そこに彼の姿は無い。ぞっとしてすぐさまキッチンに目をやると、カウンターの向こうで呆然と立ち尽くすイルーゾォの姿を発見した。私は悲鳴を上げた。
「これ、おまえが作ってたのか」
と、イルーゾォが言った。
「……おなか、空いてるかなって思って。あ、あのね、でも私……普段お料理しないから、慣れてなくて……きっと、というか絶対に美味しくないから食べないで――」
と言っているそばから彼は流しに放り投げたレードルを取り上げ軽く水道水ですすぐと、魔女が毒薬を作り上げたみたいな絵面の鍋に突っ込んでスープ――と私が呼んでいるだけの何か――を一口すすった。
「――食べないでって言ったのにっ!」
私は慌ててイルーゾォのそばへ駆け寄って、恐る恐る彼の顔色を伺った。私が彼なら確実に眉をひそめるくらいはしそうなのに、彼は涼し気な顔でいた。その上、何がどこにあるか知らないはずなのに、テキパキと色々な調味料を足していく。
私には彼が何をしているのか全く理解できなかった。つまり、多数の傷病者であふれかえる医療現場におけるトリアージにより、確実に死んだと医者に断定された死人に救命措置を施しているようなものとしか思えなかった。これがドラマなら、やめて、もう死んでいるわと涙ながらに説得すべきシーンだ。
「ほら、食ってみろ」
しばらく煮込まれた液体。鍋から掬われ、小皿に移された汁を差し向けられた。私はおずおずとそれに手を伸ばしてそれを受け取り、気が進まないながらも飲んでみる。
「――っ! おいしい!」
美味しかった。なんでだ。
イルーゾォは誇らしそうにニヤリとしながらも、このときは何も言わず、次の患者の蘇生に取り掛かっていた。ボロネーゼ――にするつもりで作った何か――だ。
ケチャップやコンソメ、ウスターソース、砂糖、ガーリックパウダーなどなど、私が思いつきもしないようなものを、レシピも何も見ずに追加していく。火にかけながらそうしているうちに、茄子はいい塩梅にくたっとなる。
「本当なら、茄子は最初に軽く素揚げするんだがな」
と、何かすごくカッコいいことをさらっと言って、彼はまたスプーンに掬ったボロネーゼソースを私の口元に持ってきた。ふうふうと息を吹いて熱を冷ました後、スプーンを口に含む。
「美味しい! すごい……すごいわ! イルーゾォ、あなた料理の天才なの!?」
「そりゃあ褒めすぎだ」
満更でもなさそうに照れ笑いをしながら、彼は手際よくスパゲッティを茹で始めた。今初めて気付いたのだが、いつの間にかパスタポットではたっぷりのお湯がすでにぐつぐつと音を立てて煮えている。
私は彼の華麗なる手捌きの前に、ただただ唖然として突っ立っているしかなかった。
こうして料理と呼べるものが出来上がった。皿に盛られ、ダイニングテーブルの上に現れたのは、私が最初に手にかけてしまったおかげで一度死んだ食材たちが、イルーゾォの手によって蘇生され、生還を果たした立派な姿だった。
「おまえが途中まで作っていてくれたおかげで、早くメシにありつけたぜ」
いや、あれで一応完成させたつもりだったんですが。などと心の中で呟きつつも、私は出来上がった料理をイルーゾォと向かい合いながら頬張った。あんなことになっていた食材たちを、どうやればここまで美味しくできると言うのか、理解が追いつかない。最初はそう思って眉間に皺を寄せていたのだけれど、次第に美味しい美味しいと言いながら――言っているように聞こえるだけかもしれないが――皿に顔を突っ込む猫のような倒錯状態に陥った。
イルーゾォも相当お腹が空いていたのか、食器いっぱいに盛ったサラダ、スープ、そしてスパゲッティを黙々と胃に収めていた。こうして、出会った当初予定していた初めてのランチタイムは言葉少なに終わった。私は食後にコーヒーを淹れ――さすがに、コーヒーを淹れるくらいは出来るので安心してほしい――、カウチソファへ向かった。
イルーゾォは外の景色をぼうっと見ながら寛いでいた。長い脚が先の方でクロスする形で投げ出されている。背中を背もたれにもたせ掛けているおかげで、細く引き締まった腰の様がよく分かった。そして、ブルネットの長い前髪が作る丘からスラリと伸びる鼻筋。表情は見えていないが、その佇まいだけでも完璧に見える。こんなに完璧な美しさを持つ男が、料理まで完璧にこなせるなんて反則だ。私の立つ瀬が無いじゃないか!
肘掛けに肘をつき、ぼうっと外の景色を眺めていたイルーゾォは、マグカップを持ったまま彼の姿に見惚れていた私の方に顔を向けた。ふたつのルビーがはめ込まれた彼の端正な顔にじっと見つめられることには一生慣れそうにない。私はドキドキと胸を高鳴らせながら、イルーゾォの隣に腰を下ろし、前のテーブルにマグカップを置いた。すると、イルーゾォと私との間にあるスペースが気に入らないとでも言いたげに、彼は腰を横へ移してその空間を埋めた。
ピタリと合わさった腰。彼の熱がじわりと伝わってくる。それだけではなく、彼のガッシリとした長い腕が肩にまわされて、そんな風に背中をピンと伸ばしたままでいるんじゃなく、おまえも寛げよ。面接じゃあねーんだぜ。と言われる。そう言われると面接のように感じ始めてしまう。もしもこれが本当に面接なら、これほどまでに緊張するのは初めてだ。私は緊張を解そうと、横一文字に引き結んだ口を無理やり開いて言った。
「イルーゾォ。あなたが仕上げた……というか、蘇生した料理、とっても美味しかったわ。私が殺した食材たちを、生き返らせてくれてありがとう」
イルーゾォは何のことかと思ったみたいで、しばらくぽかんと私の顔を見た後に言った。
「ありゃ途中だったんじゃあねーのか」
「いいえ。私はあれで完成させたつもりでいたのよ」
「ほ、ほう……。そうだったのか」
言われてみれば思い当たる節――例えば、色が変わるまで煮込まれたせいで変色してくたくたになったほうれん草が水面に浮かんでいたこととか――があったみたいで、イルーゾォは慌ててフォローに回ってくれた。
「うちじゃあ、あの程度の手直しは日常茶飯事だぜ。逆に味が濃過ぎるときはもうどうしようも無くなって、パスタの量を増やして味を薄めたり、水を足しまくったりするしか手立てが無かったりするんだが……それよりかなりマシな方だ。ちょっと手を加えるだけで済んだんだからな」
「そう?」
イルーゾォの顔色を伺う。すると彼は何故か顔を真っ赤にして、肩に回した方の手で私を抱き寄せ頭を撫でてくれた。
「慰めてくれてるのね。ありがとう」
「まあ、誰にだって得手不得手はあるもんだよな。正直、おまえより出来ることなんか何も無いと思っていたから、少しホッとしてるぜ」
「何言ってるのよ。スタンドの能力でも、私あなたには勝てないわ」
その能力で私の命を救ってくれた強いイルーゾォだからこそ、私は恋に落ちてしまって、ギャングの仲間入りまで果たすことになった。やっぱり、最強なのはイルーゾォだ。
「ねえ、夜はあなたがイチから作った料理が食べてみたい。お客様に料理させるなんて、よくよく考えたら最低だけど……」
「気にするな。材料はあるんだろう?」
「ええ。たっぷりとね。それに、きちんと労働の対価は支払うわよ」
「ほう……?」
対価と言えば、私にとってはお金なのだけれど、イルーゾォにとってはそうじゃなかったらしい。
「そりゃあいい」
そう言って彼は私をソファーの座面に押し倒した。首筋に甘く噛み付いて、うっすらと歯型が残っていることを舌で撫ぜて確かめる。そのあと耳元で、今にも牙を剥いてしまいたいという欲を必死に抑えるようにうなった。
「対価におまえを食えるってんなら、いくらでも働いてやるよ」
まだ昼間なのにとか、前のカーテンウォールのせいで外から丸見え――もちろん、私有地内に入ってくるのは虫や動物くらいだけど――なのにとか、そんな私の焦りにはお構いなし。でも、彼の手料理を毎食味わえて、その上彼にこれでもかと愛してもらえるなんて、いい事づくしじゃないか。
すぐにそう思い直した私は、自分の主導権をイルーゾォへ譲ったのだった。
(fine)