「はいこれ。借りてた分」
「珍しく早いわね」
「臨時収入よ臨時収入」
今日も今日とて友人はきつい香水の香りを纏って、丁寧に塗られた右手のマニキュアを眺めている。私には爪を伸ばす習性が無いので、よくやるなーって思いながら彼女の長いそれを見つめていた。きっと男を取り合ってキャットファイトでもやるつもりで武装してるんだろう。この女豹の爪の餌食になる女が可哀想だ。つくづく仲間で良かったと思う。そして彼女は彼女で、いつもと変わらない私の格好を見て、ああ学習しないんだなって表情を浮かべてる。
言っておくと、これは学習した結果だ。
「なんのバンドか知らないけど、バンドTシャツにショートパンツって……どうなの?」
「ほっとけクソビッチ」
「あんた口悪すぎ。そーゆーとこよ。そーゆーとこがダメだって言ってるのよ」
「それ毎回言うよね。あんたの趣味のおかげでひどい目にあったのよ。いつもの悪態くらいつかせてよ……」
「あら。どうしたの?何かあったの?」
他に愚痴をぶちまける場所も無いので、せっかくだから話を聞いてもらおう。例の事件から一週間が経った今日この日、私は初めて鬱憤晴らしの機会を得たのだ。―――イルーゾォという男に、酒に酔った状態で襲われ恥辱を受け、何故かそのまま付き合うことになったという不可思議な事件。その経緯を話し終えると、友人は腹を抱えて笑い始めた。
「え。何で笑うの?笑うとこなくない?」
「ぷっ……くーっ、ぷぷっ……!ごめん!あんたらしいというかなんと言うか」
「え。私らしい?どの辺が?あんな格好してたのあんたの所為だし」
「あんたあのドレス買うときノリノリだったわよ。あの時もう酔ってたの?ハイヒールだって自分で買ったじゃない。それにしたって、酒飲んで職場で泥酔とか、あんたじゃないとやらないわよ。そりゃー犯されて当然と言うか……!おめでとう!彼氏できてよかったじゃない!」
「いや良くないわ。私は全く腑に落ちてないのよ」
「とりあえずまず、あんたの彼氏のことを聞かせて!どんな男なの?」
「……んんんーーーーー、どんなって言われても……」
「じゃあ、まず顔はどうなの?平均より上なの?」
「平均……って何」
「あんたの会社の中での平均でいいわよ」
友人には私がどんな仕事をしているか、事業規模がいくらなのか、なんて話はしたことがない。私をどっかの会社の事務員だと思い込んでる。私が働くのはギャンググループの暗殺を受け持つチームというヤバいところであって、うちの職場は平均なんて取るのも難しいびっくり人間の見世物小屋だ。だが、顔だけで言えば、割と平均値高めなんじゃないだろうか。
今までアジトの連中のことなんて職場仲間以上の存在と意識したことも無かったので、異性として顔を見たことが無かった。そして連中も連中で私のことを女扱いなんてしてくれたためしがない。よく言えば、いや、超プラス思考で言えば同じ暗殺者として対等に接してくれている。
そんな私の視点で、改めて彼らを異性として評価すると、リゾットパパはイケメンだけど無表情だし、プロシュート兄貴はモデルかってくらいくっそ美形だけどプッツンすると怖いし、メローネはただの変態セクハラサイコ野郎の残念美人だし、ギアッチョはキレ芸しか披露してこないスーパーパーマネントメガネだし、ホルマジオは二枚目だけどその実はただのやりチン坊主だし、ペッシはカワイイけど観葉植物だし、ソルベとジェラートに至ってはもう彼らだけの世界を作り上げてるし……。で、イルーゾォは?イルーゾォのこと私どう思ってた?
顔は……カッコいい。身長も高くて、胸板は厚くて逞しいのに腰回りが細くて、色気がある。
「顔もスタイルもいいと思う。たぶん平均以上」
「ふむふむなるほどね。はい次、身体の相性」
「え、ちょ、たんま。もうそれ?」
「大事でしょ。男女ふたりっきりでやることなんて限られてるし、付き合いはじめてからも結婚してからも、延々と続けないといけないのよ。超重要事項でしょ」
正直な話をすると、今まで付き合ってきた男とのセックスは大体が淡泊だった。私の身なりの所為か、寄ってきた男は皆面倒見のいいお姉さんが好きなタイプで、Mっけが強く、大体私が満足する前にフィニッシュしてた。……だから、正直な話、イルーゾォとしたときすごく興奮したし、気持ちよかったし……あいつも言ってたけど……。
「相性は良かったと思う」
「ほうほう。次。収入」
「収入はワタシと一緒。だから普通」
「じゃー最後!性格」
そう。今私が悩んでいるのはそこだ。性格ひねくれてるし、なんかお高く留まってて偉そうだし、見下してくる感じがある。それに加えて一週間前のあの出来事。鏡の中の世界に私を囲って犯すというゲスさ加減。改めてあの時の自分の判断を疑ってしまう。本当にこれで良かったのか?
「性格は良く無いね。というか、酔った女を手籠めにしてる時点でヤバいヤツでしょ」
「でも、あんた逃げる気あった?」
「……酔ってたし」
「ははーん。さてはまんざらでも無かったわけね?」
「うるっさい!!」
「犯されるって言ったって、イケメンでナニがデカくて殺されなきゃ別にいいわよね」
「おい本性出てんぞクソビッチ」
実は、あの後まだ一度も正式にパートナーとなって初めての行為に至っていない。正直なところ、したくてたまらない。自分自身、こんなに性欲が強かったのかってびっくりしてる。
顔をまっかにして頭を抱えて伏せた私の表情を、友人が覗き込んでニヤついてる。
「欲求不満で爆発しそうな顔してるー」
「……でもほんと、あれからまだ一回もしてないし、誘ってもこないの。というか、この一週間ほんとに付き合ってるのかってくらい普段通りで、あの男が何を考えてるのか全くわからないのよ……。って、こんなこと考えてるってことは、私がアイツのこと気になってるってことじゃん?何かそれでプライドが傷ついてるって言うか!だいたいさ!付き合い始めて初めての金曜の夜じゃん今日!?デートとしてごはんとか映画とか、何かしら誘うよね普通!?やっぱアイツおかしいわ!もう期待しないし私からなんて絶対誘ってやんないもん!!!」
「彼氏のこと好きすぎじゃん……」
「好きじゃねェ!!!癪なだけ!!ってかアイツほんとに彼氏!?わかんなくなってきたわ!!」
今夜も酒が進む。アイツはオレ以外の男の前であんな格好するなって言ってたけど、今日もそんな格好で帰ってやろうかな?こんなこと考えて気を引こうとしてるかまってちゃんな自分がものすごくこっぱずかしいし、自暴自棄になってるのも分かってるけど、ああ……酒から手が離せない。
「……ちょっと、あんた飲みすぎ。そろそろ水飲んで帰りましょ」
「やだあー!もう私のことひとりにすんのー!?」
「あんたはもうひとりじゃないでしょう?」
ひとりじゃない。本当にそうなのかな?私のこと、本気で彼女にする気あるの?それとも、あれって夢だったのかな?酔ってたし、夢でもおかしくない気がしてきた。ああ、アジトに戻るのが怖い!
「武装……私も武装しなきゃ……」
「はぁ?何言い出すの急に」
「また服買って!」
「……いい兆候だわ。あんたも晴れてビッチの仲間入りってわけ」
「見た目だけそうやって武装できたらいいの!」
「ああ。あんたって可愛いところあるのね。本当はかまってちゃんで甘えたがりなのに、彼氏の前では強がっちゃってるんでしょう?素直になりなさい。そっちの方がだいぶ楽よ?」
「……嫌だ。癪。癇に障る。ね、早く。あんたの趣味で武装させて」
「はいはい。トータルコーディネートは私に任せなさい。超ビッチにしてあげる」
「よしきたぁ!やったるぜ!!」
私は急いでグラスに残っていたスコッチを飲み下すと、会計を済ませ、友人と二人で近場のこぢんまりとしたセレクトショップへ向かった。
「もうえっろいのでいいから。くっそエロいやつで」
「もちろん!クラブ帰りで何人かとやってきましたって感じでいくわよ」
「そうそう!そんなかんじで勘違いさせられればもう完璧!」
そう言って友人が手に取ったのは、ワインレッドのタイトめなパーティドレスだ。一週間前に買った黒のボディコンワンピよりも生地の身体への密着度は控えめ。だけど、正面からだと女の私でも目のやり場に困るくらいにざっくりとフロント部分が開いている。申し訳程度にレース調の生地で胸元を覆っているけど、逆にそれがエロさを増長させている。
「こ……これは……」
「うーん。これだと下着もハーフカップで胸寄せ効果のあるヤツ買わなきゃかっこつかないわね……。でもこの色!きっとあなたにピッタリよ!」
ニコニコと超上機嫌であれもこれもと手に取る友人をただ茫然と眺めるしかなかった私。金持ちの彼氏持ってるから自分の金を使わなくて済むのか、金銭感覚が麻痺しているのか……レジの電子画面に映し出された金額が百五十万リラ近くになっている。
「え!?買うの!?何か戻すのかとてっきり」
「ダメよ!全部要るの!なんか楽しくなってきちゃって」
「お金……二カ月に跨ぎそうなんだけど」
「ああ、気にしないで!いつでもいいし、返せそうになかったらプレゼントにしてあげるわ!」
「わーい!ありがとー!!」
これから飲み代全部私持ちってことで手を打ってくれないかな。我ながらいい親友を持ったもんだと感嘆し、買ったものをすべて身に着けるため、再度試着室を貸してもらうことに。
「わーお!超セクシー!最高よ!」
「うひひ。ありがとー」
「あとはメイクを直せば完璧!」
こうして私はまた慣れないハイヒールでアジトへの帰り道を歩く。でも今日はお酒は飲まない。飲み足りないけど、でも、今日はイルーゾォに主導権は握らせない!
02: 開け放たれた世界で捕まえて
「ただーいまー」
そう言ってがアジトへ戻ると、玄関の扉を開けた先にメローネが立っていた。
「……あんた誰だ?」
「だよー」
「そっ、そんな格好するヤツだったのか?オレの知ってるじゃないぞ……」
メローネの視線はの胸元にくぎ付けで、彼女がリビングへ進むと、それに伴ってメローネの視線も動いたが、あまりの衝撃に身体が言うことを聞かないのか、首から下は硬直したままだった。そんなメローネの顔面を鷲掴みにしてどかしながらは奥へと進んだ。
今日はほとんどのメンバーがリビングでくつろいでいるようで、男たちはの姿を見るなり会話を止め呆然とした。開いた口が塞がらない彼らの様子に満足したのか、は薄ら笑いを浮かべて腰に手を当てる。その豪然たる態度は、まるで配下の者たちに命を下そうと玉座より立ちあがった女王さながらだった。
「ねえ。イルーゾォ知らない?」
そう問いかけてもすぐに返答は無い。
「ねーちょっと、聞いてる?」
「その前に、お前は一体誰だ?」
この場にいる男全員が思っていること。それをいの一番に口にしたのはプロシュートだった。
「だよー」
は無表情で腰に手をあてながら、もう片方の手をらひらと振って答えた。
「だよーじゃねーよ。お前みたいなビッチうちにはいないぞ。いるのは年中Tシャツ短パンスニーカー姿で色気ゼロのじゃじゃ馬だけだ」
「失礼かよ!じじい視力いくつだコラ。色気ゼロのさんが目の前に立ってんだろーがっ」
一同はいつもの女らしからぬ言葉遣いのを見てほっと安堵の溜息を漏らした。もしや女スパイがアジトを嗅ぎつけ、暗殺者チームの人間を殲滅しにきたのではないかとまで思った者もいるほどに、今、彼らの目の前に立っている女はとはまるで別人に思えたのだ。
普段であればプロシュートはの暴言を聞くと女性らしくしなさいと彼女を宥め諫めるのだが、この時ばかりは彼も何も反論せず、いつものだとほっと胸を撫で下ろすのだった。
は投げかけた問いに答えを得られないまま、下唇を突き出して、ざわつくリビングを眺めながらしばらくその場に立っていた。だが、リビングのテーブルに乗せられたワインやらビールやらウイスキーやらに目を留めると、わーっと、まるで少女が公園の綺麗な花やかわいい猫を見つけて近づくときのように目を輝かせ、はホルマジオの隣の空いたスペースめがけて歩み寄った。
「私も飲むー!ねーいいでしょー?」
ホルマジオがぎょっとした顔での姿を見ると、彼の顔を覗き込むに向かって無言で首を縦に振った。彼は普段こういった飲みの場では、何気なく―――それは女としてでなく男友達にするような感覚で、の肩を抱いて談笑するのだが、今夜ばかりは気軽にそんなことができそうにないと息を呑んだ。
ペッシは口をポカンと開けて彼女の姿に見とれていて、ギアッチョは怪訝な顔でを伺っていた。メローネは相変わらず身体が動かせない様子でフリーズしており、ソルベはタバコに火をつけて顎を天井に向け口から煙を吐き出して、ジェラートはソルベの膝上から身を乗り出し、目を輝かせていた。
「ねえ!何かあったの!?」
「別に……何かあったってわけじゃないけど……」
「嘘だね!何かないとそんな格好しないでしょ」
「というか……何も無いからこんな格好してるというか……。ああもう詮索しないでよねジェラート。とりあえず、クラブ帰りなの。飲み足りないんで今ここで飲んでやるのよ」
「がクラブだと!?なんか天変地異でも起こりそうだな」
ホルマジオがのけ反って顔を引きつらせる。クラブ云々は完全にの嘘なのだが、こんな格好をしている理由を追及されては面倒だと思って張った予防線だった。別にここにいる男たちにビッチだなんだと罵られどう思われようがどうでもよかった。今夜の彼女の目的は、金曜の夜に誘いも何もしてこなかったイルーゾォ(彼氏)に一泡吹かせてやるということだけなのだ。
恐らくイルーゾォは、これだけの男たちに自分のお色気むんむんなこの格好を見られているというだけで怒るだろう。もちろん、それはイルーゾォが付き合おうと言った時の言葉が嘘で無かった場合に限るのだが……この状況だけで十分すぎるほどに彼の怒りの炎を燃え上がらせることが可能だとは踏んでいた。
でも、もう少し足りないわね……。ホルマジオがいつものように、酒に酔って肩を抱いてくれば最高なんだけど。
そう考えるはとても悪い顔をしていた。そしてホルマジオの空いたワイングラスを見つけると、近くに置いてあったワインボトルに手を伸ばし、酒を注いだ。ホルマジオは、それはオレのグラスだと言いたそうにの様子をじっと見ていたが、程なくしてそれが自分に差し伸べられると、彼女が飲むつもりではないということを察し黙ってそれを受け取った。
それからというもの、ホルマジオがグラスを開けるたびにはすぐさまワインを注いだ。そこに酒があれば飲んでしまうのか、ホルマジオは自制する気配を全く見せず、に与えられるがままに酒を飲み下した。赤ワインが無くなると次はウイスキーを注いだが、グラスと酒の種類がマッチしていないことには誰も突っ込まなかったし、それを呷る本人も、自分が胃に流し込んでいる物がワインなのかウイスキーなのかと考えてすらいないようだった。
ザルという訳では無いのか、ホルマジオは次第に呂律が回らなくなり、ふらふらと頭を揺らし始める。そしてそのふらつきを抑えるためか、の肩を抱きはじめた。
「よぉ……お前、そんな格好してるとよォ……なんかムラっと来ちまう。ああああオレの気が確かじゃあ、ねぇーんだろうな……。お前に欲情するとか一生涯、いや、死んでもねーと思っていたのによォ。……さっきからテメーの胸が気になって気になって仕方がねぇ」
「あんた尻派だと思ってたわ。ホルマジオ」
は最後に酒を飲んでから大分時間が経っていたので、ほぼ素面に戻りつつあった。ホルマジオが期待通り酔ってくれたおかげで、は上機嫌だったが、テキトーに隣の酔っ払いをあしらうことだけはしっかりとやっていた。
しめしめとが思っている矢先、タイミングよく玄関の扉が開く。は自分のグラスに入っていたウイスキーを一口すすると、気だるそうな雰囲気を滲ませながらゆっくりとリビングに向かって来る男を挑戦的な眼差しで見据えた。
イルーゾォはリビングのソファーで、露出の激しいドレスに身を包んで、あろうことかホルマジオに肩を抱かれた状態でウイスキーに舌鼓を打っている(彼女)を目の当たりにした途端、額に青筋を浮かべ下唇を噛み締めた。
「……お前……いい度胸していやがる」
「なんの話よ」
「……ッ、こっちに来い」
これは思い描いていた通りの反応だ。は左手首をイルーゾォに掴まれ、乱暴に彼の方へと引き寄せられる。ホルマジオは自分の腕の中から突如としていなくなったの姿を追うが、なぜ突然そうなってしまったのか、その原因を視界で捉える前に彼は睡魔に襲われ、が座っていたまだ暖かなソファーの座面に顔を突っ伏すことになった。リビングで酒を呷っていたメンバーたちは皆へべれけか寝ているかのどちらかで、がイルーゾォに連れ去られたことに気づいた者はいなかった。
「一体どういうつもりだ?」
イルーゾォはを自室に連れ込むなり、彼女を壁際に追いやり、退路を塞ぐように覆いかぶさった。
「何?私何か悪いことした?」
「なんなんだこの格好は」
「これ?友達に買ってもらったの。彼氏ができたお祝いだって。ねえところで、私の彼氏って誰だったかしら」
「……オレが一週間まともに話しかけもしなかったんで、不安になったか?」
はイルーゾォを挑戦的な目で見据えながら、悔しそうに下唇を噛んだ。
「……そうよ。自分でもびっくりしたわ。あんなことの後なのに、私、考えることと言ったらあんたのことばかり。バカみたいに、あんたに話しかけられるの期待しちゃってたのよ」
「それで、するなって言ったことをやって気を引いて、あろうことかホルマジオのヤツと絡んでるのを見せつけたってわけか」
「そうよ。……効果あった?」
は片一方の口角を釣り上げて笑っていた。イルーゾォはそんな彼女の視線に中てられて、一瞬くらっと眩暈を起こしそうになった。ごくりと唾を飲み込むと、意を決したように、そして余裕がなさそうに呟いた。
「悔しいが認めてやる。効果覿面だ」
イルーゾォはの瞳を見つめてそう言い放つや否や、彼女の唇にかじりつき、背中にあるドレスのジッパーを引き下げた。は素面だったが、以前の様に何も抵抗を見せることなく、イルーゾォによって進められる自身の脱衣を手伝った。
床に打ち捨てられた新品のドレス。揃えられることも無く放りだされたハイヒール。目的を達したそれらが今後クローゼットから取り出されることがあるかどうかは疑問だ。だが、は思惑通り、欲するものを手にすることができたのだ。この場合の百五十万リラが高いかどうかは、彼女のみぞ知るところだ。
「どうしてっ……ねぇ、どうして誘ってくれなかったの?私、ずっと待ってたのに。あれが夢だったんじゃないかって、不安で不安で仕方がなかった……」
イルーゾォはをベッドへと押し倒したあと彼女の身体を荒々しくまさぐりながら、首筋に歯を立て、吸い付き、べろりと舌で舐めあげたりしていた。その間にに投げかけられた問いに答えるか否かと迷って数秒黙ると、再度おもむろに口を開いた。
「恋人なんて作ったの初めてなんだよ……。どう接していいか分からなかった」
「嘘!?ど……どうて――」
「違う!さすがにこの歳でそれはねーだろ!」
「だよね。びっくりした」
は怪訝な顔でしばらく黙っていたが、どうもこのイルーゾォの恥ずかしそうな顔を見るに、恋人を作るのが初めてでという発言に嘘はなさそうだ。そう思うと、一転して彼女は嬉しそうな笑顔を見せた。
「つまり、デートなんて何すればいいか分からないんで、声をかけたくてもかけられなかったと……そういう事?」
「ああ。それにチームの中じゃあ、あまり大っぴらにはできねーだろ」
「そう?私は別に構わないよ」
はイルーゾォの頬に手のひらを沿わせ、うっとりとした表情で優しく撫でると、感触を楽しむように、自身の唇をイルーゾォのそれにゆっくりと重ね合わせ押し付けた。
「うち、恋愛禁止なんてルールあったっけ?今度リゾットに聞いてみましょう?もしダメって言われたって、私言うことなんか聞かないけどね」
イルーゾォには、そう言って悪戯っぽく笑う彼女がどうしようもなく愛しく感じられた。始まり方こそ純粋なものでは無かったが、彼は今、確かにに恋をしていた。
「頼むから、もうあんな格好で帰ってこないでくれ……」
には、そう懇願する彼が、つい一週間前に見せた“彼の世界”での強気な彼とはまるで違って見えた。女性相手に独占欲を抱くという初めての経験に困惑しているようだ。
はふと、部屋の壁掛け時計に目をやった。文字盤は通常通り。―――ここは、鏡の中の世界じゃない。
「なら、ちゃんと捕まえてて」
挑発されたイルーゾォは乾いた喉を沁み出した唾で潤し、の唇を唇で塞ぐ。舌を押し当てると、暖かいの舌がそれを出迎えて、奥へと誘った。
互いに与え求め合う快感。暖かさに満たされる感覚。そんな甘い予感に酔いしれたふたりは、暗がりの中で静かに互いを貪り合った。