人には皆等しく誕生日というものがある。今息をしていようがいまいが、今現在人間でいたり、人間であったりした者には必ず誕生日があるしあったりした。自分には誕生日なんてものはない。そういうヤツがいるなら挙手してほしい。だが気をつけろ。もしそんなヤツがいたとしたら、そいつは人間じゃない。いや、生物ですらない。だからこれだけは、大した学の無い私にだって断言できる。皆に平等に、誕生日というやつがある。プランクトンにだってあるんだから当たり前だ。自分が生きてるのか死んでるのかすら分かってなさそうなプランクトンなんかと分け合う平等なんかこっちは別段求めていないのに、誕生日というヤツはやっぱり生きとし生けるものすべて、皆に、平等にありやがる。
そう生物ですらないものを目の敵にしなくても、という人もいるだろう。確かにそうだ。きっと、誕生日という概念を知ることが無ければ、そして、自分の誕生日がいつかなんてことを知らずにいられたら、私はここまで誕生日を憎んでいない。あ、そうそう。私がパッショーネは暗殺者チームで暗殺者として食い扶持を稼ぐことになったのは、別に他人の誕生日が憎くて憂さ晴らしのためってわけじゃない。誕生日という概念そのものが嫌いだったら、毎日が誰かの憎き誕生日なわけだから、生きているのがイヤになること間違いなしだ。そうでなくても十分イヤになるような毎日を過ごしてきたっていうのに、そこまで自分で自分を苦しめ追い込むような思い込みはしない。あくまで、私が憎んでいるのは自分の誕生日だ。三百六十五日、あるいは三百六十六日の内のたった一日を、私は死ぬほど憎んでいる。
幼少期になまじっか幸せな誕生日を過ごしてしまったからだ。それさえなければ、私は誕生日という一日を平穏に過ごせたはずなのに。忌々しい。
それが私の誕生日。誰もいない。とても奇妙な日。日がな一日あなたのことを考えてる。外に出て、公園のひなたに座って、空を見るの。ああ、なんて痛ましい日。私はこの日が嫌い。私ってなんて小さな存在なんだろうって感じさせるから。
「――ところでおまえ、自分の誕生日がいつかわかんのか?」
チームに配属されてすぐの頃、ホルマジオとふたりきりになったときにそんなことを聞かれた。チームに入りたてほやほやの私に気を利かせて、何か喋ろうと頑張ってくれた結果なのか、ただの暇つぶしかは知らないけど、残念ながらそれは、喋りたくない自分の話堂々のワースト一位に輝く話題だ。悪いけどあまり盛り上がらないよ、と心の中で一言断って、私は言った。
「まあ、一応。……母さんが生きてた間は、祝ってもらえてたのを覚えてる」
とは言え、話しかけてもらえるのは嬉しかった。それになんだかこのホルマジオというお兄さんは、暗殺者のくせして優しいのだ。さらに、私も暗殺者のくせして割と素直なタイプだ。だからついつい、余計なことまで喋ってしまった。
「へえ。おまえは幸せもんだな」
「……どこが?」
「オレなんか、いつ、誰の股から産み落とされたかもわかんねーんだぜ。だから当然、オレは自分の誕生日なんてもんを知らねーし、一度だって誰かに祝ってもらったことがねー」
「ないものねだりだね。アタシはあなたが羨ましい。できることなら、誕生日なんか知りたくなかったな」
「変な女。……で、いつなんだよ」
「聞いてどうするの」
「さあな。覚えてたら、何かしてやるよ。で? いつなんだってば」
あんまりしつこいから、言ったら誕生日についての話はやめるだろうって期待してついに口走ってしまった。期待通り、彼はすぐに誕生日の話をやめた。そして気が済むまでタバコをふかすと、屋上から姿を消した。
秘匿すべき忌々しい日。何かしてもらえる? 生まれてきてくれてありがとう。あなたは神様からの贈り物。ブラーブラーブラー。そんな言葉を添えて? いやいや、期待なんかしちゃダメ。そんな誕生日、私にはもう二度と来ない。
「――おまえ、猫が好きなのか?」
休みの日。ホルマジオに夕食に誘われた、その帰り道。公園のベンチに人懐っこそうな猫を見つけたので、何も言わずに彼から離れて猫に近寄った。あわよくば触れるかもと期待していたのに、ホルマジオが声を出した途端に猫は毛を逆立てて逃げてしまった。
「逃げちゃった」
「なんだよその目。オレのせいって言いたいのか?」
「かもね」
「言っておくが、あの猫はおまえが近寄り始めたときから警戒してたぜ」
「そう?」
アパートの近くに公園がある。その、よく足を運ぶ公園にも猫がいる。定位置は公園の真ん中にある噴水の縁石の上。まるでシンクロナイズドスイミングみたいに片脚をピンと上に伸ばして、おなかの毛を舐めるのが得意なあの子。やっとその子だけ懐いてくれて、最近逃げなくなって、ついこの間なんかスリスリまでしてくれた。
猫は好きだ。ひとりでいても平気そうだし、そんなメンタル強そうなやつらが、柔らかくってあったかくってカワイイときている。最強とはまさに彼ら猫のことを言うのだと私は思う。それに、こちらが心を開いて根気強く接していれば、大抵は心を開いてくれる。開いてもらえなくても、きっと何か、人間にトラウマでもあるんだろう。そう諦めがつくし。そんなこんなで、気楽じゃないか。この世界に期待していない私の、伴侶にするにふさわしい存在。ねこちゃん。ああねこちゃん。
「オレも猫は好きだぜ」
まだ、私が猫が好きだとは言ってないのに、彼はオレもと言った。まあ、猫は好きだけどね。
「柔らかくってあったかくって、それだけじゃなしにカワイイと来てる。まるで女みたいだ」
「その発想は無かった」
「この国の男どもがどうして好きな女に仔猫ちゃんって呼びかけるか考えてみろ。至極当然の発想だろ」
「……なるほどね」
それはともかく。猫は好きだ。付かず離れずな距離感でいることが許される。何も言わずに、ただ身を寄せてくれる温かい存在。受け入れられているかいないかはどうでもよく、ただそうしてもらえるだけで、こっちは心が落ち着くのだ。願わくば、そんな存在が――猫ちゃんが家にいてほしい。けれど、日々命を奪って生きている私が、他の命に責任を負うなんてことができるはずもないし、決して許されない。それも、私がそう思ってるってだけの話だけど。
「ああ……癒やしが欲しい」
つい、本音が口をついて出てしまった。殺伐とした日々に、癒やしが欲しかった。家に着いたら待ってましたと出迎えてくれる――猫が待つのは私じゃあなくてごはんの方だろうけど――癒やしの代名詞、猫ちゃんが。多くは望まない。それだけでいい。でも、そんな望みすら、私にとっては高望みに違いない。
ホルマジオは、ああ、オレもそう思う。そんな感じのことを呟いただけだった。きっと彼や、その他大勢の、この世に不満を持つ人が日々そう思っているであろうことを、私は呟いただけだった。けれど、その不満を解消すべく何か具体的なアクションを起こすほどの気力もなく、ただただ日々が、時間が過ぎていく。自分の命のために、自分のことだけを考えて生きていくので精一杯。そんな人生。きっとそれは、これからも変わらないだろう。
こんな調子で、私は自分の人生から多くを遠ざけてきた。間違っているとは思わない。だって、何かを手に入れたら、それがなくなってしまうときのことを考えなくちゃいけない。考えると、やっぱり自分は孤独な方がいいんだという結論に至る。そうして誰も私の人生に立ち入ってこなかったから、それでよかった。けどたまに……そう。そのたまにっていう日が、例の自分の誕生日――三百六十五日、あるいは三百六十六日の内のたった一日――なわけだけれど、どうしようもなく寂しくなるのだ。無駄を排除しきったスマートな人生。そう称して自分を納得させても、結局のところ、孤独を思い知らされるとへこむものはへこむ。そんな日だってある。
それが私の誕生日。誰もいない。とても奇妙な日。日がな一日あなたのことを考えてる。外に出て、公園のひなたに座って、空を見るの。ああ、なんて痛ましい日。私はこの日が嫌い。私ってなんて小さな存在なんだろうって感じさせるから。
ああ、なんてこと。今日はあの猫さんの姿すら見当たらない。完全にひとりぼっちだ。――空をずっと眺めるのにも飽きちゃったので、私は家に帰ることにした。嫌いだけど、こう何度も一人ぼっちの誕生日を過ごしていると、案外慣れちゃったりもするもの。けど、寂しいは寂しい。そう思う。
いつもと変わらない、特別でも何でもない夜ご飯を一人で食べて、お風呂に入って、テレビドラマを見て、寝る。いつもと変わらないけど、より孤独を実感させられる誕生日。
ホルマジオは……私の誕生日なんてきっと忘れてる。変なの。私、一体何期待なんかしてるんだろう。
いつもの誕生日とは、今日は少しだけ違った。夜、ひとりで眠りにつこうとするときに、誰か他の人のことを思い浮かべるなんてしたことがなかった。けどやっぱり、ますます寂しくなって、私は初めて、誕生日の夜に泣いた。
I don't like this day
私がまた一年をただ何となく過ごして、また何となく、生きていくために人を殺しながら――罪悪感は、そりゃ少しはある。誕生日に孤独を感じてセンチメンタルになるあたりで、私が心のないロボットじゃないということは分かってもらえるかと。だけど、仕方ない。こっちもただ生きるのに必死なんだ――三ヶ月が過ぎた頃の、なんでもない日。その夜に、玄関のドアベルが鳴った。
私はぞっとした。だって、私を訪ねてくるような友達なんかいない。ただひとり、私の住処を知っている人はいるが、もしその人――ホルマジオなら、一体何用だろう。
私は慎重に慎重を期して、音を殺して玄関に忍び寄る。扉に触れないようにして、ドアスコープから扉の向こう側を覗き見る。
あ、やっぱり、ホルマジオだ。
胸が少し高鳴った。でもどうして? リゾットが急に仕事でも振ってきた? その伝達のため? いやいや、ああだろうかこうだろうかと考える前に、扉を開ければいい。けれど、でもどうして? と、まったく予期せぬ出来事に動揺してなかなか手がドアノブにまで達しない。そのうち、いるのかいないのかはっきりしろとでも言うように、彼はぐいっと顔をレンズに近づけた。胸は大きく跳ね上がった。そして、きゃっなんて小さな声を上げてしまう。顔が急に火照ってきた。きっと耳も顔も今は真っ赤だ。そうに違いない。
「声が聞こえたぜ〜。居留守なんかしねーで開けてくれよ、」
向こう側から覗いたって、何か特殊なレンズでも使わない限り室内側の様子なんか見えないのに、なんでそんなことするの!? もしや、私が扉の前に立ってドアスコープを覗いてると思ってやったの!?
だが、今しがた漏らした声はしっかりと聞き取られてしまった。もう観念してドアを開けるしかない。私は尚もどきどきと早鐘を打つ胸を片手で押さえつけながら、ゆっくりとドアを開けた。
「……な、なに?」
「ようこそいらっしゃいませ、だろ?」
ホルマジオはそう言って顎をしゃくってみせた。
「入っていいか?」
「い、いいけど……でも、おもてなしできるようなもの、何も無いよ」
「いいんだよ。オレに気なんか使うな」
「え、でも、マジに……何しにきたの?」
勝手知ったる何とやら? でもホルマジオのことはまだ一度も家に入れたことはない。狭い部屋だし、入ってすぐ目前にソファーがあるから、まあ、進入許可が下りたらそこに向かうだろうけど、少しも迷いなんか見せずに、ホルマジオは部屋の奥へ進みそこにどかっと腰を下ろす。ここに越してきたときからある古臭いソファーのスプリングが軋む。私は動揺しながらもしっかり玄関に鍵だけはかけてホルマジオに近付いた。動揺していたから気付かなかったが、ホルマジオは二十センチ四方くらいの白い紙箱を抱えていたようだ。それを目の前のテーブルの上にそっと置いた。
「……ど、どうしよ。コーヒーでいい? てか、コーヒーしかない。安いの」
「いいからいいから。とりあえず、こっち来いよ」
ホルマジオはにやにやしながら後ろを振り向いて手招きをした。私は小首をかしげながら、言われるがまま彼に近付いた。すると彼は手首を掴んで私をやや強引に引き寄せ、自分の隣に座らせた。おかしい、掴まれたのは手首なはずなのに、心臓を掴まれたみたいに胸が苦しくなってきた。
「これ、何だと思う?」
「な、なに? ケーキ、とか?」
「まあ、それくらい甘いかもな。けど残念。はずれだ。だがまあ、良い線行ってる。これはおまえへの誕生日プレゼントだからな」
「……誕生日? ホルマジオの?」
「ちげーよ。なんでオレの誕生日プレゼントをおまえにやるんだよ。おまえのだ」
「誕生日……三ヶ月前に過ぎたけど」
「それはそうだけどよ。オレはちゃんと覚えてたし、言い訳すると……あの日オレは仕事でこっちにいなかっただろ」
その日を過ぎてしまえば、一日後も三ヶ月後も変わらない。ホルマジオにしてみればそんな理屈なのかもしれない。けど、理屈抜きにして、私は彼の気遣いを単純に嬉しいと思った。――このときは、まだ箱の中身が何か知らなかったから。
「そ、そう。とりあえず、ありがとう」
「おう。……ほら。とっとと開けてみろってば」
ホルマジオは相変わらずにやにやしていた。開けたら何か飛び出してくる、びっくり箱? だとしたら、もうそろそろ寝支度を始めようかという時間に交感神経を活発にさせるんだから、嫌がらせ以外のナニモノでもない。私は不審に思いながらも胸を高鳴らせ、箱に手を伸ばした。蓋を開けて中を覗きこむと、そこには――
「 かっ……かわっ――」
――こちらを見上げてミーッと鳴き声を上げる、生後三ヶ月くらいの小さな仔猫ちゃんの姿があった。柄は茶トラで、きっとオス猫さんだろうと思ってお尻の方を確認すると、予想通りオス猫さんだった。
「かわいいっ……!」
首根っこを掴んで持ち上げてすぐ、もう片方の手で前足の両脇からすくうように取り上げて、自分の背中をソファーにもたせかけながら胸の上に乗せた。まだ一度も切られていない鋭利な爪を剥き出しにするもんだから、デコルテあたりに痛みを感じたけど、そんな些細なことはまったく気にならない。しきりに、ミーミーとかわいい鳴き声をあげた。しばらくして害は及ばなそうだと判断したのか、甲高い鳴き声は収まっていって、次にはゴロゴロと喉を鳴らし始めた。仔猫ちゃんを撫でる手が止まらない。たまらん。
「――って!いやいやいや」
仔猫のあまりのかわいさに、大事なことを忘れていた。
「この子が誕生日プレゼントって、ことなの?」
「おう。そうだぜ」
「ここで、私に飼えと!?」
「なんだ、おまえ案外でけー声出せんだな」
ホルマジオは私側に向いた自分の耳の穴を小指で塞ぎながら笑って言った。
「癒やしが欲しいって、前に言ってたじゃねーか」
「うん。すごい的確。この子は私にとって癒やしでしか無いんだけど、命には責任が伴うんだよ!」
「暗殺者の言葉と思うと重さがちげーな」
え、なんでそんなにへらへらしてるの? 私がこれまでどれ程欲しくて欲しくてたまらないのを必死にこらえてきたと思ってるんだ!
「私、猫ちゃん飼ったことないし、こんなに小さな子、どうやって育てればいいかも分かんない! そもそも、うちには色々足りなすぎるよ! ゲージとか無いし、仕事で長く家空けなきゃって時どうするの!? そういうこと全部、いろいろ考えてる?」
「うーん。んなもん、どうにでもなるだろ」
「なんにも考えないで連れてきたのね」
捨て猫を拾ってきた子供に、親が「元の場所に戻してきなさい」って言わなきゃいけないくなる、よくあるやつ。その親の心理がよく分かった。でも、元の場所に戻してこいって……言える? こんなにかわいい子……。こうなる運命だったなら――
「運命だと思ったんだよ」
ホルマジオが言った。
「運命って言えば何でも許される訳じゃ無いから」
私はホルマジオにそう言いながら、自分にもそう言い聞かせた。
「まあまあ、そう熱くならずに、オレの話を聞け」
ホルマジオ曰く、彼は私に誕生日を聞いた日からずっと、私に何をプレゼントしようかと考えを巡らせていたらしい。結局、何も決まらずに一週間前を迎え、その上リゾットに仕事を振られてしまい、当日にはナポリにいられなかった。過ぎてしまったのだから、あとはゆっくり気長に考えよう、と思い至る。そして私の誕生日から三ヶ月が過ぎた今日、散歩に出てふらふら街を歩いているうちに、猫の譲渡会が開催されているというビラを受取ったのだという。
「猫の入れられたゲージにはよ、一匹一匹の仮の名前と性別と誕生日とが書いてあって、ブルーノ――ああ、そいつの仮の名前なんだけどさ――はおまえと誕生日が一緒だったんだよ。これだと思ったね」
ブルーノとの馴れ初めを話した後、ホルマジオは飼うと決めてからの話を始めた。譲渡会を開催していた非営利団体に根掘り葉掘り色んなことを聞かれ、最後には飼い主のプロフィールを書かされたり――もちろん、電話番号以外はすべて偽のものだが――定期的に病院へ連れて行けと言われたり、譲り受けて最初の一年は三ヶ月に一度非営利団体の事務所に連れて行って健康状態をチェックさせろとか、そんな長い説明を受けてやっと、ついさっき開放されたばかりだとか。
「誕生日が一緒なんだぜ。三百六十五、あるいは三百六十六分の一の確率だ」
「いや、それは違うと思う」
誕生日にだぶりの無い猫三百六十五、あるいは三百六十六匹のうちから無作為に一匹だけ選んだ結果、自分と誕生日が同じだったと言うならそうだが、たまたま訪れた猫の譲渡会で出会った猫が自分と同じ誕生日だった、なんて確率、どうやって導き出せるだろう。いや、無理だ。少なくとも、私には無理。けれどきっと、母数はもっともっと大きくなるに違いない。ホルマジオが言った確率よりも、その数はきっと、もっと運命的な数になるはず。
「……責任、取ってもらうからね」
柔らかくてあったかい、小さな猫背を撫でながら、私は言った。
「おう。もとより、そのつもりだぜ」
そういう答えを期待したし、むしろそうじゃなきゃ困るんだけど、ホルマジオの意外な答え――しかも即答――に私は驚いた。
「私が仕事で長期間家をあけないといけないときとか、預かってもらうから」
「それよりよ、合鍵くれよ」
「は!?」
「猫って、往なれたとこから引き離すのが一番ストレスなんだぜ」
「っだ……だからってあなたに、合鍵渡せって言うの?」
「管理はしっかりやるよ。間違ってもメローネにだけは渡さないようにする」
「いや、それは当たり前だし。ほんと洒落にならないんだけど……。と、とにかく、今日はなんとかミルクとチーズで凌ぐとして……明日ゲージとごはんとおもちゃを買いに行かなきゃ。あ、ホルマジオ手伝ってくれる?」
「しょうがねーなぁ」
ホルマジオは大して煩わしくもなさそうに、そして楽しそうに言った。
「付き合ってやんよ」
「ゲージ、すごい重そうだし、あなたのリトル・フィートで運んで欲しい」
「いや、ゲージくらい素で運べるだろ」
「ああ、ブルーノ。なんであなたって、そんなにカワイイの……?」
「おいおい。妬けるな、ブルーノ。一瞬でおまえにを取られちまった」
ホルマジオは優しい微笑みを浮かべながら、ブルーノの小さな額を人差し指で優しく小突いて言った。
かくして、私は自分の人生に初めて、猫という他者を招き入れた。それから変わったことがある。
まずひとつ。ホルマジオが家に居座るようになった。彼はブルーノに、私をおまえに取られて妬ける、とか言っていたけど、それはお互い様だった。私はブルーノにホルマジオを取られているような気がして妬いていた。けど、ネコ撫で声でブルーノと戯れるホルマジオの意外な姿を眺めるのも好きだった。
ふたつめ。家に何としても帰らなければ。――生きなければ、という信念が、自分の中で確立した。生きなければ、ブルーノが露頭に迷う。自分が露頭に迷うより、ブルーノが露頭に迷うことのほうが心配だった。自分以外に大切に思うことなんか、今までひとつも無かったのに、前の自分が私を見たらきっと驚いて、開いた口が塞がらないだろう。
そしてみっつめ。リゾットに褒められるようになった。仕事が早い。そつなくこなす。メリハリがあっていい。最近のおまえは何か違う。一体何があった? あの百戦錬磨のプロ中のプロ。鉄仮面のリゾットに、こう手放しで褒められるといい気分にしかならなかった。いや、人を殺しておきながらいい気分って最低だが、私がいい気分になっているのはあくまで褒められている時であるから、私は決して殺人狂のサイコパスとかではない。これは、私に起きた変化ふたつめの副次的反応である。だって、仕事を早く片付けて早くおうちに帰りたいじゃないか。失敗したらツケを払わされるのはどんな仕事をしていたって同じだろうが、私達の世界で払うツケは大抵が自分の命。私が死んだらブルーノが死ぬ。そう思うと、絶対に仕事はしくじれないのだ。
そして――
ホルマジオが箱を抱えて、今度はちゃんと私とブルーノの誕生日の夜にやってきた。
「いらっしゃい! ほら、ブルーノ。こっちにおいで。お誕生日プレゼントがあるみたいよ」
ブルーノはリビングの窓辺で丸くなって外の様子をうかがっていたんだけど、呼ばれてこっちに顔を向けると大あくびをかました。しばらくそのままこっちをじっと見て、結果、ホルマジオの手に大好きなおやつがあると分かった途端、にゃーんとカワイイ鳴き声をあげてホルマジオの足に長い尻尾をからませにくる。なんてゲンキンな子だろう。だけど、こういうところがまた最高にカワイイのだ。
そしてホルマジオは、私の腰を引き寄せて頬にキスをした。彼の顔を見上げると、今度は口に。
「。誕生日おめでとう」
「ありがとう。ホルマジオ」
――よっつめの大きな変化。それは、いつの間にかホルマジオが、ブルーノと甲乙つけがたいくらい大好きで、大切な存在になっていたということだ。
これが、これからの私の誕生日。一匹の猫がくれた、とても幸せな日。日がな一日あなたたちと一緒にいる。家で、ソファーで、みんなで一緒にすごすの。ああ、なんて幸せな日。私はこの日が大好き。わたしはちっぽけな存在だけど、広い広い空の下で愛する人に見つけ出してもらえて、ひとりぼっちじゃないって教えてもらえたから。