恋する策士の部屋で夢を見る

 ホルマジオに部屋に呼ばれた。一緒に酒を飲もう、だって。

 え? 何。変なこと考えてるだろって?

 そりゃ、考えてる。だって、それについて考えないということは、身に迫る“危機”に対して無防備でいるのと同じだから。ありとあらゆる可能性を頭に思い浮かべて、起きてしまうかもしれないことへの対策を事前に考えておくのが、我らが暗殺者の基本……というか、それ以前に、うら若き乙女が当然備えておくべき危機意識。

 ホルマジオは手が早いともっぱらの噂だ。そして酒が好きだ。金が好きだ。この手の男性が女を自分の部屋に連れ込んでやることといったらひとつしかないはずだ。まさか、今後のチームのあり方についてとか、今後自分たちは暗殺者としてどうあるべきか、なんてことを夜通し語り明かそうなんて、高尚(?)なことを考えているはずがない。

「おい。そんな警戒心丸出しな顔すんなよ」

 少ししょんぼりしたようなホルマジオの顔。それを見てかわいいと思ってしまったのは、私が少なからずこの人に好意を抱いているからだろう。だから、いい機会だと思った。見た目通り、手が早くて軽率な男なら世の女性たちを代表して直々に正義の鉄槌を下せるわけだし、そうでなければ彼に貼り付けてしまったレッテルを剥がしてやれる。

 事実、彼はチームの中で最も気が利くし、女心を分かっているし、優しくて頼りがいのある兄貴分だ。そしてこれはオマケだが、とても私好みの顔をしている。スタイルもいいしね。……ここまで彼をべた褒めしているのたがら薄々勘付かれてしまうかもしれないが、私はホルマジオが大好きだ。正味な話、誘われてからずっと脳内はお祭りサンバカーニバル状態。だけど、そんな内面は表に出さずに、私は平静を装い、顔を引きつらせているってわけ。

「一体何のために、わざわざあなたの部屋に行ってお酒を飲まなきゃならないの」

 ああもう。私のバカっ! どうしてそうツンケンした物言いしかできないの!?

「相談があるんだよ」
「相談なら、ここでだってできるでしょ」

 私が今、ここ、と言ったのは、リビングに入る扉の前。玄関から中へ入ってすぐの暗がりだ。扉の向こうからは、リビングの明かりとどんちゃん騒ぎによる――主にギアッチョが酒をあおって暴言を吐きながら何か物を投げ、それを鎮静化するために皆が頑張ることで起きている――騒音が漏れ出ている。

「うるさくってそれどころじゃあねーだろ」
「ここならまだマシじゃない」
「いや、落ち着かねーな。全然落ち着かねー。オレの内面を吐露しようっていうそんなときに、立ち話なんかしたかねーし、そもそも、とってもうるさい。うるさくて話に集中できない。わかるだろ?」

 わかるだろ? と言いながら、くらがりで肩に腕を回される。瞬間、身体に微弱な電気でも流れたかのように、私の肩はぴくりと跳ね上がった。ホルマジオの体温が首の後ろを、彼の掌が二の腕のあたりを覆っていて、その指先がそろそろと素肌に触れる。私は身をこわばらせながらホルマジオの顔を見やった。

「何よ。何の相談?」
「いいだろ、別に。なんだってよ。とにかく、オレはその話についてここで何か喋るつもりなんかないんだ。おまえとふたりきり、静かな場所でゆっくり酒を飲んではじめて喋れそうな話なんだ」
「でも、お酒は?」

 酒なら今手元にある。そう、ちょうど、リビングで大騒ぎしている人たちに頼まれて、ふたりで買い出しに行った帰りだった。ホルマジオは重い酒類を片腕に下げて、私はスナック菓子なんかを抱えている。そういう構図だ。私の認識では、買ってきた酒はすべてリビングに持っていくべきものだった。でも、ホルマジオは違うみたい。

「オレが今持ってるのから何本かかっぱらうさ。おまえは自分の好きな菓子をそこからかっぱらえばいい」

 言うなり、彼は片腕に抱えていた袋から何本か缶ビールなどを引き抜いて、とりあえず廊下に置いた。かっぱらったとリビングにいる皆に悟られないための処置。ホルマジオはこちらの了承も得ないまま、すっかり部屋でのサシ飲みに興じる気でいるらしい。

「ねえ、私まだ、あなたの部屋に行くって言ったつもりない」
「なんだ。おまえの部屋がいいのか?」
「いや、なんでその二択!?」

 わ、私の部屋にホルマジオを呼ぶなんて、とんでもない!! 顔が真っ赤になっているのが分かった。顔が、瞬時に爆発しそうなくらいに熱を持ったから。薄暗いし、たぶんそれはホルマジオにバレてない。バレてない……はず。バレていませんように。

「いいだろ別に。オレの部屋に来いよ。何もやましいことしようなんて思っちゃいねーよ」

 やましいことって、例えば? ……それは誘われてすぐに考えたことだ。飲み屋でたむろってる派手めな女の子相手にしそうなこと。ねえ、すごく絵にならない? ホルマジオがそうしてるのってさ。誰ともなしに嫉妬する。――なら、いいよね。今夜は、彼の隣にいるのが私でも。それに、本人はそもそも、そんなことしないって言ってるし。大丈夫。大丈夫。

「わかった。そう言うなら」
「よしきたッ!」

 そう言ってガッツポーズをきめてにかっと笑うホルマジオもまた、少年みたいでかわいいな、なんて思ってしまった。

 こうしてホルマジオだけ、買い出しで得た酒と菓子の数々を持ってリビングに入っていった。しばらくして戻ってくると、床に置いたままだった缶ビールを拾い上げ、私が腕に抱えていたお菓子たちを白いネットの買い物袋に入れて歩き出した。私もまたおずおずと歩きだして、彼の部屋にまでついていくのだった。



 ホルマジオの部屋に入るのは初めてだった。成人男性の部屋が一般的にどれほど片付いているものなのかは知らないけど、たぶんこれは平均よりキレイな部屋だ。物は少なく簡素で、寝床の上でシーツがたたまれずにうじゅっとなっている以外、目につく乱れはない。例えば、ゴミがそのままにしてあったり、服が脱いだままの形でほったらかしになっているとか、そういうことは一切無かった。そして、彼がいつも使っている香水がほのかに香る。総体的にとても好印象な部屋だ。

 ベッドのマットレスは床に直置きされていた。私の部屋と大きさは変わらないはずなのに、広々と感じるのはそのせいだろう。その広い空間を一通り見回して、視線をホルマジオの背中に投げると、彼は壁に立て掛けておいた折りたたみ式の小さなローテーブルをベッドの前に設置した。テーブルの上にかっぱらってきたお酒を並べると、彼はベッドに腰掛けて隣のスペースをぽんぽんと手の平で叩いた。

「ここ座れよ」

 言われて、私は言われるがままホルマジオのベッドに腰掛けることになった。――ホルマジオのベッド!
――私のおしり一・五個分くらいのスペースを空けた隣に、ホルマジオがいる。彼のベッドの上。喉が引きつったみたいになって息苦しい。そんな人の気も知らずに、ホルマジオはテーブルの上から缶ビールを一本取って開封すると、それを私に手渡した。

「あ、ありがと」
「ん。何か食うか?」
「ポテチ食べたい」

 ホルマジオは白いネットの買い物袋から私の注文通りの物を取り出して、それも開封してテーブルの上に置いた。開けた口を私に向けて。なによこの待遇。気が利く、なんてもんじゃない。――それにしても私、さっきからホルマジオのこと褒め過ぎ。ちょっと冷静になって考えてみて。生じゃまずい素材を料理して食べやすくしようって魂胆なだけかもよ? そう。私の警戒心を解いてね。この場合、言われるがまま酒を飲むのも止めておいたほうがいいかも。けど――喉乾いちゃったな。大して夜ご飯もまともに食べてないからお腹も空いてるし。

 こんな調子で、私は順調に警戒心を解いていった。ホルマジオは何か楽しそうに喋っていて、私も楽しくなって、ふにゃふにゃと笑いながら適当に相づちを打つ。ところで。

「何か相談があるんじゃなかった?」
「ん? あー」

 ホルマジオは缶ビールを一口啜って一呼吸置くと、ゆっくり話し始めた。

「好きな女がいるんだ」

 一気に酔いがさめた。

 この動揺は、確実に悟られた。そう思ったんだけど、ホルマジオはこっちの気も知らないで、何か楽しそうに笑ってる。そして続けた。こっちの気も知らないで。

「そいつは、全然オレに気がなさそうに振る舞うんだ。つれねー女でよぉ」
「ふーん」

 少し安心した。でも、だからってホルマジオが好きな人のことを諦めるって言ってるわけじゃない。

「でもたぶん、オレのこと好きなんだよ。たぶんだけどな」

 何か嬉しそうに微笑んで、天井かどこかをぼうっと見つめながら、そう言った。彼の心はきっと、今、ここにない。ついさっきまで彼は私のものって思えてたのに、まったくの気の所為だったみたい。彼はすぐ隣にいるはずなのに、一気に遠のいた気がした。それで何か突然虚しくなって、たぶん私の心も今ここにあらず。バイバイ、私の恋心。先に部屋に帰ってな。

「いつもツンケンしててよ」
「好きの裏返しかもね」

 私がそうだったのに。私は気づいてもらえなかった。

「そうだといいよな。……でも、ツンケンしてばっかじゃあねーんだよ。たまーに笑うんだ。笑うとかわいいんだぜ。最高にかわいい」

 最高に、か。いいな、その子。ホルマジオにそんなふうに言ってもらえて。でもね、ホルマジオ。女の子は大抵、笑うとかわいいもんだよ。女の子じゃないホルマジオだって笑うとかわいいって、私は思うんだからね。

「メシに誘えば誘いには乗るんだが、オレよりメシの方に興味があるみてーでさ。ここぞとばかりに奢らせんだよ、オレに」
「いい根性してる」
「だろ? 大して高価なレストランで食わせてるわけでもねーんだが、たらふく食って、幸せそうに笑って言うんだよ。おごちそうさま、また誘ってってさ」

 いい子じゃん。――私はますます虚しくなる。

「で? その子と付き合いたいの? そのためにどうアプローチすればいいかとか、そんなことを私に聞きたいの?」

 私以外の女の子にアプローチなんかさせたくないから、悪いけど力にはなれないよ。私はぬるくなって気の抜けたビールを飲みながら、心の中でそんなことをつぶやいた。

「うーん、まあ、そうだな。おまえなら、どうアプローチされたいか聞かせてくれよ」
「そんなの、人それぞれ違うと思うんだけど」
「いいから、言ってみろってば」
「それって、アプローチしてくる相手のことを私も好きっていう前提でいいのよね?」
「そりゃもちろん、そうだろ」

 私は想像した。隣にいるホルマジオにもし、好きって言ってもらえるなら、どんながいいか。

「好きな人に好きって言われるならどんなでも嬉しいよ。別に何がプレゼントに欲しいとか、どういうシチュエーションがいいとか、どんなロケーションがいいとか、そんなの……全然無いな、私は」

 好きな人に好きって思ってもらえるだけで最高に幸せだ。私の思いはもう叶いそうにないから、ますますそう思う。――悲しくなって、目に涙が滲むのを感じた。ダメだ、早くここから逃げ出さなきゃ。

「参考になんかなんなかったでしょ? ごめんね。ろくに相談に乗れなくて。……私もう眠くなっちゃったから部屋に戻――」

 そう言ってベッドから退いて、テーブルの上の空き缶やゴミを拾い上げようとしたら、伸ばした腕の手首を掴まれて、すごい力で引っ張られた。私は突然のことに驚いて態勢をくずし、ついつい目を瞑ってしまって、はっとして目を開くと、ホルマジオが若気た顔で私を見下ろしていた。

 私は今、ベッドに仰向けになっていて、ベッドの所有者に覆いかぶさられている。そう気付いたのは、そう言えば引かれた腕とは反対側の肩を、彼と向かい合わせになった後に掴まれて後ろに押し倒され、その後背中にマットレスが衝突したんだと、起こったことをゆっくり辿りながら思い返した後だった。遅すぎるよね。だって、こんな態勢になるなんて想像出来るはずが無い。――乙女が当然持っておくべき危機意識は、恋心と一緒に先に自室へ帰っていたらしい。

「しょーがねーな」

 ホルマジオはやっぱり、どこか愉快そうににたにた笑っている。
 
「何? なんなの……?」
「全部おまえのことだって、まだ分かんねーのかよ。鈍いにも限度ってもんがあんだろ」
「……え?」

 待って、待って。どういうこと?

 そう思っても、全てが理解できずに開いた口は開いたままで何も言葉を発せない。

「安いメシをすげーうまそうにたらふく食って笑う、色気より食い気な女も、普段はツンケンしてるけどたまに笑う女も――」

 ホルマジオは、私が倒れた時に頬に覆いかぶさった髪を、右手の折り曲げた指の側面で払いのける。

「――その笑った顔が、最高にかわいい女も、普段のツンケンしてんのが好きの裏返しで、オレになんか気は無いって方意地張ってるツレねー女も――」

 続けて、真剣で、優しげで、慈しむような――今まで見たことも無いような微笑みを浮かべて、私にとどめを刺した。
 
「――オレが好きな女ってのも全部、おまえなんだよ。

 これはきっと、夢だ。酔って、きっと私は、ホルマジオのベッドで寝ちゃったんだ。
 
「でも、だって、ホルマジオ、好きな人いるって」
「それがお前だって何回言えば分かるんだよ。いい加減怒るぜ」
「普通好きな人がいるんだって好きな人の前で言わないでしょ!?」
。それがオレの戦略なんだよ。いや、悪かったとは思うぜ。オレがおまえに好きな女がいるって言った途端、目に見えて動揺するし、その後魂抜けたみたいになって完全にシラけちまったしよ。おかげで、あ、こりゃーぜってーオレに気があるな、と確信できたワケだが、同時に、しょんぼりしたおまえがまたかわいくてしょうがなくてよ、ついついいじめたくなっちまって――」

 あ、もうダメ。無理。我慢できない。悲しかったのと惨めだったのとびっくりしたのと嬉しいのと安心したのとで訳がわかんなくなってこみ上げてきて、溢れ出そうとするのを止められない。

「――って、な、何も泣くこたぁねーだろーがッ!!」
「だって、だって……私、絶望したんだよ? ホルマジオに、好きな人他にいるって言われて」
「いや、他に、なんて一言も言ってねーよ」
「それはっ……そう、だけどっ」

 泣き顔なんか見られたくなくて手のひらで顔を覆っていたら、しょうがねーなっていう口癖と一緒に、マットレスの空いた方のスペースが床に向かって沈み込んだ。その後また肩を掴まれて、今度は背中をテーブルの方へ向けた横寝の態勢にさせられる。ホルマジオの腕が首の下からすべり込んできて、上半身が密着した。手の甲と、顔の周り、胸のあたりが急に暖かくなる。上に乗っかった方の腕の先は、背筋を下から上へとゆっくり辿っていった。そして項を撫でて、そのまま大きな手のひらで後頭部を包み込んで、私の額を胸へと押し当てた。ホルマジオの心臓は、厚い胸板の向こう側で早鐘を打っている。――私と一緒だ。

「こんなの、夢だ。夢に決まってる」
「夢じゃねーよ」
「ホルマジオが私のこと好きだなんて、夢に決まってる。そうじゃなかったら、おちょくってるんだわ。嘘ついてる」
「ほう。そんなにこれが現実だって認めたくねーのか。なら、今は夢の中にいるんだって思ってたってオレは構いやしねーよ。夢だから、現実のオレはきっと覚えちゃいねーしな。……どうせ夢なんだから、思い切って言っちまうといい。おまえはオレのことが好きなのか?」

 どうせ夢なら。ホルマジオが覚えていないなら、わざわざ自分の気持ちに嘘なんかつく必要もないよね。

「好き。私、ホルマジオのことが……大好き」

 夢の中のはずなのに、私の言葉に反応するようにホルマジオの腕はきつく私を抱きしめた。身体はさらに密着して、彼の熱を拾う面積が広くなる。こんなリアルな夢、普段は見ない。普段の夢で、ここまでリアルに熱も音もにおいも感じない。もしかすると、夢じゃないのかも。
 
「ああ、クソッ……! かわいすぎかよ」

 ホルマジオが耳元で呟いた。言われてすぐに喉がキュッと狭くなって、窒息寸前だ。

「なあ、オレもこれが夢じゃねーかと思えてきちまった。だからひとつ提案がある」
「何? 夢の中のホルマジオ」
「まず、酔いを覚まそう。これから一切の飲酒を禁止する」
「うん」
「そして、おまえはここで寝る」
「……そ、それは――」
「何もしない。絶対、誓って何もしないと約束する。あーでも、どこまでならいいんだ。今この状態は許されているわけだから、抱きしめるまではいいってことでいいな?」
「う、うん。いいよ」

 何かいいように押し切られてる気がするけど、仕方ないか。
   
「よし。そうして、お互いが起きるまでじっとここにいる。そして、朝に言うんだ。これからよろしくねってな感じのことをな。ここまで済ませれば、今夜の出来事は夢じゃなかったってことが証明される。それでどうだ」
「わかった。そうしよう」

 こうして、私はホルマジオのベッドで一夜を過ごすことになった。部屋の明かりを消してベッドに戻ってきたホルマジオに後ろから抱きしめられて、喉がまたキュッとなって全身が硬直する。こんな緊張状態で眠れるはずもない。対するホルマジオはと言うと、寝床について秒で寝てしまって――遊び疲れた子供かよ――部屋に誘われてすぐ期待……もとい、危惧していたことは意外にも起こらなかった。私はホルマジオに貼り付けたレッテルを剥がし、認識を改めた。

 策士、ホルマジオ。彼は欲しい物を手に入れるためならば手段は選ばない。誘導尋問の果てに女の子を泣かすことも辞さない覚悟。結果良ければ全て良し。でもそれは、私も同じかもしれない。泣かされて、呼吸困難にまで追いやられても、彼に、最後に好きだと言ってもらえて、この上ない幸せを感じているわけだから。

 どうかこれが、覚めることのない夢がずっと続きますように。

 そう願うのと同時に私はからだの緊張を解いて、心地よい体温にくるまれながら、深い眠りに落ちていったのだった。




(fine)